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本編
白虎、邂逅-2
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夜の間、壁の向こうから聞こえる咳にやきもきしながら、翌朝メイズはマリーを捕まえた。
「調子は」
「良くないね。咳が続いたせいで、体力を消耗してる。熱もまだ下がらない」
「薬は飲んでるんだろう」
「そうだけど、あんまり効果あるように見えないね。ただの風邪じゃないのかも」
険しい顔のマリーに、メイズは拳を握りしめた。
次の島までには、まだ日がかかる。その島に医者がいるとも限らない。このまま何もできなければ、彼女はどうなるのか。
「しっかりしな!」
背中を強く叩かれて、沈みかけていたメイズの意識が引き戻される。
「あんたがそんな顔してたら、他の奴らも不安になるだろ。副船長なんだから、こんな時こそどんと構えててくれないと」
腰に手を当てるマリーを、メイズは複雑な気持ちで見下ろした。遠慮のない物言いをする彼女は頼もしい。比例して、自分を情けなく思う時がある。
「心配なのはわかるけど、カスミのことはあたしらに任せて。むやみに顔出さないこと」
「……わかってる。俺がいても、何ができるわけでもないしな」
人の看病など、したこともない。いても役に立たないのなら、邪魔になるだけだろう。
自虐的に零した言葉に、マリーは目を瞬かせた後、軽く吹き出した。
「そうじゃないよ。女はね、身なりに気をつかえない時に、あんまり人に姿を見られたくないもんなのさ。特に、気になる相手には」
その言葉に、メイズは訝しんだ。奏澄は元々、身なりにそれほど拘る方じゃない。それに、出会った時のぼろぼろな姿も、泣きじゃくる顔も、割とさんざんなところを見てきている。今更何を気にすることがあるのだろうか。
その疑問が顔に出たのか、マリーは苦笑していた。
「乙女心ってやつさ。ま、様子はちゃんと教えるから」
「ああ、頼む」
乙女心。こういう言葉を使う時は、理解しようとするだけ無駄だ。今は言う通りにするしかない。
ざわつく胸を押さえて、メイズはその場を立ち去った。
船長の不調は、この日乗組員たちにも伝えられた。さすがに丸一日以上姿を見せないとなれば、説明しないわけにもいくまい。
身の回りの世話は女性陣が行い、男性陣の見舞いは禁止された。奏澄が気をつかうこと、加えて感染の恐れがあることが理由だ。この船には船医がいない。常備薬程度ならあるものの、薬の調合はできない。複数人が感染し薬が尽きたら、船内での対処は不可能になる。
こうなると、船医がいないことが悔やまれる。レオナルドの話を聞いて不安を覚えた時点で、何かしらの手を打っておくべきだった。
通常、海賊船に船医などいるものではない。医者のような特殊な人間は、いるだけで金に困らない。わざわざ船に乗るメリットがない。金のある商船は長期航海になると雇うこともあるが、海賊船に乗る医者がいるとしたら、それは医学知識のある海賊だ。そんなレアケースは滅多にあることではない。
次見つけたらさらってくるか、と考える程度には、メイズは既に冷静さを欠いていた。
奏澄の体調は、一向に良くならなかった。咳のせいでどんどん体力は消耗され、熱は下がる気配もなく、食べ物も喉を通らなかった。船全体が暗い空気のまま、二日目が過ぎた。
そして発熱から三日目。ついに、奏澄の意識が戻らなくなった。
マリーから報告を受け、メイズはすぐに奏澄の部屋に向かった。さすがにこの段階では、マリーもメイズを止めることは無かった。
「カスミ……!」
メイズが声をかけるも反応はなく、手を握ってもそれはだらりと力が抜け、握り返されることはなかった。熱の高さから汗がひどく、眉は苦し気に歪められている。
メイズは、人間がこんな風に弱っていくのを初めて見た。いや、正確には、初めて認識した。
今までは、いたとしても見えていなかった。生きるも死ぬも、どうでも良かった。それはただの現象に過ぎなかった。
同じ団の人間がいつの間にか姿を消しても、死んだのか、としか思わなかった。人間が動かなくなれば、それはもうただの肉の塊だった。命というものを、意識したことが無かった。奪うも奪われるも、物と同じだ。殺すのは、金品を奪うことと何ら変わりはなかった。奪われる方が悪い。弱いものが淘汰されるのは、自然の摂理だ。
知らなかった。一人の人間が、誰かにとって神にも等しい存在になり得ることを。命が、取り返しのつかないものだということを。力だけが、生きる術ではないことを。世界が、それほど残酷ではないことを。
知らなかった。奏澄に、出会うまでは。
自分の理解の外にあるものを、切り捨ててきた。わかろうとはしなかった。だから容易く奪えた。誰かの神を殺してきた。これはその罰なのかもしれない。
だとしても。
それを大人しく受け入れてやる義理は無い。
元来海賊など、自分本位な生き物だ。根底はそうそう変わるものではない。
神でも悪魔でも、邪魔をするなら殺してやる。
殺してやる。殺せるものなら。殺して助かるなら。殺せばいいなら、いくらでも血を被るのに。
怒りの矛先がわからない。腹の底に渦巻くものを吐き出すこともできず、メイズは唇を震わせた。
とにもかくにも、どこかの島に降りる必要がある。この船の中ではできることが限られている。海の上では医者も探せない。風土病のようなものなら、医者がいなくても現地の人間が対応できるかもしれない。
なんとか、島に。
「調子は」
「良くないね。咳が続いたせいで、体力を消耗してる。熱もまだ下がらない」
「薬は飲んでるんだろう」
「そうだけど、あんまり効果あるように見えないね。ただの風邪じゃないのかも」
険しい顔のマリーに、メイズは拳を握りしめた。
次の島までには、まだ日がかかる。その島に医者がいるとも限らない。このまま何もできなければ、彼女はどうなるのか。
「しっかりしな!」
背中を強く叩かれて、沈みかけていたメイズの意識が引き戻される。
「あんたがそんな顔してたら、他の奴らも不安になるだろ。副船長なんだから、こんな時こそどんと構えててくれないと」
腰に手を当てるマリーを、メイズは複雑な気持ちで見下ろした。遠慮のない物言いをする彼女は頼もしい。比例して、自分を情けなく思う時がある。
「心配なのはわかるけど、カスミのことはあたしらに任せて。むやみに顔出さないこと」
「……わかってる。俺がいても、何ができるわけでもないしな」
人の看病など、したこともない。いても役に立たないのなら、邪魔になるだけだろう。
自虐的に零した言葉に、マリーは目を瞬かせた後、軽く吹き出した。
「そうじゃないよ。女はね、身なりに気をつかえない時に、あんまり人に姿を見られたくないもんなのさ。特に、気になる相手には」
その言葉に、メイズは訝しんだ。奏澄は元々、身なりにそれほど拘る方じゃない。それに、出会った時のぼろぼろな姿も、泣きじゃくる顔も、割とさんざんなところを見てきている。今更何を気にすることがあるのだろうか。
その疑問が顔に出たのか、マリーは苦笑していた。
「乙女心ってやつさ。ま、様子はちゃんと教えるから」
「ああ、頼む」
乙女心。こういう言葉を使う時は、理解しようとするだけ無駄だ。今は言う通りにするしかない。
ざわつく胸を押さえて、メイズはその場を立ち去った。
船長の不調は、この日乗組員たちにも伝えられた。さすがに丸一日以上姿を見せないとなれば、説明しないわけにもいくまい。
身の回りの世話は女性陣が行い、男性陣の見舞いは禁止された。奏澄が気をつかうこと、加えて感染の恐れがあることが理由だ。この船には船医がいない。常備薬程度ならあるものの、薬の調合はできない。複数人が感染し薬が尽きたら、船内での対処は不可能になる。
こうなると、船医がいないことが悔やまれる。レオナルドの話を聞いて不安を覚えた時点で、何かしらの手を打っておくべきだった。
通常、海賊船に船医などいるものではない。医者のような特殊な人間は、いるだけで金に困らない。わざわざ船に乗るメリットがない。金のある商船は長期航海になると雇うこともあるが、海賊船に乗る医者がいるとしたら、それは医学知識のある海賊だ。そんなレアケースは滅多にあることではない。
次見つけたらさらってくるか、と考える程度には、メイズは既に冷静さを欠いていた。
奏澄の体調は、一向に良くならなかった。咳のせいでどんどん体力は消耗され、熱は下がる気配もなく、食べ物も喉を通らなかった。船全体が暗い空気のまま、二日目が過ぎた。
そして発熱から三日目。ついに、奏澄の意識が戻らなくなった。
マリーから報告を受け、メイズはすぐに奏澄の部屋に向かった。さすがにこの段階では、マリーもメイズを止めることは無かった。
「カスミ……!」
メイズが声をかけるも反応はなく、手を握ってもそれはだらりと力が抜け、握り返されることはなかった。熱の高さから汗がひどく、眉は苦し気に歪められている。
メイズは、人間がこんな風に弱っていくのを初めて見た。いや、正確には、初めて認識した。
今までは、いたとしても見えていなかった。生きるも死ぬも、どうでも良かった。それはただの現象に過ぎなかった。
同じ団の人間がいつの間にか姿を消しても、死んだのか、としか思わなかった。人間が動かなくなれば、それはもうただの肉の塊だった。命というものを、意識したことが無かった。奪うも奪われるも、物と同じだ。殺すのは、金品を奪うことと何ら変わりはなかった。奪われる方が悪い。弱いものが淘汰されるのは、自然の摂理だ。
知らなかった。一人の人間が、誰かにとって神にも等しい存在になり得ることを。命が、取り返しのつかないものだということを。力だけが、生きる術ではないことを。世界が、それほど残酷ではないことを。
知らなかった。奏澄に、出会うまでは。
自分の理解の外にあるものを、切り捨ててきた。わかろうとはしなかった。だから容易く奪えた。誰かの神を殺してきた。これはその罰なのかもしれない。
だとしても。
それを大人しく受け入れてやる義理は無い。
元来海賊など、自分本位な生き物だ。根底はそうそう変わるものではない。
神でも悪魔でも、邪魔をするなら殺してやる。
殺してやる。殺せるものなら。殺して助かるなら。殺せばいいなら、いくらでも血を被るのに。
怒りの矛先がわからない。腹の底に渦巻くものを吐き出すこともできず、メイズは唇を震わせた。
とにもかくにも、どこかの島に降りる必要がある。この船の中ではできることが限られている。海の上では医者も探せない。風土病のようなものなら、医者がいなくても現地の人間が対応できるかもしれない。
なんとか、島に。
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