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3巻
3-3
しおりを挟む「──!!」
私の中の血の気が引いていく。
「こんな……どうして」
とても酷い光景。
一体なんでこんなことを。
ほむらのことを土地神様と崇めて、山の社までやってきた人々だ。私が顔を知っている村人たちもそこにはいた。
倒れている村人たちの傍には、白い服を着た男たちが立っていた。
このヤマトの土地では見かけない服。
そして、肩には見たことのない印が描かれている。
男たちの中でも一際背の高い銀髪の男がこちらを眺めると、嘲るように笑う。
「ほう? お前が土地神か。聞いていた話とは違うな。まさか、こんな小鬼だとはな」
まさか、この人たちがこんなことをしたの?
同じ人間なのにどうして!?
私は怒りに震えて叫んだ。
「どうしてこんなことを! どうして!!?」
私の問いに銀髪の男が答えた。
「知れたことよ。この村を守っているという土地神をおびき出すため。こいつらはその餌に過ぎん」
たったそれだけのために?
こんなに沢山の人を殺したの?
ほむらの大事な村の人たちを。
だとしたら、この人たちは人間じゃない、悪魔だ。
男はまだ生きている女の村人の一人の首筋に剣を当てて、笑っている。
「ママぁ!!」
その女性の子供なんだろう。
母親が殺されるのではと思い、泣きじゃくっている。
「坊や! ああ、坊や……」
子供に向かって必死に手を伸ばす村人の姿。
「どうした、土地神。本当の力を見せてみろ。そうしなければこの女は死ぬぞ? くくく、このガキもな!」
「うぁあああああああ!!!」
私は怒りに我を忘れた。
周囲に炎の渦が湧き上がっていくのが分かる。
そして、私は男に向かって突進した。
炎を宿した私の右手が、男の剣を弾き飛ばすその直前──
男の右手が振るわれ、私は足に強い痛みを覚えた。
銀髪の男の剣が私の太ももを貫いている。
「あ……あう……」
膝が地面に崩れ落ちる。
そのまま私は前のめりに倒れていた。
血に濡れた剣を眺めながら男は言った。
「これがこの地の土地神か? 期待外れだな。これでは、我が教団の力にはならん」
教団? 力? 一体何を言っているのだろう。
その男の言葉の意味が私には分からなかった。
「ゾルデ様、いかがいたしますか?」
ゾルデと呼ばれた銀髪の男に、付き従っている者たちがそう尋ねるのが聞こえる。
「お前たちの好きにしろ。土地神などと……化け物の分際で神を名乗ること自体が神への冒涜というものだ。じっくりと切り刻んで殺してやれ。くく、だがその前に、こいつの前で村人どもを皆殺しにしてな。化け物を神などと崇めたこの連中も同罪なのだからな」
男がそう言うと、付き従う者たちが一斉に剣を抜く。
そして、銀髪の男も、先程の女性を部下の男たちに引き渡して残酷に笑う。
「死ぬ前に、そこで見ているがいい。お前を神と崇める者たちが無残にも死んでいく様をな」
震える親子に男たちの剣が向けられた。
「やめて! やめてぇえええ!!!」
私の体は炎に包まれて、限界を超えた神通力が周囲に解き放たれていく。
許さない、絶対に!!
激しい怒りに囚われて私は叫んだ。
「うぁああああああ!!!」
気が付くと、貫かれたはずの足の痛みは消えていた。
そして、母子に剣を突き付けていた男たちは、私の放った炎に包まれて、その火を消そうと地面を転がっている。
「ぐぎゃぁあああ!!」
男たちの手を逃れた母子に私は叫んだ。
「逃げて!!」
頷くと私に頭を下げて、その場から駆け出す母子。
私は少しだけ安堵して、ゾルデと呼ばれる男を睨んだ。
ゾルデは笑みを浮かべてゆっくりと剣を構えた。
「ほう、これがお前の本当の力か? 中々のものだ」
こんなに人を憎いと思ったことはなかった。
額の角がメキメキと音を立てて、伸びていくのが分かる。
今まで自分の中に感じたことがないほどの神通力が、私の周囲に激しい炎を燃え上がらせた。
「許さない! ほむらの大事な村は私が守るんだ! 私が!!!」
私の体から湧き上がる炎が渦を巻いて、まだ生きている村人たちと剣を手にした男たちを隔てた。
「フレア様!」
「逃げて! みんな!!」
村人たちが走っていくのを眺めながら、私は身構えた。
全身に激しい痛みを感じる。
まるで限界を超えた力に体が悲鳴を上げているみたいに。
でも──
突進した私の爪が、ゾルデの頬を切り裂く。
鮮血が舞い、思わず後退するその姿。
「ぐぅ!! おのれ小娘! この俺の顔に傷を!!」
そして、剣を構え直した。
「それにどうやら、本物の土地神は貴様ではないらしいな。お前はその娘か? いいぞ、小娘でさえここまでの力があるというのなら、この地の土地神は今までにないほどの力を持っていそうだな。そいつを殺し、その力を手にすれば……我が神もお喜びになるだろう」
「貴方たちの神様なんて知らない! そんなの神様じゃない!!」
神様は私をほむらに会わせてくれた。
私に幸せをくれたんだ。
こんなことをするのは神様なんかじゃない。
飛び掛かる私の肩を、ゾルデの剣が貫いた。
そのまま私は地面を転がった。
「うぁ……」
必死にもう一度立ち上がる。
もう少し、もう少しだけ頑張るんだ。
村の人たちが無事に逃げ延びるまで、それまで頑張らなきゃ。
ほむらの代わりに私がみんなを守るんだ。
額の角に力が漲っていく。
「はぁああああ! 炎鬼乱舞!!」
私は命を燃やして戦った。
もう自分が持つ神通力を使い果たしていたから。
体中が燃え上がる。
炎に包まれた私の爪がゾルデの体をかすめて、その服を焦がした。
「ほう、精霊と化したか。小娘の分際で中々やりおるわ。並の人間では到底かなうまい。だが、この世には闇を屠り、魔を倒す者たちがいる。お前は知らぬだろう、倒魔人と呼ばれる者の力をな」
ゾルデの剣が炎を反射して光を放つ。
そして言った。
「我が名は月光のゾルデ。我が神のため、貴様のような化け物を屠るのが俺の使命だ」
私はゾルデに向かって突進した。
「うぁあああああ!!」
交差する私の爪とゾルデの剣。
その瞬間、私の胸に鋭い痛みが走った。
「倒魔流奥義、月光の太刀」
ゾルデの剣が私の胸に突き刺さっている。
鬼の私の目でも捉えることが出来ないほど速いその突きは、まるで光の剣のようだ。
「がはっ!!」
私は血を吐いて、地面に膝をついた。
血が流れ、目の前が霞んでいく。
人間ならとっくに死んでいるだろう。
必死に歯を食いしばるけれど、もう体に力が入らない。
涙がにじみ出る。
「ほ……むら」
私は自分の命を燃やし尽くしたのを感じた。
堪え切れずに体が地面に倒れていく。
その時──
私の体を誰かが支えて、ゆっくりと地面に寝かせた。
そして、私を守るように前に立つ。
真紅の髪を靡かせた、逞しくまるで炎の神のような背中。
そして、隣には大きな白い狼が連れ立っている。
「貴様……」
ゾルデのその言葉に、私の前に立つ赤い髪の男は答えた。
「久しぶりだなゾルデ。この外道め。今のうちにお前の神とやらに祈ることだ。地獄に行くその前にな」
私の前に立つ男性の右手には、真紅に輝く紋章が描かれていた。
ゾルデはそれを見て眉を動かす。
「獅子王ジーク……」
「月光のゾルデ。倒魔人の掟に背いた貴様を葬りに来た」
それを聞いてゾルデは低い声で笑う。
「くくく、倒魔人の掟だと? 四英雄、貴様らはまだそんなことを言っているのか?」
その言葉に、真紅の髪を靡かせた男は答えた。
「お前がこの東の地の土地神と呼ばれる者たちを狙っているのは知っている。地を平和に治め、人々に愛されている者たちさえもな」
彼の傍にいる白い狼が叫んだ。
「それだけじゃない! 彼らを崇める人々まで手にかけて。こいつは悪魔よジーク!」
ジークと呼ばれたその人は、私を見つめて静かに白狼に答えた。
「そのようだな、シルフィ。ゾルデ、何故倒魔人の掟を破った? 平和を愛し、幸せに生きようとする者たちを無残にも手にかける外道どもを倒すのが、倒魔人の仕事だ。たとえそれが人であろうが魔物であろうがな」
彼にそう問われてゾルデは口を開いた。
「ふふ、ふはは! くだらんな。だから俺は倒魔人などやめたのだ。弱い者など守る価値もない。化け物どもなど皆殺しにして、強い者がこの世を支配すればいいのだ。あのお方は俺に力をくださった。俺をかつての俺と同じだと思うなよ」
そう言うとゾルデは、私に使った剣とは違う、黒い鞘に入った太刀を抜いた。
そこには、禍々しい黒い瘴気のようなものが宿っているのが分かる。
「あのお方だと? お前たちが教団と呼ぶ組織を治める者か。その名を吐いてもらうぞ」
「馬鹿め。俺はこのヤマトの地で多くの土地神を殺し、強大な力を得た。丁度いい。この力、お前で試してやろう。四英雄最強と呼ばれた、獅子王ジークでな」
ゾルデの後ろでは、黒い瘴気がまるで蛇の鎌首のように顔をもたげている。
七つの首の大蛇がジークを見下ろし、恐ろしいほどの力がその場に満ちていく。
「お前も感じるだろう? この俺の闘気の凄まじさをな。今詫びれば許してやらんこともないぞ。くはは! その鬼の小娘をお前の手で斬り殺し、地に伏して俺に詫びればな!!」
ジークは静かにゾルデを睨むと答えた。
「断る。俺が斬るのは魔だけだ。たとえそれが人の形をした魔であったとしてもな」
「ならば死ねぇええいい!! 四英雄!!!」
ゾルデが振るう太刀と共に、背後にある七本の大蛇の首も、一斉にジークへと襲い掛かる。
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「ふは! ふはは! 見たかこの力。もはやあの四英雄ですらこの俺は超えたのだ!!」
ジークはゆっくりと振り返る。
そして言った。
「四英雄を超えただと。気が付かないのか? お前の自慢の太刀はもう折れている。お前の命運と共にな」
その言葉にゾルデは怒りに燃えた目で吠えた。
「馬鹿め! たわごとを! ぐぅうう!!」
私は朦朧とする意識の中で思わず目を見開いた。
ゾルデの太刀の先が静かに地に落ちて、胸に大きな刀傷が刻まれていく。
そして気が付くと、ゾルデの体から溢れる瘴気が形作っていた七本の鎌首は、全てその首を刎ねられていた。
まるでジークの振るった剣が起こした風が、全てを斬り払ったかのように。
「倒魔流奥義、裂空滅殺。お前が思うほど、この紋章に選ばれた者の力は甘いものではない。死ぬ前にお前の主の名を吐いてもらうぞ」
その言葉にゾルデは後ずさる。
「おのれ! 愚か者が、これで勝ったと思うなよ。我が主は神とも呼べる偉大なお方。あのお方の真の目的をお前は知るまい。それに、倒魔人の中には他にも我らの仲間がいる。貴様はいずれ後悔するぞ! ふは、ふははは!! ぐあぁああ!!」
ゾルデは黒い太刀を自分の体に突き立てて、断末魔の声を上げると、倒れて動かなくなる。
ジークが鋭い眼差しでゾルデを眺めている。
「俺たちの中に他にも奴らが入り込んでいるだと?」
シルフィが首を横に振った。
「馬鹿馬鹿しい、悔し紛れのたわ言よ。他の連中を捕らえて吐かせましょう。こいつらの真の目的とやらもね。こいつと違って下っ端の連中がどこまで知っているかは分からないけど」
シルフィはそう言うと牙を剥き、ゾルデの配下の者たちを次々と捕らえていく。
その間にジークは、私を抱きかかえると治療を施してくれた。
シルフィは戻ってくると、私を抱きかかえているジークに尋ねる。
「どう? その子は」
ジークはゆっくりと首を横に振る。
「傷は治したが、この娘は自らの命の炎を燃やし尽くしている。残念だが、もう助からない」
「そんな……」
息を呑み、言葉に詰まる白い狼。
ジークは私に尋ねた。
「最後に何か望みはないか?」
私は死ぬんだ。
そう思った。
私は幸せだった。
でも最後に望みがあるとしたら……
「ほむ……らに……会いたい」
最後にほむらに会いたい。
神様が私に出会わせてくれた私のお母さん。
私の大好きなお母さん。
ジークは私の頬を撫でる。
「ほむら。この地の土地神か。分かった、せめてその時まで眠るがいい」
ジークの力が私の命を優しく包み込む。
死を迎える痛みや苦しみから解き放つように。
そして、その時が僅かでも遅くやってくるように。
暫くすると、朦朧とする意識の中で、私の耳に誰かの叫び声が聞こえてくる。
「フレア! フレア!!」
気が付くと、私を抱いているのはジークではなくてほむらだった。
私を抱きしめて涙を流している。
「どうして……こんな、どうして」
ほむらの言葉にジークが答えた。
「お前の代わりに村を守ろうとしたのだろう。この小さな体で、その命の全てを燃やしつくして。この娘は立派な土地神だ。誰よりも勇敢で誇り高い」
私を抱きしめるほむらの腕。
その優しい手が私の頬を撫でる。
「どうして私を待たなかったんだい。フレア……」
私は最後の力を振り絞ってほむらの頬に触れた。
「守りたかったの……ほむらの村を。ほむらの大切なお母さんの村だから……ほむらは、私の大切なお母さんだから」
「フレア……」
ほむらの顔が涙でぐしゃぐしゃになっている。
泣かないでお母さん。
私、幸せだったから。
ほむらのお蔭で誰よりも幸せだったから。
温かい力が私を包んでいる。
ほむらの力が私を包み込んでくれているのが分かった。
同時に地面に描き出されていく紅の魔法陣。
ジークがほむらを見つめながら呟いた。
「まさか……この魔法陣は」
ほむらは静かにジークに答える。
「獅子王ジーク。鬼の私が倒魔人のあんたにこんなことを願うのは、筋違いだとは分かってる。でも、残されるこの子を哀れだと思うなら、どうか後生だから私の願いを聞き届けておくれ」
ジークは暫くほむらを眺めると頷いた。
「分かった。この娘の行く末は見届ける。俺の魂に懸けて誓おう」
「安心したよ、四英雄。この恩は忘れない。たとえ、どれだけの時が過ぎても決してね」
私は二人が何を言っているのか分からなかった。
「ほむら……?」
私の問いにほむらは答えた。
「フレア、私は最初は分からなかった。どうして母さんが全てを犠牲にしてまで私を育ててくれたのか。一人山の中に入って、自分の人生を懸けて私のことを……」
そして微笑んだ。
「でも、フレア。あんたに出会って分かったんだ。私にも、自分よりも大切なものが出来たんだって」
ほむらは私の頬を撫でると、もう一度しっかりと抱きしめる。
「許しておくれ。あんたを一人残してしまうことを。フレア、私は幸せだったよ。誰よりも愛しい娘が傍にいてくれたから」
周囲を包む紅の光がその強さを増していく。
それと同時に、私の消えかかっている命の炎が、強く燃え盛っていくのが分かった。
今までよりもさらに強く。
紅の光が消えた時、私は呆然とその場に立ち尽くしていた。
さっきまでしっかりと私を抱きしめてくれていたほむらが、力なく傍に倒れている。
私はほむらの体をゆすった。
「ほむら? どうしたの? ほむら!?」
シルフィが静かに私に言った。
「授魂の法。強く愛する者のために、自らの命を与える禁呪。貴方のお母さんはそれほど貴方のことを愛していたのね」
私は泣いた。
冷たくなったほむらの体にすがりついて、ずっとずっと。
そしてジークに願い出た。
「私を殺して! 貴方は魔を倒す者なんでしょう? だったら、私も殺して!!」
私はほむらの傍に行きたかった。
そして、またあの手で優しく頬に触れて欲しかったから。
ジークは静かに私を見つめていた。
そして、私の手を取るとそっと私の胸に当てる。
「フレア。お前も感じるはずだ。お前の命は、お前を誰よりも愛してくれた母親が灯した命の炎だ。それを消すことは俺には出来ない」
胸に当てた手から感じるのは、いつもほむらといた時に感じた温もりだった。
私の中にほむらがいる。
そうはっきりと感じられたから。
「あああああ! お母さん……お母さぁああん!!」
涙が溢れて止まらなかった。
幸せだったのは私の方、ほむらがいつも傍にいてくれたから。
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