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何よりも大切なもの
幕引き
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静寂とはいつぶりだろう。
荒い息遣いと血液の滴る音だけが辺りを支配していた。
初めに動いたのはユリアだった。メイスを投げ捨て、半人半狼のダナウに駆け寄った。きつく、きつく抱き締め、胸板を覆う毛皮に頬を埋める。汗と血の滲む彼の匂いを深く吸い込んだ。
「おっ、おい……ユリア……」
「ダナウ先輩……っ、死んじゃったかと思ったんです。先輩、生きてたよぅ。生きててくれて、よかったよぅ……っ」
彼女は声を上げて泣き始めた。その必死の訴えに、気が付けば周囲の者たちも武器を下ろしていた。ダナウはただオロオロと彼女の肩に手を添える。
「ユリア、あのな」
「うるさいです。先輩は黙ってて」
「えぇ……?」
ダナウは視線を集めていることに気が付き、顔面だけ元の人間のものに戻した。頭頂部の三角耳は困惑のために下を向いている。ユリアはそんな彼を見上げ、涙を拭いながら微笑んだ。
「やだぁ、ダナウ先輩。随分と可愛くなっちゃったんですね」
「はっ、はあっ? なんだとお前――」
「ユリア」
感動の再会はそこまでだった。冷たく沈んだ声が逢瀬を遮る。
ナタレアが無事な方の手に拳銃を握り、真っ直ぐにダナウへと向けていた。
「ダナウ……助けてくれてありがとう。礼を言うよ」
「ナタレア班長――」
「だが、わかっているだろう? 魔物を生かしておくことはできないんだ。私たちの前に現れてしまった以上、私たちは君を退治しなければならない」
「待ってください、班長!」
ユリアが腕を広げてダナウを庇う。
「これはダナウ先輩です! なんか毛深くなってるし、耳とか生えちゃってるけど……でも、ダナウ先輩なんですよ? あたしたちの仲間じゃないですか!」
「私にも見えているよ、ユリア。彼は確かに私の部下であったダナウ・ベルデだけれど、彼はもう人間ではないんだ」
「だからなんだって言うんです? 中身は変わってないですよ。さっきだってちゃんと悪い魔物と戦ってましたし、こうやっておっぱい押し付けるとすぐ赤くなるところだって、ダナウ先輩のまんまですもん」
「あぁっ?」
「ユリア――」
ナタレアは溜息を吐いて首を振った。三人を見守るジャスティンや、他の隊員たちも沈痛な面持ちで項垂れている。
「なんでですか? だって、ダナウ先輩ですよ? 班長のこと、守ってくれたじゃないですか!」
「わかってくれ、ユリア。私だってこんなことはしたくないんだ」
「じゃあしなければいいじゃないですか! なんで――」
ダナウは静かにユリアの肩に手を置いた。振り返った彼女はまたも泣くのを堪えている。
「決まりだからな。しょうがないんだ」
「しょうがない? 先輩もそれに納得しちゃってるんですか?」
彼はただ片方の口角を上げて笑ってみせた。ユリアは呆然と手を下ろす。ナタレアが震える声で言った。
「……すまない、ダナウ」
「まあ、気にしないでくれよ。俺も覚悟はできてたから。今の俺はあのライカンスロープの気まぐれで生き延びちまっただけなんだ。本当はあの時、墓場で死んでいたはずだもんな」
「……ありがとう」
「いいんだ」
誰もがその一瞬を呼吸も忘れて見守っていた。静寂すらもこの皮肉な結末を嘆いているようだ。張り詰めた悲しみの空気の中で、ナタレアが撃鉄を起こす音だけが大きく響いた。
――と、静寂を破る足音がした。
「ちょっと待ったぁー!」
間の抜けた声と共に、間に割り込んだのは小柄な少女――のような見た目のおっさん。傍らにはボロボロになった体を引き摺る少年を連れ、両手に血濡れた杖を持っている。彼はその杖を――二匹の蛇が絡み付き、一対の翼を広げたカドゥケウスの杖を頭上に掲げ、高らかに名乗りを上げた。
「ふははは! ボクこそが黒幕、ノッティラ・ノーフォーク・ノートリーヒ! ライカンスロープに人を襲わせていた悪い魔術師だ!」
誰もが呆気に取られて口を開けていた。
ノノノは恥ずかしさで紅潮していく顔を咳払いで誤魔化し、わざとらしい独白を続ける。
「あーああ! 審問官を操って無罪の人間たちを魔女に仕立ててやったのに! 洗脳が解けたとは作戦失敗だ! 仕方ない、今回はこれでおさらばするぜ!」
「えっ。ちょ、おい――」
状況が理解できずに戸惑うダナウに、ジルヴィが寄り添って腕を掴む。さらに彼はノノノのローブをしっかりと握った。
ヴン、と低い音が耳元で囁いた。かと思えば、突如足元が青い光に包まれる。なんと、ノノノが掲げた杖を中心に、巨大な魔方陣が三人を取り囲んだのである。
「じゃあ、さようなら! ふはははは!」
いまいち締まらない台詞を残し、魔方陣の燐光が強くなる。観衆が眩しさに目を覆い、その光が収束した時には、三人の姿は消えていた。
三度訪れる沈黙。
呆然と立ち尽くすユリアとナタレア。
彼女らが動けずにいるのを見かねて、誰かが口火を切った。
「なんだー、洗脳だったのかぁー」
ロズだった。目配せを受け、ジャスティンも急いで続ける。
「く、黒幕がアイツだったなんてびっくりだぜー。まんまと逃げられちまったぜー」
「そのうえ、今日の裁判は仕組まれていただとー? 危なく無実の人間を処刑してしまうところだったぁー、よかったぁー」
なんという棒読み。
二人のあまりの大根役者っぷりに周囲からは小さな笑い声すら漏れた。
ロズに背後から小突かれて、ユリアが先に我に返る。彼女は熱心にナタレアに訴えた。
「そっ、そうだったんです! 全部洗脳で、みんな無罪で、あの――とりあえず、魔術師にもライカンスロープにも逃げられちゃいましたね! 残念ですね!」
ナタレアは何も言えずに彼女を見つめ返した。次にロズを、ジャスティンを見、再びユリアに視線を戻す。羞恥と緊張で頬を染めた彼女と目が合って、ナタレアはぷっと吹き出した。
「あっはははは。そうだな。逃げられてしまったものは仕方がないな!」
全員、ほっと胸を撫で下ろす。
ナタレアは一頻り笑ったあと、憲兵たちにその場を収めるための指示を出した。
「まずは負傷者の確認だ。ジャスティン、怪我人は一ヵ所に集め、救護班に重傷度がわかるようにしておけ。広場に残っている市民は家に帰らせるように。ユリア、広報担当者を探して来てくれ。事件の真相を新聞に書かせないとな――」
こうして何もかもが有耶無耶になったまま、騒動は終幕となった。
荒い息遣いと血液の滴る音だけが辺りを支配していた。
初めに動いたのはユリアだった。メイスを投げ捨て、半人半狼のダナウに駆け寄った。きつく、きつく抱き締め、胸板を覆う毛皮に頬を埋める。汗と血の滲む彼の匂いを深く吸い込んだ。
「おっ、おい……ユリア……」
「ダナウ先輩……っ、死んじゃったかと思ったんです。先輩、生きてたよぅ。生きててくれて、よかったよぅ……っ」
彼女は声を上げて泣き始めた。その必死の訴えに、気が付けば周囲の者たちも武器を下ろしていた。ダナウはただオロオロと彼女の肩に手を添える。
「ユリア、あのな」
「うるさいです。先輩は黙ってて」
「えぇ……?」
ダナウは視線を集めていることに気が付き、顔面だけ元の人間のものに戻した。頭頂部の三角耳は困惑のために下を向いている。ユリアはそんな彼を見上げ、涙を拭いながら微笑んだ。
「やだぁ、ダナウ先輩。随分と可愛くなっちゃったんですね」
「はっ、はあっ? なんだとお前――」
「ユリア」
感動の再会はそこまでだった。冷たく沈んだ声が逢瀬を遮る。
ナタレアが無事な方の手に拳銃を握り、真っ直ぐにダナウへと向けていた。
「ダナウ……助けてくれてありがとう。礼を言うよ」
「ナタレア班長――」
「だが、わかっているだろう? 魔物を生かしておくことはできないんだ。私たちの前に現れてしまった以上、私たちは君を退治しなければならない」
「待ってください、班長!」
ユリアが腕を広げてダナウを庇う。
「これはダナウ先輩です! なんか毛深くなってるし、耳とか生えちゃってるけど……でも、ダナウ先輩なんですよ? あたしたちの仲間じゃないですか!」
「私にも見えているよ、ユリア。彼は確かに私の部下であったダナウ・ベルデだけれど、彼はもう人間ではないんだ」
「だからなんだって言うんです? 中身は変わってないですよ。さっきだってちゃんと悪い魔物と戦ってましたし、こうやっておっぱい押し付けるとすぐ赤くなるところだって、ダナウ先輩のまんまですもん」
「あぁっ?」
「ユリア――」
ナタレアは溜息を吐いて首を振った。三人を見守るジャスティンや、他の隊員たちも沈痛な面持ちで項垂れている。
「なんでですか? だって、ダナウ先輩ですよ? 班長のこと、守ってくれたじゃないですか!」
「わかってくれ、ユリア。私だってこんなことはしたくないんだ」
「じゃあしなければいいじゃないですか! なんで――」
ダナウは静かにユリアの肩に手を置いた。振り返った彼女はまたも泣くのを堪えている。
「決まりだからな。しょうがないんだ」
「しょうがない? 先輩もそれに納得しちゃってるんですか?」
彼はただ片方の口角を上げて笑ってみせた。ユリアは呆然と手を下ろす。ナタレアが震える声で言った。
「……すまない、ダナウ」
「まあ、気にしないでくれよ。俺も覚悟はできてたから。今の俺はあのライカンスロープの気まぐれで生き延びちまっただけなんだ。本当はあの時、墓場で死んでいたはずだもんな」
「……ありがとう」
「いいんだ」
誰もがその一瞬を呼吸も忘れて見守っていた。静寂すらもこの皮肉な結末を嘆いているようだ。張り詰めた悲しみの空気の中で、ナタレアが撃鉄を起こす音だけが大きく響いた。
――と、静寂を破る足音がした。
「ちょっと待ったぁー!」
間の抜けた声と共に、間に割り込んだのは小柄な少女――のような見た目のおっさん。傍らにはボロボロになった体を引き摺る少年を連れ、両手に血濡れた杖を持っている。彼はその杖を――二匹の蛇が絡み付き、一対の翼を広げたカドゥケウスの杖を頭上に掲げ、高らかに名乗りを上げた。
「ふははは! ボクこそが黒幕、ノッティラ・ノーフォーク・ノートリーヒ! ライカンスロープに人を襲わせていた悪い魔術師だ!」
誰もが呆気に取られて口を開けていた。
ノノノは恥ずかしさで紅潮していく顔を咳払いで誤魔化し、わざとらしい独白を続ける。
「あーああ! 審問官を操って無罪の人間たちを魔女に仕立ててやったのに! 洗脳が解けたとは作戦失敗だ! 仕方ない、今回はこれでおさらばするぜ!」
「えっ。ちょ、おい――」
状況が理解できずに戸惑うダナウに、ジルヴィが寄り添って腕を掴む。さらに彼はノノノのローブをしっかりと握った。
ヴン、と低い音が耳元で囁いた。かと思えば、突如足元が青い光に包まれる。なんと、ノノノが掲げた杖を中心に、巨大な魔方陣が三人を取り囲んだのである。
「じゃあ、さようなら! ふはははは!」
いまいち締まらない台詞を残し、魔方陣の燐光が強くなる。観衆が眩しさに目を覆い、その光が収束した時には、三人の姿は消えていた。
三度訪れる沈黙。
呆然と立ち尽くすユリアとナタレア。
彼女らが動けずにいるのを見かねて、誰かが口火を切った。
「なんだー、洗脳だったのかぁー」
ロズだった。目配せを受け、ジャスティンも急いで続ける。
「く、黒幕がアイツだったなんてびっくりだぜー。まんまと逃げられちまったぜー」
「そのうえ、今日の裁判は仕組まれていただとー? 危なく無実の人間を処刑してしまうところだったぁー、よかったぁー」
なんという棒読み。
二人のあまりの大根役者っぷりに周囲からは小さな笑い声すら漏れた。
ロズに背後から小突かれて、ユリアが先に我に返る。彼女は熱心にナタレアに訴えた。
「そっ、そうだったんです! 全部洗脳で、みんな無罪で、あの――とりあえず、魔術師にもライカンスロープにも逃げられちゃいましたね! 残念ですね!」
ナタレアは何も言えずに彼女を見つめ返した。次にロズを、ジャスティンを見、再びユリアに視線を戻す。羞恥と緊張で頬を染めた彼女と目が合って、ナタレアはぷっと吹き出した。
「あっはははは。そうだな。逃げられてしまったものは仕方がないな!」
全員、ほっと胸を撫で下ろす。
ナタレアは一頻り笑ったあと、憲兵たちにその場を収めるための指示を出した。
「まずは負傷者の確認だ。ジャスティン、怪我人は一ヵ所に集め、救護班に重傷度がわかるようにしておけ。広場に残っている市民は家に帰らせるように。ユリア、広報担当者を探して来てくれ。事件の真相を新聞に書かせないとな――」
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