助けた黒猫は僕の運命の相手でした。

蜜森あめ

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再会

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 それから何度も季節は移り変わり、今年も春を迎えた。
 僕は6年ぶりに地元に戻ってきていた。大学進学を機に実家を出てから、実習や課題、バイトにと走り抜けるように過ぎていく日々に追われてなかなか帰省できずにいたのだが、何の巡り合わせか地元での就職が決まったのだ。
 この春から獣医として働くことになっている。そしてその職場の寮として使われているマンションに引っ越して来たのが、つい先日のことだ。
 
 実家から職場となる動物病院まで、それほど離れているわけではないのだからと、両親は実家からの通勤を勧めてくれたが、夜勤もあるため家族のライフサイクルを乱すのも気が引ける。
 それに寮とはいえ普通のマンションの一室を利用しているので、セキュリティもさることながら、一人暮らしにはもったいないくらいの広い家に住めるということもあって入寮を決めたのだった。

「思ったより時間がかかってしまったな」

 途中で止まっていた荷解きにやっと終わりが見えてきたので、一区切りつけてから遅い昼食をとった。開けた窓から入ってくる風が気持ちいい。ベランダに出てみると、開放感と共に温かい空気に包まれた。ぐっと背伸びをしてから、そこからの景色を眺める。久しぶりの地元の風景は、それほど変わっておらず、遠目からも馴染みのある店や、よく通っていた道なんかも分かるくらいだ。
 懐かしさに浸りながらしばらく見下ろしていると、ふと視界の端に映ったものに意識を引かれた。そこに向けた僕の目に飛び込んできたのは、1本の桜の木だった。5階のこの部屋の窓からも分かる美しい薄ピンク色。住宅街の中にポツンと立っているせいか、そこだけ浮き出ているように感じる。
 そう、サクラと出会ったあの公園の桜の木だ。

「ここからあの桜の木が見えるんだな。行ってみるか」

 エントランスを出て少し進んだ先の、道を挟んだ閑静な住宅街の一角にその公園はある。寮の契約に来たときには、こんなに近いなんて思いもしなかった。
 サクラが姿を消した後に何度となく足を運んだが、見つけることは叶わなかった。そしてその度に感じる切ない胸の痛みに耐えられなくなり、もうずっと訪れていなかったその場所。
 
 僕は懐かしい思いと同時に、どこかざわつく胸を撫で下ろしながら公園に足を踏み入れた。
 桜の木の下まで来ると、その大きさに圧倒される。サクラを見つけたときはまだ冬だったし、こんなに立派に花を咲かせているところをちゃんと見たのは初めてだ。

「立派な桜の木だ。綺麗だな……」

 風に乗ってふわりと舞う花びらが頬をかすめて、サクラと過ごした楽しかった日々が否応なく思い出される。あれから……僕の傍から突然いなくなってから、サクラはどう過ごしていたんだろうか。ちゃんと食べて眠って、寒い思いはしなかっただろうか。
 チクチクと締め付けるような痛みが胸をかすめていくのをやり過ごして、その場に立ち尽くす。

「かなた」

 目の前の桜の美しさに目を奪われていると、不意に名前を呼ばれてハッと我に返った。

「……え?」

 声のした方を振り返ると、見知らぬ男が立っていた。周りを見渡してみたが、その男しか見当たらない。すらりとした長身に、程よく引き締まって見える体躯。年は同じくらいか少し上に見える。綺麗に整えられた黒髪の、横に流してある長めの前髪から覗く瞳は琥珀色だ。その煌めきに、ドキリと胸が震える。

「あの……もしかして今、僕の名前、呼んだのは貴方ですか?」

 一見、奇妙に見えるその男の真っすぐにこちらを見る視線から目が離せない。鼓動が早くなるのを感じながら、思わず声を掛けていた。

「そう、俺だ。やっと会えた。約束、覚えてるか?」

 そう言いながら、こちらにゆっくり歩み寄ってくる。

「約束……? えっ?」

 目の前まで来た男に突然手を取られて、驚きで小さく肩が跳ねた。手を振り払うことも出来たのに、包み込むように優しく握られた手の温かさが心地よくて、そうすることは出来なかった。
 握られた手と男の整った顔を交互に何度も見比べ、視線を彷徨わせていると、その手の甲に古い傷跡があることに気付いた。
 約束に傷……。
 約束と言われて思いつくことは一つしかないが、あの約束は夢で……。目の前にいるのは人間で、僕が知っているサクラは猫だ。頭の中でぐるぐると様々な思考が交差し始める。

「いや、そんなことあるはず……」

 僕はそう言いかけて、口をつぐんだ。そんなことが起こり得るはずがないと何度も心の中で呟きながら、恐る恐る男を見上げると、優しく細められた瞳と目が合った。琥珀色の瞳はよく見ると、虹彩の周りがわずかに緑色だ。

「……っ、まさかその目、その手の傷あと……」

「そのまさかだ。奏汰が助けてくれた時の、あの時の傷」

「サク、ラ?」

「そうだ、俺だ! サクラだ! よかった、覚えててくれたんだな!」 

 興奮した様子で肩を掴まれた。嬉しそうなその男とは対照的に、僕は驚きと信じられないという思いに喉の奥がぎゅっと絞まって言葉も出ない。
 この男があのサクラ……? にわかには信じられないが、だけど確かに僕の心の深い場所が何かに引き寄せられるような、確信めいたものが沸き上がってきて身震いがした。まるで僕の本能が肯定しているみたいだった。
 一瞬、頭が真っ白になって、じわじわと心が温かく包み込まれるような不思議な感覚に囚われる。

「サクラ……、サクラ、サクラ……っ」

 気が付くと、何度もサクラの名前を呼んでいた。呼んでいるうちに涙が溢れてきてしまう。

「やっと、やっとだ。もうずっと、そうやって奏汰に呼んでほしかった」

「……っ、っ」

 嗚咽おえつに言葉が埋もれて話せないままでいると、長い指が涙を拭ってくれる。夢のような奇跡みたいな出来事を、頬に優しく触れる手の温もりが現実なんだと教えてくれているようで、次から次へとこぼれる涙が止まらない。

「驚かせてしまってすまない。そんなに泣かないでくれ、奏汰の可愛い顔が台無しだ」

 無言で涙を流し続ける僕を見て、サクラは困ったように見つめてくる。
 そして優しく引き寄せられて、その広い胸に抱きしめられた。
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