【完結】初恋の人の弟。

とりひな

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俺と、梨子と、兄貴と。

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 早乙女梨子は隣の家に住む俺と同い年の女の子だった。父親の転勤の関係でこの町に引っ越してきたのが、俺が小学校に上がる年の三月のことだ。
 母親に連れられて隣の家に挨拶に行った時に初めて梨子に出会った。薄茶の目をくりくりさせておばさんの後ろから恥ずかしがりながら俺たち兄弟を窺う姿が可愛くて、一目惚れをしたんだと思う。小学校が始まるまでの短い間、俺たちは三人でずっと一緒だった。
 学校が始まると俺と梨子の二人と兄貴の関係に少しずつ変化が訪れた。学年が四つ違えば当然のことだ。兄貴だって同い年の友人ができればそちらを優先するようになる。だが梨子はそれを嫌がり、兄貴も一緒がいいと言って兄貴が家にいるときは兄貴にひっつき回るようになった。俺は俺で、梨子が兄貴を気にすることが面白くなかった。俺だけを見て欲しい、特別仲がいいのは俺だけでありたい。幼いながらに独占欲丸出しだ。
 梨子があんまり兄貴に懐くものだから悔しくて、どうしても梨子の気を引きたかった俺は……梨子にいじわるをするようになった。髪の毛を引っ張ったりスカートをめくってみたり、好きなおやつを横取りしてみたり。
 梨子は俺に対して怒ってしまったけれど、その間は俺が梨子の意識を独占できたし瞳に映し出されるのが俺だけになるのが嬉しかった。頬を膨らませる梨子も可愛かったし。……これが悪手だったと気付いたのは幾度目かのいじわるの後だった。

『まーくんのばか! なんでいじわるばっかりするの?   あっくんみたいにやさしくないからきらい!』

 幼心に絶望を感じた瞬間だった。俺がのん気に梨子を愛でている間、梨子はストレスMAXだったのである。謝って許してもらってからは髪の毛を引っ張るなどはしなくなったけれど、たまに憎まれ口を叩くことは止められなかった。口だけだったら梨子も応戦してくるし、俺が傍にいることも然程嫌がらないからだ。とは言え、俺も流石に憎まれ口を叩くばかりではない。口だけでも度がすぎると嫌われてしまうので、そこらへんはしっかり見極めた。
 勉強を教えたり、困っていることがあればこっそり手助けしたり、恥ずかしがらず素直にやさしくすることもした。それが功を奏して俺は梨子の隣を確保し続けることができた。傍に居られて嬉しかった。『お互い気安くて楽な仲』というだけだとしても。いつか、梨子が俺をそういう対象として見てくれればいい、そう思って。だが抱いていた希望はガラガラと音を立てて無残に崩れることになる。
 俺たちが小学校高学年に上がり、兄貴が中学二年になった頃のこと。その日俺と梨子は公園でバドミントンで本気バトルをしていた。勝った方が早乙女のおばさんが有名店で買ってきたプリンを二つ食べることができるという仁義なき戦いだった。俺が梨子を完膚無きまでに叩きのめして完全勝利を收めた。むくれて座り込んだ梨子にそろそろ帰ろうと促していたところに、部活帰りの兄貴とその友達五人が通りかかった。
 梨子は兄貴の姿を見つけてあっという間に笑顔になった。それにムッとしている俺を他所に梨子は兄貴の名前を呼ぼうとする。しかし兄貴の隣で笑う女子を見つけて笑顔が曇った。女子は二人いたが、そのうちの一人と兄貴が特に親密そうに見える。楽しげに笑っている兄貴と女子をそのまま二人で見送った。梨子が俺のTシャツの裾をぎゅっと握る。
 
『雅弥ぁ。……篤哉くんって彼女とかいるのかなぁ』

 泣きそうな顔で言う。それを訊くということは梨子は。

『……何? 兄貴のこと好きなのお前』

 嫌な予感はしたが、俺は平静を装いつつ冗談めかして訊き返した。そんなわけないじゃん!とか、幼馴染の恋愛事情が気になるだけと否定してくれることを期待して。

『え、あ、いや……うん、好き……。ああ、もう! 篤哉くんには内緒ね?』

 梨子が切なそうに呟いた後、口元に人差し指を当てながらへへと照れ笑いする。決定打だった。梨子の顔は完全に恋する女の子のもので。二度目の絶望を感じた瞬間だった。
 俺はあの時何という返事をしただろうか。打ちのめされすぎていて記憶がない。
 翌日から少しだけ梨子と距離を置くようになった。本当はずっと隣にいたいし、好きな気持ちはもちろん変わらない。変わらないけれど傍にいるのが辛いのも事実で。他の相手に気持ちを向けるのもいいのかもしれないと思った。
 俺は男友達を交えた状態で梨子以外の女子とも遊ぶようになった。梨子への想いを忘れるために世界を広げることを試みたのだ。けれど梨子以外に心底可愛いと思える女の子なんていなかった。自分でも呆れるくらい、俺の心は梨子に占められている。
 俺が多少離れても梨子が平気そうなのがまた悔しい。兄貴のときはすごく寂しがったのに。それでも、梨子に他の男友達ができないことだけが幸いだった。
 梨子は初対面の頃と比べて大分気が強くなっていたが、それを含めて可愛い。惚れた欲目だというやつだ。しかし、そう思っていたのは俺だけではなかった。実は何人かの男から好意を持たれていたのだ。だが俺はそれを蹴散らしていた。集る虫は兄貴だけで十分だったしー兄貴は集っていたわけではなかったがー、それ以上のを増やすのは嫌だったのだ。
 その甲斐あって梨子に近づこうとする輩はすっかり減ったが、俺という男除けがいなくなったことで再び近づく男が現れることを危惧していた。恋心を忘れようとしているくせに何とも未練がましいことだ。
 予想通り近づいてきた男は現れたが、バッサリ振られていた。『おとなでやさしい篤哉くん』が好きな梨子は粗野な同級生などお呼びじゃなかったのだ。だから、兄貴以外で梨子に気を許されているのは俺だけ。ものすごく複雑ではあるけれど、それすらも嬉しいと思える俺は相当拗らせている。
 結局俺は他の女子たちと遊び梨子との時間を少しだけ減らしたものの、完全には離れることはできなかった。忘れなくてはとは思うのに、心が梨子を求めてしまう。
 兄貴が大学に上がり家を出ても、梨子は週三日はうちに来た。用がない限りは俺がいなくてもうちに来る。兄貴がいなくなって寂しい思いをしている母さんの話し相手をしてくれていた。そういうところも優しくて好きだなと思う。諦めようと思っていても好きだと思う部分が日々アップデートされるのでどうにも諦め切ることができない。
 高校に上がった頃、俺は兄貴へのコンプレックスから『黒髪でクールな外見』とは逆の『茶髪でチャラい外見』になった。
 梨子からは当然不評だったが、俺はそれを無視した。兄貴を真似る気なんて更々ない。真似たことを梨子に喜ばれても嬉しくない。その場合梨子が見ているのは『俺を通して見える兄貴』だからだ。重ねて見られるなんて真っ平ごめんだった。
 梨子は度々俺に兄貴の様子を訊いてきた。梨子の両親は梨子にスマホを持たせていないので兄貴と連絡先を交換することができないのだ。俺はスマホを持っているし、当然兄貴の連絡先も知っている。けれどうちの兄弟は互いにベタついているわけでもないので然程頻繁に連絡を取り合うこともないし、兄貴の情報を手に入れたとしても梨子には教えたくなくて俺は知らぬ存ぜぬを貫いた。それくらいの小さな抵抗は許して欲しい、俺だって梨子から兄貴の近況をせがまれる度に傷ついているのだから。
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