はみ出し者たちとカドゥケウスの杖

祇光瞭咲

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魔女裁判、開廷

処刑台の上で

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 犇めく観衆の頭上を朗々とした声が渡っていく。仮設ステージの上に審問官が立ち、名簿に記された名前と罪状を読み上げていた。
 処刑台はステージとは別に用意されていた。無造作に並んだ木の柱。すぐ傍には大量の藁と着火用の松明が用意されている。罪人たちはステージの下で列を作り、ただその時を待っていた。読み上げられた者から処刑台へ引っ立てられ、数人ずつあの木の柱に縛り付けられるのだ。

 ダナウ・ベルデは観衆に紛れ、処刑台がよく見える位置に陣取っていた。先程まではリルーと共にステージの近くにいたのだが、あまりの警備の厚さにその時点での救出は断念した。

「やっぱりあの作戦で行くしかないな」

 彼は腕に抱えたリルーに話し掛けた。

「頼んだぞ、リルー」

 彼女は雌鶏から鳩の姿になり、決められた配置へと飛び立った。それからダナウも移動し、今に至る。

「エミ・カワサキ――」

 呼ばれた。エミが憲兵に引っ立てられながら処刑台へと重い足を引き摺って行く。彼女は今回の被告人の中で最年少であるに違いない。一際小柄な彼女は縛るのに数分も掛からなかった。終始俯き、その黒髪で泣き顔を隠したまま。
 そんな光景が暫く続き、とうとうすべての罪人が柱に縛り付けられた。男女問わず、年齢にも幅があるが、皆罪状は同じ――悪しき術を使う魔女だ。魔女への刑罰は死刑一択。それも、火炙りと決まっている。
 柱の根元に藁が積まれ始めた。罪人たちの命乞いも大きくなっている。

 ダナウは全身に汗が滲むのを感じていた。密集した人の体温のせいだけではない。緊張と焦燥がじりじりと彼を責め立てていた。
 ジルヴィはどうしただろう。
 彼はきっと今頃コンシェルジェリーに忍び込み、牢獄のどこかに囚われているであろうノノノを探しているはずだ。上手くいっていればいいのだけれど。
 いや、人の心配をしている暇はない。彼にも重大な役目があるのだ。大事な友人のことを任せてくれたジルヴィの信頼に応えるためにも、失敗は許されない。

 三本の松明が高く掲げられた。真昼の炎は青空に溶けて、その周りだけを高温で歪ませる。
 緊張の瞬間。
 誰もが息を呑んで見守る前で。観衆からも、処刑台からもすすり泣く声が溢れる中で。
 火が、点けられた。

「いやだ! 助けてえええぇ――……!」
「熱い、熱いよオオォォ――……!」
「死にたくない! 嫌だ、あ、あ、ああああぁぁぁぁ――……ッ」

 そんな絶望の声が輪唱する。
 エミが大きく口を開けている。絶叫の渦に呑まれ、もはやどれが彼女の悲鳴かなんてわからないが、熱と煙が彼女の生を犯していた。

 見ていられない。
 ダナウはきつく目を瞑り、心の中で呟いた。
 ――今だ、と。

「なんだあれは!」

 誰かが叫ぶ。口々に。
 処刑台上の一点を指差して。
 炎の中から何かが飛び出してきたのだ。
 大きく広げた翼。揺らめき、輝きながら羽ばたく両翼は、まさに火そのものだった。
 それは空高く舞い上がり。そして、ある少女の頭上に止まる。

 ダナウはあらん限りの声で叫んだ。

「火の鳥だ! 聖女だ! あの少女は聖なる乙女だ!」

 誰もがその声に困惑した。憲兵たちは誰が発言したのだと鋭く視線を巡らせる。

「聖女だ! あの子は聖なる乙女に違いない!」

 もう一度叫ぶ。すると今度は、その声に呼応するように別のところからも声が上がった。

「そうだ! あの子は聖女なんだ! 聖女さまだ!」

 さらにもう一声。

「聖女を救い出せ! 聖女を殺すな!」
「聖女だ! 聖女さま!」
「聖なる乙女だったんだ! 魔女じゃない、聖女だ!」
「彼女を助けろ! 聖女さまだぞ! 聖女さまを殺してはならない!」

 聖女を呼ぶ声は瞬く間に広まった。たちまち広場中を包み込む。
 ダナウの、そしてエミの伯父の扇動に応じた者たちのうち、どれだけがこの茶番を真実だと信じただろう。そんなことはきっと問題ではなかった。広場に集まった者たちの中で、家族や友人知人が無実の罪に問われた者は沢山いる。この残酷で差別的な見世物に異を唱えたいと願っていた者たちが。彼らはこの計画に乗ってくれたのだ。
 ダナウは計画の次の段階に進んだ。処刑台に突進し、磔にされた者たちを救い出すのだ。既にリルーが藁を蹴転がして炎を柱から遠ざけようとしている。同調した民衆もそれに加わり、ある者は上着で炎を叩き消し、ある者は柱に縛られた縄を解きに掛かった。

 だが、順調なのはここまでだった。
 やはりと言うべきか。反対の声が上がり始めたのである。

「嘘だ! あれは魔物だ! 魔物が魔女を守ろうとしている!」
「魔物だぞ! あの娘は本物の魔女だったんだ!」
「違う! あの子は聖女だ! あの美しい鳥は神の御使いだ!」
「聖女を救い出せ!」
「魔女だ! 魔女を殺すんだ!」

 既に秩序は失われた。
 混沌が場を支配する。


***



「何事だ!」

 サルバドル・カミュは怒号を発した。ステージの上に立つ彼には左前方に位置する処刑台がよく見えていたが、今やそこは群衆の波に呑まれていた。黒く聳えるものは人の頭なのか、煙なのか。あの混沌の中で何が繰り広げられているのか、ここからではわからなかった。

「民衆が争っています。火の中から舞い上がった輝く鳥を目にして、あの黒髪の少女を聖女だと信じた者たちが、彼女を解放しようと詰め掛けたのです」

 ナタレアが報告する。カミュはギリギリと歯を噛み締めた。

「愚か者どもめ。どう考えてもあれはただの魔物だろう! 魔女の計略だとわからんのか!」

 彼は杖を握る手に憤りを込めた。なんとか平静さを取り戻そうと荒い呼吸を繰り返す。

「ナタレアさん。総員鎮圧に向かわせてください」
「はっ」

 ナタレアは直ちに指示に取り掛かった。討伐隊員を含め、憲兵たちが暴動の中心――処刑台へと走る。

「負傷者が大勢出ているに違いない。マーガレット、君もあちらへ向かってくれ」
「承知しました」
「班長! あたしも、あたしもあっちに行きます!」

 名乗り出たのはユリアだ。だが、ナタレアは首を振った。

「ダメだ。審問官の警備が薄くなってしまう」
「ナタレア班長がいれば大丈夫です! 班長はとってもお強いですもん」
「そういう問題では――」

 制止の声は虚しく消えた。既にユリアはステージを飛び降りて駆け出していた。

「あれは先輩の声だった――あれは絶対に、ダナウ先輩の声だった!」

 そんな叫びを後に残して。
 ナタレアは呆然とその背を見送ってしまってから、我に返って額を覆った。騒動そのもののせいではない。たった今耳に入った名前に、彼女もまた心を搔き乱されていた。

「まったく、どうしようもない……」

 必死で落ち着こうと努める彼女を見て、カミュが苛々と吐き捨てる。

「ナタレア隊長、予定を変更します。ジェヴォーダンをここへ連れて来るよう伝えてください。奴を使って民衆の注意を引き戻します」
「は、しかし、私がここを離れるわけには――」
「結構です。私も自分の身くらい自分で守れますので。早く!」

 彼はナタレアを舌打ちで送り出し、民衆に背を向けて爪を噛んだ。

 計画が狂う?
 まさか。そんなことはありえない。どんな事態になっても軌道修正してみせる。
 この万能の杖さえあれば、できないことなどないのだ。


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