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本編

船上にて-1

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「食事の支度、できました~……!」

 出航から暫くの時間が経過した頃。へろへろになって、奏澄は乗組員たちに声をかけた。
 
 奏澄が船でできることは少ない。特殊技能は何も無いのだから、せめて家事にあたる仕事はやろうと買って出たのだが、十人以上の食事の用意はなかなかに大変だった。自炊をしていたので料理は人並みにできるつもりだったが、これは料理が上手い下手という話ではない。全く別のスキルと体力、加えて腕力が要る。
 おそらくそれが最初からわかっていたのだろう、マリーの部下も手伝ってくれた。設備の使い方に慣れないこともあり、奏澄はありがたく申し出を受けたのだが、断らなくて良かったと心底思った。もし一人でやろうとしていたら、とてつもない時間がかかっていただろう。

「大丈夫か?」
「メイズ」

 食堂の隅でへばっていた奏澄に、食事を終えたメイズが声をかけてきた。

「大丈夫。食べられた? ちゃんと味見はしたけど」
「ああ、うまかった」
「良かった。自分の食事を作るのとは随分勝手が違ったや」
「力になれなくて悪いな」
「メイズは他にできることたくさんあるんだから、このくらいは任せて。慣れないとね」

 何もできないままそれを良しとしていたら、自分はただのお飾りの船長になってしまう。料理が船長の仕事かと言えばそうではないが、船に貢献する姿勢を見せていかないといけない。

「船のことも、少しずつ覚えないとなぁ」
「あまり一気にやろうとするな。パンクするぞ」
「うん……。わかってるんだけど、ダメだね。なんか焦っちゃって」

 どことなく落ち込んだ表情の奏澄に、メイズは何と声をかけるか一瞬ためらうように口を動かした。

「さて、そろそろ片付けしないと! それじゃ、あとでね」
「ああ。無理するなよ」
「うん。ありがと」

 笑顔を見せて、奏澄は仕事にとりかかった。



*~*~*



「これでよし、と」

 夜。冊子を閉じて、奏澄は自室で伸びをした。机の上には、二つの冊子がある。一つは航海日誌、もう一つは奏澄の個人的な日記だ。
 あまり物覚えの良い方ではないから、色々なことを忘れないように書き記しておこうと、島でペンとノートを購入した。その時に、どうせなら航海日誌もつけた方が良いとメイズにアドバイスされ、用意したものだった。航路に関わる航海日誌ログブックはライアーが別途記録している。そう気負わなくても良いと言われ、奏澄は内心ほっとした。
 しかし書こうとしたところで思い出した。確か、この世界とは文字が違っていた気がする。航海日誌とは、誰でも読める形の方が良いのではないだろうか。
 そう考え、ひとまず一日目は自分の日記だけつけた。航海日誌は日記の内容を元に、後日メイズと相談して書こうと決めた。
 
 明かりを落としてベッドに潜り込む。しんとした部屋に、自分の息づかいと波の音だけが聞こえる。
 奏澄は船長だからということで、一室使用することにした。少々気が引けたが、船長なのだから問題無いという後押しと、奏澄自身も一人の時間は欲しいと思っていたので、ありがたく個室をもらった。
 隣はメイズの部屋だ。副船長ということで、こちらも個室である。乗組員もメイズと同室では萎縮するだろう、特に異論はなかった。
 少し離れた場所に、ライアーが一室。これはライアーの主張で決まった。航海士なので、寝室というだけでなく作業スペースや海図、書籍の収納場所が必要だからという理由だった。確かにライアーの仕事は重要なものであるし、集中力も必要だろう。
 マリーとその部下たちは、男部屋、女部屋で分かれた。マリーは個室でなくて良いか聞いたが、女性は人数が少ないので充分だという話だった。

 それぞれの部屋で、それぞれが眠りにつく。見張り台には、男性陣が交代でついてくれることになっている。

 暗い部屋の中、奏澄はごろりと寝返りを打った。

 ――眠れない。

 急に人が増えたことが、奏澄にとって予想以上にストレスになっていた。今まではメイズと二人きりで、メイズはいつも奏澄を尊重してくれていた。
 しかし、この船では違う。増えた人員は、形式的には奏澄の部下であり、常に奏澄は。量られている、と言ってもいい。
 他人に評価されることは苦手だ。どうしても、こうあら、こうする、といった思考に囚われがちになる。理想の自分と現実の自分がかけ離れすぎていて、埋めようにも何からどうしたら良いのかわからずに途方に暮れる。
 これは仕事ではない。失敗したからといってクビになることはないし、幻滅されても最悪新しい人員を雇えばいい。しかし、失望の目に晒され続けることに、奏澄は耐えられないだろう。
 嫌な思考ばかりがぐるぐると頭を巡る。じっとしていると叫びだしそうになり、奏澄は部屋を出た。外の空気でも吸えば、多少はましになるだろう。



 奏澄は上甲板に出ると、大きく息を吸って空を見上げた。

「わぁ……」

 その美しい星空に、感嘆の声を漏らす。
 明かりのない海の上では、星の瞬きがよく見えた。この美しい景色は、間違いなく海に出て良かったことの一つだろう。
 船端に寄りかかり、海を見る。輝く空とは違い、夜の海は飲み込まれそうなほどに暗かった。落ちたら助からないだろう。きっと、誰にも気づかれずに沈んでいく。
 暗い気持ちになりそうで、再度顔を上げる。いっそこのまま甲板に寝ころんでしまおうか、と仰け反りそうなほどに上を見上げていると、大きな手で頭を支えられた。

「転ぶぞ」
「メイズ」

 間抜けな格好を見られたことに恥ずかしさを感じつつ、真っすぐに姿勢を戻す。

「こんな時間に、どうしたの?」
「こっちの台詞だ」
「あー……」

 返されて、思い至る。メイズの部屋は奏澄の隣だ。おそらく、部屋を出る音を聞いて、様子を見に来たのだろう。

「ごめんね。起こしちゃったかな」
「いや。……眠れないのか」
「んー……そう、かな。ちょっと」

 ごまかすように笑う奏澄に、メイズは眉根を寄せた。
 心配してくれているのだろう。それはわかる。しかし、こんな早々に弱音を吐きたくない。それに、この不安を、落ちるような、混ざるような不快な感覚を、うまく言語化できない。これは吐き出しても解決しないだろう。しようのない愚痴を聞かせたくはなかった。

「……一緒に寝るか?」

 奏澄は思わず驚いた顔でメイズを見た。何だかんだで一緒に寝てはいたが、メイズの方から提案してきたのは初めてだった。どういう心境の変化だろうか。

「安心毛布だと、お前が言ったんだろう」

 少し不貞腐れたように見えるのは、おそらく照れ隠しだ。言葉にしない奏澄を慮った結果、何か言葉をかけるより、その方がいいと判断したんだろう。

「……お願いします」

 奏澄は、はにかむように笑った。
 『それ』が奏澄のためになると判断してくれたことが、少し気恥ずかしくて、でも嬉しかった。

 吐き出しても軽くならない気持ちもあるけれど、吐き出さなくても軽くなる気持ちがあると知った。
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