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エグモントの過去

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 エグモントはぼんやりと朝焼けを見上げていた。身体の損傷がひどくて回復が思うようにいかないのだ。両足は斬られ、胴体には三つも穴を開けられた。

 深呼吸をくり返し、ゆっくりと再生をしていく。エグモントは顔をしかめた。具合の悪い事に、身体の中にはジュリアの置き土産が入っていた。彼女の人差し指だ。エグモントが身体に空いた穴から彼女の指を取り出そうとすると、彼女の指はしゃくとり虫のように動いて身体の奥に逃げてしまう。

 これは彼女の警告だ。もしまたエグモントがジュリアと響に手を出そうとしたら、彼女の指がエグモントの心臓を突き破るだろう。

 エグモントは我知らずため息をついた。何故ジュリアに固執していたのだろう。ジュリアは乱暴でワガママで、エリーゼとはまったく違う女だった。

 エリーゼ。エグモントは亡き妻の名をつぶやいて微笑んだ。エグモントはずっと妻の代わりを探していたのだ。だが代わりなんて見つかるはずがない。どの女も皆エリーゼではないのだから。


 エグモントは何百年も同じ古城に暮らしている純血の吸血鬼だった。表向きは何百年も続くハクンディ伯爵家だが、実際はエグモント一人がハンクディ伯爵として生き続けていた。

 エグモントは孤独を愛する吸血鬼だった。昼は静かに鳥の声に耳を傾け、夜は星の瞬きを愛でていた。だがある日、エグモントの愛する静寂が破られた。自分の城の敷地内に何者かが侵入したのだ。

 エグモントは怒りに震えながら侵入者を確認しに行った。そこには人間の子供がいた。エグモントの自慢の庭で、汚い人間の子供が泣いていたのだ。エグモントは怒りながら言った。

「おい、人間の子供。何故泣いている」

 子供はギクリと身体を震わせてから、エグモントを見上げた。目は真っ赤で、鼻水はたらしていて、とても汚かった。エグモントは顔をしかめて言った。

「おい、子供。親はどうした?」

 子供は顔をくしゃくしゃにすると、ママ、ママと母親を呼びながら泣き出した。どうやら迷子のようだ。

 エグモントは四ヶ月にいっぺん人間の血を吸わなければ生きていけない。それはとてもわずらわしい事だが生きるためには仕方のない事だ。エグモントの領地の周りには三つの小さな村が点在している。おそらくこの子供はそのどこかの村の子供だろう。

 エグモントは子供を抱き上げて歩き出した。まずはここから一番近い村に向かおうと考えた。子供は視線が高くなった事が面白かったのか、ケラケラと笑った。

 エグモントと人間の子供が歩いていると、森の鳥が鳴き出した。ピチュピチュピー、と。子供は喜んで言った。

「鳥しゃん、きえい」
「おお、子供。良い感性をしているな?これはクロウタドリだ。実に美しい声だ」

 エグモントは鳥の澄んだ声に耳を傾けた。すると、無粋な声が重なった。

「エリーゼ!エリーゼ!どこなの?!」

 エグモントは鳥の声の鑑賞を邪魔され顔をしかめて、声の主を探した。それは人間の女だった。貧しい身なりをした女だ。

 女は子供を抱えたエグモントを見て叫んだ。

「エリーゼ!」

 どうやらこの女が子供の母親のようだ。エグモントは顔をしかめて母親に言った。

「女、子供から目を離すな」

 女は子供を連れて来てくれた感謝を伝え、見失った失態を心から謝った。子供は母親に抱き上げられてご満悦だ。

 エグモントはそのままきびすを返して城に戻ろうとすると、エリーゼと呼ばれた子供がエグモントに手を振って言った。

「おじしゃん、バイバイ」

 絶世の美貌である吸血鬼のエグモントを捕まえておじさんとは。エグモントはフンと鼻を鳴らして帰って行った。

 それからしばらくはエグモントの穏やかな暮らしは保たれていた。ある時城の下から声がした。

「はくしゃくさまぁ!はくしゃくさまぁ!」

 エグモントは心地よい静寂を妨害され、いまいましげに窓の下を見ると、この間の子供と母親がいた。エグモントは仕方なく下に降りて来た。

 母親は子供を探してくれた感謝を再びのべた。エグモントはうるさそうに気にするなと答えた。母親は手に持ったバスケットをエグモントに渡した。中にはアップルパイが入っていた。

 人間というものはとても義理がたい者のようだ。エグモントがアップルパイを受け取らねば帰らないだろう。エグモントが仕方なく受け取ろうとすると、子供がダラダラとよだれを垂らしていた。きっととてもアップルパイが食べたいのだろう。

 エグモントはため息をついて提案した。自分一人では多すぎるから、三人で食べてはどうかと。母親は恐縮したが、子供は大喜びだった。

 エグモントは人間の親子を城に通した。エグモントがこの城に住みはじめて、客人を招待するのは、この時が初めてだった。

 エグモントは貴重な紅茶を親子に振る舞った。母親は感激していたが、子供は熱いといって紅茶を飲まず、アップルパイにかじりついていた。

 エグモントは人間との関わりをわずらわしいと思いながら、心のどこかであたたかく感じていた。

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