貸本屋の坊ちゃんには裏の顔がある。~魂の蟲編~

森野あとり

文字の大きさ
上 下
37 / 49

警視庁

しおりを挟む
 春木屋の死体検視が終わり、巡査らが各々聞き込みで散ってしまった部屋は、再び静寂に包まれた。
 独り残された部屋で、何も考えられず放心していた。

「おい、お前の主人はどうした」

 藤田の鋭い視線がうっとおしい。
 不機嫌極まりない態度にもうんざりした。結局、事件を未然に防げなかったことに腹を立てているのだろうがな、しかし、佐々木を逃がしてしまったのは、てめえの怠慢だろうか。

「まさか、あんたでも逃がすのだな」

 藤田の問いには答えず、嫌味を放った。
 言ったそばから藤田がぼやく。

「いま少し、蟲について詳しく聞きたかったのだがな……」

 まったく話がかみ合っていねえ。
 大きなため息が出た。
 結局、坊ちゃんは事件を中途半端に残して、独りで立ち去ったのだ。狡い――と思ったが、怒らせてしまったのはこの俺だ。

「坊ちゃんなら独りで帰ったよ」
「ほぉ」と、顎に手をやり、藤田が舐めるように俺を見た。

「で、斬られた傷はどうだ」

 着物をめくって確認すると、意外にも出血が多く、脚は血まみれだ。太腿の切傷は、横方向に切れると傷口が上下に引っぱられ広がってしまうため、傷口が閉じないからだ。それでも血は止まり、傷口と流れた血は生乾きになってる。血が止まっているなら問題ない。

「まあ、かすめただけだ。縛っておけばすぐに傷口もふさがるだろうよ。歩くには問題ない」

 懐に入れていた手拭いを、傷の上からきつく縛っておいた。

「なら、お前でもいい。知っていることを教えてもらおう。お前の御主人と蟲のことを」

 ついて来い――と、指で命令される。
 どうせこのまま帰っても気まずいだけだ。俺は藤田の言う『任意の同行』に付き合うことにした。ついでに佐々木を逃がした文句も言いたかった。

 堀を渡り、連れて来られたのは、警視庁の庁舎であった。
 まるで知らぬ街に来てしまったような感覚になる。俺はこんな街を知らない。ここは江戸じゃない。ここは〈東京府〉という新しい都市だとわかり切っているが、どうしても馴染めねえ……
 丸の内にあった大名小路は、幕府解体後しばらく、主を失った屋敷が朽ち果て無残な姿をさらしていたと聞くが、生まれかわった大名小路には、もう昔の風情は皆無だ。
 今はいずれも明治政府軍により買い上げられ、軍の兵舎や各省庁として生まれ変わっている。

(ここが警視庁……たしかここは、津山様の……)

 掛けられた胡散臭い看板を一瞥する。

 この東京警視庁も然り。元は津山藩邸であった御殿も、無粋な手が加えられ、殺風景な詰所へと変貌していた。
 土足のまま窓のない三畳ほどの小部屋に案内される。

「俺は全然かまわんが、豆千代もこんな冷たい部屋に押し込まれたとすりゃあ、可哀そうだ」

 畳のない板の間に西洋風の椅子と脚の長い簡素な机が置かれ、奥側の椅子に座るよう促された。俺の嫌味を無視した藤田が、向かい合うように腰を掛ける。

「そんなことより、てめえの主人はなんで帰っちまった。まだ事件は終わってもいねえのによ」

 伝法な物言いで不服を言われたが、まさか俺が坊ちゃんを怒らせてしまったからだとは言いにくい。

「わかんねえよ。急にへそを曲げちまった」とごまかす。

 藤田が目を細めたところを見るに、この嘘はうまくいかなかったようだ。

「まあいい」

 藤田が両手を机の上で組み、俺の目を見据えた。

「これだけは言っておく。てめえの主人が正しかった」

 今更、何が正しいと判断することがある。殺しの予告か? それとも……

「確かにあいつは佐々木じゃねえ。俺を『はじめ』と呼ぶ奴なんぞ、そうそういねえからな」

 斎藤一さいとうはじめ――新選組が京で活躍していたころに藤田が名乗っていた名前。

「ここの人間で、俺が新選組の斎藤組長であったことを知っているのは上層でも一部の人間くれえだ。ついでに言うと、新選組の同志でも俺のことを『はじめ』とは呼ばん。そんな呼び方をしたのは、近藤先生と土方副長、組長連中では沖田と原田、伍長ではあいつ……大石くれえだった。まさか毛利家家臣でしかも江戸詰めだった佐々木が、京での俺を知っていたとは思えねえ」

 その告白に二の腕の肌が粟だつ。
 蟲の存在を信じていなかったわけではない。俺も蟲を見たことがあるのだから。だが、藤田の証言通りだとすると、大石鍬次郎という既に死んでいるはずの人間が、今も他人の体を使って生きているということになる。

「なあ、藤田さんよ。あんたが認めたように、あの佐々木という巡査が大石の蟲によって体を乗っ取られているのだとしたら、大石はまた別の宿を探して生き延びることができると言うことじゃねえか……え? そうだろ」

 話しているうちに沸々と怒りが沸いてきた。

「なんで、なんで失敗しやがった。なんで殺せなかった!」

 大石の蟲が出て行った三井丑之助は、まるで廃人だというじゃねえか。坊ちゃんが言うように、他人の蟲に取り憑かれた体が、その蟲が出て行った後は、死ぬか廃人と化すだけだとすれば……つまり、大石が宿主を替え渡り歩くたび、犠牲者が出ると言うことだろうが!

 藤田が歯ぎしりをしたまま黙り込んだ。

「あんたはどこかで、佐々木だと言う懸念を消せなかったんだろうよ。だから剣先が鈍ったんじゃあねえのかよ」

 硬く目を瞑ると、鼻から大きく息を吐き出した。だが、藤田に投げた悪態は、己自身への問いかけも同然だと、思い至る。
 藤田が苦々しい顔で口を開いた。

「蟲の……佐々木の魂をぶんどった蟲の正体を知っているのは、俺たち三人だけだ。ほかの警官にすりゃあ、ただ佐々木が乱心しただけにしか思わん。そもそも、てめえの主人はどうやってそれを見分けている。あいつはいったい何者なんだ。陰陽師だか呪術師だか知らねえが、そもそもあいつの御先祖はそれの側用人だという話じゃねえか。未だ、蟲だの神通力だの、俺には認めがたい。ただの側用人の子孫であるあいつには、本当に蟲を見分ける力があると、お前は信じるのか」

 ほらな。やはりそれが本音だろうよ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

幕末レクイエム―士魂の城よ、散らざる花よ―

馳月基矢
歴史・時代
徳川幕府をやり込めた勢いに乗じ、北進する新政府軍。 新撰組は会津藩と共に、牙を剥く新政府軍を迎え撃つ。 武士の時代、刀の時代は終わりを告げる。 ならば、刀を執る己はどこで滅ぶべきか。 否、ここで滅ぶわけにはいかない。 士魂は花と咲き、決して散らない。 冷徹な戦略眼で時流を見定める新撰組局長、土方歳三。 あやかし狩りの力を持ち、無敵の剣を謳われる斎藤一。 schedule 公開:2019.4.1 連載:2019.4.19-5.1 ( 6:30 & 18:30 )

居候同心

紫紺
歴史・時代
臨時廻り同心風見壮真は実家の離れで訳あって居候中。 本日も頭の上がらない、母屋の主、筆頭与力である父親から呼び出された。 実は腕も立ち有能な同心である壮真は、通常の臨時とは違い、重要な案件を上からの密命で動く任務に就いている。 この日もまた、父親からもたらされた案件に、情報屋兼相棒の翔一郎と解決に乗り出した。 ※完結しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

改造空母機動艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
 兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。  そして、昭和一六年一二月。  日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。  「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

最弱パーティのナイト・ガイ

フランジュ
ファンタジー
"ファンタジー × バトル × サスペンス" 数百年前、六大英雄と呼ばれる強者達の戦いによって魔王は倒された。 だが魔王の置き土産とも言うべき魔物達は今もなお生き続ける。 ガイ・ガラードと妹のメイアは行方不明になっている兄を探すため旅に出た。 そんな中、ガイはある青年と出会う。 青年の名はクロード。 それは六大英雄の一人と同じ名前だった。 魔王が倒されたはずの世界は、なぜか平和ではない。 このクロードの出会いによって"世界の真実"と"六大英雄"の秘密が明かされていく。 ある章のラストから急激に展開が一変する考察型ファンタジー。

処理中です...