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シュラの思い

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 シュラは当てがわれた部屋で文机の椅子に座り、一人本を読んでいた。本はマリアンナという人間の女性が召喚士養成学校の図書室で探してきてくれたのだ。シュラは今現在の外の世界が知りたかった。シュラたち四人の獣人はシンドリア国で難民というかたちで保護されていた。

 これから自分たちはどうなるのか不安ではあるが、ギガルド国で受けていたしうちにくらべれば天国だ。食事も温かい寝床も与えられる、シュラの仲間たちも傷つけられる事もない。ずっとここにいられればいいがそんな訳にもいかない。シュラたちはどこの国も欲しがる生物兵器なのだ。少年の時に捕まったシドと、幼児の時にギガルド国に連れてこられたリクとミナは人間に対して悪感情が強いが、シュラは違う。

 シュラは幼い頃人間に大切にされた過去があった。シュラはまだ幼い幼児の頃は母と呼ばれる女性に大切に育てられていた。彼女が実母だったのか、養母だったのかわからないが、シュラが人買いに連れて行かれる時に、母と呼んでいた女性は半狂乱になりながらシュラの名前を呼んでいた。

 シュラは人買いが開催する人身売買のショーのメインとして働かされていた。シュラの値段は高額すぎるのでショーでは買い手がつかないが、人身売買のショーのメインイベントとして希少な獣人を人身売買のバイヤーや、金をあまりあるほど持っている金持ちに、狼になったり人間になったりして見せるのだ。大人しくしていれば母の元に返してやると言われ、子供のシュラは素直にそれを信じて、逃げもせず人買いのところにいたのだ。

 ある時シュラは大金持ちの老婦人に出会った。その老婦人はいつも人身売買ショーにやってくる強欲でいやらしい人間とはまるで違っていた。何も知らされず連れてこられたようで、一糸まとわぬ姿の美しい女や男が舞台に現れると眉をひそめて嫌悪のそぶりを見せていた。シュラが舞台にあがり、いつものように狼になったり、人間になったりしていると、その場違いな老婦人がスクッと立ち上がり、声高らかに言ったのだ。その子は私が引き取ります。と、凛とした声だった。人買いのオーナーは、シュラは見世物であって売り物ではないと言ったが、老婦人は聞き入れず、法外な値段でシュラを引き取ってくれた。

 シュラは当初その老婦人になつく事ができなかった。人買いに買われ、過ごしてきたシュラは、人間は怖いものだと認識していたので、老婦人も恐怖の対象だったのだ。老婦人はシュラの心を開くために長い時間をかけてくれた。優しい声をかけてくれて、温かい食事を毎日用意してくれた。シュラはこの老婦人は、今までの人買いの人間たちとは違うという事がわかった。シュラが恐る恐る老婦人に近づくと、彼女は優しくシュラの頭をなでてくれた。シュラはその時、幼い頃の母との記憶がよみがえった。老婦人は母と同じようにシュラに接してくれたのだ。シュラは母から引き離されてから初めて泣いた。泣きじゃくるシュラを、老婦人は優しく抱きしめてくれた。

 老婦人は裕福な貴族の未亡人だった。子供を幼い頃に無くし、知り合いに連れてこられたおぞましい人買いショーでシュラを見つけてくれた。その時舞台に立ったシュラと、幼くして亡くなった息子とを重ねたのだ。老婦人はシュラに惜しみなく愛情と知識を与えてくれた。老婦人は自身がそう長く生きられないと悟り、シュラが一人でも不自由しないように、弁護士を頼み、甥をシュラの後見人にした。老婦人は亡くなる前にシュラに言った。

「シュラ、私はもうすぐいなくなる。お前に私の全財産を残すから、このお金でシュラの仲間を探しなさい。シュラと同じ獣人たちは、きっと辛い目にあっているはずだから。シュラが助けてあげて。そして、シュラ、あなたの本当の家族を作るのよ」

 老婦人は微笑みながら諭すように言った。シュラは泣いた。老婦人が死んでしまう事が悲しいという事もあったが、老婦人にはシュラが本当の意味で老婦人と家族になれていなかった事を悟られていたのだ。老婦人が亡くなった後、老婦人の甥は、弁護士を抱き込み、シュラが受け取るはずたった遺産を自分の物とした。シュラはまた人買いに売られた。シュラは当然だと思った。老婦人という存在が稀だったのだ。獣人を見る人間の目は、物でしかないのだ。だがシュラには老婦人がかけてくれた愛情と、教えてくれた知識があった。

 シュラは人買いの手を数度代わり、ギガルド国という好戦的な国に買われた。そこでシュラは出会ったのだ。まだ幼い獣人の子供たちに、彼らは男の子と女の子だった。二人とも服を着る事も、文字も言葉も教えられず、ただ獣として檻の中にいた。そこでシュラは初めて、仲間に対する愛情が生まれたのだ。

 シュラは男の子にリクと、女の子にミナと名付けて育てる事にした。ギガルド国がシュラたちを何故買ったかを知らないままに。シュラはリクとミナに言葉、文字を教え、世界が広い事を教えた。シュラたちの住まいは、暗い地下室だったので、外は見えなかったが、外には素晴らしいものがたくさんあると教えたのだ。いつかここを出て三人で世界を見よう。その事を希望に暮らしていた。

 そんな時、もう一人獣人の少年が連れてこられた。身体中傷つき、シュラたちすらも近づけさせなかった。シュラは時間をかけてその少年と接した。老婦人がシュラにしてくれたように。少年は少しずつシュラたちに心を開いてくれた。少年には名前がなかったので、シュラはシドという名前を彼につけた。

 四人は仲睦まじく暮らしていた。食事は少なく不味かったが、四人で狼になってくっつけば温かく休む事ができた。状況が変わったのはシュラが十三歳、シドが十歳、リクが五歳、ミナが四歳の頃だった。当初は食事を運んでくるだけだった兵士が、シュラたちを地下室の外に出したのだ。シュラは久しぶりの外の空気を喜ぶと共に不安も感じていた。

 シュラたちの前に現れた兵士は、シュラたちに訓練をほどこすといった。何の訓練かと問うシュラに、兵士はニヤつきながら答えた。人間を殺す訓練だと。シュラはがくぜんとした、だが当然だとも思った。シュラたち獣人は、高い運動能力と、回復力を持っていて、殺人兵器にするにはもってこいだった。訓練をしないと、水も食事も与えられないので、シュラたちは仕方なく訓練を続けた。

 やはり小さいリクとミナは中々成果が出なかったが、シドはドンドン才能を開花させていった。シュラはシドの成長を喜ぶ反面、不安がつのっていった。シュラが初めて人殺しの任務に行ったのは十五歳の時だった。当初は失敗したと言って帰って来ようとしたのだが、兵士に恐ろしい事を言われた。もしシュラが任務の途中に逃げる事があったら、残りの獣人を殺すと言われたのだ。そして、任務をし損ねたら、シュラではなく残っているシドとリクとミナを傷つけるというのだ。

 シュラはそこで初めて、何故シドとリクとミナとの穏やかな時間を過ごせたかを知った。人間たちは待っていたのだ。シュラたち獣人が仲間同士の愛情を育むのを。そして、自身の命より仲間の命を優先するようになるまで。シュラは激しい後悔にさいなまれた。リクとミナはまだ仕方がない、とても小さかったのだから。

 だがシドは違う、一人でも暮らしていける歳だった。そしてシドは獣人としてたぐいまれなる力を持っていた。シュラたちを仲間と思わなければ、一人で逃げられたのだ。だがシュラはシドに仲間といる事の暖かさ、嬉しさを教えてしまった。シュラはシドに重い足かせをつけさせてしまったのだ。

 シュラは見ず知らずの人間の命と、仲間の命を天秤にかけ、仲間を取ったのだ。そしてシドもシュラと同じ選択をしてくれた。任務は大体シュラとシドが行った。リクとミナはいわば人質なのだ。この地獄のような暮らしがずっと続くのだろうか、いっその事シドだけでも逃すためリクとミナを殺して自分も死のうかとも考えた。だがリクとミナが辛いだけの生活で生涯を終えると思うとふびんでならなかった。そしてシュラ自身も生きる事にしがみついていたのだ。だがシドはアイシャを連れてきてくれた。アイシャはマリアンナをともなって、シュラたちを地獄から救い出してくれた。

 シュラは廊下を歩くたどたどしい足音を聞いた、靴にはきなれない者の音だ。その靴音はシュラのいる部屋で止まった。トントンとリズム感の悪いノックが聞こえる。シュラがどうぞ、と言うとおずおずとドアが開かれた。そこにいたのはシュラの予想通りシドだった。シュラは読んでいた本にしおりを挟み、文机に置いた。

「シド、リクとミナは?」

 シュラの問いにシドはくつろいだ表情で答える。シドはシンドリア国に来てから、とても穏やかになった。きっとシュラたちを守る事に神経を使わなくて済むようになったからだろう。

「アイシャと一緒に薬草を採りに行ってる」
「薬草?」
「ああ、アイシャが欲しいんだって。リクたちは鼻がきくからな」
「そうか、シド」

 シュラはそう言うとシドに両手を広げた。シドはシュラの意図が分かって、シュラに飛びついてきた。シドはシュラよりも身体が大きいが、シュラも獣人なのでシドを抱き上げるのはぞうさもなかった。シュラはシドを優しく抱きしめると、シドのサラサラした癖のない髪を撫でた。シュラはシドに小さな子供は年上が面倒をみなければいけないと教えた。だからシドはリクとミナの面倒をよく見てくれた。本当はシドも甘えたかっただろうに。

 だからシュラがシドを甘やかすのはリクとミナが寝ている時だけだった。シドはシュラの首すじに顔をすりつけながら嬉しそうにしている。シュラは途端に泣きたくなった。シドは本当は穏やかで優しい獣人なのだ。それをシュラたちを守るため、やりたくもない殺しの任務をたくさんさせた。シドはリクとミナを優しく抱きしめる手で多くの人間を殺したのだ。それをさせたのは他でもないシュラ自身だ。

「シド、ありがとう。シドのおかげで僕たちは今も生きている」
「ああ、アイシャが来てくれたからな」
「そうだな、アイシャとマリアンナが来てくれて僕たちは救われた。シド、今まで辛い思いばかりさせたな」
「ツライ?オレはツラくないぞ?だってシュラとリクとミナと一緒だ。だからオレはツライじゃない、嬉しいんだ」

 シュラは涙が溢れて仕方なかった。シドはシュラの泣き顔を不思議そうに見ていた。

「シュラ、悲しいのか?それとも嬉しいのか?アイシャがいってたぞ。涙は痛い時に出るだけじゃなくて、悲しい時も嬉しい時もでるんだぞ?」
「ああ、そうかもな。シドが優しくて強い事が嬉しくて悲しいんだ」
「嬉しくて悲しいのは当たり前だ。オレとシュラとリクとミナは家族だからな。会えないと悲しい、一緒だと嬉しいんだ」

 シュラの涙は嗚咽に変わった。シュラはもう手に入れていたのだ。老婦人が言っていた、シュラの本当の家族を。シュラは心に誓った、絶対にシュラの家族を手放さないと。シドはシュラの溢れて止まらない涙をペロペロと舐めてくれた。

「シュラ、泣いていいんだぞ。悲しい時も嬉しい時も家族で分け合うんだ」
「ああ、その通りだな。シドとリクとミナは僕の家族だ。もう絶対に離れない、ずっと一緒だ」
「ああ。あっ、でもアイシャも家族にしたい!なぁシュラ、アイシャも家族に入れよう」

 シドはシュラたち仲間以外の人間は全て嫌悪していた。だがシドは人間であるアイシャが大好きになったのだ。シュラはほほえましい気持ちになった。

「ああ、アイシャがいいって言ったら家族になろうな」
「ああ!」

 その時、ノックもなく部屋のドアがガチャリと開いた。リクが飛び込むように部屋に入ってきた。その後からミナとアイシャが入って来た。アイシャの足元にはいつもの黒猫がいる。

「あっ、シドずるい!オイラも抱っこ」

 リクはシドを抱いているシュラに猛ダッシュしてきた。シュラは弾丸のようなリクを危なげなく抱き上げた。ミナは、私も。と言って走りよってきた。シドはシュラの膝から降りると、ミナを抱き上げた。その顔はもう年上の顔だった。シドはモジモジしているアイシャを呼ぶ。アイシャはハッとした顔をした後、嬉しそうにシドに抱きついた。シドはアイシャも抱き上げた。

「なぁ、アイシャ。オレたちは家族だって言ってくれたよな」

シドはアイシャに向かって話す。アイシャはうなずく。

「なぁ、アイシャもオレたちの家族にならないか?」
「えっ、いいの?あたしもシドたちの家族になっていいの?」

ミナはシドの言っている意味が分からなかったのか、シドに家族とは何かと質問していた。

「いいかミナ。家族はな、嬉しい時も悲しい時も一緒にいる事をいうんだ」
「じゃあ仲間って事ね。アイシャも家族?嬉しい!」

 シュラはこの穏やかな時間がずっと続けばいいと願わずにはいられなかった。








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