はみ出し者たちとカドゥケウスの杖

祇光瞭咲

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カドゥケウスの杖

カドゥケウスの杖

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 ノッティラ・ノーフォーク・ノートリーヒは何もない個室に囚われていた。三方をのっぺりとした石の壁に囲われており、冷えが打ちっぱなしの床から這い上ってきている。ノノノは隅で膝を抱えながら、これから自分に降り掛かる試練を考えていた。

 生憎、彼はここから脱出する術を持ち合わせていなかった。彼は魔術研究家であるけれども、研究家は所詮研究家である。外へ繋がる門を創造することはおろか、体を温める小さな火を起こすことすらできないだろう。
 また、錬金術師としての彼はまだまだ未熟な存在であった。良くも悪くも俗世への関心――それは魔術という忌まわしき存在への好奇心でもある――が捨てきれない彼には、叡智へ至る階梯に足を掛けることすら許されなかった。錬金術の分野でもってここから脱出できる唯一の方法は、〈真理の門〉を開くこと以外には存在しないというのに。
 残された手段は口八丁。口先だけで自らの立場を弁明し、無罪を勝ち取らなければならない。魔女裁判という、裁判とは名ばかりの公開処刑において。

 ノノノは待ち続けた。おそらくそれが現状に至る元凶であり、かつ打開の一手だと信じて。
 飢えと渇きが精神を蝕み始めた頃、かの人物はついに訪れた。
 微かに聞こえる足音。鉄扉の前で止まり、看守が鍵を開けた。

「ご機嫌いかがですか、ノートリーヒ?」

 異端審問官サルバドル・カミュが立っていた。端麗な顔に薄ら笑いを浮かべながら。

「おや。この部屋は少し寒いですね。ご老体には堪えたでしょう。申し訳ない」
「は? 誰が老体ですって?」

 と抗議しつつ、カミュが火鉢を用意させると、ノノノはいそいそとそれに寄り添った。カミュはさらに椅子を用意させ、二人で向かい合うように腰掛けた。付き添いの憲兵たちには、扉を閉めて廊下で待つように命じる。

「鍵は開けておいて構いません。決して盗み聞きしようなどと思わないように」

 扉が閉ざされるなり、ノノノは言った。

「随分と余裕ですねぇ、審問官殿。ボクが危害を加えるとも限らないのに」
「ええ。仮にあなたが襲い掛かってきたとして、私一人でも対処できる自信がありますので」
「生意気な青二才め。これまで散々魔術研究に協力してやった恩を仇で返すつもりですか」
「はい。その通りです」

 あっさり答えるカミュに、ノノノはキーッと歯を剥きだした。

「大変申し上げにくいのですが、あなたの魔術研究は、その……少々初心者向けすぎると言いましょうか。私は既にその上の段階に行ってしまったのです」

 ノノノはハッと息を呑む。それから翡翠色の目を細めて。忌々しく吐き捨てた。

「なるほど? どーりで人狼事件がなかなか収束しないわけです――ライカンスロープ(人狼)を生み出した真犯人はキミですね、サルバドル・カミュ?」

 カミュは答えの代わりにただ微笑んだ。

「それでボクを身代わりの犯人に仕立て上げた、と。その目的は何です? 犠牲者たるボクにはそれを知る権利くらいありますよねぇ?」
「どうでしょうか。『魔術師』にはどんな人権も認められませんから」
「ふん。だったら、ここに何しに来たんですか? ボクを嘲笑うなら、裁判の日にいくらでもできるじゃないですか」
「確かに、おっしゃる通りですね」

 カミュはノノノの悪態を聞き流しながら、マントの前を開いた。隠し持っていたのは長い杖状のもの。覆いが掛けられており、その正体は秘匿されている。
 ふいに、ノノノは寒気を覚えた。室温のせいではない。これは――これは、あの秘匿された『何か』のためだ。

「……なんです、それ」
「見たいですか?」

 二人の間に突き立てられる杖。
 挑発的な物言いにノノノは反抗しようとした。が、できなかった。何かが彼の関心を強く支配していた。見たい。知りたい。知らねばならない、という欲求を。気が付けば、彼は小さく頷いていた。

「……そうでしょう。やはりあなたも探求者。抗えはしないのですね」

 縛っていた紐が解かれ、その覆いが外された。
 それはやはり杖だった。
 絡み付く二匹の蛇。素朴な杖の先端で、二匹でひとつの王冠を頂いている。それぞれが片翼を広げ。雄々しいその姿は、錬金術師たちが長らく夢見てきたものであった。

「カドゥケウスの杖――……!」

 ノートリーヒは魅せられた。二匹の蛇の赤い瞳。彼を射抜き、そして誘惑するように輝いている。

「ご存知でしたか」
「それを……それをどこで手に入れた?」
「最近処刑された『魔術師』の財産から押収されました。彼を裁いたのは私ではありませんが、審問局には私以上に魔法の品に詳しい者はいませんから、調べたいと言って貰い受けてきたのです」

 カミュは満足そうに笑い、艶やかな蛇の背に指を這わせた。鱗の一枚一枚が刻まれており、その鈍い光沢はまるで本当に生きているかのようだ。じっと目を注いでいると、その柔い腹が呼吸で膨れるようにすら思えてくる。
 彼は言った。

「この杖には強い魔力を感じます。しかし、蒐集した魔術書をどれだけ調べても、この杖のことはわからなかった……私はあなたに教えていただきたいのです。この杖の由縁を。この杖の使い方を」
「お断りです」
「おや」

 即答したノノノにカミュは微笑み掛ける。

「断るということは、この杖の使い方もご存知なんですね」
「あ」

 すぐさま口を噤んで睨み付けるノノノ。カミュはさも愉快そうに笑いながら言った。

「教えてくれたら、あなたの容疑を晴らし、解放してあげますよ」
「ふん。喋らなければ死刑、ですか。安い脅しですねぇ。そんな脅しにボクが屈するとでも?」
「では、何を差し上げたら教えてくれます?」
「その杖くれたら考えますよ」
「それは嫌です。できれば他のことで」

 ノノノはつんとそっぽを向いた。カミュが苦笑する。

「あなたのようなご老体を指す言葉を思い出しましたよ。頑固ジジイ、と言うんでした」
「お黙り、青二才。その杖はキミみたいな小童が使えるものではないんです」
「そうでもありませんよ。もう使ってみましたから」
「はいっ?」

 危なく椅子から転げ落ちるノノノ。カミュはクスリと手を口元に当てた。

「あのライカンスロープです。彼はジェヴォーダンというのですがね――あれは私が造ったのではなく、審問局が捕まえて監禁していた個体を使役しているんですよ。この杖の力を使ってね」
「……だったら、もうボクが教えることなんてないじゃあありませんか」
「そうなんですか? いえ、私はそうは思いませんね。この杖にはまだ秘められた力がある……」

 カミュは蛇の背を撫でながら、しばらく思索に耽っていた。ノノノが彼を睨みながら打開策を検討する前で。やがてこちら側へ戻って来たカミュは唐突に話題を変えた。

「ところで、ホムンクルス(人造人間)とはなんですか?」
「な」

 咄嗟に表情を繕ったが、カミュは彼の動揺に気が付いたようだ。またも満足そうな顔になる。

「あなたの研究室でメモ書きを見つけたんです。人工的に造られた奇妙な生き物……生き物なんですか、あれは? なんでも驚異的な変身能力を持つとか。そして、〈賢者の石〉という言葉――実に、興味を惹かれますね」

 迂闊であった。とはいえ、あれらを破棄している時間はなかったが。
 錬金術書を紐解けば、ホムンクルスのことも、〈賢者の石〉のことも、ひいてはカドゥケウスの杖のことも理解できてしまう。しかし、とノノノは考える。錬金術の真理はすべて暗号化されている。それにカミュが自力で辿り着くには、相当な年月を必要とするだろう。
 ただし、カドゥケウスの杖を用いれば別だ。あの杖は然るべき方法で用いれば、術者をすぐにでも叡智へと送り届けてくれるかもしれない。

 ダメだ、とノノノは結論に至った。
 絶対にこの男にカドゥケウスの杖の正体を知られてはならない。

「こちらもだんまりですか」

 カミュは小さく「頑固ジジイ」と呟いた。カドゥケウスの杖に元通り覆いを掛け、立ち上がりながら言う。

「ご存知です? この杖は生贄を捧げると、その贄から取り出した魔力を貯蔵できるようなのです。もともと蓄えられていた分はジェヴォーダンを手懐けた時に使い果たしてしまいまして、今はまたコツコツと貯めているところなんですよ」

 ノノノは黙って続きを待った。そんな話を自分にする目的はなんだろうと疑問に思いながら。
 答えはすぐに明らかになった。まったく嬉しくない形で。

「ちょうどいいところに、イルミナティ(啓明党)のお偉いさんから、ベルヴィル周辺に巣食う移民どもを何とかしてくれと頼まれまして。いっそのこと大々的な魔女狩りを行うことにいたしました」
「なっ……なんですって?」
「仕方ないじゃないですか。この杖の正しい使い方がわからないのですから……あなたが教えてくださらないのであれば、独学で使いながら覚えていくしかない。ですよね?」

 ノノノは憤怒に拳を握り締めた。
 あの男は脅迫しているのだ。
 お前が杖のことを白状しなければ、ベルヴィルの移民たちが大勢死ぬぞ、と。

 それでも、彼は口を噤むことしかできなかった。

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