43 / 49
八
side朔太郎――パチン留の帯留
しおりを挟む
確かに三つの幼児の証言……拙い彼の言葉を誰がまともに聞いただろうか。朔太郎に尋ねられなければ、あの子はあの光景を、ずっと心に仕舞ったままでいただろう。
あの子はツツジの植栽の陰で、大好きな半玉が厠へ入って行くのを見ていた。
――「かわやのね、おいちゃん、真っ赤。まめちおといっちょ」
出てきたら声をかけようと待ち構えていたのに。厠の扉の隙間から見えたのは、怖ろしい光景だった。
「僕は初め、菱屋さんも共犯だと思っていたんだよね。……でも違った」
今日の昼前、藤田は菱屋惣兵衛を任意で警視庁に連行した。すでに春木屋の亭主が警官によって殺されたことを知らされていた菱屋は、なぜか怯え切っていて、藤田の尋問にも素直に答えたのだという。
「菱屋さんはまさか君が小林さんを殺したとは思っていなかったらしい。菱屋さんが言うには、小林さんにおミネさんを襲わせる計画だったらしいじゃないか。小林さんは昔の花魁殺しをネタに、おミネさんから何度も金を無心されている。だから小林さんを焚きつければおミネさんを殺してくれんじゃないかと考えていたんだよね」
――菱屋の亭主が口を割った。
その現実に観念したらしい豆千代が、顔を天井に向け目を瞑った。
顔を戻し、朔太郎の方を見て気丈にも口角を上げ笑おうとしたが、失敗して情けない表情になってしまった。
「…………そうよ」
彼女の歪んだ口から、とうとう真実が吐き出された。
「解放令で売れっ子の太夫を手放してしまった春木屋は、少しずつ傾いて、そのうちやり手婆のおミネが店を仕切るようになった。あの女はね、大昔の恩を着せて、菱屋さんへも無理な仕事をねじ込んだり押し借りのようなまねをしたり。だからうちが菱屋さんを助けてやろうと思っただけよ。だって!」
だが言い訳を口にしかけ、言葉を止める。ぐっと押し黙ってしまった豆千代を見て、朔太郎は静かに話の矛先を変えた。今度はおミネ殺しの方向へと。
「ずっと気になっていたんだよ。おミネさんが首を吊った帯締のこと」
「え?」
「うん、だってね、茶々を探しに菱屋へ行った時、たまたまおミネさんとすれ違っていてね、あの時はパチン留の洒落た帯留をしていたんだよね、確かに。あの彼女の帯留……」
帳場机に乗せていた手をわずかに動かし、おもむろに豆千代の帯を指した。
それは簡素な普段着には不似合いな、趣のある金具がついた帯留だった。
「それ、おミネさんから取り返したのかい」
素早く豆千代の手が、自分の腹の上を飾っている金具に触れた。
「よほど思い入れがあるのか、昨日も着けていたよね。半玉の可憐な衣装にはちょっと大人びて見えたんだ。僕はそのパチン留にね、佐々木巡査長に入っていた蟲と同じ色が見えたんだよ」
「むし?」
「そう、〈魂の蟲〉だ。それでようやく合点がいったのさ」
「何のことなの、それこそ意味が解らないわ」
ちらりと店の外を見る。
まだ三四郎が帰って来る気配はない。それでもきっと、彼が間に合うことを信じて、朔太郎は事件の核心である人物の名前を出した。
「そして、この調書だ。これで〈鈴乃さん〉と大石が、生前繋がっていたという絵がはっきりと見えたのさ。結局、ずいぶんと回りくどいことをしたけれど、君はただ鈴乃さんの仇を討ちたかっただけじゃないのかな」
豆千代の歪んだ口角が、ヒクと痙攣したように動いた。
「は? すずの? 大石? 今度は誰のことを言っているのか、さっぱりわからない」
芝居がかった言い回しは、彼女が嘘を口にしている証だ。
「とにかく、うちは菱屋さんに力を貸しただけよ! うちにあんな強い人を殺せるはずないじゃない、ばっかじゃないの」
朔太郎は畳の上の調書を孫の手でたぐり寄せると、折皺にそって畳み直した。
「よく言う。君の方こそ菱屋さんを利用しただけじゃないか。菱屋さんがおミネさんに困らされているのを知って、これ幸いと小林殺しに利用したんだろ」
豆千代の唇が震えているのを見ながら、日没までの時間を掛け時計で確認していた。
(そろそろ帰って来てもいい頃なんだが。どうせ、女将さんのおしゃべりにつかまっているんだろうけれど)
まだ役者が揃うには時間がかかりそうだ。けれどもう、これ以上引っ張れそうにはなかった。
豆千代は落ち着きなく、指摘された帯留のパチン飾りを指でいじりまわしていた。
「小林さんを言いくるめて小林さんにおミネさんを殺させる。――それが初めの計画だったはず。それなのに小林さんが殺されていた。そりゃあ、色んな念が見えたはずだよ。だって、菱屋さんには小林さんに対する殺意がないもの。そうそう、気の毒な菱屋さんだけれどね、あの人は君が殺したとは思っていなくて、本気でおミネさんが小林さんを殺めたと思っていたらしいよ。わざわざ、茶々探しを装って、おミネを焚きつけると入れ知恵したのは君なのにさ。おめでたいね」
ゆらり、豆千代の体が揺れた気がした。
「でも、だからその後のおミネ殺しに協力をする決心をしたんだよ。彼はきっとおミネさんを消す良い機会だと思ったんだろうね。そこで僕に厠から出て来たかんざしの持ち主を特定させて、おミネさんを小林殺しの罪人だと導かせたかったのだろう。まあ、その目論見は外れたけれど」
それでも朔太郎は豆千代を睨みつけて言った。
「そうだろ、『もも』さん。小林さんはどうやって殺したのかな」
『もも』という名で呼ばれると、豆千代は目を見開き、自分の頭に差してあったかんざしを抜いた。
「ああ、可哀そうな惣兵衛さんは今、春木屋が殺されたことを知って、次は自分が狙われるんじゃないかと怯えているらしいよ。だから、おミネ殺しを吐いたんだってさ。なにしろ、あの時、小林が殺した花魁の遺体を始末したのは、当時番頭だった惣兵衛さんだからさ。惣兵衛さんは一連の殺しは全て、あの巡査長の仕業だと信じているみたいだ。あの巡査長が、実は鈴乃さんの元情人だったんじゃないかってね」
豆千代の眼に、殺意が宿った。
あの子はツツジの植栽の陰で、大好きな半玉が厠へ入って行くのを見ていた。
――「かわやのね、おいちゃん、真っ赤。まめちおといっちょ」
出てきたら声をかけようと待ち構えていたのに。厠の扉の隙間から見えたのは、怖ろしい光景だった。
「僕は初め、菱屋さんも共犯だと思っていたんだよね。……でも違った」
今日の昼前、藤田は菱屋惣兵衛を任意で警視庁に連行した。すでに春木屋の亭主が警官によって殺されたことを知らされていた菱屋は、なぜか怯え切っていて、藤田の尋問にも素直に答えたのだという。
「菱屋さんはまさか君が小林さんを殺したとは思っていなかったらしい。菱屋さんが言うには、小林さんにおミネさんを襲わせる計画だったらしいじゃないか。小林さんは昔の花魁殺しをネタに、おミネさんから何度も金を無心されている。だから小林さんを焚きつければおミネさんを殺してくれんじゃないかと考えていたんだよね」
――菱屋の亭主が口を割った。
その現実に観念したらしい豆千代が、顔を天井に向け目を瞑った。
顔を戻し、朔太郎の方を見て気丈にも口角を上げ笑おうとしたが、失敗して情けない表情になってしまった。
「…………そうよ」
彼女の歪んだ口から、とうとう真実が吐き出された。
「解放令で売れっ子の太夫を手放してしまった春木屋は、少しずつ傾いて、そのうちやり手婆のおミネが店を仕切るようになった。あの女はね、大昔の恩を着せて、菱屋さんへも無理な仕事をねじ込んだり押し借りのようなまねをしたり。だからうちが菱屋さんを助けてやろうと思っただけよ。だって!」
だが言い訳を口にしかけ、言葉を止める。ぐっと押し黙ってしまった豆千代を見て、朔太郎は静かに話の矛先を変えた。今度はおミネ殺しの方向へと。
「ずっと気になっていたんだよ。おミネさんが首を吊った帯締のこと」
「え?」
「うん、だってね、茶々を探しに菱屋へ行った時、たまたまおミネさんとすれ違っていてね、あの時はパチン留の洒落た帯留をしていたんだよね、確かに。あの彼女の帯留……」
帳場机に乗せていた手をわずかに動かし、おもむろに豆千代の帯を指した。
それは簡素な普段着には不似合いな、趣のある金具がついた帯留だった。
「それ、おミネさんから取り返したのかい」
素早く豆千代の手が、自分の腹の上を飾っている金具に触れた。
「よほど思い入れがあるのか、昨日も着けていたよね。半玉の可憐な衣装にはちょっと大人びて見えたんだ。僕はそのパチン留にね、佐々木巡査長に入っていた蟲と同じ色が見えたんだよ」
「むし?」
「そう、〈魂の蟲〉だ。それでようやく合点がいったのさ」
「何のことなの、それこそ意味が解らないわ」
ちらりと店の外を見る。
まだ三四郎が帰って来る気配はない。それでもきっと、彼が間に合うことを信じて、朔太郎は事件の核心である人物の名前を出した。
「そして、この調書だ。これで〈鈴乃さん〉と大石が、生前繋がっていたという絵がはっきりと見えたのさ。結局、ずいぶんと回りくどいことをしたけれど、君はただ鈴乃さんの仇を討ちたかっただけじゃないのかな」
豆千代の歪んだ口角が、ヒクと痙攣したように動いた。
「は? すずの? 大石? 今度は誰のことを言っているのか、さっぱりわからない」
芝居がかった言い回しは、彼女が嘘を口にしている証だ。
「とにかく、うちは菱屋さんに力を貸しただけよ! うちにあんな強い人を殺せるはずないじゃない、ばっかじゃないの」
朔太郎は畳の上の調書を孫の手でたぐり寄せると、折皺にそって畳み直した。
「よく言う。君の方こそ菱屋さんを利用しただけじゃないか。菱屋さんがおミネさんに困らされているのを知って、これ幸いと小林殺しに利用したんだろ」
豆千代の唇が震えているのを見ながら、日没までの時間を掛け時計で確認していた。
(そろそろ帰って来てもいい頃なんだが。どうせ、女将さんのおしゃべりにつかまっているんだろうけれど)
まだ役者が揃うには時間がかかりそうだ。けれどもう、これ以上引っ張れそうにはなかった。
豆千代は落ち着きなく、指摘された帯留のパチン飾りを指でいじりまわしていた。
「小林さんを言いくるめて小林さんにおミネさんを殺させる。――それが初めの計画だったはず。それなのに小林さんが殺されていた。そりゃあ、色んな念が見えたはずだよ。だって、菱屋さんには小林さんに対する殺意がないもの。そうそう、気の毒な菱屋さんだけれどね、あの人は君が殺したとは思っていなくて、本気でおミネさんが小林さんを殺めたと思っていたらしいよ。わざわざ、茶々探しを装って、おミネを焚きつけると入れ知恵したのは君なのにさ。おめでたいね」
ゆらり、豆千代の体が揺れた気がした。
「でも、だからその後のおミネ殺しに協力をする決心をしたんだよ。彼はきっとおミネさんを消す良い機会だと思ったんだろうね。そこで僕に厠から出て来たかんざしの持ち主を特定させて、おミネさんを小林殺しの罪人だと導かせたかったのだろう。まあ、その目論見は外れたけれど」
それでも朔太郎は豆千代を睨みつけて言った。
「そうだろ、『もも』さん。小林さんはどうやって殺したのかな」
『もも』という名で呼ばれると、豆千代は目を見開き、自分の頭に差してあったかんざしを抜いた。
「ああ、可哀そうな惣兵衛さんは今、春木屋が殺されたことを知って、次は自分が狙われるんじゃないかと怯えているらしいよ。だから、おミネ殺しを吐いたんだってさ。なにしろ、あの時、小林が殺した花魁の遺体を始末したのは、当時番頭だった惣兵衛さんだからさ。惣兵衛さんは一連の殺しは全て、あの巡査長の仕業だと信じているみたいだ。あの巡査長が、実は鈴乃さんの元情人だったんじゃないかってね」
豆千代の眼に、殺意が宿った。
1
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
戯作者になりたい ――物書き若様辻蔵之介覚え書――
加賀美優
歴史・時代
小普請の辻蔵之介は戯作者を目指しているが、どうもうまくいかない。持ち込んでも、書肆に断られてしまう。役目もなく苦しい立場に置かれた蔵之介は、友人の紹介で、町の騒動を解決していくのであるが、それが意外な大事件につながっていく。
壬生狼の戦姫
天羽ヒフミ
歴史・時代
──曰く、新撰組には「壬生狼の戦姫」と言われるほどの強い女性がいたと言う。
土方歳三には最期まで想いを告げられなかった許嫁がいた。名を君菊。幼馴染であり、歳三の良き理解者であった。だが彼女は喧嘩がとんでもなく強く美しい女性だった。そんな彼女にはある秘密があって──?
激動の時代、誠を貫いた新撰組の歴史と土方歳三の愛と人生、そして君菊の人生を描いたおはなし。
参考・引用文献
土方歳三 新撰組の組織者<増補新版>新撰組結成150年
図説 新撰組 横田淳
新撰組・池田屋事件顛末記 冨成博
鎮魂の絵師
霞花怜
歴史・時代
絵師・栄松斎長喜は、蔦屋重三郎が営む耕書堂に居住する絵師だ。ある春の日に、斎藤十郎兵衛と名乗る男が連れてきた「喜乃」という名の少女とで出会う。五歳の娘とは思えぬ美貌を持ちながら、周囲の人間に異常な敵愾心を抱く喜乃に興味を引かれる。耕書堂に居住で丁稚を始めた喜乃に懐かれ、共に過ごすようになる。長喜の真似をして絵を描き始めた喜乃に、自分の師匠である鳥山石燕を紹介する長喜。石燕の暮らす吾柳庵には、二人の妖怪が居住し、石燕の世話をしていた。妖怪とも仲良くなり、石燕の指導の下、絵の才覚を現していく喜乃。「絵師にはしてやれねぇ」という蔦重の真意がわからぬまま、喜乃を見守り続ける。ある日、喜乃にずっとついて回る黒い影に気が付いて、嫌な予感を覚える長喜。どう考えても訳ありな身の上である喜乃を気に掛ける長喜に「深入りするな」と忠言する京伝。様々な人々に囲まれながらも、どこか独りぼっちな喜乃を長喜は放っておけなかった。娘を育てるような気持で喜乃に接する長喜だが、師匠の石燕もまた、孫に接するように喜乃に接する。そんなある日、石燕から「俺の似絵を描いてくれ」と頼まれる。長喜が書いた似絵は、魂を冥府に誘う道標になる。それを知る石燕からの依頼であった。
【カクヨム・小説家になろう・アルファポリスに同作品掲載中】
※各話の最後に小噺を載せているのはアルファポリスさんだけです。(カクヨムは第1章だけ載ってますが需要ないのでやめました)
北武の寅 <幕末さいたま志士伝>
海野 次朗
歴史・時代
タイトルは『北武の寅』(ほくぶのとら)と読みます。
幕末の埼玉人にスポットをあてた作品です。主人公は熊谷北郊出身の吉田寅之助という青年です。他に渋沢栄一(尾高兄弟含む)、根岸友山、清水卯三郎、斎藤健次郎などが登場します。さらにベルギー系フランス人のモンブランやフランスお政、五代才助(友厚)、松木弘安(寺島宗則)、伊藤俊輔(博文)なども登場します。
根岸友山が出る関係から新選組や清河八郎の話もあります。また、渋沢栄一やモンブランが出る関係からパリ万博などパリを舞台とした場面が何回かあります。
前作の『伊藤とサトウ』と違って今作は史実重視というよりも、より「小説」に近い形になっているはずです。ただしキャラクターや時代背景はかなり重複しております。『伊藤とサトウ』でやれなかった事件を深掘りしているつもりですので、その点はご了承ください。
(※この作品は「NOVEL DAYS」「小説家になろう」「カクヨム」にも転載してます)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる