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序
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薫風が鼻先を掠めた。
竿を手にした宗次郎は、畑の畦を慎重に歩く。
顔を上げると蒼天がやたら眩しい。夏が近いのだ。
笠の端についーと弧を描く燕が見えた。
空の高い位置で旋回する燕は、蒼い空を滑るように舞う。その明るさに目を細めながら、宗次郎が呟く。
「さすがにあれは捕まえられへんなあ」
その足元、まだ背の低い根深(長葱)のまわりでは、雀たちが一心に地面を啄んでいる。が、急に話しかけられて驚いたのか、一斉に羽ばたいたかと思うと、高く温かい空へと飛び立って行った。
それを見られていたようだ。若い娘の笑い声が届く。
「あんたたち、捕まえる気なんてサラサラないんでしょ」
ハリのある声は、すぐそばにある茶店の中から聞こえてきた。
とらやの看板娘であるおふみだ。
鬼子母神参りの寄り道に立ち寄る男客のほとんどが彼女目当てだ――という評判が立つほど、おふみはその見目も声も仕草も愛らしい。
宗次郎は半平太と思わず顔を見合わせた。半平太に至っては、ぺろりと舌まで出しておどけているものだから、つい苦笑いを溢してしまった。
それにしてもの言い草だ。半平太などれっきとした幕臣なのに。半纏に股引姿と、一見そうは見えない成りではあるが。
その半平太は仕事に飽きたのだろう。どっかと茶店の正面にある縁台に腰を下ろすと、笠を取り、二間(約三・六メートル)もある竿を足元に放った。
二人は御公儀の餌差である。鳥刺し、あるいは殺生人とも呼ばれる小鳥捕りで、将軍様の御鷹の餌となる雀や鳩……つまりは御公儀の餌鳥を生きたまま捕らえるのが役目であった。
半平太がおふみに向かって言い訳をしている。
「だってよ、こちとら必死になって棒っ切れを振り回してるってのによ、全くあれじゃあ、馬鹿らしくなるってもんだ」
顎で指された。半平太の腰にぶら下がった鳥籠は未だ空っぽなのだ。
「だよねえ。宮井さんってば、なんであんなに雀に好かれるんだろうねえ。雀たちもわかってんだかどうだか」
おふみは団子と茶を半平太の横に置くと、眉を下げてころころと笑った。
畦に跪いた宗次郎の膝の先には、再び雀たちが集まっていた。
通常の鳥刺しは、鳥を呼び寄せる笛を使うなどの工夫を凝らし、近寄ってきた小鳥を長い竿の先に着けたとり餅にくっつけて捕らえる。
屋根や樹の上の雀を獲るのは造作ないが、地面を歩く雀は狙わない――というのが鳥刺したちの常識である。それほどまでに、地を歩く雀たちは、その小さな体全体で警戒しているものなのだ。
だが、宗次郎の目の前にいる雀たちの無防備さときたら、どうだろう。彼を石像か何かだと思っているのか、すぐそばまで来て、地面を啄んでいる。
宗次郎は右手に持っていた竿を地面すれすれまで下ろすと、一旦指を離した。そして再びそっと竿に触れた時、「チュイチュイ」と雀のさえずりにそっくりな音を唇の先から漏らした。
「チュイチュイ チュイチュイ」
その刹那――
バサバサバサ……
群がっていた雀たちが、またもや一斉に飛び立った。今度はさっきよりも慌てふためいた様子で。
けれど宗次郎は何事も無かったかのように竿を手繰り寄せる。その竿の先には、とり餅に絡め獲られてもがく一羽の雀があった。それをぺりりと剥がすと、腰元の籠へ押し込む。
「すまんな。これが俺の仕事や」
蒼天を滑る燕たちを見上げながら、宗次郎は小さな命に詫びを入れた。
竿を手にした宗次郎は、畑の畦を慎重に歩く。
顔を上げると蒼天がやたら眩しい。夏が近いのだ。
笠の端についーと弧を描く燕が見えた。
空の高い位置で旋回する燕は、蒼い空を滑るように舞う。その明るさに目を細めながら、宗次郎が呟く。
「さすがにあれは捕まえられへんなあ」
その足元、まだ背の低い根深(長葱)のまわりでは、雀たちが一心に地面を啄んでいる。が、急に話しかけられて驚いたのか、一斉に羽ばたいたかと思うと、高く温かい空へと飛び立って行った。
それを見られていたようだ。若い娘の笑い声が届く。
「あんたたち、捕まえる気なんてサラサラないんでしょ」
ハリのある声は、すぐそばにある茶店の中から聞こえてきた。
とらやの看板娘であるおふみだ。
鬼子母神参りの寄り道に立ち寄る男客のほとんどが彼女目当てだ――という評判が立つほど、おふみはその見目も声も仕草も愛らしい。
宗次郎は半平太と思わず顔を見合わせた。半平太に至っては、ぺろりと舌まで出しておどけているものだから、つい苦笑いを溢してしまった。
それにしてもの言い草だ。半平太などれっきとした幕臣なのに。半纏に股引姿と、一見そうは見えない成りではあるが。
その半平太は仕事に飽きたのだろう。どっかと茶店の正面にある縁台に腰を下ろすと、笠を取り、二間(約三・六メートル)もある竿を足元に放った。
二人は御公儀の餌差である。鳥刺し、あるいは殺生人とも呼ばれる小鳥捕りで、将軍様の御鷹の餌となる雀や鳩……つまりは御公儀の餌鳥を生きたまま捕らえるのが役目であった。
半平太がおふみに向かって言い訳をしている。
「だってよ、こちとら必死になって棒っ切れを振り回してるってのによ、全くあれじゃあ、馬鹿らしくなるってもんだ」
顎で指された。半平太の腰にぶら下がった鳥籠は未だ空っぽなのだ。
「だよねえ。宮井さんってば、なんであんなに雀に好かれるんだろうねえ。雀たちもわかってんだかどうだか」
おふみは団子と茶を半平太の横に置くと、眉を下げてころころと笑った。
畦に跪いた宗次郎の膝の先には、再び雀たちが集まっていた。
通常の鳥刺しは、鳥を呼び寄せる笛を使うなどの工夫を凝らし、近寄ってきた小鳥を長い竿の先に着けたとり餅にくっつけて捕らえる。
屋根や樹の上の雀を獲るのは造作ないが、地面を歩く雀は狙わない――というのが鳥刺したちの常識である。それほどまでに、地を歩く雀たちは、その小さな体全体で警戒しているものなのだ。
だが、宗次郎の目の前にいる雀たちの無防備さときたら、どうだろう。彼を石像か何かだと思っているのか、すぐそばまで来て、地面を啄んでいる。
宗次郎は右手に持っていた竿を地面すれすれまで下ろすと、一旦指を離した。そして再びそっと竿に触れた時、「チュイチュイ」と雀のさえずりにそっくりな音を唇の先から漏らした。
「チュイチュイ チュイチュイ」
その刹那――
バサバサバサ……
群がっていた雀たちが、またもや一斉に飛び立った。今度はさっきよりも慌てふためいた様子で。
けれど宗次郎は何事も無かったかのように竿を手繰り寄せる。その竿の先には、とり餅に絡め獲られてもがく一羽の雀があった。それをぺりりと剥がすと、腰元の籠へ押し込む。
「すまんな。これが俺の仕事や」
蒼天を滑る燕たちを見上げながら、宗次郎は小さな命に詫びを入れた。
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