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番外編

【番外編】その後の精気供給(カイン①)

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明日はファングが帰ってくる日だ。
リンダはベッドヘッドに背中を預けながら読んでいた本を、溜め息とともに閉じる。目は文字の上を滑り、読んでいるのかいないのかわからないような状態だった。そんな状態なので、どこまで読んだかなんてもちろんわかるはずもなく、しおりを挟む必要もない。
ベッドの脇のチェストの上に本を置き、ごろりと横になる。じわじわと、全身に疲労感が満ちて行き、手足と、そして瞼が重たくなってきた。

(明日、兄さんが来れば、ちょっとは作業も進むだろ……)

今日も今日とて、リンダは引越しの準備に追われていた。今日はいよいよ居間の整理に取り掛かったのだが、それはもう殊更に時間がかかった。何より、昼間のうちに終わらなかったからといって、学生組が帰ってくる頃に作業をしていたのがまずかった。棚の奥にしまっていた、両親が生きていた頃のアルバムなんて出てきたから、皆がそれを読みふけり始めたのだ。ヴィルダ、アレックス、ローディ、さらにはガイルやシャンも興味津々でアルバムのページをめくっていた。いや、それはそれでいいのだが、居間のソファに陣取られてしまうと、リンダの作業が進まなくなってしまう。居間を占拠されてしまったせいで、荷物を出す事も戻す事も叶わず、リンダは泣く泣く居間の整理を中途半端な状態で放棄する事にした。
アルバムを見る暇があるなら、自分の部屋の片付けをしろ、と怒鳴りたかったが、そんな気力もなく。全ては明日長兄が来てからにしようと、弟達をせっつく事すら諦めた。


そんな訳で、リンダは今にも夢の世界に羽ばたきそうだった。何しろ疲れているのだ。先日ファングに精気を貰ったばかりだが、もう足りないような気がする。精気も消費していくものなのだろうか。精気の摂取が人間でいう所の食事と同じ存在ならば、そうなのかもしれない。体や頭を使えば使う分消えていく。

(とりあえず、しっかり寝て、体力だけでも回復するしかねぇか)

リンダはベッドの上で「うーん」と伸びをすると、チェストの上の燭台の明かりを消した。
物音もしない暗い部屋の中で目を閉じるだけで、すぐにでも眠れそうだ。リンダは、ふぁ、も欠伸をして目を閉じた。






「ん…ぁん、くすぐったい…」

(誰の声だ?)

リンダはぼんやりとした頭に、砂糖菓子のように甘ったるい声が響く。

「ひゃっ、そんなとこ、やめろよぉ…っ」

(なんだこれ、変な夢だな。…聞いた事あるよう、な…)

「やめろなんて言うなよ。もっとしてって言え」

「うう…、ほんとは、気持ちいいよ…カイン」

(はぁ?カイン、…カインッ?)

リンダの意識が覚醒する。
薄暗がりの部屋の中、自分の体の上にのしかかる影が見えた。弟のカインだ。

(えっと…、ど、どういう状況だ?)

「リンダ」

カインが、笑っている。それはもう相好を崩して、楽しそうに。大きく口を開けて、嬉しそうに。

(はっ?えっ?てか、酒くさっ!)

カインの満面の笑みなんて、およそ10年以上振りに見た。思わず顔を掴んで確かめたくなるが、リンダの体の自由が利かない。これはもうあれだ。リンダの心と体が分離する状態。リンダは、何故か寝ている間に淫魔化していた。

「カ~インッ」

嬉しそうに語尾を跳ねさせながら、カインの両頬を両手で包む淫魔の自分。リンダは心の中でがくりと膝をついた。

「リンダ、かわいいなお前」

カインがにこにこと笑いながら、リンダの頬に音を立てて口付けを落とす。いや、頬だけじゃない、額や鼻先、唇にも、顔中ありとあらゆるところに雨のように降らせてくる。

(カイン、完全な酔っ払いじゃねぇか)

リンダは心の中で頬を引攣らせた。

そういえばカインは、今日は飲みに行くから遅くなると言っていた。聖騎士団の隊の皆と。遅くなると言っていたので、かなり飲んでくるのだろうとは思っていたが、よもやこんな風に正体をなくすまでとは思ってもみなかった。どんなに酒を飲んでも、カインが酒に飲まれているところなんて、これまで見た事がなかったからだ。

「リンダァ」

カインはリンダを、まるでぬいぐるみのようにぎゅうと抱きしめては離して、ちゅっちゅと顔に口付けして、また抱き締める。

(だ、大丈夫かよ)

日頃のカインとのあまりの違いに、リンダはむしろ心配になる。こんな、元の人格がわからなくなるほどガラリと変わるなんて、一体どれ程飲んだのかと。

「カイン、んん、やだ、くすぐったいってば」

現実のリンダはそんな事を気にするでもなく、カインの熱烈な口付けと抱擁を、口ではやだやだと言いながらもどこか喜んでいる。身をよじってカインの口付けを躱したかと思えば、今度は奪うように、自分の方からカインの口付けを掠めとる。

「はぁーーっ」

カインが、盛大に溜め息を吐く。そしてがくりと項垂れた。

(えっ、なんだ?大丈夫か?)

突然力をなくしたようになってしまったカインの頭を支えてやりたいが、何しろ体の自由がない。心の中で気遣うばかりだ。

「かっわいいな……っくそ!」

(え、ええぇ…)

カインの目には、多分違うリンダが映っているのだろう。でなければ説明がつかない。日頃あれだけリンダにツンケンとして、最近はだいぶん軟化したが、兄を兄とも思わないような言動を繰り返す、あのカインが、よりによってリンダを「かわいい」だなんて。

(かわいそうに…)

まるで得難い宝のようにリンダをかいぐりかいぐりする姿は、むしろ哀れだ。全然可愛くなんてないリンダが、 カインにはかわいい何かに見えているのだろう。

「カイン、ん?」

リンダが首を持ち上げて、尖らせた唇をカインに向ける。

「ん、ん、」

ここ、ここ、と言わんばかりに唇を突き出すリンダを、カインは蕩けたような顔で見下ろす。

「ったくよぉ、なんでそんな可愛いんだよ」

そして、ちゅ、ちゅ、と確かめるようにリンダの下唇を甘く噛んで、リンダの熱い口腔に舌を差し挿れる。
そしてカインは寝そべるリンダの背中に手を回し、ゆっくりと体を起こさせる。

「なぁ、リンダ」

ベッドの上にカインが胡座をかいて座り、その上にリンダを乗せる。

「なんだよぉ」

リンダが笑いながらそう言えば、カインは、へら、と笑いながら顔を傾けた。

「俺の事、にいちゃんって呼んでみ?」

(お前、大丈夫か?)

リンダの中のリンダは、冷静に突っ込む。カインはどうやってもカインであり、つまり弟なのだ。時を遡って細工しようが、生まれる日だけは変えようがない。突然変な事を言い出したカインに、心の中のリンダは戸惑うが、外に出ているリンダはそうでもないらしい。

「ふふ、なんだよ、カインはお兄ちゃんになりたいのか?」

「そうなんだよ」

リンダの問いに、カインはパシッと膝を叩く。

「生まれがさぁ、たったちょっと早かったからって、お前はいつも兄貴面してよぉ。同じ腹から生まれたんじゃないし、わかりっこないんだから、俺を兄貴にしといてくれればよかったのになぁ」

カインがふてくされたようにボヤく。リンダは意外なカインの発言に、少し驚いた。カインは自分が兄とか弟とか、全く気にしていないと思っていたのだ。

「俺がさぁ、お前の兄貴だったら、お前、もっと俺に甘えただろ?」

カインが顔を赤くして口を尖らせる。
酒がかなり回っているのだろう。リンダの中身は「早く横になった方がいいんじゃないか」とハラハラしてしまうが、外のリンダは気にならないらしい。

「俺、もっと甘えていいの?」

リンダが首を傾げると、カインは思い切りよく頷いた。

「当たり前だろ。俺はなぁ、もっっっと、リンダを甘やかしたいし、頼られたいし、守りたいんだよっ」

そして、カインがすっかり据わってしまった目をリンダに向ける。ずい、と顔を近付けて断言されて、リンダはカインの熱弁に目をぱちくりと丸くさせた後に、「ふふふ」と笑った。

「なんだよ」

リンダはカインの両頬を両手で挟むと、むに、と両側から力を込めて押し付ける。

「ぁにすんだ?」

顔を挟まれて、変な発音になってしまったカインに構わず、リンダはむにむにと何度もカインの顔を挟む。
それから、もう一度「えへへ」と笑った後に、唇を噛んで、恥ずかしそうに下を向く。そして、少し頬を染めて、ちらりとカインを見上げた。

「……カ、カイン、にいちゃん…」

そして、ポッとさらに顔を赤くすると、今度は小首を傾げながらもう一度カインを呼ぶ。

「へへ、カイン兄ちゃんっ…」

そして、照れたように笑っては、カインの名前を確かめるように繰り返す。
両頬を挟まれたまま、カインは呆然とした様子で口を開けたまま、そんなリンダを無言で見下ろしていた。

「カイン兄ちゃん。ねぇ、俺さ、今とぉっても疲れててさぁ。……なんか、精気欲しいなぁ、って…」

(いや、そりゃあ疲れてたけど……。だから早く寝ようとしたんじゃねぇか)

リンダは、表のリンダに思わず突っ込んでしまう。とっとと寝ればいいのに、なんだか結局怪しい雰囲気になってきた。

(もうさぁ、カインが部屋に来て、俺が淫魔化してた時点でこうなるかなって思ったりもしてたけどさぁ)

若干諦めの極致で事の成り行きを見守るリンダを尻目に、表のリンダが、少しずつカインに自身の顔を近付ける。

「カイン兄ちゃんが精気くれたら、元気になれると思うんだぁ」

にこっと笑いかけるリンダの肩を、カインが掴む。リンダはカインの頬から手を離し、ゆっくりとカインのその手に手を重ねた。

「明日も沢山動かなきゃだし…。俺を助けて欲しいんだ。ねぇ、俺、カイン兄ちゃんしか、頼れない…」

(だぁあっ!!っもうっ!聞いててムズムズするなぁ!いや、俺だけどっ、俺だけどさぁっ!)

自分で自分の発言がむず痒い。何が助けて、だ。何がカインしか頼れない、だ。
そもそも今日は精気を貰う日じゃない。こんな事をしなくてもいい筈なのに。

(お前が酔っ払って何故か俺の部屋に来るからだろーが!)

リンダは心の中でカインに向かって怒鳴る。だがしかし、カインは、ぽやーっとした顔でリンダを眺めていた。

「やべぇ……、めっちゃクる。」

来るってなんだ。何が来るんだ。と心の中では突っ込めるが、現実のリンダは、期待に目をうるうると潤ませるだけだ。

「カイン兄ちゃん…」

(いや、兄ちゃんじゃねぇしっ!)

リンダの突っ込みも虚しく、リンダとカインはそのまま縺れ合うようにベッドに倒れ込んだ。

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