上 下
71 / 82

エグモントのぼやき

しおりを挟む
 エグモントはレコードの音楽に耳をかたむけていた。曲はムゾルグスキーの展覧会の絵。指揮はバーンスタインだ。重厚な旋律で奏でられるプロムナード。

 ムゾルグスキーは友人である画家のハルトマンの遺作展に感化され、この曲を作曲したといわれている。

 エグモントは革張りの一人がけソファにゆったりと腰かけながら音楽の海に身をゆだねた。人間は音楽を愛し、曲を録音するすべを発明した。人間の進歩は目覚ましく、レコードはカセットテープになり、CDになり、そしてネット内から音楽を聞く事ができるようになった。

 ゆるやかな歴史の中を生きている吸血鬼のエグモントにとっては、人間の進歩は目まぐるしすぎた。そのためか、エグモントは今でもレコードを愛聴している。

 それがいにしえの存在であるエグモントのノスタルジーであるのかと思うと苦笑せずにはいられない。エグモントはふと目を開いて目の前の人物を見た。

 エグモントの眷属である辰治がソファに座り舟をこいでいる。エグモントは小さくため息をついた。辰治は菊次郎の代わりにエグモントの側で働くと言った。なのでこれまで菊次郎と過ごしたように、レコードを聴きながら紅茶を飲もうと思い立ち、辰治を屋敷に呼んだ。

 だが辰治は、エグモントがレコードに針を落とした直後からグラグラと左右に揺れ出し、すぐに眠ってしまった。
  
 エグモントは菊次郎と過ごした月日を思い起こしていた。菊次郎はエグモントが吸血鬼にした最初の人間だった。菊次郎は無学だったが聡明な男だった。日本語のわからないエグモントに言葉を教え、日本の文化を教えてくれた。

 菊次郎は読書家で、エグモントの好きそうな本もすすめてくれた。エグモントは菊次郎とレコードを聞いたり、読んだ本の感想を言い合う事をことの他気に入っていた。

 そう気づいたのは、菊次郎を失ってからだった。失った者はもう元には戻らない。エグモントはまた同じ過ちを犯してしまったのだ。

 だが菊次郎はエグモントに、自分の意志を受け継ぐ者として辰治を残してくれた。辰治は頭が悪くて態度もマナーもひどいが、忠義心を持っていた。主人であるエグモントと、もう一人の主人であるジュリアに忠誠を誓っていた。

 エグモントは辰治を見ていて気づく事があった。辰治は菊次郎ではないのだと。エグモントは辰治を菊次郎の代わりにしてはいけないという事だ。

 エグモントは愛するエリーゼの代わりを探し、ジュリアという純血の吸血鬼を我がものとしようとした。だが無理矢理側においたジュリアは、乱暴でワガママな女だった。

 ジュリアがエリーゼにはならないように、辰治は菊次郎にはならないのだ。レコードが終わり、エグモントは丁寧にレコードをしまってから、テーブルをドンッと叩いた。すると辰治がハッと目を覚まして言った。

「あ、終わりましたか?退屈な音楽」

 エグモントはこめかみがピクピクけいれんするのがわかった。しばらくしてドアがノックされ、使用人の中年女がワゴンを押して部屋に入って来た。

 女の使用人は、ガラの悪い辰治を見て顔をしかめた。菊次郎は普段ホームレスとして暮らしていたが、エグモントが呼ぶといつもこざっぱりとした服装をしてやって来てたので、使用人たちの印象は良かった。だが辰治は見るからにチンピラ風だ。

 使用人はエグモントの前に蒸らして淹れた紅茶のカップとソーサー、サバランのケーキが置いた。辰治のところにも紅茶とケーキが置かれると、待ってましたとばかりにケーキを手づかみで食べ始めた。まるで躾のなっていないのら犬だ。エグモントは大きくため息をついた。

 辰治は自分の分のケーキを瞬時に食べ終えると、ジッとエグモントのケーキを見ている。エグモントは仕方なく自分のケーキを辰治の前に置いてやる。辰治は嬉しそうにエグモントの分もたいらげた。

 エグモントは何度目になるかわからないため息をついてから、手についたサバランリキュールをなめている辰治に言った。

「辰治、お前はどうにも教養がなさすぎる。もっと本を読め」
「嫌です」
「!。何だと!お前主人に逆らうのか?!」
「いいえ、逆らっているわけじゃありません。俺、字の読み書きできないんです」
「・・・。菊次郎は教えてくれなかったのか?」
「おやっさんは俺に読み書きを教えようとしてくれましたが、勉強は嫌いなので断りました」
「・・・。辰治、お前は菊次郎の代わりとして私の役に立つと言ったな?ならばそのために努力しろ。お前はこれから夜間学校に通って基礎学力をつけるんだ」

 エグモントの命令に、辰治は不服そうに口をへの字に曲げる。エグモントはそれを見なかった事にした。辰治が勉強する事は、エグモントのためにもなるが、何より辰治自身のためでもあるのだ。



 

 

 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】「心に決めた人がいる」と旦那様は言った

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
「俺にはずっと心に決めた人がいる。俺が貴方を愛することはない。貴女はその人を迎え入れることさえ許してくれればそれで良いのです。」 そう言われて愛のない結婚をしたスーザン。 彼女にはかつて愛した人との思い出があった・・・ 産業革命後のイギリスをモデルにした架空の国が舞台です。貴族制度など独自の設定があります。 ---- 初めて書いた小説で初めての投稿で沢山の方に読んでいただき驚いています。 終わり方が納得できない!という方が多かったのでエピローグを追加します。 お読みいただきありがとうございます。

献身的な残酷人

ゆうさん
ホラー
雨の日に最愛の妻を亡くした主人公。そんな彼に優しい言葉で近づくのは妻の妹だった

【全64話完結済】彼女ノ怪異談ハ不気味ナ野薔薇ヲ鳴カセルPrologue

テキトーセイバー
ホラー
石山県野薔薇市に住む彼女達は新たなホラーを広めようと仲間を増やしてそこで怪異談を語る。 前作から20年前の200X年の舞台となってます。 ※この作品はフィクションです。実在する人物、事件、団体、企業、名称などは一切関係ありません。 完結しました。 表紙イラストは生成AI

怪異の忘れ物

木全伸治
ホラー
さて、Webコンテンツより出版申請いただいた 「怪異の忘れ物」につきまして、 審議にお時間をいただいてしまい、申し訳ありませんでした。 ご返信が遅くなりましたことをお詫びいたします。 さて、御著につきまして編集部にて出版化を検討してまいりましたが、 出版化は難しいという結論に至りました。 私どもはこのような結論となりましたが、 当然、出版社により見解は異なります。 是非、他の出版社などに挑戦され、 「怪異の忘れ物」の出版化を 実現されることをお祈りしております。 以上ご連絡申し上げます。 アルファポリス編集部 というお返事をいただいたので、本作品は、一気に削除はしませんが、順次、別の投稿サイトに移行することとします。 まだ、お読みのないお話がある方は、取り急ぎ読んでいただけると助かります。 www.youtube.com/@sinzikimata 私、俺、どこかの誰かが体験する怪奇なお話。バットエンド多め。少し不思議な物語もあり。ショートショート集。 ※タイトルに【音読済】とついている作品は音声読み上げソフトで読み上げてX(旧ツイッター)やYouTubeに順次上げています。 百物語、九回分。【2024/09/08順次削除中】 「小説家になろう」やエブリスタなどに投稿していた作品をまとめて、九百以上に及ぶ怪異の世界へ。不定期更新中。まだまだ増えるぞ。予告なく削除、修正があるかもしれませんのでご了承ください。 「全裸死体」、「集中治療室」、「三途の川も走馬灯も見なかった。」、「いじめのつもりはない」は、実体験の実話です。 いつか、茶風林さんが、主催されていた「大人が楽しむ朗読会」の怪し会みたいに、自分の作品を声優さんに朗読してもらうのが夢。

ゾンビだらけの世界で俺はゾンビのふりをし続ける

気ままに
ホラー
 家で寝て起きたらまさかの世界がゾンビパンデミックとなってしまっていた!  しかもセーラー服の可愛い女子高生のゾンビに噛まれてしまう!  もう終わりかと思ったら俺はゾンビになる事はなかった。しかもゾンビに狙われない体質へとなってしまう……これは映画で見た展開と同じじゃないか!  てことで俺は人間に利用されるのは御免被るのでゾンビのフリをして人間の安息の地が完成するまでのんびりと生活させて頂きます。  ネタバレ注意!↓↓  黒藤冬夜は自分を噛んだ知性ある女子高生のゾンビ、特殊体を探すためまず総合病院に向かう。  そこでゾンビとは思えない程の、異常なまでの力を持つ別の特殊体に出会う。  そこの総合病院の地下ではある研究が行われていた……  "P-tB"  人を救う研究のはずがそれは大きな厄災をもたらす事になる……  何故ゾンビが生まれたか……  何故知性あるゾンビが居るのか……  そして何故自分はゾンビにならず、ゾンビに狙われない孤独な存在となってしまったのか……

【厳選】意味怖・呟怖

ねこぽて
ホラー
● 意味が分かると怖い話、ゾッとする話、Twitterに投稿した呟怖のまとめです。 ※考察大歓迎です✨ ※こちらの作品は全て、ねこぽてが創作したものになります。

浮気の代償の清算は、ご自身でどうぞ。私は執行する側です。

美杉。節約令嬢、書籍化進行中
ホラー
 第6回ホラー・ミステリー小説大賞 読者賞受賞作品。  一話完結のオムニバス形式  どの話から読んでも、楽しめます。  浮気をした相手とその旦那にざまぁの仕返しを。  サイコパスホラーな作品です。     一話目は、結婚三年目。  美男美女カップル。ハイスペックな旦那様を捕まえたね。  そんな賛辞など意味もないほど、旦那はクズだった。婚約前からも浮気を繰り返し、それは結婚してからも変わらなかった。  そのたびに意味不明な理論を言いだし、悪いのは自分のせいではないと言い張る。  離婚しないのはせめてもの意地であり、彼に後悔してもらうため。  そう。浮気をしたのだから、その代償は払っていただかないと。彼にも、その彼を誘惑した女にも。

家出女子高生と入れ替わる。そしてムダ毛を剃る。

矢的春泥
ライト文芸
家出女子高生と目が合ってしまい付いてこられたおじさん。 女子高生にぶつかられて精神が入れ替わってしまう。 仕方なくアパートに部屋に行き、体が入れ替わったままで女子高生とおじさんの同居生活が始まる。

処理中です...