虚飾の愛

しんや

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絶望から失望への二段落ち

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 彼女、桜と連絡がつかなくなって約一ヶ月、俺は内心穏やかではなかった。ラインで一週間おきに文字や電話をかけても音沙汰がない。既読にもならない。

 風邪でもひいた、無理したらあかんよ。本格的に体調崩した?大丈夫?心配なので連絡がほしい。自分のコメントが何個も連なって、自分が恥ずかしくなって削除したりもした。

 そもそも桜と俺は結婚している訳でも、彼女彼氏の関係でもない。俺が一方的に彼女が好きなだけだ。二人きりでドライブデートしてホテルに行ける間柄だから、友達以上恋人未満だと思っていた。

 桜は俺より一回り年上のシングルマザーで、子どもが二人いる。しかし愛嬌が良く、会うときはいつも楽しかった。ノリが良くて、行き当たりばったりなプランになり、何をするにも気楽な存在だった。月に一度、会えれば良いような関係だったが、俺はその時間が何よりも楽しみにしていた。

 桜には多感な年頃を迎える子どもがいるため、男遊びをする時間も余裕がない。俺はなんとか彼女の支えになりたかった。プレゼントを誕生日に送ったり、クリスマスケーキも届けたり、デートプランを考えたり、自分に出来ることは可能な限りやった。時間の都合は桜に全て合わせてきた。彼女も一週間以内には今まで返信をしてくれていたのだ。こんなことは今まで八年間、一度もなかった。

 七月下旬、八月に一度会おうねと二人で約束した。その日を境に九月まで連絡が途絶えていた。俺は心配で心配で気が気じゃなかった。冷静に考えてみればこの段階で他の男の影を予感していても良かったと思う。桜との八年の思い出にすがり、たかをくくっていた自分がいた。そうして俺の誕生日の翌日にラインが届いたのだ。

「元気にしてるよ。無事生きてるから安心して!実は友達の紹介でお付き合いする人ができました。もう二人で会うことができません。今までたくさんの愛情をくれてほんまにありがとう、感謝の気持ちしかないです。〇〇ちゃん(俺のこと)もきっと良い人ができるよ!こんな形で連絡することになってごめんなさい。こんな報告になってしまったことを許してね」

 このような文だった。持っていたスマホを落としそうになった。
叫びだしたい衝動に駆られたが、ここは職場であった。派遣で勤めて一年、俺は再来月に正社員になれるかもしれない状況だった。ここでキチガイになる訳にはいかない。

 昼休み、高鳴る鼓動を感じながら返信を行った。

「とりあえず、とりあえず元気なら本当に良かった!その相手が俺ではないのが悲しいけど、幸せになれるといいな!文字で思い伝えきれないから電話できない?」

 それから来週の金曜日に電話をかけると約束した。この状況下で俺は少し元気になっていた。連絡がついたことと、電話の約束ができて嬉しかったからだ。会う度に桜のことを好きで愛していると言った気持ちにウソはない。俺は桜の友達としてでも彼女と繋がっていようと決めていた。

 そして当日の金曜日、電話すると言った二時間前、用事ができて電話ができないと言われた。来週中には連絡するとも。肩を落としながら来週を迎え、金曜日にラインをした。

「電話は今日の晩かな?」
「今日は夜勤あるからできないの…ごめんね」
「あ、こちらこそ勝手に金曜日やと思いこんでたから。夜勤気を付けてね~」

 電話するのに二週間以上かかる関係とは何だろう。俺は桜にとってどんな存在なんだ。自分の体が暗雲に包まれていく錯覚を覚えた。

 その次の週、俺は社内面接を終え無事に正社員になることが決まった。社会的ステータスを得たことで少し気分が良くなり、桜にラインを入れた。

「社員になれた!これから資格も取って頑張るわ」
「おめでとう!応援してるね」

 思いの外返信が早かったので、俺はすかさず電話をかけたが、反応はなかった。出先なので来週の金曜日に電話するという返信が来ていた。デジャブだったので、初回よりは喜びが大幅に下がっていた。

 待ちに待った金曜日。祝いの酒を呑みながら、電話をした。二時間以上話していたと思う。空白の一ヶ月、彼女は精神的に参っていたそうだ。介護職に転職していた桜は三勤交代で生活が不規則で、なおかつメンタル的に苦しい仕事のようだ。うつ気味になっていた彼女を見かねた友達が、飲み会という形で男性を紹介してくれたという。そして意気投合し、向こうからお付き合いしたいという申し入れがあったのだそうだ。県外に住んでいるがフットワークが軽く、不規則な桜の都合の良い時間に会いに来てくれているらしい。

 この話を神妙な面持ちで聞きながら俺は思った。

 シングルマザーで子どもが二人で生活は不規則。遠距離と言えるほどではないとは言え、往復二時間以上かかる。連絡取れなくなって二ヶ月あまりのできごとだとしたら、どうにもその男がきな臭い。

 俺には遊び目的の男にしか思えなかった。友達の紹介という信用は担保されているが、その人間性は付き合ってみないと案外分からないものだ。だから俺は桜にこう伝えた。

 相手のことがまだそこまで知らない関係なら、俺は待つよ。友達として。やっぱり俺、桜ちゃんのこといまでも好きやし。電話はオッケー、会うのもキスやハグしなければオッケーってことやろ?それやったら俺、全然いいよ。声聞けたり、顔見れるだけで幸せなんやから。

 確かそんな感じのことを言ったと思う。二人で会うことについては桜がそういうことできないから会えない、だから俺はするつもりないから会いたいという論理展開である。桜は俺の長い話を辛抱強く聞いた上で分かったと言った。ちょっと考えて、話をしてみるとも。

「こそこそ会いたくないねん」

 桜は言った。男友達と二人でご飯に行くのを許してくれる人なのか。男と行くことを隠してバレたとき、揉めごとにしたくないのだろう。まぁ分かる話だ。というか俺なら嫌だとハッキリ言うと思う。結果、来月十月に一度もう一回桜と電話して、行けそうなら十一月にご飯に行く約束をした。

 電話を切った後、俺はぽっかり空いた心の隙間が少し満たされたような気がしていた。桜と約束をしたことで再来月まで頑張ろうという気持ちをもらっていた。この時までは。

 派遣から正社員になるにあたって、有給はいったん使いきらないといけないそうだ。桜とデートする時に使う程度だったので、俺の有給はまだ残っている。特に用事がある訳でもないので、月曜日に有給を取っていた。単純に連休欲しさというだけの理由だった。

 そんなただの平凡な休日は、俺にとって最悪の日になった。

 実家暮らしの俺は、大体家でマンガを読んだりネット麻雀をするような陰キャラである。午前中だけ仕事に行っている母親がいなければ、決して外出することもなかっただろう。銀行でお金をおろしたいと言った母の声を受けて、俺は車の運転をした。行き先はアウトレットもある大型のイオンモールだった。色んな店が乱立し、カップル客で今日も賑わっていた。

 親の買い物に付いてきた身としてはなんとも居心地の悪い場所だ。俺は持ってきた推理小説を見ることで何とかやりすごしていた。銀行に行って、ご飯を食べて夕方の時刻、買った荷物を車に積んで欲しいと母に頼まれた。

 現在地は三階、一階まで降りて外の駐車場に向かわなければならない。エスカレーターで降りながら、俺は一階にある電気屋でカードを買おうと思った。スマホゲームに課金できるカードだ。下降しながら、後ろを振り向いて母に伝える。好きにしいなと母はにべもない返事だ。俺は前を向いた。

 エスカレーターを降りた先に電気屋がある。その手前、見覚えのある人物が視界に入った。途端に広がる不快感。前職で一緒に働いていた同僚だった。仕事ができるが何かと人を見下す所がある奴で、どうにも馬が合わない人物だった。えんえん自慢話をされた挙げ句、ダメ出しを俺に向かって言った時から嫌いである。思い返してもイライラするが、数年ぶりに見た今でもしっかりムカつく自分に少しホッとする。そしてそいつは手すりにもたれ、一段上に足を上げ、ニヤニヤしながら横の人物に語りかけているのだ。

 そう、そこに桜がいた。二人きりで。嫌いな人間と二人で。

 俺は限界まで瞳孔が開いたと思う。下って行く俺と、上って行く二人。地獄に落ちる俺と、天国に向かう二人がまるで明暗を分けているようだった。あんなに好きだった桜の顔がモザイクだらけになった。脳が正しく認識できていないのか。俺の顔は下りながら180度近く回っていった。エスカレーターで人をあんなに凝視するやつはなかなかいない。さぞ俺は挙動不審だったろう。桜の顔は真っ黒に塗りつぶされたように見えていたが、口角だけはハッキリと上がっていた。

 付いたで。母の声でハッとなる。俺は降りた先で直立不動のままで停止していたらしい。じっとりと汗がにじみ、手の震え、動悸が止まらない。思うことは二つ。

どうして、あれは俺が見た悪夢か

 どこ行くん!またしても母の声。俺は降りたエスカレーターをまた登ろうとした。砂漠の民が水を求めるように。

 確認したい。見たくない。揉み合う葛藤のすえに俺は駐車場に向かった。走り出したものの真逆に向かって、母に怒鳴られながら。

 猛ダッシュで外に出て、ラインを打つ。もちろん桜に。

「今同僚と一緒だった?付き合っているのそいつ?」

 ここで補足説明だが、俺と桜と同僚は全て同じ職場で働いていた。だから桜が彼を嫌いなことを知っているし、恐らく同僚も俺のことを嫌いだろう。文字を打った時に自分な文面が視界に入った。

「桜ちゃんと話せて俺は今スッキリしてる。電話本当にありがとう。

 俺の存在が桜ちゃんの悩みのタネになってしまっていることは本当に心苦しく思う。ごめんなさい。

 前回の電話が最後にした方が桜ちゃんにとって良かったのかもしれない。それでも俺はこの縁を大切にしたいと思う。本音で語り合える数少ない相手やから。これからもよろしくね」

 自分の震えが大きくなるのを感じた。これが、俺の受ける報いなのだろうか。友達の紹介とは一体………大阪の人というのは一体。子ども優先で考えた末が、学校行ってる合間にデートですか。大阪にいる彼氏が本当にいたとしても酷い所業だ。コソコソ会うのがイヤ?どの口で言ってんだ。無力感と虚脱感で自分の立っている感覚さえ怪しくなった。

 持っている荷物を全て叩き込み、荒い息をつく。もう何も考える余裕がなかった。トボトボと母親の待つ場所に向かう。手ぶらで戻った俺に母は呆れたように言った。買い物すんのに買い物カゴまで置いてきたんかいな、と。

 どう家まで帰ったのかは覚えていない。ただ桜から連絡が来ていた。色々ウソついてごめん、と。

 俺はすぐさま電話した。声が聞きたいとかは全く思わない。ただ事実確認だけがしたかった。

「あの同僚、付き合っているのが?大阪の人と友達の紹介がウソなんや。友達にも失礼やし、あの電話一体なんやったんや。彼氏になる人の悪口なんか俺は言いたくなかったし、言ってた俺ダサすぎるやろ」

 最後は本当に涙声になっていた。嗚咽も止まらないし、喉の奥と目頭が本当に痛かった。桜は俺の言葉を聞きながらずっとごめんと言っていた。

 なんでも受け止める自信は確かにあった。どんなウソつかれても、どんな酷い仕打ちを受けても、それでもなお桜の幸せを願える、そう信じていた。でもそれはウソだ。致命的なウソというのは存在するとこの時初めて知った。

 俺のためにウソをついた訳ではないと思う。自分が嫌われたくない、悪者になりたくない、都合の良い男友達を無くしたくない、全て自分本位の身勝手な言い分に過ぎなかった。親友でありたいと電話で言ったんだぞ、桜は。本音で話し合えると言ったんだぞ、俺は。全てが虚像、虚飾にすぎなかった。

 俺は嫌いな同僚に負けたのか。血が登った脳から一転、体全体の血の気が引いていくようだった。俺よりそいつを選んだ理由を教えてくれ。桜の言い分は以下の通りだった。

「一緒にいて、価値観が似てて……。それにわたしに無いものをたくさん持っててそこに惹かれた。ずっと一緒にいたいと思える存在になっていった」

 かいつまんで言えば、寂しさを紛らわせるのに丁度良くて、ウソを付き合う価値観が似てるというだけの話だった。完膚なきまでに打ちのめされた俺は力無く、そうかと言った。

「友達の付き合いで知り合った彼氏なら、俺は親友という立場でも良かった。でもその同僚だけはだめだ。桜ちゃんがそいつと仲良くしてると思うだけで気分が悪くなる。悪いけど今後、友達としても付き合うことはできない」

 一息に言った。不思議なもので自分で言ったにも関わらず後悔の念もあった。どんな酷い人格であったとは言え、桜との思い出は俺にとって大切なものだ。今後も付き合って行きたいと息巻いていた自分も、僅かながら存在していた。吐いたツバを飲むことも叶わず、俺は桜の言葉を待った。前回の電話同様、彼女は分かった、とだけ言った。

 こうして俺の恋愛は幕を閉じた。未練がないかと言えばウソになるが、こうして小説を書けるほどに濃い経験をさせてもらったことに感謝もしている。

 因果応報という言葉もあるので、桜の行く末はあまり良い結果をもたらすとは思えない。ウソをつく人間はウソをつかれ、そして誰も信じられなくなる可能性すらある。幸せになって欲しいと言っていた俺だが、今となっては後悔していて欲しいとさえ思っている。そんなふうに感じる自分が悲しい。

 これにて終わりです。これからはゴミ拾いのボランティアや、マッチングアプリをやって、少しでも今は考えないように過ごす日々を送っています。ここまでの拙文をお読みいただきありがとうございました。
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