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エグモントのぼやき
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エグモントはレコードの音楽に耳をかたむけていた。曲はムゾルグスキーの展覧会の絵。指揮はバーンスタインだ。重厚な旋律で奏でられるプロムナード。
ムゾルグスキーは友人である画家のハルトマンの遺作展に感化され、この曲を作曲したといわれている。
エグモントは革張りの一人がけソファにゆったりと腰かけながら音楽の海に身をゆだねた。人間は音楽を愛し、曲を録音するすべを発明した。人間の進歩は目覚ましく、レコードはカセットテープになり、CDになり、そしてネット内から音楽を聞く事ができるようになった。
ゆるやかな歴史の中を生きている吸血鬼のエグモントにとっては、人間の進歩は目まぐるしすぎた。そのためか、エグモントは今でもレコードを愛聴している。
それがいにしえの存在であるエグモントのノスタルジーであるのかと思うと苦笑せずにはいられない。エグモントはふと目を開いて目の前の人物を見た。
エグモントの眷属である辰治がソファに座り舟をこいでいる。エグモントは小さくため息をついた。辰治は菊次郎の代わりにエグモントの側で働くと言った。なのでこれまで菊次郎と過ごしたように、レコードを聴きながら紅茶を飲もうと思い立ち、辰治を屋敷に呼んだ。
だが辰治は、エグモントがレコードに針を落とした直後からグラグラと左右に揺れ出し、すぐに眠ってしまった。
エグモントは菊次郎と過ごした月日を思い起こしていた。菊次郎はエグモントが吸血鬼にした最初の人間だった。菊次郎は無学だったが聡明な男だった。日本語のわからないエグモントに言葉を教え、日本の文化を教えてくれた。
菊次郎は読書家で、エグモントの好きそうな本もすすめてくれた。エグモントは菊次郎とレコードを聞いたり、読んだ本の感想を言い合う事をことの他気に入っていた。
そう気づいたのは、菊次郎を失ってからだった。失った者はもう元には戻らない。エグモントはまた同じ過ちを犯してしまったのだ。
だが菊次郎はエグモントに、自分の意志を受け継ぐ者として辰治を残してくれた。辰治は頭が悪くて態度もマナーもひどいが、忠義心を持っていた。主人であるエグモントと、もう一人の主人であるジュリアに忠誠を誓っていた。
エグモントは辰治を見ていて気づく事があった。辰治は菊次郎ではないのだと。エグモントは辰治を菊次郎の代わりにしてはいけないという事だ。
エグモントは愛するエリーゼの代わりを探し、ジュリアという純血の吸血鬼を我がものとしようとした。だが無理矢理側においたジュリアは、乱暴でワガママな女だった。
ジュリアがエリーゼにはならないように、辰治は菊次郎にはならないのだ。レコードが終わり、エグモントは丁寧にレコードをしまってから、テーブルをドンッと叩いた。すると辰治がハッと目を覚まして言った。
「あ、終わりましたか?退屈な音楽」
エグモントはこめかみがピクピクけいれんするのがわかった。しばらくしてドアがノックされ、使用人の中年女がワゴンを押して部屋に入って来た。
女の使用人は、ガラの悪い辰治を見て顔をしかめた。菊次郎は普段ホームレスとして暮らしていたが、エグモントが呼ぶといつもこざっぱりとした服装をしてやって来てたので、使用人たちの印象は良かった。だが辰治は見るからにチンピラ風だ。
使用人はエグモントの前に蒸らして淹れた紅茶のカップとソーサー、サバランのケーキが置いた。辰治のところにも紅茶とケーキが置かれると、待ってましたとばかりにケーキを手づかみで食べ始めた。まるで躾のなっていないのら犬だ。エグモントは大きくため息をついた。
辰治は自分の分のケーキを瞬時に食べ終えると、ジッとエグモントのケーキを見ている。エグモントは仕方なく自分のケーキを辰治の前に置いてやる。辰治は嬉しそうにエグモントの分もたいらげた。
エグモントは何度目になるかわからないため息をついてから、手についたサバランリキュールをなめている辰治に言った。
「辰治、お前はどうにも教養がなさすぎる。もっと本を読め」
「嫌です」
「!。何だと!お前主人に逆らうのか?!」
「いいえ、逆らっているわけじゃありません。俺、字の読み書きできないんです」
「・・・。菊次郎は教えてくれなかったのか?」
「おやっさんは俺に読み書きを教えようとしてくれましたが、勉強は嫌いなので断りました」
「・・・。辰治、お前は菊次郎の代わりとして私の役に立つと言ったな?ならばそのために努力しろ。お前はこれから夜間学校に通って基礎学力をつけるんだ」
エグモントの命令に、辰治は不服そうに口をへの字に曲げる。エグモントはそれを見なかった事にした。辰治が勉強する事は、エグモントのためにもなるが、何より辰治自身のためでもあるのだ。
ムゾルグスキーは友人である画家のハルトマンの遺作展に感化され、この曲を作曲したといわれている。
エグモントは革張りの一人がけソファにゆったりと腰かけながら音楽の海に身をゆだねた。人間は音楽を愛し、曲を録音するすべを発明した。人間の進歩は目覚ましく、レコードはカセットテープになり、CDになり、そしてネット内から音楽を聞く事ができるようになった。
ゆるやかな歴史の中を生きている吸血鬼のエグモントにとっては、人間の進歩は目まぐるしすぎた。そのためか、エグモントは今でもレコードを愛聴している。
それがいにしえの存在であるエグモントのノスタルジーであるのかと思うと苦笑せずにはいられない。エグモントはふと目を開いて目の前の人物を見た。
エグモントの眷属である辰治がソファに座り舟をこいでいる。エグモントは小さくため息をついた。辰治は菊次郎の代わりにエグモントの側で働くと言った。なのでこれまで菊次郎と過ごしたように、レコードを聴きながら紅茶を飲もうと思い立ち、辰治を屋敷に呼んだ。
だが辰治は、エグモントがレコードに針を落とした直後からグラグラと左右に揺れ出し、すぐに眠ってしまった。
エグモントは菊次郎と過ごした月日を思い起こしていた。菊次郎はエグモントが吸血鬼にした最初の人間だった。菊次郎は無学だったが聡明な男だった。日本語のわからないエグモントに言葉を教え、日本の文化を教えてくれた。
菊次郎は読書家で、エグモントの好きそうな本もすすめてくれた。エグモントは菊次郎とレコードを聞いたり、読んだ本の感想を言い合う事をことの他気に入っていた。
そう気づいたのは、菊次郎を失ってからだった。失った者はもう元には戻らない。エグモントはまた同じ過ちを犯してしまったのだ。
だが菊次郎はエグモントに、自分の意志を受け継ぐ者として辰治を残してくれた。辰治は頭が悪くて態度もマナーもひどいが、忠義心を持っていた。主人であるエグモントと、もう一人の主人であるジュリアに忠誠を誓っていた。
エグモントは辰治を見ていて気づく事があった。辰治は菊次郎ではないのだと。エグモントは辰治を菊次郎の代わりにしてはいけないという事だ。
エグモントは愛するエリーゼの代わりを探し、ジュリアという純血の吸血鬼を我がものとしようとした。だが無理矢理側においたジュリアは、乱暴でワガママな女だった。
ジュリアがエリーゼにはならないように、辰治は菊次郎にはならないのだ。レコードが終わり、エグモントは丁寧にレコードをしまってから、テーブルをドンッと叩いた。すると辰治がハッと目を覚まして言った。
「あ、終わりましたか?退屈な音楽」
エグモントはこめかみがピクピクけいれんするのがわかった。しばらくしてドアがノックされ、使用人の中年女がワゴンを押して部屋に入って来た。
女の使用人は、ガラの悪い辰治を見て顔をしかめた。菊次郎は普段ホームレスとして暮らしていたが、エグモントが呼ぶといつもこざっぱりとした服装をしてやって来てたので、使用人たちの印象は良かった。だが辰治は見るからにチンピラ風だ。
使用人はエグモントの前に蒸らして淹れた紅茶のカップとソーサー、サバランのケーキが置いた。辰治のところにも紅茶とケーキが置かれると、待ってましたとばかりにケーキを手づかみで食べ始めた。まるで躾のなっていないのら犬だ。エグモントは大きくため息をついた。
辰治は自分の分のケーキを瞬時に食べ終えると、ジッとエグモントのケーキを見ている。エグモントは仕方なく自分のケーキを辰治の前に置いてやる。辰治は嬉しそうにエグモントの分もたいらげた。
エグモントは何度目になるかわからないため息をついてから、手についたサバランリキュールをなめている辰治に言った。
「辰治、お前はどうにも教養がなさすぎる。もっと本を読め」
「嫌です」
「!。何だと!お前主人に逆らうのか?!」
「いいえ、逆らっているわけじゃありません。俺、字の読み書きできないんです」
「・・・。菊次郎は教えてくれなかったのか?」
「おやっさんは俺に読み書きを教えようとしてくれましたが、勉強は嫌いなので断りました」
「・・・。辰治、お前は菊次郎の代わりとして私の役に立つと言ったな?ならばそのために努力しろ。お前はこれから夜間学校に通って基礎学力をつけるんだ」
エグモントの命令に、辰治は不服そうに口をへの字に曲げる。エグモントはそれを見なかった事にした。辰治が勉強する事は、エグモントのためにもなるが、何より辰治自身のためでもあるのだ。
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