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序章

呪われてはいないはずだ

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「ぉぉーい、ぉおーい!」

 ハッと気が付けばあたりは薄暗くなり始めていた。適度な冷ややかさのある穴の中は湿った土の香りが妙に落ち着き、気がつくと寝ていたらしい。
 聞き慣れた声に、いなくなったことに誰が気づいてくれたのだと理解する。

「こっちー!」

 腹の底から声をあげた。幸い声に気がついたのか、人が近づいてくる音がした。人が助けに来てくれる音にホッした気持ちが湧き上がる。

「中腹のあたりだけど、穴があるから気をつけてー!」

 注意するように声をあげてしばらくすると、パッと穴の中を照らされる。穴の淵から男が顔を出すが、薄暗くて顔立ちは見えにくい。

「いた! 無事か?!」


 聞き慣れた父親の裕司の声だ。安堵が滲んでいるような声だった。聴き慣れた声と、見つけてくれたことに安堵しながら作菜は立ち上がるがよろけてしまう。

「無事とは言い難い。足痛い」
「また折ったのか!?」

 頭によぎる娘の怪我。とうの娘はよろよろと立ち上がりながら、首を横に振った。

「いや、おそらく捻挫っぽい」
「登っては…これないんだな」
「高さ的に難しい。ハシゴ持って来て。軽トラは鍵つけっぱだから」
「わかった。ちょっと待ってろ」

 父はそういうと穴から離れていった。すぐに戻って来てくれるのはわかっているが、光源がなくなり一人になると微妙に不安になってくる。

(父ちゃんできれば、懐中電灯かなんか置いてって欲しかったです)

 今まではそんな実例はないけれど、ダンジョンからモンスターが出て来たらどうしよう、という気持ちも湧き上がって来た。その途端、横穴に対して恐怖を覚える。
 今まで寝ていたのに助かる算段がついた途端、我ながら現金だとは自分でも思う。

「まぁ、なるようにしかならないか…」

 平静を装ってそう言えば、山椒をとっていないということに今気がついた。


 再び座り込んでぼんやりとしていると、思ったよりも早く父は戻って来た。パートから戻っていた母と祖父もいるようで声が聞こえる。
 さっきよりも明るい懐中電灯か何かで穴を照らしながら、ハシゴがかけられる。ハシゴを足に負担をかけないようにしながら慎重に登っていくと、安心したような顔の両親と祖父がいた。
 作菜もそりゃ何時間も娘が帰って来なかったら心配するよな、という気持ちと申し訳なさと、家族の顔を見たことで安心した気持ちになってしまう。

「あんた、今年は本当厄年ね」

「言わないで。呪われてんじゃないかと自分でも思ってるから」
 琴子の言葉に深々とため息を吐きながら言葉を返す。
 裕司にフォローされながら急斜面を登っていく。畑に出てからも裕司に支えられながら、車までつくと軽トラの荷台に座らされ看護師の琴子に足の具合を見られる。すりむいた手の傷もペットボトルの水で丁寧に洗い流された。

「これから病院行きましょ」

 擦り傷の治療で痛みに悶絶している娘に、言うと母は近くの夜間診療をやっている公立病院に電話で連絡し始めた。

「無事でよかったなぁ」

 しみじみ誠二郎といい、ずいぶん大きくなった孫の頭を撫でる。しみじみと安堵したような声色に、「心配かけてごめん」と素直に謝る。
 山椒取りに行って孫が何時間も戻って来なかったら、さぞかし祖父母は心配しただろう。

「お前は、母さんの車で病院に行け。着替えも入ってるから。あの穴については後で話を聞くからな」

 裕司はそういうと琴子の車まで娘を連れて行き、スマートフォンを渡すと自分の車に乗り込み走り出す。誠二郎は軽トラで帰っていった。
 作菜は大人しく着替え始める。紙袋の中に入っていたデニム素材のワイドパンツと黒いTシャツに着替えて、スニーカーと靴下を脱ぐと用意されていたサンダルに履き替える。コンビニの袋に入ったスポーツドリンクを、ちびちび飲み始めたところで琴子が車に乗り込んでくる。

「疲れた…」
「まぁ、あんなところに何時間もいたらね」
「お腹減ったし、足も痛いし、最悪」

 ぶちぶち言いながら、紙袋の中に入っていた財布を取り出す。せっかく骨折が治ったのに、すぐにこの診察券を使うとは思わなかった。
 ため息まじりに愚痴を言う娘にチラリと視線をやりながら、琴子は淡々と聞いた。

「で、あの穴何?」
「…ダンジョン」
「………あー………」

 娘の言葉に、うっすら予感していたがどうリアクションしたらいいのかわからん、と言わんばかりの声を母が出した。持て余していた畑をより持て余すことになるとは思いもしなかった。
 しばらく会話もなく車を走らせると十分程度で公立病院についた。症状をあらかじめ伝えていたせいか、看護師が車椅子を持って待機しているのが見えた。ぐいっとスポーツドリンクを飲み干すと車から降りる。
 病院で山椒を取りに行ったら急斜面で滑ってこけた、と告げたら医師に笑われた末に、気をつけなきゃダメだよ、と叱られた。検査結果は捻挫と診断され、骨折部分にも影響はないだろうと続けて告げられる。捻挫と擦り傷の治療をされて一週間は大人しくしていて、と言われて母娘二人は帰路につく。

 家に帰れば梢枝に心配した、と言われ、不可抗力とはいえ罪悪感が募った。
 穴のことを聞きたそうにしていた父と祖父だが、しっかりご飯を食べさせなさい、と嫁姑の二人に叱られて男二人は小さくなる。
 祖母はつやつやのご飯とキャベツの味噌汁、オクラのおひたしにどじょうの卵とじ、きゅうりの浅漬けを夕食として用意していた。休耕田なんかを利用したどじょうやフナの養殖は地震以来多くなっていて、内陸の方では肉や海の魚よりも低価格で手に入りやすくなっている。温かいご飯というのが、何よりも心を落ち着かせた。
 男性陣を尻目に、しっかりと祖母のご飯を味わう。こっちは昼食抜きだったんだぞ、腹を満たさせろという気分で黙々と食べる。食事を食べ終われば、さっと食べ終わった食器をシンクに持っていかれて、食器を片付けた琴子が温かい麦茶を配った。
 手際が良すぎて食器ぐらいは片付けるよと言う隙もない。
 え、また役立たずじゃね、私という気分になりながら遠慮なく作菜は麦茶を飲む。

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