はみ出し者たちとカドゥケウスの杖

祇光瞭咲

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魔女裁判

エミ

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 建物の密度が高まるにつれ、段々と人の往来も増えてきた。いや、増え過ぎである。街の中心へ南下していることはわかったが、それにしても人の数が多過ぎるようだ。

「……おい。なんでこんなに人が多いんだ?」

 ダナウは不安になって訊ねた。ジルヴィがケロリと答える。

「なんでって、今日は市場が出てるからだよ」
「市場ぁ?」

 彼は慌てて帽子のつばを引き下げた。危なく落とされそうになったリルーが、不満げにダナウの腕に爪を立てる。

「馬鹿! なんでよりによってそんな日に!」
「よりによったんだよー? これも作戦の内なんだってば」
「アホか。こんなに人がいるところを歩けるか!」
「逆だよ、ダナウ。人がいっぱいいるから、いちいち他の客の顔なんて見ないの。みんなお店の方に注目してるから大丈夫」
「だからって――」

 しまいにはジルヴィも呆れ返った。

「もう! いい加減、腹を決めてよ! しつこいなぁ!」

 ダナウはなおも嫌々をしたが、怪力に背を押されて市場の喧騒へと呑み込まれることになった。
 パリ、二十区。ベルヴィルと呼ばれるそのエリアには、週に何度か大規模な市が立つ。もとは労働者階級の街だったけれど、近年では移民や流れ者が多く集まるようになったという。住まう顔ぶれが変わっても、街の賑わいはそのままだ。今日も人々の営みが生み出す活気で満ち溢れている。
 大通りを挟むように露店が軒を連ね、扱う品は多種多様。テーブルの上に色とりどりの野菜のピラミッドができているかと思えば、その向かいでは日用雑貨や調理器具を売り捌いている。一番どさくさなのは古着屋で、地面に直接布を敷き、袋に詰め込んだ商品を大胆にぶちまけていた。客たちは宝探しでもするようにその山を引っ掻き回すのだ。

 ダナウも過去にこの朝市に来たことがあった。とはいえ、ほんの数回だ。値段は格段に安いけれど、人種入り乱れる雑多な空気が息苦しく、好んで足を運ぶ気になれなかったのだった。ところが、人外の身となって改めて訪れたベルヴィルの朝市は、その雑多さでもって、異端と化した彼のことも等しく受け入れてくれるように感じた。百メートルも進む頃には、すっかり緊張も解けている。
 半狼化したために鋭くなったダナウの嗅覚は、人間に紛れ込む魔物の存在を嗅ぎ取っていた。

「俺たちだけじゃないんだな」

 思わずそんな感想を漏らす。ジルヴィは悪戯っぽく笑って返した。

「イルミナティだって、意外と気付いてないんだなって思った?」
「……ああ」

 その声に僅かばかりの不満な調子を読み取って、ジルヴィの笑みが宥めるような苦笑に変わる。

「仕方ないよ。人間は魔力への順応性が低いから」
「それは喧嘩を売ってるのか?」
「違うよ。得意なことは人それぞれ、種族それぞれって話」

 ただ、と彼は思案げに付け加えた。

「本当はとっくに気付いてるのかも。この地区に住んでる魔物はとっても数が多いから、わかっていて見逃しているのかもしれないね。いちいち退治するのは大変だもん」

 だが、これにはダナウが食って掛かる。

「そんな訳あるか。魔物は害悪だ。『見つけ次第即刻退治』が俺たち討伐隊の掟なんだよ」
「――もう『俺たち』ではないんだよ、ダナウ」

 思わず息を呑む。ジルヴィは同情を顔に浮かべ、すぐに話題と表情を改めた。

「おっと。あそこだよ、僕の行きつけ」

 その店は区画を二つ分使用していた。片方には家具や工具、古道具の数々を。もう片方には古着類を売っている。おそらく、中古品であればなんでも扱う万屋で、食品以外ならすべてがここだけで揃えられそうだった。見栄えは大変悪いので、店主の姿がなければ単なるゴミの山と思ってしまいそうだけれども。
 ジルヴィが歩み寄ったのは古着の方だった。乱雑に積まれたかび臭い布の山の中で、小柄な少女が足を崩して座っている。見たところ、少女は極東系の移民のようだった。パリの街では珍しい、太く艶やかな黒髪を肩に垂らしている。

「あっ、ジルヴィくん」

 少女は立ち上がって彼に手を振った。笑うと頬の両側に笑窪ができて大層愛らしい。

「いつもより遅かったから、今日は来てくれないのかと思ったわ」

 その声にどこか特別な喜びが潜んでいることにダナウは気付く。対するジルヴィもいつになくはにかんでいるように見えた。

「新しい友達を案内するので遅くなっちゃったんだ。エミにも紹介するね」

 少女とジルヴィは同じくらいの年頃に見える。二人が互いに特別な仲を感じるのも不思議はなかった。ダナウは若干の気まずさを覚えながら、エミの前に進み出た。

「ダナウだよ」
「エミよ。よろしくね」
「……よろしく」

 エミは握手を求めようとしたが、ダナウが雌鶏を抱いているのを見て手を引っ込めた。不思議そうにダナウを見上げる。

「綺麗なニワトリさんね。買ったの?」
「あ、ああ」
「ニワトリ飼うんだ?」
「いや、食う」

 すかさずリルーに突かれた。

「エミ!」

 隣の区画から店主が怒鳴り付ける。

「お喋りは仕事が終わってからにしろ! 飯抜かれてぇのか!」
「ごめんなさい、伯父さん」

 エミは慌てて居住まいを正す。

「えっと、その、ごめんなさい。今日は何を買いに来たの?」
「ううん、こちらこそ。あのね、ダナウは新しく引っ越してきたばかりだから、家の物を揃えたいんだって」

 三人は仕切り直すように商談に取り掛かった。本当に何でも揃う店だが、そのすべてが盗品やゴミ捨て場から漁ってきたものであることは間違いないだろう。

「綺麗なものばかりじゃないから、よく見て選んでね」

 エミは申し訳なさそうにそう言った。
 食器や物入れ、シーツなどを購入する。衣類についてはダナウが文句たらたらだったので、希望の品をあらかじめ伝えておき、条件に合うものが入ったら取り置きしてくれるよう頼むことにした。

 支払いを済ませている時のことだった。
 エミの店から少し離れた辺りで騒ぎが起きた。

「ん、なんだ?」

 聴覚の優れたダナウが一番に気付く。振り返った視線の先で、黒服の一団が近付いてくるのが目に留まる。制服を飾るのは金の縁取り――イルミナティの憲兵団だ。

「あれは……誰かを連行しているのか?」

 通行人も皆立ち止まっていた。買い物客は野次馬の人だかりへと変貌した。
 憲兵団の先頭に、一人異なる制服を纏う者がいた。紫を基調とした、ゆったりとした法衣。こちらも差し色に金を用いているが、縁取りの刺繡は一層華美である。派手な衣装のためなのか、その男のグレーの髪は銀糸のように輝いて見えた。

「異端審問官だ」

 ダナウが呟く。するとエミが顔を曇らせた。

「また来たんだ……」
「多いのか?」
「うん……最近、移民街から沢山人を連れて行くようになったの」

 ジルヴィも口を挟む。

「異端審問官ってことは……?」
「魔女狩りよ。あの人たち、ロマのおばあさんたちを魔女だって言って連れて行くの。今日もこの後で裁判があるわ」

 その口調には嫌悪と恐怖が滲んでいる。
 裁判とは名ばかりだ。連行された時点で、被告人の有罪は確定している。その前に異端審問局が入念な調査を行っているというけれど、その過程は一切明かされていない。
 けれど。誰もそれに異を唱えたりはしなかった。なぜならば、裁かれているのは魔女――つまり、魔術を用いる者だから。魔物と同じく人類の敵である魔術師たちに、慈悲や公平性は不要なのである。

 集団が目の前に差し掛かる。ダナウは思わず人混みに身を隠した。こっそり横目で窺うと、憲兵の間で引き摺られるようにして歩かされている老婆が見えた。腰が曲がり、一歩一歩に苦労するその姿は、明らかにかなりの高齢だ。

「酷い。あのおばあさん、杖がないと歩けないのよ」

 エミは怒りで頬を染めるが、何もできないまま、一団は過ぎ去ってしまった。
 黒の一団が過ぎた途端、止まっていた時が動き出すように人々も行動を再開した。あたかも何もなかったかのように。談笑や商売が飛び交い始める。

「ジルヴィくんも二十区に住んでいるのよね?」

 エミが彼を見て言った。

「え、うん。端の方だけど」
「だったら、早くここから出て行った方がいいわ。街の雰囲気がどんどん悪くなってるから。そのうち、移民とそうでない人の間で大きな喧嘩が起こると思う」
「どうして?」
「パリの人たちは、わたしたち移民が魔女を匿ってるって言うのよ」

 答えるエミの顔は険しい。ジルヴィは複雑な表情を浮かべたが、ダナウは一切胸を痛めた様子を見せなかった。

「魔女を匿ってるんだったら、それは咎められても仕方ないだろ。あの婆さん然り」
「違う!」

 エミが反論を叫ぶ。焦げ茶の瞳には悔しさが涙となって現れ始めていた。

「あのおばあさんはただの薬屋さんよ。ロマに伝わる伝統の薬草を作ってくれてたの。それを誰かが勝手に魔術だとか言い掛かりをつけて――」
「エミ!」

 伯父の怒声が飛ぶ。

「てめぇ、またそんなこと言いやがって! うちが目ぇ付けられたらどうしてくれんだ、クソガキ!」
「ごめんなさい、伯父さん」

 魔女を庇う言動は、自らが彼らの仲間だと宣言することに他ならない。そこに真偽は必要ないのだ。
 移民という立場の弱さ。この短いやり取りに、彼らの置かれた境遇を思い知る。

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