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とりひな

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本編

第5話 大学の王子様現る

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 柊夜が暁に接客を急き立てられ厨房から出ると、出入口の前に人の影が見えた。しかし入っては来ていない。店頭のブラックボードに書いてあるメニューを見ながら顎に手を当てて何やら考えているようだ。声をかけに行くのも憚られるので柊夜はそのまま様子を見守る。すると、ようやくその客が店内に入ってきた。長身の男性客だ。入って早々キョロキョロしている。

「いらっしゃいませ、一名様でよろしいでしょうか」

 柊夜はすかさず客に歩み寄り、声をかけた。

「あ、はい、そうです。席空いてますか」

 男性客が呼びかけに反応し、振り向く。色素の薄い柔らかなウェーブがかかった髪を揺らして。

「……!」

 見知った顔だった。またしても見知った顔だった。
 都村藤真つむらとうまーーーー学内一のイケメンと謳われる男。
 ブラン・ノワールは柊夜の通う大学から五つは駅が離れているので、同校の学生が来店してくることはほぼない。見知った人間にバイトしている自身の姿をあまり目撃されたくない柊夜にとっては都合が良かったのだが、その安全神話はたった今崩れ去った。学内で一番目立つ男のご来店があるとは思いもよらなかった。
 うへぇ、と思いつつも顔には出さず、少々お待ちくださいと微笑みを作る。踵を返しぐるりと店内を見回すと、一つだけ空席があった。普段通りならばそのまま空席へ案内するが、今日は問題があった。その席がよりによって元彼女とその友人の席の隣なのだ。
 今はややトーンが落ち気味だが、話が盛り上がるとまた騒がしくなると予測が立つ。それを分かっていて素知らぬ顔であの席に案内することは躊躇われる。迷った末、柊夜は本人に伺いを立てることにした。

「お客様、あの、あちらのお席しかご用意できないのですがどうされますか?」

 手で席を示しながら、おずおずと申し訳そうな声を出す柊夜に、都村が軽く目を瞠る。席を確認すると、柊夜が言いたいことが伝わったのか苦笑を浮かべながらいいですよ、と頷いた。
 了承を得たので早速席へと案内する。踵を返しバックヤードへ引っ込むと、柊夜は水とおしぼりとテキパキと用意していった。ふと、先程の都村の笑顔を思い返す。

(あれが噂の悩殺スマイルか)

 都村藤真は大学の同期生だ。通称・王子。
 外国の血でも入っていそうな色素の薄い茶色のウエーブがかった髪と瞳がよく似合う端正な顔立ちをしており、身長も高い。成績が良く、教授たちからの覚えもめでたい。スポーツと音楽のサークルを幾つか掛け持ちしており、それぞれたまにしか出ないくせに何でも上手く熟すらしい。
 美形で高身長、優秀且つ人当たりもいいとくれば、モテないはずがない。
 彼が微笑めば腰砕けの女が道に転がるという噂は大げさだと思っていたが、実際目の当たりにするとあながち大げさでもないのかもしれないと思えた。
 彼の周囲には顔ぶれはよく変わるものの男女問わず誰かしらが侍っている、もとい、傍にいる。
 同性からも異性からも好かれる、まさにリア充オブリア充だ。
 人付き合いは気の合う仲間と狭く深くがモットーな柊夜としては彼のような社交的すぎる人間を苦手としていたので、関わり合いにならないように気をつけていたのだが、まさかこんな形で関わり合いになろうとは。
 しかし相手は誰であれ客は客、それにどうせ相手は地味な自分など記憶にも残っていないだろうと頭を切り替える。
 都村の席に戻ると、柊夜は水をテーブルに置くとおしぼりとメニューブックを手渡した。

「ご注文が決まりましたらお呼び下さい」

 一礼して下がろうとすると、

「あ、待って」
「!?」

 唐突に手首を掴まれ、驚きで両肩が跳ねる。困惑のあまり掴まれた手首と都村の顔を交互に何度も見た。

「あ、すみません。もう決まってるんで呼び止めちゃいました。”ブラン・ノワールマスター自慢のスペシャルブレンド”お願いします」

 都村が柊夜に笑いかける。しかし手は離れない。

(声をかけろや、声をぉおおおおおお!!)

「かしこまりました、スペシャルブレンドでございますね」

 柊夜も笑顔を返す。手は未だ離れない。

(用が終わったなら手ェ離せやぁぁぁあああ!!! お前に手を握られて誰もが喜ぶと思ったら大間違いだぞ!!!)

「……お客様?」

 今すぐ勢いよく手を振り払いたいところだが、渾身の営業スマイルを浮かべる。手は未だ離れない。

「店員さん、どこかで会ったことないですか?」

 その言葉にギクリとする。柊夜は都村と直接的に関わりを持ったことはない。ただ、学内ですれ違ったりや同じ講義を取ったことはある。だが、それだけだ。

「どうでしょう?どこかですれ違ったりはしたかもしれませんね」

 柊夜はしらを切った。

「そうですか。……おかしいなぁ」

 都村の手がようやく離れた。内心ほっとする。柊夜はそそくさと場を後にした。

「マスタ~、マススペ一丁~」
「ちゃんとマスター自慢のスペシャルブレンドって言おうか、柊ちゃん」
「やだよ、長いもん」

 カウンターにて貴匡に項垂れつつドリンクオーダーを伝えていると、陽葵が傍に寄ってくる。

「ひいちゃん先輩大丈夫? さっきより更に疲れた顔してるけど」
「おお……ちょっとな」

 陽葵が尋ねると、柊夜は言葉を濁した。不思議に思った陽葵が店内を見回す。すると、陽葵にも見覚えのあるイケメンを発見した。

「おお、都村様だ。うちに来るの、初めて見た。苦手なタイプと接して疲れた?大丈夫?ひいちゃん先輩」

 陽葵が柊夜の様子を心配げに窺う。いや、と柊夜は首を横に振った。

「モテる男はああやってナチュラルに女子を落としていくんだな、イケメン怖い」
「……何かされたの?」

 柊夜の呟きに陽葵の声のトーンが一段下がり、冷たさを帯びる。

「あー……引き止められる時に手首掴まれて微笑まれただけ。イケメンからあんな風にされたらときめくよなぁ、と
思ってな。モテる男のテクニックって怖いよな」
「どっち」
「は?」
「触られたのどっち」
「右だけど……」

 陽葵は貴匡におしぼりをもらい、柊夜の手を取った。

「お、おい、どうした?」

 戸惑う柊夜の触られた右手首を丁寧に拭いだす。

「……ときめいたの?」
 
 陽葵は下を向いたまま、柊夜の手を拭っている。表情は見えない。

「は?」
「ときめいたの? アイツに」

 その声には、苛立ちが滲んでいる。

「んなわけあるか!」

 柊夜は即否定した。

「女子なら簡単に落ちそうだと思ったって話。俺はビビった上にゾワゾワしただけだ」
「…………」
「ハル?」
「……なら、よし!」

 パッと顔を上げた陽葵が満面の笑みを柊夜に向ける。

「何が?!」
 
 柊夜の問いかけに、陽葵は笑みを深めるだけで答えなかった。

「男は狼だから気を付けてね、ひいちゃん先輩」

 はい終わり、と柊夜の右手を解放する。

「俺も男だっての。意味解らん……」

 ぶつくさ溢す柊夜と、それを嬉しげに見つめる陽葵。二人のやり取りを聞きながら、貴匡は忍び笑いを漏らした。
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