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ある週末に(前編)

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 よく熱したオリーブオイルの中にベーコンと玉ねぎを放る。ジュッという音と共に、香ばしい匂いがキッチンに広がった。隣のコンロではパスタがぐつぐつと湯に浸かっている。
 トマト缶を開けたら、先ほどのフライパンに入れて火が通るのを待つ。
 その間にもう一品。茹でておいた海老とアボカドを食べやすい大きさに切って、マヨネーズにレモン汁を加え、粗挽き胡椒をふったら軽く焼いたバゲットにのせる。ブルスケッタの出来上がりだ。

「美味しそうな匂いだな。材料、足りた?」

 シャワーを終えた直人が、キッチンにやって来た。まだ少し湿って見える髪は無造作に降りていて、無地のシャツにスウェットのズボンというありふれた格好なのに、洗練されて見えるのはやっぱり顔の良さからだろうかと、結は密かにほくそ笑む。

「うん。俺の家から持ってきたのと、直人さん家の冷蔵庫のもので合わせたら、じゅうぶんだったよ」
「結は相変わらず、手際が良いね。手伝おうと思ってたのに、もうほとんど出来てる」
「ふふふ。カフェのバイトも3年目ともなれば、このくらいはね」

 バイトを始めて以来、洋食系の料理とお菓子作りがすっかり趣味の域を超えて、ライフワークのようになってしまった。
 茹で上がったパスタをトマトソースと混ぜ合わせながら得意げに言うと、褒めるような手つきでポンポンと頭に直人の手が触れた。
 自分の目の高さよりもだいぶ上にある、陽だまりみたいに優しく注がれる視線につられて、自然と口元が緩んでしまう。

「皿はこれにしよう」

 結だったらつま先立ちにならないと届かない収納に軽々と手を伸ばした直人が、皿を選んで並べてくれる。どれも二人で選んだお気に入りの皿ばかりだ。丁寧に料理を盛っていく。
 トマトパスタに、海老とアボカドのブルスケッタ、実家から送られてきた桃を使ったモッツァレラチーズのサラダも添えた。どれも満足のいく仕上がりに、目を細める。

「桃のサラダは初めて作ってみたんだけど、味、大丈夫かな」

 食卓に並べた料理を挟んで、最初のひと口目にさっそく桃のサラダに箸を伸ばした直人を、緊張しながら目で追った。少し大きめに切った桃を、形の良い口で豪快に一口で含んでしまう。
 早く感想を聞きたくて、「どう?」と急かしてみると、クスッと微笑んだ直人の口がやっと開いた。

「うん、結は天才だね。この組み合わせ美味いな。シンプルで俺の好み」
「やった!」

 控えめにガッツポーズをして、結も桃モッツァレラをひと口ほおばる。
 桃の瑞々しい甘さとモッツァレラの新鮮な味わいが丁度よく混ざり合って、自分で言うのもなんだが絶品だった。直人も褒めてくれたから、100倍美味しい。
 送ってくれた母に、心の中で感謝する。

「結も少し飲んでみる? この白ワイン、飲みやすくて料理にも合うよ」

 柔らかな桃の食感に目を細めていると、直人がグラスを差し出して来た。
 あまり酒には強くない結だが、恋人と食事をしながら、ゆっくりとグラスを傾ける時間はとても気に入っている。

「じゃあ、少しだけ」

 グラスを受け取ると、結が飲み切れるくらいの量を心得ている彼が、丁寧に注いでくれた。そういう些細なところまで把握されているのも、恋人としては嬉しい。
 レモンイエロー色のワインはすっきりとした味わいで、口の中を浄化し料理の味を際立たせてくれる。

「んっ、ほんとだ。美味しいね、このワイン」

 驚きの表情で直人を見ると、満足そうに向けられた眼差しとぶつかった。
 
「よかった。酒に弱い結でも飲めるかなと思って、頑張って選んだ甲斐があったよ」
「俺のこと考えて選んでくれたの?」

 少し感動しながら首を傾げてみると、ブルスケッタをひとかじりした直人が頷く。
 
「まあね。無理に飲ませるつもりは無いけど、結ととこうやって一緒に食事して、そこに美味しい酒があれば、それだけで幸せだからね」

 ワイングラスを傾けて恋人が涼し気な目元をほころばせる。幸せそうな表情を浮かべている彼に微笑み返して、きっと自分しか知らないだろう彼の姿にときめきを覚えた。
 年上で精神的にも遥かに大人の彼なのに、同じようなことを思ってくれているのが嬉しくて、胸の中にほわりと温かさが広がっていく。
 
「直人さんって時々すごく、くすぐったいこと言うよね。それになんだか大人」

 くすくすといたずらに笑っていると、心外だと言わんばかりに眉を上げた直人に、かじりかけのブルスケッタの切れ端を口に押し込まれてしまう。

「むぐっ……」
「俺は大人だし、ただ正直なだけだよ。結限定でね」

 詰め込まれたブルスケッタをもぐもぐと咀嚼し急いで飲み込んで、反論しようとした時には直人は素知らぬ顔でパスタへと手を伸ばしていた。

「もうっ!」
「このパスタも最高だね」

 清々しいほどの食べっぷりを目の前にして、結の反抗心は音もなくかき消されていく。自分が作ったものをいつも美味しく食べてくれる直人の姿を見るのが、結にとっては至福の時なので仕方ない。

「直人さんてば……、たくさん食べてね」
「ん、結も。冷めないうちに食べよう」
「うん。いただきます」
 
 恋人と一緒の夕食は、楽しくて美味しい。普段は小食の結だが、こうして直人とテーブルを囲むと、たくさん食べてしまうから困ってしまう。
 おかげで食後のデザートにするつもりだった、チーズケーキは明日のコーヒータイムへと持ち越されることになった。

 
 * 

 
「結、落ち着いたら風呂に入っておいで」

 満たされたお腹を抱えてソファで寛いでいると、後かたずけを引き受けてくれた直人が、キッチンのカウンター越しにこちらを覗いてきた。
 直人の言葉に、すくっと立ち上がりキッチンに向かう。

「皿洗い、手伝わなくていいの」
「平気。まかせて」
「ん、じゃあ俺、お風呂借りるね」

 直人の背後から回り込むようにして手元を覗き込み、慣れた手つきで食器たちが綺麗にされていく様子を見送りつつ結はバスルームへ移動した。

 いつものことながら、綺麗に整頓された脱衣所を通って浴室の扉を開けると、湯船からはもくもくと湯気が立ち込めていた。
 シャワー派の直人だが、結が泊まる日は必ず、風呂好きの結のために湯を張って準備してくれるのだ。感謝しつつ温かいお湯に身を浸す。
 漂ってくる石鹼の香りは、香水は使わない直人からほのかに香ってくるのと同じ、慣れ親しんだ香りだ。
 大好きな恋人と同じ香りに包まれながらの入浴は、結の身も心も癒してくれて、まるで直人に抱きしめられているような感覚がして落ち着く。
 
(今日、するのかな……)
 
 ふと湧いた体を熱くする感情に、勝手に心臓が大きく脈を打った。
 直人と恋人になって半年。当然、それなりに肌の触れ合いはある。直人から与えられるめくるめく快感に、酔わされ、溶かされていく、その甘い時間のことを思うと幸せでたまらなくなるのだが……。

(どうしたら、最後までできるんだろう)
 
 浴室のタイルをつたう水滴をつつきながら、結は、はぁっと深いため息をついた。
 ずっと心に引っかかっている悩みの種が、むくむくと頭を持ち上げてくる。
 
(いつも俺だけ気持ちよくされて、最後までせずに終わっちゃうんだよなぁ)
 
 天井を仰ぎ見て、いい解決方法は無いかと考えを巡らせてみるが、何も思い浮かんでこない。
 恋愛も、こうして誰かとお付き合いするのも初めての結にはハードルが高すぎる問題だった。世の中の恋人たちは、こういうことをどう話し合っているのだろうか。
 口元までお湯に浸かって、ブクブクと息を吐き出しながら、自分の経験値の低さを呪う。
 だが、ずっとこのままというわけにはいかないと結は強く思った。恋人なのだから、もっと自分の全てを求めてほしい。
 何よりも、日々大きくなっていく好きな人と深く繋がりたいと思う気持ちに偽りは無いし、きっと直人も同じ思いでいてくれているはずだ。きっと……。
 
(よし! 今日こそは!)
 
 結は水しぶきを立てながら、勢いよく立ち上がった。
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