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人狼の血
ボロボロ
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再び彼が目を開けると、既に半日が経過し、知らぬ間に昇った日がもう沈みかけていた。
いつかのように、ダナウは質素なベッドで目を覚ます。抉られた肩の怪我には包帯が巻かれていた。打撲の痛みが弱まっているのは、きっと半狼の回復力のおかげだろう。魔物の血の恩恵を感じるたび、なんだか複雑な気持ちになる。
居間に下りていくと、食卓でリルーが買い置きのパンを啄んでいた。ダナウを見て調子を問うように首を傾げる。
「ああ。昨日もありがとうな、リルー」
そう答えて手を差し出すと、リルーは撫でられるために頭を擦り付けた。
「ジルヴィは?」
リルーが一階の客間を振り返る。ジルヴィが寝室として使っている部屋だ。ダナウは部屋を覗いてみることにした。
ジルヴィはこちらに背を向けてベッドに身を横たえていた。毛布も掛けずに身を縮める姿は、なんとも小さな子供のよう。彼がピクリとも動かないように見えて、ダナウは不安に襲われた。
「ジルヴィ?」
思わず一歩踏み出すと、痩せた背が大きく膨らんだ。眠たげな碧眼が肩越しに振り返る。
「ん……ダナウ? おはよう」
ダナウは溜息を絞り出した。
「なんだよ、死んだかと思ったぜ」
「うん……まだあんまり元気じゃないから、もうちょっと寝ててもいい?」
「え」
覗き込んでみれば、その顔は蒼白である。昨晩痣のように見えた痕はすべて消えているが、明らかにジルヴィは弱っている。ダナウは嫌な予感に眉根を寄せた。
「まさかお前……昨日も……」
ジルヴィは答えない。ただ、弱々しく微笑んだ。
察してしまった。ジルヴィは体を自由に変形させることができる。その能力で出血も骨折もなかったことにできるけれど、痛みまで消えているとは限らないのだ。そもそも、彼の変身には痛みが伴うと言ってたではないか。それなのに、昨晩は文句ひとつ言わずに隠れ家まで連れ帰ってくれたのか。ダナウは思わず唇を噛んだ。
薄っぺらい毛布をジルヴィのために持って来てやる。それから彼が向かったのは台所であった。
火に掛けたフライパンにバターを少々滑らせて。溶き卵二つに砂糖を山盛り、塩を一つまみ。豪快に流し込むと、一分と待たずに掻き寄せて皿に落とす。白と黄色が混じる小さな山肌を淡い黄色の液体がトロトロと滑っていく。最後に胡椒を気持ち程度に振り掛けて、味見は一切なしで一品出来上がった。
ダナウは炒り卵を持ってジルヴィの寝室へ戻った。ほんのり香るバターの匂い。釣られたジルヴィにスプーンを握らせる。無骨なダナウには怪我人に食べさせてやるなどの介添えはできず、ただ自力で口に運ぶことを強要した。
「ダナウが作ってくれたの?」
「味は保証しないけどな。栄養は必要だろ」
「そんな心配しなくても、放っておけばすぐ治っちゃうのに」
「いいから食えよ」
ジルヴィはやっとのことで一口含んだ。軽く咀嚼して飲み下す。
「……すごく甘い?」
「疲れた時は糖分がいるんだよ。黙って食え」
見守るダナウの表情がずっと睨んだように険しかったのは、どうせ単なる照れ隠しだろう。
「ご馳走さま」
ジルヴィはゆっくりとだが、完食した。ダナウに向ける笑顔も心なしか柔らかく温かみを取り戻している。
「……ねえ、すっごく美味しかった」
「ふん。味覚なんかないクセに」
「うん。でも、たぶん、こういうのを『美味しい』って言うんだと思う」
ダナウはキュッと口を引き結んだ。答える代わりに皿を奪い、僅かに残った汁や残骸を掻き集めてスプーンを舐める。
「……あっま」
それだけ言って、彼は部屋を出て行った。
***
翌日になると、ジルヴィもダナウも完全に回復していた。さすがは人外の自然治癒力である。大袈裟に寝込み、大袈裟に看病してしまったせいで、顔を合わせるのはどこか気まずかったが、そのことがむしろ次の行動を促した。
「早速で悪いんだけど、僕はノノノを助けに行こうと思うんだ」
ダナウは何も言わずにパンを千切った。缶詰のスープに浸して口に運ぶ。隣ではリルーがおこぼれを待ち構えていた。
「ねえ、このままでいいと思うの? 僕のせいでノノノは捕まっちゃったんだ。それを見捨てるなんて無責任なこと、僕にはできないよ」
「わかってる。けど、今は落ち着け」
「落ち着いてるよ!」
ジルヴィは叫ぶと同時に机に手をついて立ち上がった。ダナウは静かに彼を見上げた。
「落ち着いている奴は、ちゃんと座って飯を食う」
「う……」
大人しく席に着くジルヴィ。けれど、食事の手は進まなかった。
気まずい沈黙を挟み、目を伏せて食事を続けながら、ダナウが口を開く。
「俺だってノノノを見捨てるつもりはない。あいつを逃したら、魔術師探しの次の手掛かりもなくなっちまうしな」
「じゃあ、すぐに助けに行こう?」
ダナウは首を振る。
「あいつを助けるために必要なのは情報収集だ。だが、俺たちは昨日の騒ぎで市民にも憲兵団にも顔を見られている。ほとぼりが冷めるまで、俺たちが出歩くのは避けた方がいいんだよ」
確かに、彼の言うことは正しいように思えた。ジルヴィはすっかり肩を落としながらも、懇願するようにダナウを見る。
「でも……そうしてる間に、ノノノは殺されちゃうかもしれない」
「そうだな。だから――」
ちらり、とリルーを見る。彼女は「またか」という顔で羽を膨らませた。ジルヴィは呆気に取られながら、少し遅れて理解が追い付く。
「リルー、見てきてくれるの?」
彼女は優しさを込めて一声鳴き、スプーンを突いた。ジルヴィの指先にその柄が触れる。
「あは。リルーには敵わないなぁ」
「お前、女の尻に敷かれそうな感じするもんな。鳥相手なのに――あっ!」
リルーはジルヴィが食事に手を付けるのを見届けると、ダナウのスープ皿に塩の瓶をぶちまけてから飛び去って行った。
いつかのように、ダナウは質素なベッドで目を覚ます。抉られた肩の怪我には包帯が巻かれていた。打撲の痛みが弱まっているのは、きっと半狼の回復力のおかげだろう。魔物の血の恩恵を感じるたび、なんだか複雑な気持ちになる。
居間に下りていくと、食卓でリルーが買い置きのパンを啄んでいた。ダナウを見て調子を問うように首を傾げる。
「ああ。昨日もありがとうな、リルー」
そう答えて手を差し出すと、リルーは撫でられるために頭を擦り付けた。
「ジルヴィは?」
リルーが一階の客間を振り返る。ジルヴィが寝室として使っている部屋だ。ダナウは部屋を覗いてみることにした。
ジルヴィはこちらに背を向けてベッドに身を横たえていた。毛布も掛けずに身を縮める姿は、なんとも小さな子供のよう。彼がピクリとも動かないように見えて、ダナウは不安に襲われた。
「ジルヴィ?」
思わず一歩踏み出すと、痩せた背が大きく膨らんだ。眠たげな碧眼が肩越しに振り返る。
「ん……ダナウ? おはよう」
ダナウは溜息を絞り出した。
「なんだよ、死んだかと思ったぜ」
「うん……まだあんまり元気じゃないから、もうちょっと寝ててもいい?」
「え」
覗き込んでみれば、その顔は蒼白である。昨晩痣のように見えた痕はすべて消えているが、明らかにジルヴィは弱っている。ダナウは嫌な予感に眉根を寄せた。
「まさかお前……昨日も……」
ジルヴィは答えない。ただ、弱々しく微笑んだ。
察してしまった。ジルヴィは体を自由に変形させることができる。その能力で出血も骨折もなかったことにできるけれど、痛みまで消えているとは限らないのだ。そもそも、彼の変身には痛みが伴うと言ってたではないか。それなのに、昨晩は文句ひとつ言わずに隠れ家まで連れ帰ってくれたのか。ダナウは思わず唇を噛んだ。
薄っぺらい毛布をジルヴィのために持って来てやる。それから彼が向かったのは台所であった。
火に掛けたフライパンにバターを少々滑らせて。溶き卵二つに砂糖を山盛り、塩を一つまみ。豪快に流し込むと、一分と待たずに掻き寄せて皿に落とす。白と黄色が混じる小さな山肌を淡い黄色の液体がトロトロと滑っていく。最後に胡椒を気持ち程度に振り掛けて、味見は一切なしで一品出来上がった。
ダナウは炒り卵を持ってジルヴィの寝室へ戻った。ほんのり香るバターの匂い。釣られたジルヴィにスプーンを握らせる。無骨なダナウには怪我人に食べさせてやるなどの介添えはできず、ただ自力で口に運ぶことを強要した。
「ダナウが作ってくれたの?」
「味は保証しないけどな。栄養は必要だろ」
「そんな心配しなくても、放っておけばすぐ治っちゃうのに」
「いいから食えよ」
ジルヴィはやっとのことで一口含んだ。軽く咀嚼して飲み下す。
「……すごく甘い?」
「疲れた時は糖分がいるんだよ。黙って食え」
見守るダナウの表情がずっと睨んだように険しかったのは、どうせ単なる照れ隠しだろう。
「ご馳走さま」
ジルヴィはゆっくりとだが、完食した。ダナウに向ける笑顔も心なしか柔らかく温かみを取り戻している。
「……ねえ、すっごく美味しかった」
「ふん。味覚なんかないクセに」
「うん。でも、たぶん、こういうのを『美味しい』って言うんだと思う」
ダナウはキュッと口を引き結んだ。答える代わりに皿を奪い、僅かに残った汁や残骸を掻き集めてスプーンを舐める。
「……あっま」
それだけ言って、彼は部屋を出て行った。
***
翌日になると、ジルヴィもダナウも完全に回復していた。さすがは人外の自然治癒力である。大袈裟に寝込み、大袈裟に看病してしまったせいで、顔を合わせるのはどこか気まずかったが、そのことがむしろ次の行動を促した。
「早速で悪いんだけど、僕はノノノを助けに行こうと思うんだ」
ダナウは何も言わずにパンを千切った。缶詰のスープに浸して口に運ぶ。隣ではリルーがおこぼれを待ち構えていた。
「ねえ、このままでいいと思うの? 僕のせいでノノノは捕まっちゃったんだ。それを見捨てるなんて無責任なこと、僕にはできないよ」
「わかってる。けど、今は落ち着け」
「落ち着いてるよ!」
ジルヴィは叫ぶと同時に机に手をついて立ち上がった。ダナウは静かに彼を見上げた。
「落ち着いている奴は、ちゃんと座って飯を食う」
「う……」
大人しく席に着くジルヴィ。けれど、食事の手は進まなかった。
気まずい沈黙を挟み、目を伏せて食事を続けながら、ダナウが口を開く。
「俺だってノノノを見捨てるつもりはない。あいつを逃したら、魔術師探しの次の手掛かりもなくなっちまうしな」
「じゃあ、すぐに助けに行こう?」
ダナウは首を振る。
「あいつを助けるために必要なのは情報収集だ。だが、俺たちは昨日の騒ぎで市民にも憲兵団にも顔を見られている。ほとぼりが冷めるまで、俺たちが出歩くのは避けた方がいいんだよ」
確かに、彼の言うことは正しいように思えた。ジルヴィはすっかり肩を落としながらも、懇願するようにダナウを見る。
「でも……そうしてる間に、ノノノは殺されちゃうかもしれない」
「そうだな。だから――」
ちらり、とリルーを見る。彼女は「またか」という顔で羽を膨らませた。ジルヴィは呆気に取られながら、少し遅れて理解が追い付く。
「リルー、見てきてくれるの?」
彼女は優しさを込めて一声鳴き、スプーンを突いた。ジルヴィの指先にその柄が触れる。
「あは。リルーには敵わないなぁ」
「お前、女の尻に敷かれそうな感じするもんな。鳥相手なのに――あっ!」
リルーはジルヴィが食事に手を付けるのを見届けると、ダナウのスープ皿に塩の瓶をぶちまけてから飛び去って行った。
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