はみ出し者たちとカドゥケウスの杖

祇光瞭咲

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魔女裁判

魔女裁判

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 朝市を後にする二人の足取りは重かった。
 魔女狩りについて、ダナウとジルヴィでは徹底的に意見を異にする。

「魔術師は悪だ。それより下位の存在であっても、魔女だって人間の脅威だと見なせる」
「でも、本当にあのおばあさんたちが悪者だったかどうかはわからないよ? 善意の魔女だっているかもしれないじゃないか」
「アホ。魔術を使う時点で悪なんだよ。人を助けたいなら科学がある。薬だって、ちゃんと医学的に保証された薬を使えばいいだろうが」

 言い争いは平行線だ。
 しまいに二人は、裁判を直接この目で見に行くことにした。

 会場はそれなりに大きな広場であったが、それでも人の波は放射状に広がる道の方まで溢れ出していた。広場を囲む建物のバルコニーにも見物人が詰め掛けている。こういう場面では珍しくもないが、お祭り騒ぎに乗じた物売りの呼び声や、スリ被害を訴える怒声も飛び交っていた。
 少し遅れて到着したために、ジルヴィとダナウはかなり後方になってしまい、背の高いダナウが爪先立ちになってやっとステージの存在が確認できる有り様だった。

「むむ。なんにも見えない」
「変身してちょっと背を高くしたりできないのか?」
「見つかっちゃうよ。それに僕の場合は、変身するのってすっごく痛いんだ」

 ジルヴィはそう言い残し、するりと人々の間に滑り込んで消えてしまった。しばらくの後、前方の街灯に軽業師のようにしがみ付く彼の姿を発見する。ダナウと目が合うとヘラヘラと手を振り返した。

「ったく、なんなんだあいつは……」

 そう独り言ち。ダナウも野次馬に集中することにした。
 人の波が打ち寄せる先、広場の中央には木造の仮設ステージが設けられていた。今、一人の女が椅子に縛り付けられ、恐怖に目を見開いている。彼女の左右には異端審問官が連れてきた二人の助手が控えており、逃げられないよう肩に手を置いていた。

「狡猾な魔女はいとも容易く我々の懐に忍び込みます。この美しきパリの足元にも、卑しく恐ろしい異端者たちが虫のように巣食っている!」
「魔女だ! 魔女だ! 魔術を使う異端者だ!」

 高らかに響き渡る演説は、異端審問官サルバドル・カミュによるものだ。拡声器越しの声は野次に掻き消されることなく観衆の耳へ届いている。
 演説の端々には取り巻き連中による合いの手が挟まれていたが、それを片手を挙げて静まらせ、彼は一層注意を引くよう声量を落とした。

「魔女には『印』があるのをご存じでしょうか――悪魔との忌まわしき契約の印が?」

 観衆がざわめく。
 小さな声がひとつ上がった。

「そんな悍ましいモノ、見たことないぞ」

 すると、審問官は待ってましたとばかりに両手を広げる。

「当然でしょう。奴らは邪悪な術を用いるのですから。我々は奴らに欺かれている!」

 不安の波紋が広がった。
 彼は台から道具をひとつ手に取り、それを全体から見えるように頭上に掲げる。

「――ですが、ご安心なさい。この道具を使えば、簡単に見分けることができるのです」

 日差しを受け、鋭利な先端がキラリと光る。
 それは、柄の付いた太くて長い針だった。

「契約の『印』は魔術によって痣やホクロのように見せかけられています。けれども、ひとつだけそれらとは決定的に違う点がある――傷付けられても血を流さないのです。そもそも痛みすら感じないとか。つまり、この針でもって疑惑の箇所を検めれば、被告が悪しき魔女であるかどうかを確かめることができるのです!」

 それから為されたことが、いかに恐ろしく痛ましいものであったか。
 左右の助手が針を持つ。一人は右腕から、一人は左足から。被告の女に針を刺していったのだ。

「ギャアッ」

 女から悲鳴が上がる。
 刺された箇所には赤い点が刻まれ、場所によっては細い血の筋が垂れた。

「い、イダイィッ! やめて、わたし魔女じゃありません――痛っ! いだッ、イタイィ……ッ!」

 悲痛な声は絶え間なく響き渡る。腕も足も、湿疹のような赤い斑点で水玉模様になってしまった。
それでも針刺しは終わらない。
 腕を終え、血みどろになった針を新しいものと持ち替える。尖った銀の先端が鎖骨周りの柔い肌を貫くと、また一段と甲高い声が上がった。
 被告人の肌に浮かぶ血の斑点が増えるたび、観衆の顔から血の気が引いていく。すっかり蒼褪め、失神する者や、見ていられないと立ち去る者も現れた。

 ダナウは黙って壇上の虐待を見つめていた。彼はこの光景を見るのが初めてではないのだ。
 イルミナティ傘下の異端審問局と憲兵団は協力関係にある。魔物討伐隊の戦闘員として、過去には異端審問官の護衛を務めたこともある。だから、彼はこの後に起こることを知っていた。そして、どんなにこの裁判を痛ましく思っても、自分には何もできないことを知っていた。

 あまりの絶叫に耳を塞がざるを得なくなった頃、唐突な静寂が訪れた。
 鎖骨と鎖骨の間、首の中央――指で押すだけでも痛みや苦しさを覚えるはずのその場所に、深々と針が突き立てられている。
 被告の女は自分の胸元を見下ろし、顎の下から覗く針の柄に目を見張った。

「え……うそ……」

 誰もが息を殺していた。
 助手が大袈裟な身振りで針を引き抜く。
 声は上がらなかった。
 血は滴らなかった。

 女の首は、綺麗なままだった。

「うそ、ウソよ、嘘、うそうそうそ……ッ! そんな訳ない! わたし魔女じゃないもの。信じて、本当です! 魔女じゃない! わたしは魔女じゃ――」

 だが、もはや何を叫んでも無駄だった。
 観衆の目が変わっていた。
 恐怖や哀れみから、憎悪へと。
 今や、おぞましさの対象は針刺しの検査ではなく、被告の女そのものになっていた。

「『印』が……見つかりましたね」

 審問官のカミュが進み出る。
 四肢から血を垂れ流し、命乞いをする女を蔑んだ目で見下ろして。

「やはり、この女は悪魔と契約している――魔女だ! 邪な術を用いる悪魔の手先め!」

 それが、彼女への死刑宣告であった。



***


 ステージの周りで人払いが行われる。不自然なほどの手際の良さで火刑台が組まれ、被告の女は炎に呑まれた。
 ダナウとジルヴィは彼女の死を見届けはしなかった。処刑が決まってからさらに増えた観衆を掻き分け、一本隣の通りで腰を落ち着かせる。残虐な拷問を見たせいか、手の平にじっとりと嫌な汗を掻いていた。

「僕、あの人知ってるよ。肉屋の女将さんだ」

 ジルヴィが言う。娘さんが一人いる、と小さく付け足したのを、ダナウは聞こえなかったフリをした。

「魔物も魔女も、魔術を使うやつは人類の敵だ。駆除しなければ、人間の方が食われちまう」

 自分のことを棚に上げたその発言を、今度はジルヴィが聞かなかったフリをする。

「……あの人、本当に魔女だったのかなぁ?」
「当たり前だろ? 異端審問官が確認したんだから、間違いない」
「ダナウはどうしてそんなに確信を持てるの?」

 ジルヴィの問いに含みはなかった。ただ、純粋な眼差しでダナウを見る。その澄んだ碧さになぜか背筋を冷たいものが走り抜け、ダナウは思わず目を逸らした。

「あのな、あの魔術師かどうかの判断ってのは、あの針だけで決めてるんじゃないんだよ。審問局とか憲兵団の調査隊とかが事前にしっかり調べて、それで容疑者を挙げてるんだ。つまり、あの台に載せられることが決まった時点で、ある程度裏は取れてるんだよ」
「そう言うけどさ。調査してる証拠とかって、見せてくれたことないじゃんか」

 と言いつつも、ジルヴィにそれ以上言い争う気はないようだった。

「……まあ、あの女将さん、他の人より魔力は高そうだったもんね」

 ダナウは驚いて彼を見た。

「お前、魔力の量とか見てわかるのか?」
「ある程度はね。はっきりとじゃないよ。本当に優れた術者だったら、それこそ審問官が言ってたように、相手を騙すことだってできるに違いないし」

 そもそも、とジルヴィは説明を付け足す。それは気まずい空気から話題を逸らそうとしているようにも見えた。

「一般的に、男性より女性の方が魔力との親和性は高いみたいだよ。こうやって街の人を見ていても、軒並み女性の方が魔力含有量が高いもの。やっぱり女性には出産能力という神秘の力があるし、月との関係性が強いからじゃないかな」
「月?」
「うん。月は魔力を増幅させる力があるんだよ。って、知らなかった? だからライカンスロープだって満月の夜に狼化しちゃうんだけど」

 急にライカンスロープの話を出され、ダナウはうっと息を詰まらせる。しかし、避けては通れない話題だという自覚もあった。

「確かにそれは聞いた気がする。満月の日は魔力が制御できなくなって、それで人間の姿を保っていられないんだって……俺も、来月はそうなるわけか」
「そうだね。ああ、でも、ダナウは魔力の保有量がびっくりするほど少ないし、平均よりさらに魔力との親和性が低いのかも」
「なんだそれ? だったらどう――」

 その時だった。ダナウは動きを止めた。
 通りの向こうを数人の黒服が横切っていく。その中に、見知った姿を見つけてしまった。
 あの黒く靡く長い髪。すらりとした長身は、ナタレア・マーグスト班長だ。ということは、その後に続くのはロズと、ジャスティンと、マーガレットと――……。

 どうしてその瞬間、ユリア・レープマンはこちらを振り向いてしまったのか。
 咄嗟にジルヴィの背に身を隠す。かなり距離があったから、きっと彼だと気付かれはしなかっただろう。

 それでも、ダナウは。
 地面についた両手の間に涙の雫が滴るのを、堪えることができなかった。

「……ダナウ」

 ジルヴィの手が彼の肩に触れる。その温もりはすべてを理解してくれていた。
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