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黒い影

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 それからの響の暮らしは、とくに変わった事もなくたんたんと過ぎていった。関田の代わりのアルバイトには、無口な大学生が入った。彼は寡黙に仕事をこなしていた。

 そんなある日の事だった。大学生の病欠の連絡が入り、この日は響一人で仕事をする事になった。これまで関田が仕事をサボっていたので、響は一人で仕事をする事に何の苦もなかった。

 ちょうど深夜二時頃になり、一人の男性客が入店して来た。男性客は店内を見回し、トマトジュースの缶を一本手に取ると、レジに持って来た。とても目つきの悪い男だった。客の顔をジロジロ見るのは失礼なので、響は節目がちにして会計をしようとした。突然、客に声をかけられた。

「お前、吸血鬼だろ?」

 響はギクリとした。何故この男には自分が吸血鬼である事がわかったのだろうか。響は驚いて言葉を失っていると、男が言葉を続けた。

「しかも吸血鬼になりたて、だな。困るんだよなぁ。ハンパ者が増えるのはよぉ」

 男は両手を上にあげて、芝居がかったジェスチャーをし、響にニヤリと笑った。会計前のトマトジュースの缶をものすごい勢いで響に投げつけた。響はギリギリで缶を避けた。缶が壁に当たり、トマトジュースが飛び散った。

 男は響のえりくびを掴むと、勢い良く商品棚に投げつけた。響は背中を強打して息を吸う事もできなかった。

 殺される。

 脳裏に自分が無様に殺される姿がよぎった。次にジュリアの笑顔。自分は死ぬわけにはいかない。ジュリアをおいて死ぬわけにはいかないのだ。

 男は倒れた響の前に立ち、こぶしを振り上げた。響は顔面に直撃する寸前の相手のこぶしを掴んだ。小石を砕くように最大の力を入れる。男の顔が歪んだ。男は響に握られている反対のこぶしを振り上げた。

 やられる。響がそう思った瞬間、男の左手を何者かが掴んだ。響が顔をあげると、そこにはジュリアが立っていた。いつものような愛らしい顔ではなく、牙をむいた怒りの形相だった。ジュリアは低い声で言った。

「私の響に何するのよ」

 ジュリアは片手で男を持ち上げると、勢い良く店のガラスに投げた。激しい音をたててガラスが割れる。響はたまらず叫んだ。

「ジュリア!だめだ!店が壊れる!」

 だがジュリアは怒りのあまり響の声が聞こえていないらしく、倒れて動かない男のむなぐらを掴んで殴り出した。そこで響はある事に気づいた。

 防犯カメラ。ジュリアの姿が映っていてはまずい。響は開けっぱなしになっていたレジスターから五百円玉を二つ取り出して、二台の防犯カメラに投げつけた。うまく方向をずらす事に成功した。響は、なおも男を殴りつけているジュリアに後ろから抱きついて言った。

「ジュリア!ジュリア!俺は大丈夫だから!落ち着けって!」

 ジュリアの動きが止まった。彼女がゆっくりと振り向く、瞳は涙に濡れていた。ジュリアは動かない男をポイっと捨てて、響の胸にすがりついて言った。

「響、響。死んじゃ嫌よ?私をおいていなくなったらダメなんだからね?」

 ジュリアは震えていた。響は彼女を驚かさないように、優しく抱きしめて答えた。

「ああ、絶対にジュリアをおいていかない」

 ジュリアは響の胸に顔を押しつけて、うんうんとうなずいた。
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