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本編
第6話 滅びの呪文を唱えたい
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「スペシャルブレンドできたけど誰が行く?」
「俺が行くっ!」
「いや、お前裏方だから。俺に決まってるだろ」
「ひいちゃん先輩が王子の毒牙にかかるぅうう!」
「かかるかっ! ハル、ステイ! マスター、捕縛しておいて」
「はいはい、ほ~らハルキく~ん? 大人しく待ってようね~」
「ぐぇ、マズダァ、苦じ……ひいぢゃんぜんばいいいいい」
貴匡が陽葵の首根っこを掴んで取り押さえているうちに柊夜は客席へさっさと向かうことにする。しかし、目にした光景に足が止まってしまった。元彼女とそのお友達が学園の王子様に絡んでいたのだ。
「うっわ、お兄さんイケメン! 一人ならこっち来て私たちと一緒におしゃべりしませんかぁ?」
「名前なんて言うんですかぁ? こんなイケメンに会えるなんてラッキー!」
「申し訳ないけど、遠慮しておきます。コーヒー飲んだらすぐに帰るので」
「気にしないでいいですよぉ。ほら、来て来て。あ、それとも私たちがそっち行こっか?」
「いや、そうじゃなくて……」
王子様は確実に困っている。物腰の柔らかい都村はあまり女子に強くは言わない主義なのか、若しくは言えないのか。やんわりと断ってはいるが、肉食女子からの攻撃から逃れられていない。彼女たちは『遠慮』を断りではなく、『可愛い私たちに気が引けている』とでも勘違いしているらしい。極太精神である。
やはり都村をあの席に案内するべきではなかったか、と申し訳なく思うが、それは後の祭りだ。後悔してももはや遅いし、それよりもやらなくてはならないことがある。
柊夜は三人の元へ足を速める。お客様が困っている時に助けるのは店員の責務だ。
都村の席にたどり着いてコーヒを置くと、柊夜は都村と梓たちの間にその身を滑り込ませて一礼した。
「失礼いたします」
この時点ですでに女子二人の表情が歪んだが、柊夜は気にすることなく二人を見据える。
「……お客様、申し訳ありませんがこちらのお客様のご迷惑となっておりますのでご自分の席にお戻りいただけますか?」
「は? マジで失礼なんだけど。コーヒー持ってきたならさっさと引っこみなさいよ。大体この人別に迷惑とか言ってないじゃん。ウッザ」
エリが柊夜を鋭い眼差しで睨めつけ、柊夜の肩口を強めに押した。しかし柊夜はビクともしなかった。相手がよろけもしなかったことにあずさもエリも驚くが、柊夜は細く見えても男でありスポーツもそこそこする方だ。体幹はしっかりしているので、一般的な力の女子に押されたくらいでは何ともならない。
「な、何よ、踏ん張っちゃってさ。意地でもどかないつもり? 私たちはこのイケメンとお茶するの。たかが店員の分際で邪魔しないでよ」
エリの形相は仮にも今から恋のアピールをする予定の相手がいる前でしていいような顔ではないのだが、柊夜への怒りで頭が回っていない。
「オレは断りました。勝手に決め付けてるのはそっちでしょう。店員さんはオレが困ってたから助け舟を出してくれただけです。店員さんを悪く言うのやめてくれませんか」
都村がはっきりと断りを入れた。強く言えないわけではなかったらしい。
「こちらのお客様がこう言っておられます。それに、店内で騒がれますと、こちらのお客様だけでなくお客様全体にご迷惑となってしまいます。どうか席にお戻りください」
柊夜が深々と腰を折って、女性客二人に丁寧にお願いをする。声を荒げることなく、冷静に。
「イケメンに媚びたいだけのくせに正義感ぶって……見え見えでウザいんだよっ!!」
罵声と同時にバシャリと音がして、柊夜の頭を伝って水がボタボタと床に垂れた。エリがざまぁと嗤いながら空になったコップをテーブルへ置く。
「バカ、やりすぎ~」
そうは言いつつあずさも嗤っていた。
(……本当はこんな女だったんだな。今までの思い出を滅びの呪文で木っ端微塵にしたい。はははは、思い出がゴミのようだ!!)
柊夜の心の中は、現実逃避で大忙しだ。
「大丈夫ですか? オレのせいですみません」
「……大丈夫です、ありがとうございます。すぐに替えのコーヒーをお持ちしますね」
都村がハンカチを差し出してくるので、礼を述べて有り難く受け取った。都村のせいではないので気に病まないで欲しいが、都村の表情は暗い。
「ほら、やっぱり。自分がイケメンに構って欲しいだけじゃん。店員がお客狙っていいんですかぁ? 店長さーん!」
「もうやめといてやりなって! あ、でもSNSであげちゃう? ここの女店員最悪だから店も最悪って!」
「それいい!」
エリが嗤う。あずさも嗤う。
(勝手に妄想して、中傷して。いい加減にしろよ、こいつら……っ)
あまりの言い草に柊夜の目の前は真っ赤になった。自分が悪く言われても我慢できるが、店を悪く言われるのは我慢ならない。祖父母が、叔父夫婦が、家族で守ってきて、近所の人々からも愛してもらっている店を貶められるのは。
強く拳を握りこむ。掌に爪が食い込んで、そこから血が滲んだ。もう限界だ、そう思った時だった。
「ーーーーいい加減にしろよ、あんたら」
ふわりと頭上から大きめのタオルが降ってきて、柊夜を包む。見上げると無表情の後輩が目に入った。
「ハル」
呼びかけると陽葵は一瞬柊夜に目をやり、微笑みかける。それからまた表情を消してあずさたちに相対した。陽葵が柊夜の肩を抱き寄せる。
(ヤバい。これハル、ガチギレだ)
柊夜の知る陽葵は怒ることがほとんどなく、いつもニコニコしている。しかし、本気で怒る時は表情がなくなる。柊夜にその感情を向けられることはなかったが、向けられている人が泣いて許しを乞うていたのは目撃したことがあった。端から見ているだけでもゾッとしたものだ。そのゾッとする状況が今まさに、再現されている。
あずさが陽葵を見て頬を染めた。節操ないな、そしてそんな場合ではないぞと柊夜は心の中でツッコむ。
「帰ってください」
「は?」
「帰れっつったんスよ。耳悪いんスか?」
陽葵が素の口調になった。取り繕う気もなくすほど腹が立っているのだろう。その声はとても冷たい。接客業としてはよろしくはないのだが。
「ハァ? 客に向かって何様? イケメンだからってそんな口きいて許されると思ってんの!?」
イケメンは関係ないのでは?と思ったが声に出すのは憚られたので、柊夜は無言を貫いた。
「あんたらみたいのは客じゃないんで。迷惑なんで帰ってください」
「何なの、ムカつく!! 店長呼んできなさいよ!」
あずさが叫ぶ。
「店長の白里です。当店の従業員が失礼いたしました」
貴匡が場に現れそう言えば、エリとあずさはフフンと勝ち誇った顔をした。
「店長さん、ここの店員教育やばくないですか? 客に対して酷すぎるんですけどー」
「申し訳ありません」
「マスター! 何で!」
貴匡が腰を折ったことで、陽葵が不満の声を上げる。
「接客中は崩した言葉遣いをしてはいけないよ」
「……でも!」
「ハル、落ち着いて」
柊夜が陽葵を宥める。陽葵は悔しげに下唇を噛んで黙り込んだ。三人のやり取りを聞いてあずさたちは満足げだ。
「……ですが、謝罪するべきはそれだけです。他は一切謝罪しなくてよろしい」
「「「「え?」」」」
ぽかんと口を開ける柊夜、陽葵とあずさたちを見て貴匡が笑みを深める。
「お代は結構ですので、どうぞお引き取りください。これから先、二度と当店にお越しにならないようお願い致します」
「「え?」」
「SNSに謂れのない中傷を書き込みされた場合、法的に訴えさせていただきますので悪しからず。ああ、そうでなくても当店の従業員およびお客様に対する暴行について通報しなければいけませんね。証人も大勢いらっしゃることですし……」
貴匡の言葉に店にいた他の客たちが頷いた。一部の客からは証拠動画を撮っていたという声まで上がった。エリとあずさの顔色が悪くなる。
「あ……」
二人は周りを見回した。批難の視線が自分たちに向いていることにようやく気づく。
「ね、ねぇ、ヤバいよ……いこ」
「う、うん」
荷物を持つと、二人は逃げるように店を出て行った。
店内が静まり返る。ぱちん、と貴匡が手を叩いた。
「皆様、大変お騒がせ致しました。せっかくのゆるりとした時間をお邪魔して申し訳ありませんでした」
「「申し訳ありませんでした」」
貴匡が頭を下げ、柊夜と陽葵もそれに続く。都村もそれに倣った。
「気にすんなよ、あんたたちは悪くないだろ」
「大丈夫か、風邪引くなよ!」
「マスターかっこよかったわよ!」
「立花くん、男だったぜ!」
「早く着替えておいで」
ワッと、店内が沸いた。たくさんの温かい言葉が四人にかけられる。
「ありがとうございます!」
この店が、集うお客様たちが大好きだ。柊夜は改めて思った。
「災難だったね、柊。お、意外にメイク取れてないじゃん。ちょっと直す程度で良さそう」
バックヤードに入ると、暁が柊夜に気遣わしげに声をかけて来た。
「顔がぐちゃぐちゃになる前にハルがタオル持ってきてくれたから助かった、流石にメイクが取れるとバレるし。でも髪の毛濡れてるんだよなぁ。更衣室にドライヤーあったっけ」
「ない」
「デスヨネ。早く乾かしたいんだけどなぁ、形崩れるし。あと雑菌増えそうでなんか嫌」
暁と話しながら、柊夜はピンを取ってウイッグを外す。柊夜の着けていたショコラブラックのセミロングウイッグは人工毛なので髪の毛部分なら水を弾く。だが地肌側のネット部分は別だ。ネットまで届く前にタオルで拭いてしまえばいいが、今回水はネットまで達していた。直接かけられたのだから仕方ない。しかし状態はよろしくない。柊夜はムスッとしながら、タオルでポンポンと水分を取る。気休め程度かもしれないが、やらないよりはマシだろう。濡れたまま頭に乗せるのは気持ちが悪いのだ。
「それにしてもあんたの元彼女とそのお友達、強烈だったね」
「もう二度と会いたくない。……この先女子とお付き合いできる自信なくなった。あんな奴らが全てじゃないとはわかってるけど……もう女怖い」
「まあ、あれはトラウマになるわな……ほら、更衣室で早く着替えておいで」
乾いた笑いを漏らす柊夜に、暁が憐憫の眼差しを向ける。どんまいと言って、そっと肩を叩いた。
「俺が行くっ!」
「いや、お前裏方だから。俺に決まってるだろ」
「ひいちゃん先輩が王子の毒牙にかかるぅうう!」
「かかるかっ! ハル、ステイ! マスター、捕縛しておいて」
「はいはい、ほ~らハルキく~ん? 大人しく待ってようね~」
「ぐぇ、マズダァ、苦じ……ひいぢゃんぜんばいいいいい」
貴匡が陽葵の首根っこを掴んで取り押さえているうちに柊夜は客席へさっさと向かうことにする。しかし、目にした光景に足が止まってしまった。元彼女とそのお友達が学園の王子様に絡んでいたのだ。
「うっわ、お兄さんイケメン! 一人ならこっち来て私たちと一緒におしゃべりしませんかぁ?」
「名前なんて言うんですかぁ? こんなイケメンに会えるなんてラッキー!」
「申し訳ないけど、遠慮しておきます。コーヒー飲んだらすぐに帰るので」
「気にしないでいいですよぉ。ほら、来て来て。あ、それとも私たちがそっち行こっか?」
「いや、そうじゃなくて……」
王子様は確実に困っている。物腰の柔らかい都村はあまり女子に強くは言わない主義なのか、若しくは言えないのか。やんわりと断ってはいるが、肉食女子からの攻撃から逃れられていない。彼女たちは『遠慮』を断りではなく、『可愛い私たちに気が引けている』とでも勘違いしているらしい。極太精神である。
やはり都村をあの席に案内するべきではなかったか、と申し訳なく思うが、それは後の祭りだ。後悔してももはや遅いし、それよりもやらなくてはならないことがある。
柊夜は三人の元へ足を速める。お客様が困っている時に助けるのは店員の責務だ。
都村の席にたどり着いてコーヒを置くと、柊夜は都村と梓たちの間にその身を滑り込ませて一礼した。
「失礼いたします」
この時点ですでに女子二人の表情が歪んだが、柊夜は気にすることなく二人を見据える。
「……お客様、申し訳ありませんがこちらのお客様のご迷惑となっておりますのでご自分の席にお戻りいただけますか?」
「は? マジで失礼なんだけど。コーヒー持ってきたならさっさと引っこみなさいよ。大体この人別に迷惑とか言ってないじゃん。ウッザ」
エリが柊夜を鋭い眼差しで睨めつけ、柊夜の肩口を強めに押した。しかし柊夜はビクともしなかった。相手がよろけもしなかったことにあずさもエリも驚くが、柊夜は細く見えても男でありスポーツもそこそこする方だ。体幹はしっかりしているので、一般的な力の女子に押されたくらいでは何ともならない。
「な、何よ、踏ん張っちゃってさ。意地でもどかないつもり? 私たちはこのイケメンとお茶するの。たかが店員の分際で邪魔しないでよ」
エリの形相は仮にも今から恋のアピールをする予定の相手がいる前でしていいような顔ではないのだが、柊夜への怒りで頭が回っていない。
「オレは断りました。勝手に決め付けてるのはそっちでしょう。店員さんはオレが困ってたから助け舟を出してくれただけです。店員さんを悪く言うのやめてくれませんか」
都村がはっきりと断りを入れた。強く言えないわけではなかったらしい。
「こちらのお客様がこう言っておられます。それに、店内で騒がれますと、こちらのお客様だけでなくお客様全体にご迷惑となってしまいます。どうか席にお戻りください」
柊夜が深々と腰を折って、女性客二人に丁寧にお願いをする。声を荒げることなく、冷静に。
「イケメンに媚びたいだけのくせに正義感ぶって……見え見えでウザいんだよっ!!」
罵声と同時にバシャリと音がして、柊夜の頭を伝って水がボタボタと床に垂れた。エリがざまぁと嗤いながら空になったコップをテーブルへ置く。
「バカ、やりすぎ~」
そうは言いつつあずさも嗤っていた。
(……本当はこんな女だったんだな。今までの思い出を滅びの呪文で木っ端微塵にしたい。はははは、思い出がゴミのようだ!!)
柊夜の心の中は、現実逃避で大忙しだ。
「大丈夫ですか? オレのせいですみません」
「……大丈夫です、ありがとうございます。すぐに替えのコーヒーをお持ちしますね」
都村がハンカチを差し出してくるので、礼を述べて有り難く受け取った。都村のせいではないので気に病まないで欲しいが、都村の表情は暗い。
「ほら、やっぱり。自分がイケメンに構って欲しいだけじゃん。店員がお客狙っていいんですかぁ? 店長さーん!」
「もうやめといてやりなって! あ、でもSNSであげちゃう? ここの女店員最悪だから店も最悪って!」
「それいい!」
エリが嗤う。あずさも嗤う。
(勝手に妄想して、中傷して。いい加減にしろよ、こいつら……っ)
あまりの言い草に柊夜の目の前は真っ赤になった。自分が悪く言われても我慢できるが、店を悪く言われるのは我慢ならない。祖父母が、叔父夫婦が、家族で守ってきて、近所の人々からも愛してもらっている店を貶められるのは。
強く拳を握りこむ。掌に爪が食い込んで、そこから血が滲んだ。もう限界だ、そう思った時だった。
「ーーーーいい加減にしろよ、あんたら」
ふわりと頭上から大きめのタオルが降ってきて、柊夜を包む。見上げると無表情の後輩が目に入った。
「ハル」
呼びかけると陽葵は一瞬柊夜に目をやり、微笑みかける。それからまた表情を消してあずさたちに相対した。陽葵が柊夜の肩を抱き寄せる。
(ヤバい。これハル、ガチギレだ)
柊夜の知る陽葵は怒ることがほとんどなく、いつもニコニコしている。しかし、本気で怒る時は表情がなくなる。柊夜にその感情を向けられることはなかったが、向けられている人が泣いて許しを乞うていたのは目撃したことがあった。端から見ているだけでもゾッとしたものだ。そのゾッとする状況が今まさに、再現されている。
あずさが陽葵を見て頬を染めた。節操ないな、そしてそんな場合ではないぞと柊夜は心の中でツッコむ。
「帰ってください」
「は?」
「帰れっつったんスよ。耳悪いんスか?」
陽葵が素の口調になった。取り繕う気もなくすほど腹が立っているのだろう。その声はとても冷たい。接客業としてはよろしくはないのだが。
「ハァ? 客に向かって何様? イケメンだからってそんな口きいて許されると思ってんの!?」
イケメンは関係ないのでは?と思ったが声に出すのは憚られたので、柊夜は無言を貫いた。
「あんたらみたいのは客じゃないんで。迷惑なんで帰ってください」
「何なの、ムカつく!! 店長呼んできなさいよ!」
あずさが叫ぶ。
「店長の白里です。当店の従業員が失礼いたしました」
貴匡が場に現れそう言えば、エリとあずさはフフンと勝ち誇った顔をした。
「店長さん、ここの店員教育やばくないですか? 客に対して酷すぎるんですけどー」
「申し訳ありません」
「マスター! 何で!」
貴匡が腰を折ったことで、陽葵が不満の声を上げる。
「接客中は崩した言葉遣いをしてはいけないよ」
「……でも!」
「ハル、落ち着いて」
柊夜が陽葵を宥める。陽葵は悔しげに下唇を噛んで黙り込んだ。三人のやり取りを聞いてあずさたちは満足げだ。
「……ですが、謝罪するべきはそれだけです。他は一切謝罪しなくてよろしい」
「「「「え?」」」」
ぽかんと口を開ける柊夜、陽葵とあずさたちを見て貴匡が笑みを深める。
「お代は結構ですので、どうぞお引き取りください。これから先、二度と当店にお越しにならないようお願い致します」
「「え?」」
「SNSに謂れのない中傷を書き込みされた場合、法的に訴えさせていただきますので悪しからず。ああ、そうでなくても当店の従業員およびお客様に対する暴行について通報しなければいけませんね。証人も大勢いらっしゃることですし……」
貴匡の言葉に店にいた他の客たちが頷いた。一部の客からは証拠動画を撮っていたという声まで上がった。エリとあずさの顔色が悪くなる。
「あ……」
二人は周りを見回した。批難の視線が自分たちに向いていることにようやく気づく。
「ね、ねぇ、ヤバいよ……いこ」
「う、うん」
荷物を持つと、二人は逃げるように店を出て行った。
店内が静まり返る。ぱちん、と貴匡が手を叩いた。
「皆様、大変お騒がせ致しました。せっかくのゆるりとした時間をお邪魔して申し訳ありませんでした」
「「申し訳ありませんでした」」
貴匡が頭を下げ、柊夜と陽葵もそれに続く。都村もそれに倣った。
「気にすんなよ、あんたたちは悪くないだろ」
「大丈夫か、風邪引くなよ!」
「マスターかっこよかったわよ!」
「立花くん、男だったぜ!」
「早く着替えておいで」
ワッと、店内が沸いた。たくさんの温かい言葉が四人にかけられる。
「ありがとうございます!」
この店が、集うお客様たちが大好きだ。柊夜は改めて思った。
「災難だったね、柊。お、意外にメイク取れてないじゃん。ちょっと直す程度で良さそう」
バックヤードに入ると、暁が柊夜に気遣わしげに声をかけて来た。
「顔がぐちゃぐちゃになる前にハルがタオル持ってきてくれたから助かった、流石にメイクが取れるとバレるし。でも髪の毛濡れてるんだよなぁ。更衣室にドライヤーあったっけ」
「ない」
「デスヨネ。早く乾かしたいんだけどなぁ、形崩れるし。あと雑菌増えそうでなんか嫌」
暁と話しながら、柊夜はピンを取ってウイッグを外す。柊夜の着けていたショコラブラックのセミロングウイッグは人工毛なので髪の毛部分なら水を弾く。だが地肌側のネット部分は別だ。ネットまで届く前にタオルで拭いてしまえばいいが、今回水はネットまで達していた。直接かけられたのだから仕方ない。しかし状態はよろしくない。柊夜はムスッとしながら、タオルでポンポンと水分を取る。気休め程度かもしれないが、やらないよりはマシだろう。濡れたまま頭に乗せるのは気持ちが悪いのだ。
「それにしてもあんたの元彼女とそのお友達、強烈だったね」
「もう二度と会いたくない。……この先女子とお付き合いできる自信なくなった。あんな奴らが全てじゃないとはわかってるけど……もう女怖い」
「まあ、あれはトラウマになるわな……ほら、更衣室で早く着替えておいで」
乾いた笑いを漏らす柊夜に、暁が憐憫の眼差しを向ける。どんまいと言って、そっと肩を叩いた。
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