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2巻

2-1

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 プロローグ


 新生ドラグリア王国誕生から、七年前――。


 ドラグリアの王都パレスティアは、激しい嵐に見舞われていた。
 厚くれ込めた鉛のような暗雲を雷鳴らいめいが切り裂き、猛烈もうれつな雨が大地に降り注いでいる。そんな中、ドラグリアの民達は家の戸を固く閉め、必死に神への祈りを捧げていた。この国の至宝しほうである光が、今まさに失われんとしているのだ。

「おお、神よ! 主神たる精霊王ゼノンよ! 我らが太陽であるあのお方を奪わないでください!!」
「どうか、どうか! アファード陛下のお命をお救いくださいませ!!」

 アファード王の敬虔けいけんな信徒とも言える人々は目を閉じ、両手を組んで同じ方向を向いている。中には地にひれ伏して涙を流している者もいた。
 その方向には、ドラグリアの王宮がある。
 息をむほど美しい白亜はくあの城は、アファードがこの国の王となってから、ドラグリアが栄華えいがを極めてきた証である。
 しかし、その宮殿の奥にある国王の寝室は、かつてないほどの悲痛な空気で満ちていた。フェレト神殿の女神ファンリエラの彫像ちょうぞうが浮かべるやわらかな微笑ほほえみを除いて、集まった人々の顔色は一様に暗い。銀製の燭台しょくだいの上で揺れる蝋燭ろうそくの炎は、あたかも今まさに燃え尽きようとしている偉大な王の命のともしびのようだった。
 その部屋へ、青い髪をした少女が血相を変えて飛び込んで来た。

「陛下……。アファード陛下、アイリーネ様がいらっしゃいましたぞ」

 虎のような迫力を持つ老将軍が、王女アイリーネを迎え入れる。その頬は涙にれていた。

「お父様! お父様!!」

 ベッドに横たわっているのは、ドラグリアの偉大なる王、アファード・レークス・ドラグリアである。千年に一人ともうたわれた賢王けんおうであり、武人としてもその名を知らぬ者はいないほどの人物だ。
 アファードは不意に訪れた自らの死期しきなげくこともなく、まだ小さな娘であるアイリーネの頭を優しくでながら、ただ穏やかな表情でまぶたを閉じている。


 その様子を見て、先に王の寝室にいた三人の男女は互いにうなずき合うと、無言のまま父娘を残して外へ出た。


 そのうちの一人は、ドラグリアの猛将もうしょうと呼ばれた、アウロス・バロエルサル。
 もう一人は、美しいエメラルドグリーンの髪をした獣人族の王女、マフルージェ・エルハイン。
 三人目は、ドラグリア始まって以来の天才軍師とほまれ高い、陸軍総帥のアルマン・エッテハイマン公爵こうしゃく。貴公子の名が相応ふさわしい銀髪、銀眼の美丈夫びじょうふである。
 アファードにすがりついて泣く少女の姿を思い出して、アウロスはこうべを垂れ低くうめいた。

「一体、何の病なのだ……。何故こんなに急に! アイリーネ様が不憫ふびんでなりませぬ!!」

 アルマンは、そんなアウロスを突き放すように厳しい口調で言う。

「アウロス将軍、貴君がそのような弱気でどうする。おそらく、もはや陛下の命は数日ともたぬだろう。そうなれば、ドルメールがこの国の王になる」

 その言葉に、歴戦の将軍はキッと顔を上げた。

「アルマン様! 馬鹿な! あのような男を何故!? そんな事態になればアファード陛下が作り上げようとした平和が全て崩れてしまいます! マフルージェ様も何とかおっしゃってください! 獣人族との和平も、ようやくここまで進んだのではありませんか!」

 何の前触まえぶれもなくアファード王が倒れたのは、長年紛争が絶えなかった獣人の王国ジェフルアとドラグリアとの間に和平がなされようとする、まさにその時であった。
 マフルージェは、アルマンの手を握り締めて尋ねた。

「アルマン、何故なの? お父様、いいえ、獣人王ザイアスもドルメールが王になれば二度とドラグリアと交渉などしないわ。貴方だってアイリーネ王女を女王にすると、最初は言っていたじゃない!!」
「もう決まったことだ。アウロス将軍、朝になる前にアイリーネ様を連れてフェレト神殿にゆけ。あそこならばドルメールも手を出せん」

 アウロスは、信じられぬものを見るような目でアルマンを問いただした。

「アルマン様、仰ってください。貴方は何かを隠されている! そうとしか思えません!!」

 ところがアルマンは歴戦の将軍に歩み寄り、無情むじょうにも静かにこう告げたのだった。

「行かねば、アイリーネ様を捕らえねばならん。新王、ドルメール陛下に対して謀反むほんくわだてる者としてな」

 その瞳には、揺るぎない決意が浮かんでいた。

「馬鹿な……。そんな……」

 アウロスは、その言葉にヨロヨロと後ろに下がって膝を突く。

「どういうことなの、アルマン! アファード王と貴方を信じたから、私はお父様を説得してきたのよ! 納得が出来る説明をして頂戴ちょうだい!!」

 アウロスを残し、その場を去ろうとするアルマンに、マフルージェはしつこく食い下がった。

「大図書館ヴェリタスね……。あそこで何があったの? 貴方がおかしくなったのは、アファード王の病気の手がかりを探すためにヴェリタスに行ってからよ。一体、あそこで何があったの!」

 マフルージェは、何も答えないアルマンに対して剣を抜いた。
 帝国の陸軍総帥は、若い獣人の王女を見つめる。

「やめろ、マフルージェ。お前を斬りたくない。ザイアス王にはお前からびてくれ。それから一刻も早く、この王都から離れるように説得するのだ。……今すぐに」

 その言葉にマフルージェは、剣を仕舞しまってアルマンの腕を握り締めた。

「何故なのアルマン! 獣人族と人間の和平は、アファード王と貴方の夢だったじゃない!! どうして……」

 マフルージェは、その先の言葉を続けることが出来ず口を閉ざした。美しい瞳に涙を浮かべたまま、アルマンの胸に顔をうずめる。

「愛しているの、アルマン……。貴方のことを……。話して頂戴! 私には隠さずに全部、お願いよ!!」

 その時、甲冑かっちゅうを着た兵士が息せき切って彼らのそばへ駆け寄り、大声で報告した。

「アルマン様! 大変でございます! 何者かにザイアス王が殺されました! 今、王都は大混乱でございます、怒り狂う獣人族の兵士と我がドラグリア軍が正面からぶつかっております!!」

 美しい獣人の王女の口から悲鳴がれた。

うそよ……。そんなお父様が……。嘘……」
「マフルージェ!」

 その体を自分の方へ抱き寄せようするアルマンを、マフルージェは振り払った。

「知ってたのね、アルマン!! 貴方……。まさかだましたの? 私とお父様を!?」

 彼女の瞳は、悲しみと憎しみに染まっていた。マフルージェは再び剣を抜き、今度は本気でアルマンに切りかかる。

「許さない! 貴方達を絶対許さない!!」

 だがマフルージェの剣は、アルマンには届かなかった。水が流れるような見事な体裁たいさばきで彼女の攻撃をかわした後、アルマンが獣人の姫の鳩尾みぞおちに鋭い拳の一撃を放ったからだ。
 アルマンは気を失ったマフルージェを抱きかかえ、その体を兵士に預けて言った。

「皆にはマフルージェ王女は死んだと言え。そして、誰にも見つからぬところに監禁かんきんせよ。こうなれば、もはや引くことは出来ん。行くぞ! 獣人達を鎮圧ちんあつする」

 兵士は頷くと、マフルージェを抱えて王宮の奥へと消えて行った。
 アルマンの横顔に苦渋くじゅうの色が浮かぶ。

「マフルージェ……。いずれ、お前には全てを話そう。だが今はやらねばならぬことがある。……許せ」

 同じ頃、ドラグリア軍の兵士達と獣人族の戦士達の戦いで混乱した王都には怒号どごうが響き渡っていた。

「殺せぇえ!! やはり本性ほんしょうを現しおったわ!! だから言ったのだ、兄上は間違っておられると! 殺せ! あさましい獣人どもを皆殺しにしろ!!」

 十頭立ての戦闘用の馬車の上で、脂ぎった巨体を震わせながら男は叫んでいた。
 それをいさめるように兵士が声をかける。

「し、しかしドルメール王弟殿下! ジェフルアの使節団には民間人もいます! そのような非道は許されぬかと!」

 ドルメールは、まるで悪魔のような邪悪な瞳で兵士を睨みつけると、その体めがけて手に持った剣を振り下ろした。

「ぐふぅうう!!」

 兵士の体を鋭い剣が深々と切り裂く。ドルメールは低い声で笑いながら、べっとりと血糊ちのりの付いた剣身を分厚ぶあつい舌でめ上げた。

おろか者が! 非道だと? 兄上が言う、理想とやらに毒されおって。力しかないのだ、この世界を制するものは。さからうものは皆殺しにすればよい。それが、このドラグリアを強くするのだ!!」

 血にまみれた兵士は膝を突き、その邪悪な顔を見て呻いた。

「ま、まさか貴方様は……」
「そうだ、獣人どもの王を殺すように命じたのはわしだ。やつらなど、皆殺しにすればよい! 兄上は、じきに死ぬ。そして、このわしが、王になるのだ」

 ドルメールは、激しく戦火を交えるドラグリアとジェフルアの兵士達を眺め、酷薄こくはくみを浮かべる。

「くくく、わしには神がついておるのだ。このドラグリアの神がな」

 その時、すさまじい雷鳴がとどろき、恐ろしい稲妻がドラグリア城に落ちた。次の瞬間、宮殿の鐘がけたたましく鳴り響く。悲痛な叫び声が、王宮の各所で上がった。ドラグリアの民から愛された賢王アファードが、この世を去ったのである。

「ふは! ふははははは!! この鐘の音、あの稲光! 全てはわしが見た夢のとおりだ。あの夢に現れた黒き神の予言! 兄上ではない! このわしが、この地上の覇者はしゃとなるのだ!!」

 間もなく宮殿からドルメールのもとへつかいの者がやって来た。それはまさにドラグリアの国王であるアファードの崩御ほうぎょの知らせだった。
 アファード王の死を告げる鐘が鳴りまぬ中、ドルメールは王都を逃げまどう獣人達を見つけては、手当たり次第に容赦ようしゃなく手にかけていく。

「お、お助けください! せめて、この子だけでも!!」

 幼子を抱える獣人の女が、ドルメールの目の前で命乞いのちごいをした。

「ほう? それは良い心がけだな、女よ」

 女は悪魔のような男の前で、瞳に一縷いちるの希望を宿らせる。

「で、では……! お助けくださるのですか……! ありがとうございます! ありがとうございます!!」

 ドルメールは懇願こんがんする女の姿を見て、邪悪じゃあくに笑った。それからみにくえ太った指先で、泣き叫ぶ幼子をすっと指さす。

「ふは! ふははは! この虫けらが! わしは楽しみなのだ! 貴様のような心根の優しい女の希望を踏みにじるのがな!! おい、その子供から殺せ! 女の目の前でな!!」

 常軌じょうきいっした非道な言葉に、周りの兵士達も思わずこおりつく。だが、兵士達はドルメールの血走った瞳に恐怖を感じ、その幼子おさなごに剣を向けた。
 獣人の女は、うらみに染まった目で彼らをにらみつける。

のろわれろ!! この悪魔ども!! お前達は皆、永遠に呪われよ!!」

 ドルメールは足下にひざまずく女の顔を、何の躊躇ためらいもなくり飛ばして哄笑こうしょうした。

「ふはははは! 呪われよ、だと? 黙れ! この薄汚うすよごれた獣が。やれ、殺せ!!」

 再び稲光がひらめいた時、凄まじい咆哮ほうこうがその場に響いた。

「グォオオオオオーーン!!」

 まるで小山のような人影が、ドルメールに向かって走って来た。その行方ゆくえはばもうと、立ちふさがるドラグリアの屈強くっきょうな兵士達が、すべなく次々となぎ倒されていく。

「「「な、なんだあれは!!」」」

 兵士達は、その異形いぎょうの姿におびえた。
 鋼のような肉体と野性的な瞳。赤いたてがみを思わせる頭髪。その手首には獣人族の戦士の証である入れずみきざまれている。それは獣人族最強の軍団、獣牙旅団の紋章もんしょうだった。
 ドルメールはその男の正体を知って、馬車から降りると油断なく剣を構えた。

「ぐぬうう! 貴様! バルダス・デュカオーン!!」

 ドルメールの言葉に、その場にいる兵士達は息を呑む。

「赤き獅子ししバルダス・デュカオーン、獣人族最強の戦士か!!」

 きたえ上げられた体には無数の刀傷がある。それは、ここまで辿たどり着く間にち倒してきたドラグリアの兵達の数を物語っていた。
 ドルメールの足元に倒れている獣人の母子をいたわるような目で一瞥いちべつし、バルダスは再び凄まじい咆哮を放った。

「ドルメール!! この悪魔め! 貴様のような男に生きる資格などない!!」

 そう叫ぶと、バルダスは赤い稲妻のようにドルメールに襲い掛かる。

「ひぃいい!! 神よ!!」

 自分を守る数名の兵士達を一瞬で切り裂いてせまる獣人族最強の戦士に、思わずドルメールは尻もちをついた。
 そしてその爪が、邪悪な男のドス黒くにごった内臓をえぐり出そうとした瞬間――。
 ギィイイイン!!
 バルダスの無敗の牙がはじかれた。

「貴様……! なぜだ……!」

 バルダスはえるように言った。
 銀色の瞳、そして銀色になびく髪。自分の攻撃を防いだ神技に等しい双剣そうけん抜刀術ばっとうじゅつ
 アルマン・エッテハイマンだった。

「……アルマン」

 赤き獅子と呼ばれる男は唸った。

「なぜだ! なぜだアルマン!! 俺は、貴様とアファード王を信じた! 貴様を友だと信じて、マフルージェ様を任せた。なのに、なぜ裏切るのだ……。なぜ、こんな形で」

 アルマンは、剣を構えて低く言った。

「今は去れ! バルダス、お前を殺したくない」

 ドラグリアの兵士達が、ようやく我に返りバルダスを取り囲む。
 バルダスは血の涙を流していた。それから気を失い地に倒れている獣人族の母子を抱きかかえる。

「アルマン、貴様を殺す! いつの日か、このドラグリアを必ずほろぼす! この赤き獅子バルダス・デュカオーンの名にけてな!!」

 そして、天に向かって一声咆哮すると物凄い勢いで跳躍ちょうやくした。その姿は一瞬にして雷鳴の中に消えて見えなくなる。

「アルマン! なぜ奴を逃がした! 貴様!!」

 ドルメールのその言葉に、アルマンは静かに答えた。

「獣人族最強と呼ばれたあの男。獣化じゅうかと呼ばれる真の力を解放すれば、この世で互角にやりあえるのはアファード陛下のみ。死にたいのなら、王弟殿下自らで追われるがよろしかろう」
「ぐぬぅうう!!」

 ドルメールは怒りの形相ぎょうそうを浮かべたものの、すぐに不敵な笑みに取って代わる。

「くくく、まあよい。兄上はもうこの世におらぬ。貴様はこれからこのわしのために、存分に働いてもらうのだからな」

 一夜明け、アファード王の葬儀そうぎが盛大に行われた。
 ひつぎの中に眠るアファード王の姿を見て、多くの者が涙を流した。だが、弔問ちょうもんに訪れた参列者の中に愛娘まなむすめアイリーネ王女の姿はなかった。彼女は、昨夜のうちにアウロス将軍の手でフェレト神殿にっていたからだ。
 そして、人々はドルメールの側にひかえる帝国元帥げんすいの姿を目にして、恐るべき状況が現実のものとなり、次の王が誰となるのかをさとったのであった。


 新しいドラグリア王としての即位が終わると、ドルメールは何者かに導かれるかのように帝都の地下へ向かった。その隣にはアルマンの姿もある。

「ふはは、よいなアルマンよ。神はわしを選んだのだ。賢王と呼ばれ、皆に愛された我が兄アファードではなく、このわしをな」

 その言葉には、長年優れた兄と比較をされ続けた王弟の嫉妬しっとや憎しみが込められている。
 アルマンは無言でドルメールの後に続き、地下への階段を進んで行く。
 まるで地の底に続くような長い階段の奥には、神殿があった。巨大な白い柱が、その威容いようを誇っている。
 そこには神官の姿をした女が待っていた。黄金の髪と黄金の瞳。特徴的な長い耳は、彼女が人間とは異なる種族であることを示している。

「お前は、エルフか? なぜ、このような場所にエルフがいる。あのお方は何処どこだ? わしは、夢に見た黒い炎の神に導かれ、ここにやって来たのだ!」

 ドルメールは、その女の人知を超えた美しさに、情欲じょうよくのこもった無遠慮ぶえんりょな目を向ける。
 ハーフエルフではない。頭のてっぺんから足の先まで、その肢体したいを舐めるような目で往復させれば、純粋種じゅんすいしゅのエルフであることは一目瞭然いちもくりょうぜんであった。
 女はけがれたものに触れたような不快感を覚えたが、自らに課せられた役目を果たすため、冷然れいぜんとした態度を崩さぬまま深く頭を下げる。

「わたくしの名は、ミレティス。導かれし者を『扉』に案内するのが我が務め」

 エルフの女はそう告げ、神殿の奥にドルメールとアルマンを迎え入れた。
 太古たいこの昔より存在するドラグリアの地下には、ひんやりと湿しめった空気が流れており、それはこの洞窟が、あたかも未知なる暗黒の地へ続いていることを証明しているかのようだった。

「こ、これは!!」

 ドルメールは、思わず呻いた。
 殿
 ドラグリア王宮の地下に、何故このようなものがあるのか?
 ――いや違う。
 それが最初からそこにあり、その上に王宮が作られたのだ。そうドルメールは本能的に悟った。
 ドラグリア王宮自体が、これを隠すための目眩めくらましに過ぎぬかのような錯覚すら覚えさせる。
 それはなんと、巨大な扉だった。いにしえより伝え聞く竜すらも通り抜けることが出来るかもしれない。しかもその扉が、信じられぬほどの太古からこの場所に存在していることは、扉の表面に刻まれた無数の古代文字と、王族のドルメールですら見たこともないほど精巧せいこうな彫刻からも分かる。
 ドルメールは、狂人が叫ぶかのごとく言った。

「見たぞ! わしはこれと同じ扉を夢で! そして、わしは見た! 黒い炎の神を! そのお方の導きで、わしは王となったのだ!!」

 その言葉が合図になったかのように、エルフの女が静かに詠唱えいしょうを始めた。すると、扉の前に小さな黒い炎が浮かび上がる。
 ドルメールは目をみはり、恐れをなして後ずさった。
 黒い炎は次第に大きくなり、不気味な人影を作り上げていく。
 ドルメールはその場に跪いた。

「おお! おお!! 我が神よ!! どうかこのしもべに、我が神の名をお聞かせください!」

 黒い炎の人影がゆらりと揺れ、頭部に相当する場所がいやらしく三日月状にけた。

『ドルメールよ、我が名はテネブラエ。の神にして闇司やみつかさどる神。我こそがそなたの主、よく覚えておくがいい』

 人影は、ゆっくりと揺らめきながら歩いて来る。見ようによっては若く美しい男に見えた。

『ドラグリアの新しき王よ。貴様の欲望のままに殺せ。そして蹂躙じゅうりんせよ。そなたは、我の剣となりて、この地を憎しみで満たすのだ。我が命に従う限り、我はそなたに力を貸してやろう』

 ドルメールはひれ伏したまま、黒い炎の人影に答えた。

「我が神よ! このドルメール、必ずや貴方様の御心みこころのままに!」

 ドルメールは、次なる有難ありがたい言葉をたまわろうと、その場にうずくまっていた。
 ところが、恐るべき黒い炎の人影から発せられた言葉は、ドルメールの期待を裏切るものだった。

『ドルメールよ、もう行け。そばつかえる、その男をここに残してな』

 テネブラエの言葉に、ドルメールは血走った目でアルマンを睨む。

「な、なにゆえです、黒き神よ! テネブラエ様が、お選びくださったのはこの私! アルマンなどに、一体、何の話が!?」

 だが次の瞬間、黒い炎がしなるむちのように大きく揺らめくと、その炎の一部が空気を切り裂いてドルメールの肥満した肉体に矢のごとく突き刺さった。

「ぐぅううおおおお!!」

 ドルメールは、焼けるような苦痛を隠そうともせず、みじめな豚を思わせる姿で地面を転げ回る。

『二度は言わぬ。我の命に従え、我がしもべよ』
「わ、我が神よ! お許しを!!」

 その体から黒い炎が消える。
 ドルメールは怒りと嫉妬のこもった目でアルマンを睨むと、うのていでその場を去って行った。


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