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第一話 吉宗の隠密
津田越前守助広
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半平太の部屋に戻るなり、宗次郎は奥側の一番広い座敷にこもって鳥刺し棒をこしらえ始めた。
さりさりと小刀で竹竿の先を平らに削る。少し削っては重さを確かめ、再び削っては均衡がとれているか竿先を振る。この微妙な調整が、道具を自分の手足として扱うためには必要不可欠であった。
適当な竿でも宗次郎の腕ならば刺せぬことはない。それでも宗次郎が竿にこだわるには理由があった。
じっくりと拵えながら、この先のことを考えていた。
竿を削ってしばらくした頃、襖が開いた。いつまで経っても出てこない宗次郎に痺れを切らしたのであろう。
「おい、今日は鳥を追わねえのか」
竿を削っていることに気が付いた半平太が問うた。
「おい、竿ならまだあるだろう」
「これでなきゃ駄目なんですよ」
いつもの竿よりも短いが、代わりにとり餅が塗られるはずの先端は薄く鋭く削られていた。
「俺が郷里で習ったのはこれでしてね」
そう言うと、削った先端を半平太の目の先に突きつける。
「それで雀を刺すのか」
一歩下がった半平太が問い返した。
「だから『鳥刺し』と言うのですよ」
ごくりと半平太が唾を飲んだ。
「ならば、雀は殺すのか」
「まさか! この先で羽の付け根を狙って突くんです。殺しやしません」
「……いったい、親父さんから何の話があったってんだ」
剣呑な面の半平太を見上げる。
「半平太さん、旅支度をしてください。少し遠出します。明朝出立しましょう。得物(武器)はこの鳥刺し棒です。これで仕留められるようになれば一人前ですから」
にこりと微笑んで見せた。
◇
杢右衛門から受け取ったのは、御紋入りの餌差札だけではなかった。
旅支度をしながら、刀掛けに目をやる。目線の先には未だ刀袋に入れたままの長脇差。
――津田越前守助広一尺八寸。
大業物と言われる名刀である。
一見、地味な拵えは、実用しやすいよう、わざと質素に徹したのではないかと思えるほどだった。鞘は無地で艶のない石目塗り、柄の糸巻きもくすんだ黒。どこにも装飾らしい装飾もなく、なんなら兄のお下がりである無銘の脇差の方が意匠は凝っている。
地味な意匠は嫌ではない。むしろ好みだ。糸巻の握り具合に加え、重さも良かった。
それなのに鯉口を切った途端、宗次郎の胃の腑の石ころがさらに増えた。
(こんなけ地味にするんやったら、この御紋は勘弁してくれ……)
鈍い鉄色の縁金に見えたのは、丸に三つ葉葵。
これを見た時、如何にも「すぐでも身に着けよ。わしは良い働きをして見せよう」とせがんでいそうな実直さを見せつつ、実は徳川幕府の密偵であった――というような、裏切りにも似た落胆を覚えた。
おまけに助広の波紋は濤乱である。大波のごとく派手に揺れる煌めきに、「早く血を吸わせてくれ」と、催促されているようで、気持ちが萎えてしまった。
平坦に言うならば、この刀は嫌いである。すぐに鞘に収め、刀袋に仕舞って、さっさと刀掛けに鎮座させた。
「これで何を斬らせるつもりや」
つい、声に出してしまった答えのわかり切っている愚問。
御目見でもない餌差役人が、この様な御紋を身に着ける意味はただ一つ。
幼少の頃から相賀の父の手で鍛錬されてきた。
修験道の厳しい修行に加え、鉄砲を含む、あらゆる武術を仕込まれた。宮井の養子となった後には、鷹師ではなく鳥刺しとしての技を教え込まれた。江戸に来てからは、いざという時に国元がばれないよう江戸前の言葉を覚え、江戸の地を知るために市内だけでなく江戸郊外も歩き回った……。
どれもこれも、「いずれは殿様の御役に立つ」という目的のためである。そのために自分は生かされてきたとすら思っている。
下賜された脇差を眺めながら、宗次郎はつい、和歌山での暮らしを思い出していた。
相賀の父の元で修行をしていた幼い頃……その技が人を殺めるための技術だとは知らず、ただ上達が楽しくて修業を重ねていた時の思い出。
養父による鍛錬は剣術や柔術といった単純な武芸稽古ではなかった。山を駆け抜け、木々を渡り、川を泳ぐ。時には山の奥に入り、鳥や獣を鉄砲で撃つこともあった。
技の上達も嬉しかったが、一つ技を会得すると褒めてくれる、普段は厳しい父のほころぶ顔が一番嬉しかった。
いつからだろう、人を殺める覚悟を背負わされたのは。
全て、人殺しをする技だとわかってから、己の技に磨きがかかった。
瞬殺――それがせめてもの情けだと思い至ったからだ。
そしてそれが、「いずれ」訪れる戦いにおいて、己が生き残るためにも最良の術だということも……
しかし、その「いずれ」は、いっそ来んといてほしかった――それが本音だ。
そう……誰にも言えぬ本心。
それを腹の奥に押し込むように、深く息を吸い、いらぬ雑念を追い出すように、大きく息を吐き出す。
(けど、此度はええよな。半平太さんを連れて派手な人斬りなんぞ出来やん)
と、自分に言い訳をした挙句、助広は刀袋に入れたまま置いておく。
そして腰には普段使いしている無銘の大小を差した。
さりさりと小刀で竹竿の先を平らに削る。少し削っては重さを確かめ、再び削っては均衡がとれているか竿先を振る。この微妙な調整が、道具を自分の手足として扱うためには必要不可欠であった。
適当な竿でも宗次郎の腕ならば刺せぬことはない。それでも宗次郎が竿にこだわるには理由があった。
じっくりと拵えながら、この先のことを考えていた。
竿を削ってしばらくした頃、襖が開いた。いつまで経っても出てこない宗次郎に痺れを切らしたのであろう。
「おい、今日は鳥を追わねえのか」
竿を削っていることに気が付いた半平太が問うた。
「おい、竿ならまだあるだろう」
「これでなきゃ駄目なんですよ」
いつもの竿よりも短いが、代わりにとり餅が塗られるはずの先端は薄く鋭く削られていた。
「俺が郷里で習ったのはこれでしてね」
そう言うと、削った先端を半平太の目の先に突きつける。
「それで雀を刺すのか」
一歩下がった半平太が問い返した。
「だから『鳥刺し』と言うのですよ」
ごくりと半平太が唾を飲んだ。
「ならば、雀は殺すのか」
「まさか! この先で羽の付け根を狙って突くんです。殺しやしません」
「……いったい、親父さんから何の話があったってんだ」
剣呑な面の半平太を見上げる。
「半平太さん、旅支度をしてください。少し遠出します。明朝出立しましょう。得物(武器)はこの鳥刺し棒です。これで仕留められるようになれば一人前ですから」
にこりと微笑んで見せた。
◇
杢右衛門から受け取ったのは、御紋入りの餌差札だけではなかった。
旅支度をしながら、刀掛けに目をやる。目線の先には未だ刀袋に入れたままの長脇差。
――津田越前守助広一尺八寸。
大業物と言われる名刀である。
一見、地味な拵えは、実用しやすいよう、わざと質素に徹したのではないかと思えるほどだった。鞘は無地で艶のない石目塗り、柄の糸巻きもくすんだ黒。どこにも装飾らしい装飾もなく、なんなら兄のお下がりである無銘の脇差の方が意匠は凝っている。
地味な意匠は嫌ではない。むしろ好みだ。糸巻の握り具合に加え、重さも良かった。
それなのに鯉口を切った途端、宗次郎の胃の腑の石ころがさらに増えた。
(こんなけ地味にするんやったら、この御紋は勘弁してくれ……)
鈍い鉄色の縁金に見えたのは、丸に三つ葉葵。
これを見た時、如何にも「すぐでも身に着けよ。わしは良い働きをして見せよう」とせがんでいそうな実直さを見せつつ、実は徳川幕府の密偵であった――というような、裏切りにも似た落胆を覚えた。
おまけに助広の波紋は濤乱である。大波のごとく派手に揺れる煌めきに、「早く血を吸わせてくれ」と、催促されているようで、気持ちが萎えてしまった。
平坦に言うならば、この刀は嫌いである。すぐに鞘に収め、刀袋に仕舞って、さっさと刀掛けに鎮座させた。
「これで何を斬らせるつもりや」
つい、声に出してしまった答えのわかり切っている愚問。
御目見でもない餌差役人が、この様な御紋を身に着ける意味はただ一つ。
幼少の頃から相賀の父の手で鍛錬されてきた。
修験道の厳しい修行に加え、鉄砲を含む、あらゆる武術を仕込まれた。宮井の養子となった後には、鷹師ではなく鳥刺しとしての技を教え込まれた。江戸に来てからは、いざという時に国元がばれないよう江戸前の言葉を覚え、江戸の地を知るために市内だけでなく江戸郊外も歩き回った……。
どれもこれも、「いずれは殿様の御役に立つ」という目的のためである。そのために自分は生かされてきたとすら思っている。
下賜された脇差を眺めながら、宗次郎はつい、和歌山での暮らしを思い出していた。
相賀の父の元で修行をしていた幼い頃……その技が人を殺めるための技術だとは知らず、ただ上達が楽しくて修業を重ねていた時の思い出。
養父による鍛錬は剣術や柔術といった単純な武芸稽古ではなかった。山を駆け抜け、木々を渡り、川を泳ぐ。時には山の奥に入り、鳥や獣を鉄砲で撃つこともあった。
技の上達も嬉しかったが、一つ技を会得すると褒めてくれる、普段は厳しい父のほころぶ顔が一番嬉しかった。
いつからだろう、人を殺める覚悟を背負わされたのは。
全て、人殺しをする技だとわかってから、己の技に磨きがかかった。
瞬殺――それがせめてもの情けだと思い至ったからだ。
そしてそれが、「いずれ」訪れる戦いにおいて、己が生き残るためにも最良の術だということも……
しかし、その「いずれ」は、いっそ来んといてほしかった――それが本音だ。
そう……誰にも言えぬ本心。
それを腹の奥に押し込むように、深く息を吸い、いらぬ雑念を追い出すように、大きく息を吐き出す。
(けど、此度はええよな。半平太さんを連れて派手な人斬りなんぞ出来やん)
と、自分に言い訳をした挙句、助広は刀袋に入れたまま置いておく。
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