28 / 32
何よりも大切なもの
最悪の再会
しおりを挟む
大勢で消火にあたったためか、処刑台の火はすぐに鎮火した。とはいえ、藁が高く積まれていたことで、上へ上へと昇った炎によって、縛られていた多くの者が下肢に火傷を負っていた。さらに被害が大きかったのは煙と熱だ。喉を焼き、肺を犯し、被害者たちを外から中から痛め付けている。恐怖で失神している者も少なくない。
そんな被害者たちを奪い合うようにして、民衆の暴動が起こっていた。魔女たちに刑を執行しようと、無作為に暴力を振るう者。彼らから無実の親類、友人を助けようと奮闘する者。魔女に加担する者たちの邪魔をする者。それらをさらに妨害する者。もう、何もかもが滅茶苦茶だった。
混乱の中、ダナウはエミに近付くべく、行く手を阻むものを手当たり次第に押し退けていた。リルーの出現によって聖女へと仕立て上げられた少女は、まさに混沌の渦の中心である。彼女自身は気を失っているようだが、彼女の周りでは一段と凄惨な暴力の応酬が繰り広げられている。
「くそっ、邪魔だ! 退け!」
ダナウは怒鳴り散らしながら人混みを掻き分ける。気絶した少女の体を取り合って暴れる大人たちを蹴散らしていると、その隙に彼女へ駆け寄ろうとする者があった――エミの伯父である。
「やめろっ、クソ野郎! 汚い手でその子に触るんじゃねぇえ!」
そんな怒声が通り過ぎていくのを聞き、ダナウはほんの少し安堵する。
――と、常人より優れた聴力が、絶叫に掻き消される小さな声を聞く。ダナウはハッとして天を仰いだ。
「リルー!」
眩い翼の怪鳥は、処刑台の上空で羽ばたいていた。明らかに飛び方がおかしい。ひらり、と木の葉のように舞い落ちる彼女のすぐ傍を目に見えぬ何かが軌跡を描く。
リルーが狙われていた。見れば、憲兵団の魔物討伐隊が彼女に銃を向けているのである。リルーは負傷した翼で飛び回りながら、次々に発射される弾丸を躱していた。
「リルー、ここはもういい! 逃げろ!」
けれど、怪鳥は旋回をやめない。おそらく、憲兵団の注意が乱闘中の人間に及ばないように囮になってくれているのだろう。自らの身を呈して。
「やめろおおおぉぉ!」
ダナウは目の前の人間を踏み台に、討伐隊に躍り掛かった。空中で変貌する長身。手足の骨格が変わり、破れたシャツの下から隆々の筋肉が現れる。全身を暗灰色に覆われた二足歩行の狼人間がその拳を振りかぶっていた。
「出たぞ! ライカンスロープだ!」
誰かが叫ぶ。銃口が一斉に彼に向いた。
ダナウは怯むことなくその中に飛び降りた。強化装備を着けた拳で手当たり次第に殴り付ける。弾丸が掠め、時に肉を深く抉ったが、人狼特有の硬い体毛がいくらか衝撃を和らげていた。
「リルーに手ぇ出すんじゃねえええぇぇ!」
右手の拳に全力を籠めて。正面の憲兵に叩き込む。凝縮、爆発したエネルギーによる衝撃波が拳を中心に拡散し、対象共々周囲の敵を吹き飛ばした。ダナウを中心として、台風後の草原のような光景が広がった。
「掛かって来いよ、てめぇら! 鍛錬が足りないぜ?」
「――ダナウ先輩!」
その声は周囲の喧騒を掻い潜るようにしてダナウの耳に届いた。
すべての音が消えたような心地がした。
振り返る。茶色い髪の若い娘が。
ユリア・レープマンが、メイスを手に立ち尽くしていた。
「ユリ、ア……」
「やっぱりダナウ先輩だ……! 先輩、生きてたんですね!」
彼女の声には歓喜と安堵と、そして隠し切れない絶望が含まれていた。
ダナウは口を開きかけ、閉じた。彼女に答えてしまったら、きっと醜く伸びた犬歯が見えてしまうから。だが、嗚呼。そう考えて、自分の容姿を思い出す。
――今の俺は、既に人間ではないのだった。
ダナウは踵を返した。向かう先はユリアでも、処刑台でもない。かつての同僚として彼女の実力を知っているからこそ、逃げる以外の選択肢は選べなかった。
「あっ、待ってください!」
昏倒から起き上がり始めた憲兵たちを踏み越えて逃亡を図るダナウ。彼の前に立ちはだかったのは、やはりかつての同僚、ジャスティンであった。苦しげに顔を歪ませているが、彼の強化装備であるバトルアックスはしっかりと構えていた。
「ダナウ、お前……本当に――」
その先を言わせる必要はない。ダナウは再び狼の脚力を活かして跳び上がった。軽々とジャスティンの頭上を越える。が、すかさず戦斧が着地点を狙って振り下ろされる。それを転がって避け、近くに居合わせた観衆を掴んでジャスティン目掛けて投げ付けた。
続けざまに追い付いたユリアからの攻撃。ダナウの脇腹にメイスを叩き込む。彼はそれを跳び退って避けるが、ユリアは間髪入れずに先端を槍の要領で突き出し、ダナウとの距離を埋めようとした。
彼女が持つメイスは柄が細く軽量化されているが、ダナウの強化装備同様、殴打の際にエネルギー圧縮による衝撃を加えることができる。つまり、扱いやすさと威力の両方が抜群に優れているのだ。その上、戦闘能力に秀でたユリアはメイスを自らの手足のごとく操る。躱すのは至難の業ながら、たった一撃でもその殴打を喰らったら、大怪我は免れ得ない。
だからこそ。ダナウは突きの一撃を避けなかった。瞬間的にヘッドの付け根を掴み、同時に体は上空へと反り上げる。突き出す動作に引き寄せる力を加え。前方にバランスを崩した彼女の背に踵を振り下ろしながら着地。
「きゃあっ!」
ユリアの悲鳴を背後に聞きながら、彼はすぐさま四つ足になって駆け出した。
宙を舞う一瞬の間に、ダナウは人垣の向こうに立つある男の姿を捉えていた。かつての同僚だから、見間違えない。そして、相手が為そうとしていることも読めていた。
ロズが銃を構えていた。標的はリルー。彼女はなおも飛ぶことをやめず、ダナウが窮地に陥れば加勢しようと待機していたのである。
発砲。
射出されたのは鉛玉ではない。太い銃身から放たれた砲弾は空中で分解し、両腕を広げるように捕獲用の網を張った。
「リルー、危ない!」
警告は既に遅かった。
リルーは避けようとした。が、範囲が広くて躱しきれない。翼の端が捕獲網と接触し、抱き込まれて囚われてしまった。
縺れるように落下する鮮やかな羽毛の塊。それが地面に叩き付けられると思われた刹那、暗灰色の風が吹き抜けた。
「逃げられるぞ! 追え!」
「ダナウ先輩、待って!」
怒号に包まれながら、狼は疾走する。その口に捕縛された怪鳥を咥えて。
そんな被害者たちを奪い合うようにして、民衆の暴動が起こっていた。魔女たちに刑を執行しようと、無作為に暴力を振るう者。彼らから無実の親類、友人を助けようと奮闘する者。魔女に加担する者たちの邪魔をする者。それらをさらに妨害する者。もう、何もかもが滅茶苦茶だった。
混乱の中、ダナウはエミに近付くべく、行く手を阻むものを手当たり次第に押し退けていた。リルーの出現によって聖女へと仕立て上げられた少女は、まさに混沌の渦の中心である。彼女自身は気を失っているようだが、彼女の周りでは一段と凄惨な暴力の応酬が繰り広げられている。
「くそっ、邪魔だ! 退け!」
ダナウは怒鳴り散らしながら人混みを掻き分ける。気絶した少女の体を取り合って暴れる大人たちを蹴散らしていると、その隙に彼女へ駆け寄ろうとする者があった――エミの伯父である。
「やめろっ、クソ野郎! 汚い手でその子に触るんじゃねぇえ!」
そんな怒声が通り過ぎていくのを聞き、ダナウはほんの少し安堵する。
――と、常人より優れた聴力が、絶叫に掻き消される小さな声を聞く。ダナウはハッとして天を仰いだ。
「リルー!」
眩い翼の怪鳥は、処刑台の上空で羽ばたいていた。明らかに飛び方がおかしい。ひらり、と木の葉のように舞い落ちる彼女のすぐ傍を目に見えぬ何かが軌跡を描く。
リルーが狙われていた。見れば、憲兵団の魔物討伐隊が彼女に銃を向けているのである。リルーは負傷した翼で飛び回りながら、次々に発射される弾丸を躱していた。
「リルー、ここはもういい! 逃げろ!」
けれど、怪鳥は旋回をやめない。おそらく、憲兵団の注意が乱闘中の人間に及ばないように囮になってくれているのだろう。自らの身を呈して。
「やめろおおおぉぉ!」
ダナウは目の前の人間を踏み台に、討伐隊に躍り掛かった。空中で変貌する長身。手足の骨格が変わり、破れたシャツの下から隆々の筋肉が現れる。全身を暗灰色に覆われた二足歩行の狼人間がその拳を振りかぶっていた。
「出たぞ! ライカンスロープだ!」
誰かが叫ぶ。銃口が一斉に彼に向いた。
ダナウは怯むことなくその中に飛び降りた。強化装備を着けた拳で手当たり次第に殴り付ける。弾丸が掠め、時に肉を深く抉ったが、人狼特有の硬い体毛がいくらか衝撃を和らげていた。
「リルーに手ぇ出すんじゃねえええぇぇ!」
右手の拳に全力を籠めて。正面の憲兵に叩き込む。凝縮、爆発したエネルギーによる衝撃波が拳を中心に拡散し、対象共々周囲の敵を吹き飛ばした。ダナウを中心として、台風後の草原のような光景が広がった。
「掛かって来いよ、てめぇら! 鍛錬が足りないぜ?」
「――ダナウ先輩!」
その声は周囲の喧騒を掻い潜るようにしてダナウの耳に届いた。
すべての音が消えたような心地がした。
振り返る。茶色い髪の若い娘が。
ユリア・レープマンが、メイスを手に立ち尽くしていた。
「ユリ、ア……」
「やっぱりダナウ先輩だ……! 先輩、生きてたんですね!」
彼女の声には歓喜と安堵と、そして隠し切れない絶望が含まれていた。
ダナウは口を開きかけ、閉じた。彼女に答えてしまったら、きっと醜く伸びた犬歯が見えてしまうから。だが、嗚呼。そう考えて、自分の容姿を思い出す。
――今の俺は、既に人間ではないのだった。
ダナウは踵を返した。向かう先はユリアでも、処刑台でもない。かつての同僚として彼女の実力を知っているからこそ、逃げる以外の選択肢は選べなかった。
「あっ、待ってください!」
昏倒から起き上がり始めた憲兵たちを踏み越えて逃亡を図るダナウ。彼の前に立ちはだかったのは、やはりかつての同僚、ジャスティンであった。苦しげに顔を歪ませているが、彼の強化装備であるバトルアックスはしっかりと構えていた。
「ダナウ、お前……本当に――」
その先を言わせる必要はない。ダナウは再び狼の脚力を活かして跳び上がった。軽々とジャスティンの頭上を越える。が、すかさず戦斧が着地点を狙って振り下ろされる。それを転がって避け、近くに居合わせた観衆を掴んでジャスティン目掛けて投げ付けた。
続けざまに追い付いたユリアからの攻撃。ダナウの脇腹にメイスを叩き込む。彼はそれを跳び退って避けるが、ユリアは間髪入れずに先端を槍の要領で突き出し、ダナウとの距離を埋めようとした。
彼女が持つメイスは柄が細く軽量化されているが、ダナウの強化装備同様、殴打の際にエネルギー圧縮による衝撃を加えることができる。つまり、扱いやすさと威力の両方が抜群に優れているのだ。その上、戦闘能力に秀でたユリアはメイスを自らの手足のごとく操る。躱すのは至難の業ながら、たった一撃でもその殴打を喰らったら、大怪我は免れ得ない。
だからこそ。ダナウは突きの一撃を避けなかった。瞬間的にヘッドの付け根を掴み、同時に体は上空へと反り上げる。突き出す動作に引き寄せる力を加え。前方にバランスを崩した彼女の背に踵を振り下ろしながら着地。
「きゃあっ!」
ユリアの悲鳴を背後に聞きながら、彼はすぐさま四つ足になって駆け出した。
宙を舞う一瞬の間に、ダナウは人垣の向こうに立つある男の姿を捉えていた。かつての同僚だから、見間違えない。そして、相手が為そうとしていることも読めていた。
ロズが銃を構えていた。標的はリルー。彼女はなおも飛ぶことをやめず、ダナウが窮地に陥れば加勢しようと待機していたのである。
発砲。
射出されたのは鉛玉ではない。太い銃身から放たれた砲弾は空中で分解し、両腕を広げるように捕獲用の網を張った。
「リルー、危ない!」
警告は既に遅かった。
リルーは避けようとした。が、範囲が広くて躱しきれない。翼の端が捕獲網と接触し、抱き込まれて囚われてしまった。
縺れるように落下する鮮やかな羽毛の塊。それが地面に叩き付けられると思われた刹那、暗灰色の風が吹き抜けた。
「逃げられるぞ! 追え!」
「ダナウ先輩、待って!」
怒号に包まれながら、狼は疾走する。その口に捕縛された怪鳥を咥えて。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる