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幻覚

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 スピーカーから張り裂けんばかりに発せられる爆音に俺は酔いしれた。俺の叫び声に客が総立ちで握り締めた手を挙げて、声を合わせている。まだコンサートが始まって一時間も経っていないのに声がかすれてきた。
 横浜アリーナの夜。
 今の俺はヒット曲を連発し、この大きなステージで歌うだけの人気と実力を持っている。

 スタンドとアリーナに詰め掛けた客の熱狂ぶりは、ステージにいるとこれから革命戦争が勃発しそうなまでの迫力を感じる。
 この180度のパノラマに映る何万の聴衆の視線が、俺に突き刺さった。逃げ場所はないし、物怖じしている隙もない。
 この壮大な人々の飢えた心と真っ向から対峙し、自分を裸にして闘わなければならない。俺は人々に踊らされているだけのピエロであるかも知れないし、人々を扇動する教祖であるかも知れない。
 大群衆に魅せつけるか、大群衆から見区切られるかの紙一重の勝負だ。
 人気なんて水ものだ。この人々の熱狂もいずれ潮が退くのだろうと想像すると、ぞっとする。

 でも、一つだけ確かなことがある。
 俺は今、歌っている。
 しゃがれた声で愛を叫んでいる。スポット・ライトを浴びて、マイクの前でギターの弦をピックで叩きつけながら、水ものの世界で、孤独に歌っているのは紛れもない真実だ。

 後方から振動するドラマーのリズムが俺の腹に響き、左手に立っているギタリストは俺の目を見つめ、ビートをシンクロさせてくる。再び正面の客に目を向けると、俺の目は遠近感がつかめず、フォーカスが合わなくなった。

 あれはミカか?
 見渡したスタンド客の中にミカの面影を見つけ、俺は歌詞の一部が記憶から消えた。俺は大きくシャウトして、忘れた歌詞の部分をごまかす。
 ミカがここにいるはずはない。あれは親子連れで来ている、全く別人だ。顔も全然似ていない。

 幻覚だ。コンサートの度に、その幻覚が俺を苦しめる。
 ミカは、死んだのだ。

 ステージの上でミカと過ごした日々を思い出しながら、ギター・ソロをこなした。俺の左手の5本指はギターの6本の弦とフレットの間を瞬時に移動し、的確なポイントを押さえつける。
 右手の親指と人差し指で挟んだピックが上下に小刻みに動き、弦を素早く弾いた。時折、左手の小指を6本の弦に軽く触れさせ、音をミュートする。そして音が消えた直後に、左手薬指で2本の弦を上方へ引っ張り上げて歪んだ音を発した。俺の好きなチョーキングだ。ミュートとチョーキングを繰り返し、不規則なビートが続く。癖のある弾き方だ。

 ギターの弾き方は、昔から何も変わっていない。小さなガレージハウスで30人ほどの客を相手に歌っていた5年前も、こんな風に癖のあるギター・ソロをしていた。ギターの音色に酔いしれると、シンナー中毒になった患者のように色んな幻覚が見えてくる。
 ブルーやレッド、イエローなど色とりどりの照明が眩しく閃光して、俺の視力を奪った。観客の歓声も遠退いていく。そして暗闇の中から、5年前のちっぽけなステージから見たあのライブハウスの光景が浮かび上がってきた。

 俺の右側のすぐ近くではユウタが、ベースを弾いている。首を振り、希望に満ちた眩しい笑顔でステージにいる自分を楽しんでいた。
 安定したドラムワークのアツシは俺の後ろで目を細め、睨みつけるような怖い顔をしてスティックを叩きつける。

 狭いステージだ。
 三人は肩を寄せ合うようにして演奏をしていた。酒で酔った客がブーイングをしても、俺たちは無視して唄い続ける。
 あの頃は、純粋に音楽をしているのが楽しかった。誰かのためではなく、ただ自分たちを慰めるために音楽をしていた。
 そして5年前のあの夜、複合施設のエレベーターで再会したミカが、まさかガラの悪いライブハウスにたった一人で乗り込んで来るなどとは、思ってもみなかった。
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