はみ出し者たちとカドゥケウスの杖

祇光瞭咲

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ライカンスロープ狩り

ペール・ラシェーズ墓地

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 馬車はパリ二十区にあるペール・ラシェーズ墓地の正門前で停車した。
 ダナウは他の二人と共に馬車を降りた。頭上は雲ひとつなく晴れ渡り、東の空には白月が輝いているものの、何か不穏なものが重く垂れこめているようだった。貼り付くような緊張が、全身をゆっくりと絞め上げていく。
 後続の馬車からも四名の班員が降りてきた。皆一様に、銀糸が縁取る黒い制服をまとっている。各々開発部隊特製の魔道具と呼ばれる強化武器を持ち、これから繰り広げられるであろう死闘に顔を強張らせていた。

「最初の被害者はここから五十メートル圏内で発見された。また、つい最近にも霊園内で不審な影を見たという通報があった。どうせグール(食屍鬼)だろうとは思うが、ライカンスロープ(人狼)の可能性は十分にある。決して油断せず、心して掛かるように」

 ナタレアは班員一人ひとりの顔を見据えながら言った。その凛とした眼差しに身が引き締まるとともに、彼女への信頼が安心感をも呼び起こす。班員たちは互いに頷き合うことで覚悟を示した。

「ジャスティンはロズとデジレを連れて南方を。私たちは北西部を回って南下する。ちょうど中間辺りに大きな彫像があるから、そこで合流しよう。マーガレットは正門で待機だ。負傷者が出たらすぐ対応できるよう用意しておいてくれ。では、仕事を始めよう」

 そうして、彼らは墓地へと足を踏み入れた。
 ナタレア、ダナウ、ユリアの三人が歩を進めると、墓地特有の濃厚な土の臭いと妙な肌寒さに襲われた。日中は心地良い公園のように慕われている並木道も、夜は表情をガラリと変えている。建ち並ぶ墓廟は巨人の群れのように威圧的に。天使像が虚ろな視線で彼らを見送る。時折ぬるい風が吹き抜けては、枯れた献花がカサカサと気味の悪い音を立てた。それはまるで嘲笑のようだった。

「うぅ……やっぱり夜のお墓は嫌な感じですねぇ……」

 ユリアが強化メイスを抱き締めてか細い声を漏らす。さり気なくダナウの背に隠れようとするので、彼は鼻で笑いながら避けた。

「お前はこんなのでビビるタマじゃないだろ?」
「怖いものは怖いんですよぅ。今にもお化けとか出そうじゃないですか」
「何言ってんだ、お前。俺たちはそれを退治するのが仕事なんだぞ」
「そりゃあ、目の前にいてくれたら殴り殺せますけど、姿が見えないのは苦手なんです、あたし。ビックリさせられるのとか本当に無理で」
「二人とも、私語は慎みたまえ。集中を切らすんじゃない」

 ナタレアが二人を窘める。ダナウは「なんで俺まで」とユリアを睨んだ。
 任務の開始にあたり、ナタレアは蔦のような装飾が施された眼鏡を装着していた。填められたレンズは薄っすらと赤みがかっており、角度によって複雑な魔方陣が浮かび上がる。この眼鏡には魔術が用いられており、このレンズを通すと、目の前の光景が色ではなく含有する魔力の濃度によって示されるのだという。本来、魔道具の使用は法律で硬く禁じられているが、討伐隊に限って特別に許可されていた。

「班長、何か見つかりましたか?」

 ダナウが問う。ナタレアは周囲を見渡して答えた。

「今のところは特に」
「幽霊もいないですか?」
「それはいるよ。そこら中にうようよいる」

 ユリアが「ひぃっ」と声を上げてダナウにしがみ付く。が、あっさり払われてしまった。

「ああぁん! 先輩、酷いぃ」
「アホ。くっ付いてたら瞬時に応戦できないぞ」
「ぐうぅ……」

 諦めた彼女がいつでもお化けを殴り殺せるようメイスを構えたところで、ナタレアが制止の声を上げた。レンズ越しの双眸が警戒の色を浮かべている。

「――お出ましだな。二時の方向に魔物らしき影を見た。あの霊廟の裏に隠れただろう」

 途切れかけた緊張がピンと糸を張る。ダナウとユリアは目配せを交わし、目標の霊廟を挟み撃ちにするよう回り込みに向かった。後衛のナタレアも自身の武器である小銃を携え、二人を支援できる位置に移動する。

 視覚よりも先に嗅覚が存在を感知した。ねっとりと甘く、噎せるような腐敗臭。堪らず胃の内容物がせり上がる。
 ダナウはその臭いの正体を知っていた。これはライカンスロープではない――グールだ。
 音は聞こえなかった。呼吸音ひとつ、聞こえない。それは相手もこちらに気付いている証拠だ。

 息を整え。耳を澄ませる。
 パチン、と指を鳴らす合図が聞こえた瞬間。ダナウは墓石の裏から飛び出した。

 グールを知らない者が見たら、それはただのボロを引き摺った巨大な犬に見えただろう。鉤爪のある前肢を振りか ざす巨大な四足動物。しかし、間近で見ればまったく違う生き物であることがわかる。
 犬のような顔には、肉がなかった。緩やかな紡錘形の頭蓋骨が剥き出しになっており、干乾びた皮膚が斑に貼り付いている。骨を埋めるのは腐肉。そして、眼窩には失った眼球の代わりに青白い火が宿っていた。異形の面貌はどこか人間にも似て見え、それが一層悍ましさを増す。

 喉首を狙う一撃を、ダナウは左腕で受け流した。鉤爪が袖に触れるが、強化繊維で作られた制服には傷ひとつ付かない。グールはそのことにたじろいだのだろうか。僅かに遅れた次の攻撃はダナウに届くこともなく、ボキリと鈍い音が響き渡った。

「ギャアアゥ!」

 無様な悲鳴がグールの口から上がる。腐臭を放つ粘液が糸を引いた。

「きったねえなぁ!」

 罵声と共に殴り飛ばし、身を翻して迎え撃つは新たな個体。いつの間にかグールたちはダナウを取り囲んでおり、仲間を傷付けられた怒りに威嚇の声を立てていた。
 多勢に無勢。けれども、この程度の魔物でダナウが動じることはない。ナタレアが彼をエースなどと呼ぶのは、決して揶揄しているのではないのだ。ダナウ・ベルデは強化グローブだけを武器に、その身ひとつで魔物の懐へと殴り込んでいくのだから。
 新たに一頭が殴り倒されたのを見、グールたちも彼の実力を認識したらしかった。数の利を活かして一斉に襲い掛かる――が、それを捌くダナウの動きもまた、鮮やかであった。
 鉤爪が体に届く寸前。ダナウは半歩跳び退ってそれを躱し、右手のグールの首を掴んだ。相手の勢いそのままに左の個体に衝突させる。返す手で掴んだ獲物を振り回し。グールたちの包囲を薙ぎ払った。

「はっ。まーだ犬の方が知能があるぜ?」

 余裕の一瞬。割れたグールの垣根の向こうに、交戦するユリアの姿が見えた。彼女も数体のグールを相手に、メイスを振るっている。

「ほぅら、わんちゃん! こっちですよぉ!」

 そう言って哄笑を上げるユリアは、明らかに戦闘を楽しんでいる。だてに今期の訓練生随一の戦闘力を謳われてはいないようだ。

「うわ……今年の新人はやべぇな……」

 後輩に負けてはいられないと――アレにはあまり勝ちたくもないが――ダナウは残りのグール退治に向き直った。
 グールは群れで動く魔物だ。死肉を貪る以外に大した害はないが、魔物である以上生かしておくことはできない。一頭残らず駆除することが、彼らイルミナティ(啓明党)魔物討伐隊の職務であった。

 しばしの戦闘。
 今、振り返ったダナウの目の前で、最後の一匹が崩れ落ちた。頭部の内側から透けるように燐光を放ち、青色の光の核へ集束する。かと思えば、見る見るうちにグールの体は干乾び、一抱えのミイラへと縮んでしまった。

「二人とも、怪我はないか?」

 ナタレアが安全確認ののち、二人のもとへ歩み寄る。ダナウは足元に転がったグールの残骸を蹴り転がした。

「魔弾なんて使わなくても倒せたのに。もったいない」
「いいのさ。溜め込んでばかりでは、開発班が次を回してくれなくなるからな。少しくらい消費しておかないと」

 傍らではユリアがメイスに付着した肉片をグールの死骸で拭っている。ボロ布に擦り付けたところで汚れは十分に落ちず、彼女は「うげぇ」と顔を顰めた。

「これ持って帰りの馬車に乗るの嫌なんですけど……」
「いちいち我儘の多い奴だな。次からブラシでも持ち歩け」
「ふん、先輩だって次から着替え持ってきた方がいいですよ。正直言って、隣に座りたくないですもん」

 ダナウは少々傷付いた。が、ユリアに指摘されたとおり、彼の制服は返り血的な何かで酷く汚れている。特に、凶器である両手の拳は、ハンバーグでも捏ねた後のようにべっとりと腐肉がこびり付いていた。そんな二人のやり取りに顔を綻ばせながら、ナタレアは再び索敵を開始する。

「他にも隠れているグールがいるかもしれない。この際だ、全部狩ってしまおう」
「はぁい」

 ユリアが気の抜けた返事をし、ダナウもその後に続いた。

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