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三
辻斬りの手配書
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赤坂に戻ってきた頃には、西日が橙色に染まり始めていた。
帰りにお絹さんへの土産を物色したり、日本橋の蕎麦屋で蕎麦と天ぷらを食っていたら、すっかり遅くなってしまった。
鰻でなかったのが残念だったが、あそこの蕎麦も美味かった。機会があったらまた行こう。
店の前まで来ると、珍しいことに、お絹さんの朗らかな笑い声が聞こえてきた。
(客かな)
そう思い、裏には回らず店の方から入ると、客用の椅子に藤田が座っていて驚いた。
「おや、珍しい、藤田警部補殿じゃないか」
声をかけた坊ちゃんを見上げ、藤田は不敵な笑顔を向けただけだった。
(へえ……こいつに婦女子を笑わせるような気の利いた会話ができるのかよ)
俺の心を読み取ったかのように、坊ちゃんがフンと鼻を鳴らして言った。
「どうせ、僕の悪口でも言っていたんだろ」
「まあ、朔様、お帰りなさいませ。そんなことございませんわよ。藤田様はとても御経験が豊かで、いろんなことを知ってなさるの。ねえ」
お絹さんはやんわりと否定したが、どうせ、ろくな話などしていないにちげえねえ。胡散臭い笑顔を浮かべている藤田を睨みながら、坊ちゃんを背中から降ろした。
「一日中、店番をさせて悪かったね。これ、お土産」
坊ちゃんがお絹さんに上野の土産を手渡すと、お絹さんが目を丸くした。
「あらあら、まあまあ、どうもありがとうございます」
大袈裟に喜んだお絹さんが、門前町名物の煎餅を手に奥へ下がった。途端、にこやかな顔を作っていた藤田が、それを引っ込めた。
「まさか、本当に上野まで行ったとはな」
「僕は自分の眼で確かめないと気が済まない質なんだ」
「何を今更確かめることがあるってんだ」
「色々見つかったよ」
「あてにできねえな」
「それより、藤田さんは何を持ってきてくれたのかな」
藤田の手元に目線を落とした坊ちゃんに対し、藤田がチッと小さく舌打ちした。
「あの死体の横に落ちていた貸本だが、確かに珠緒が石川に又貸しをしていたようだ。もとより、石川の方が先に珠緒の客で、石川の紹介で小林は伊勢屋の芸者を知ったらしい。それまではもっぱら、芸者よりも娼妓遊びを好むような男だったらしいからな」
どちらにせよ、自分の客が次々と殺されたことに怖くなった珠緒は、石川の死を知った日から座敷を休んでいるとのことだった。
小林の死と石川の死。この二つが一人の仕業なのか、別の事件なのか。それによって探索のやり方も考え方も変わって来るはずだ。
「しかし、それまでの辻斬り二件と違い、今回の死体からは財布が無くなっていた。普段から金入れ用の巾着と紙幣を入れる札入れを持ち歩いていたと、石川の細君が話していたそうだ。殺された後に奪われたという見方もあるが、警視庁では、辻斬りをした人物がそろそろ金に困っているのではないかとの見方をしている」
「四谷には貧民窟があるからね」
「ああ、そこに潜んでいる可能性が高いだろうということで、新宿から四谷界隈の貧民窟まで捜査の網を広げさせた」
捜査の――と言ったって、どうやって……。つい、いらぬ口出しをしてしまった。
「しかし、殺した奴の顔も分からんのに、どうやって見つけるつもりだ」
「これだ」
俺の問いかけを予測していたかのように、藤田が俺と坊ちゃんの間に畳んで持っていた紙を広げた。
それは白黒の姿絵を刷った手配書だった。
太い縞模様の袴姿で、腰には刀を一本差し。髪は顎までの長さの斬髪。顔は描かれていない。
「『背丈ハ四尺四寸カラ五寸』って、これだけか」
背丈だけで言うならば、俺も当てはまるじゃねえかよ。
「暗闇だ。たっぱ(背丈)も大きく見えていた可能性がある。同僚の巡査が駆け寄った時にはすでに男の後ろ姿しか確認できていない。とにかく巡査が声を掛けたと思っていたら、もう斬られていたらしい」
「やはり相当な手練れだな。薩摩っぽと言やあ、示現流だろ。ポリスを任されたくらいだ。殺された巡査にしても、下手な使い手だったとは思えねえが」
警視庁の一般募集で入った最近の巡査とは違い、初期のころのポリスはれっきとした薩摩藩士であった。しかも薩摩の侍は他国の侍が一目置くほど、剣豪が多いと言われている。
「で、『ムシ』については何かわかったことは無かったのか」
辻斬りの手口など興味が無いとばかりに、呑気な問いかけをする坊ちゃんを藤田があしらう。
「誰もそのことについては気にも留めておらん。お前ぐらいだ、そこに喰いついたのは」
「えええ、それが唯一の手掛かりだと思うんだけどなあ」
「だいたい虫で人を殺せると思うか。あれか? 蜂や蛇の毒を剣に塗っておくとか、矢に仕込むとか、そういう忍びの技のようなものだったら分からんでもないが」
「それじゃあ、虫が使われたとは分からないだろ。虫の姿を見たから、殺された巡査は最期に『ムシ』と言ったんじゃないか」
坊ちゃんが口を尖らせるも、藤田は相手にしなかった。
「とりあえず、菱屋の厠を再検分するという名目で、明日部下を菱屋へ送るが、ついて行きたきゃあ同行してもいいぞ」
つまり、もう一度坊ちゃんに厠を覗かせ、その神通力を使ってみろ――ということだ。
報告を済ませると、藤田はさっさと出て行った。上がり框に辻斬りの姿絵を一枚残して。
帰りにお絹さんへの土産を物色したり、日本橋の蕎麦屋で蕎麦と天ぷらを食っていたら、すっかり遅くなってしまった。
鰻でなかったのが残念だったが、あそこの蕎麦も美味かった。機会があったらまた行こう。
店の前まで来ると、珍しいことに、お絹さんの朗らかな笑い声が聞こえてきた。
(客かな)
そう思い、裏には回らず店の方から入ると、客用の椅子に藤田が座っていて驚いた。
「おや、珍しい、藤田警部補殿じゃないか」
声をかけた坊ちゃんを見上げ、藤田は不敵な笑顔を向けただけだった。
(へえ……こいつに婦女子を笑わせるような気の利いた会話ができるのかよ)
俺の心を読み取ったかのように、坊ちゃんがフンと鼻を鳴らして言った。
「どうせ、僕の悪口でも言っていたんだろ」
「まあ、朔様、お帰りなさいませ。そんなことございませんわよ。藤田様はとても御経験が豊かで、いろんなことを知ってなさるの。ねえ」
お絹さんはやんわりと否定したが、どうせ、ろくな話などしていないにちげえねえ。胡散臭い笑顔を浮かべている藤田を睨みながら、坊ちゃんを背中から降ろした。
「一日中、店番をさせて悪かったね。これ、お土産」
坊ちゃんがお絹さんに上野の土産を手渡すと、お絹さんが目を丸くした。
「あらあら、まあまあ、どうもありがとうございます」
大袈裟に喜んだお絹さんが、門前町名物の煎餅を手に奥へ下がった。途端、にこやかな顔を作っていた藤田が、それを引っ込めた。
「まさか、本当に上野まで行ったとはな」
「僕は自分の眼で確かめないと気が済まない質なんだ」
「何を今更確かめることがあるってんだ」
「色々見つかったよ」
「あてにできねえな」
「それより、藤田さんは何を持ってきてくれたのかな」
藤田の手元に目線を落とした坊ちゃんに対し、藤田がチッと小さく舌打ちした。
「あの死体の横に落ちていた貸本だが、確かに珠緒が石川に又貸しをしていたようだ。もとより、石川の方が先に珠緒の客で、石川の紹介で小林は伊勢屋の芸者を知ったらしい。それまではもっぱら、芸者よりも娼妓遊びを好むような男だったらしいからな」
どちらにせよ、自分の客が次々と殺されたことに怖くなった珠緒は、石川の死を知った日から座敷を休んでいるとのことだった。
小林の死と石川の死。この二つが一人の仕業なのか、別の事件なのか。それによって探索のやり方も考え方も変わって来るはずだ。
「しかし、それまでの辻斬り二件と違い、今回の死体からは財布が無くなっていた。普段から金入れ用の巾着と紙幣を入れる札入れを持ち歩いていたと、石川の細君が話していたそうだ。殺された後に奪われたという見方もあるが、警視庁では、辻斬りをした人物がそろそろ金に困っているのではないかとの見方をしている」
「四谷には貧民窟があるからね」
「ああ、そこに潜んでいる可能性が高いだろうということで、新宿から四谷界隈の貧民窟まで捜査の網を広げさせた」
捜査の――と言ったって、どうやって……。つい、いらぬ口出しをしてしまった。
「しかし、殺した奴の顔も分からんのに、どうやって見つけるつもりだ」
「これだ」
俺の問いかけを予測していたかのように、藤田が俺と坊ちゃんの間に畳んで持っていた紙を広げた。
それは白黒の姿絵を刷った手配書だった。
太い縞模様の袴姿で、腰には刀を一本差し。髪は顎までの長さの斬髪。顔は描かれていない。
「『背丈ハ四尺四寸カラ五寸』って、これだけか」
背丈だけで言うならば、俺も当てはまるじゃねえかよ。
「暗闇だ。たっぱ(背丈)も大きく見えていた可能性がある。同僚の巡査が駆け寄った時にはすでに男の後ろ姿しか確認できていない。とにかく巡査が声を掛けたと思っていたら、もう斬られていたらしい」
「やはり相当な手練れだな。薩摩っぽと言やあ、示現流だろ。ポリスを任されたくらいだ。殺された巡査にしても、下手な使い手だったとは思えねえが」
警視庁の一般募集で入った最近の巡査とは違い、初期のころのポリスはれっきとした薩摩藩士であった。しかも薩摩の侍は他国の侍が一目置くほど、剣豪が多いと言われている。
「で、『ムシ』については何かわかったことは無かったのか」
辻斬りの手口など興味が無いとばかりに、呑気な問いかけをする坊ちゃんを藤田があしらう。
「誰もそのことについては気にも留めておらん。お前ぐらいだ、そこに喰いついたのは」
「えええ、それが唯一の手掛かりだと思うんだけどなあ」
「だいたい虫で人を殺せると思うか。あれか? 蜂や蛇の毒を剣に塗っておくとか、矢に仕込むとか、そういう忍びの技のようなものだったら分からんでもないが」
「それじゃあ、虫が使われたとは分からないだろ。虫の姿を見たから、殺された巡査は最期に『ムシ』と言ったんじゃないか」
坊ちゃんが口を尖らせるも、藤田は相手にしなかった。
「とりあえず、菱屋の厠を再検分するという名目で、明日部下を菱屋へ送るが、ついて行きたきゃあ同行してもいいぞ」
つまり、もう一度坊ちゃんに厠を覗かせ、その神通力を使ってみろ――ということだ。
報告を済ませると、藤田はさっさと出て行った。上がり框に辻斬りの姿絵を一枚残して。
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