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維新の亡霊

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 坊ちゃんの不遜な言葉にぎょっとした。警察に対する傲慢な申し出をたしなめようとしたが、その前に藤田が坊ちゃんを真顔で睨みつけ反論した。

「馬鹿を言うな。人を容赦なく斬るような狂人が相手だ。てめえのようなガキに何ができる」
「僕には三四郎が付いている」

 その台詞に釣られ、藤田の鋭い視線が俺の顔面に注がれた。舐めるような目つきに、つい俺も睨み返す。

「なるほどな……」

(何がだ……)

 にやりと藤田の口角が上がった。そして決めつけるように言われた。

「てめえも昔は人斬りだったのだな」

 ぐっと息が詰まったような気がした。

 この男は何を見て、俺をを人斬りだと断じたのか。
 もう、刀など捨てて久しいのに。
 全く……うんざりする。人斬りの臭いってのは、いつまでも消えねえんだなぁ。
 こうやって散切り頭にして、手代どころか丁稚奉公のガキみてえな格好をしているってのによ。

 ――あの動乱のわずかな数年だけ、人を斬ることを恐れない侍がやたらと増えた。それまではほぼお飾りだった刀に再び命が吹き込まれ、そして無実の人間も含め、無駄に多くの人間が斬られた。
 内乱だったとはいえ、その時代の人殺しに加担した側の人間であるという重石は、今尚、俺の心の片隅にずっしりと居座っているのだ。

 その重石を軽々しく蹴っ飛ばされた腹立たしさに、藤田の顔をねめつける。

「それがどうした。あんたに言われたくねえ。あんたこそどうせ、藤田という名前も変名だろう。人を斬りまくった奴らは、こぞって昔の名を捨てたからな。だから薩摩人でもねえのに、警視庁なんぞの募集に飛びついたんだ」

 腹いせに、精いっぱいの憎まれ口をたたいてやった。
 それをこいつは一笑に付す。

「そうだな。これでも人を斬った数なら、人斬り以蔵なんぞよりも余程多いだろうよ」

 『人斬り以蔵』とは、京都で暴れていた土佐の下級武士だ。他にも『人斬り何某なにがし』と悪名の通った人物を知っているが、戊辰戦争以前の京の都には、そういう物騒な浪士や志士が無数にはびこっていたと伝わる。
 だが悪びれもせず、さらりと答える様を見て、こいつには己の過去の殺人行為に対し、良心の呵責も罪の意識も持ち合わせていないのだ――と、あきれ果てた。

「……まるで新選組か」言いかけ、改めて顔を見た。

 新選組の面々は歌舞伎役者に負けず劣らず、錦絵でも人気の素材だ。だが、錦絵に描かれる人物は、形式美に則って誇張した表現をされている。だから照らしようもないのに、なぜか錦絵の顔を探してしまった。

(まさか、な……)

「昔の話だ。言っておくが、何十人、何百人斬ろうが、俺のところに誰一人祟って出たことなどない。因果応報すら感じねえ。なにしろ、こうやって妻を持ち、酒を飲む糧もある。昔のことなど悔やむだけ時間の無駄だ」

 嫌味を言った端から、まるで腹の中を見透かされたような応酬をされ、つい、舌打ちをしてしまった。
 こんな男に何を言っても無駄だ。さっさと話を終わらせてしまおう。

「なあ、藤田さんよ、俺の勝手な憶測だが……此度の辻斬りは、その、上野の辻斬りと同じ太刀筋なのか」

 新聞記事によると……上野で殺された巡査は、左わき腹からえぐるように斬り上げられていたらしい。
 ただの一撃で定廻りの巡査を仕留めたというわけだ。腸をぶった切った後、ろっ骨を砕き、肺を傷つけながら胸まで切り裂いた様子が目に浮かぶ。
 藤田が口角を上げた。

「断定はできぬが、そうだな」

 上野の巡査に続き、九段坂は牛ヶ渕の付近で近衛兵だか歩兵団の兵士だかが斬られている。
 警官に軍人。いずれも一般募集がされているとはいえ、未だ士分の心象はぬぐえない。
 腕に心得のある者だという認識がある。
 そういう人物を狙うのだから、相当な剣豪にちげえねえ……

「一人の仕業と決めつけるには手掛かりは薄いが、まあ、十中八九間違いないだろう」

 しかし斬られたのが一般市民とは違うという感覚があるのか、役人の連続辻斬りという話題は興味本位に着色され、錦絵版や読売が小さな版元から出版されるなど、庶民の間では面白半分に噂されていた。

 『維新ノ亡霊現ル』――と。

「で、今度は誰? 今回の犠牲者も軍人か巡査、あるいは政治家だとしたら、それはただの辻斬りじゃすまされないだろ」

 たしかに坊ちゃんの言うとおりだ。そうなると、先の政変を思わせる造反者の仕業という疑いも出て来る。
 警官や軍人は薩摩藩士が半数以上を占めていたが、一昨年の政変で参議の西郷が東京を去ると、同じく薩摩出身の将兵らが相次いで辞職していた。
 ま、俺たち庶民に真実はわかりえねえが。

「倒幕を果たしたものの、新政府内部の軋轢あつれきは増しているらしいからな」

 坊ちゃんの皮肉のこもった言葉に反論するかのように、藤田が殺された人物の素性を明かした。

「ところが、今回の死体は高利貸だ」
「高利貸……」

 一般の市民だった。
 拍子抜けした俺とは裏腹に、坊ちゃんが手を顎に当てると難しい顔で考えるそぶりを見せた。
 俺には高利貸しの知り合いなどいねえ。この店の資金も、金貸しから借りたわけじゃねえ。

「高利貸、高利貸……ねえ、もしや先の菱屋の」

 何かを思い出したように、動かない方の膝を叩いた。それに驚いたシロが抗議の声を上げると、坊ちゃんの太ももから跳ねるようにして離れてしまった。

「本当に失せ物探しの名人を謳うだけのことはあるな。何でそう思った」

 藤田が感心する。そして客用の長椅子に腰を下ろした。俺にはさっぱり話が見えねえ。

雪隠せっちんで殺された小林って男は、高輪たかなわは毛利屋敷お抱えの車夫(人力車の引き手)でね、車夫の割には景気がいいんだとさ。ああやって御友人を連れて芸者遊びをするくらいには。で、あの時同席していたのが、四谷は麹町の高利貸。たしか、石川ってお人だ。この人も御一新後に随分と儲けた口らしい。多分、二人とも菱屋の常連で、伊勢屋の芸者を良く指名していたんじゃないかな」

 驚いた。

「坊ちゃん、いったいどこでそんな情報を」

 一日中、店から出ないで、どうやって仕入れたと言うのか。
 坊ちゃんはけろりとした顔で答えた。

「事件の次の日、伊勢屋の女将さんが来て色々と聞かせてくれたよ」

 ああ、ねえ。
 さもあらん。おしゃべり好きな女将さんを思い浮かべて納得した。

 得意気な顔で坊ちゃんが藤田の顔を見上げた。

「高利貸の石川ってお人は、今でこそ金貸しで儲けているけどね、御一新の前はどこぞの藩士だったらしい」

 最後に口角を上げた。こういう表情の坊ちゃんは随分大人びて見える。
 洞察力に関して言えば、俺なんぞ足元にも及ばねえ。
 だが伊勢屋の女将の噂話の内容は、信用に値したらしい。藤田がさらに詳細を付け足した。

「ああそのとおりだ。確かに殺されたのは石川勝馬という男で、奴は元彦根藩士だった。御一新前は彦根藩の大参事である谷殿の下で働いていたという。これは石川の細君から聞いた話だ」

 なるほど。俺にも話が見えて来た。

 彦根井伊家は反幕府側。その当時の言い方で言う勤王派――新政府軍だ。藤田によると、殺された小林も勤王派の志士であったという。

「小林は天狗党に加わっていた時期があったと、毛利家の人間が証言した」

 天狗党は水戸藩の一派で、万延から文久(1860~1864年)にかけて、その中の過激派が尊王攘夷を掲げた暗殺や焼き討ちを含める反乱を起こしている。水戸藩内部での抗争も激烈であった。それゆえ、幕府軍に敗れた後、辿った末路は言葉にできねえほど凄惨だった。

「普段は一介の車夫だが、その腕を買われて重鎮らの用心棒をやっていたとのことだ」
「だから羽振りが良かったのか」

 納得すると同時に、こうなるとただの辻斬りでは済まないという嫌な予感が頭を持ち上げた。

「まさか、昨日の辻斬りと菱屋での殺しが同じ賊であったとか言わないですよね」

 菱屋の厠に件の辻斬りが潜んでいたのか――と想像すると、そら恐ろしい。

「そこまでは分からないよ。それこそ無駄な憶測は真実を見誤っちまう。ただ単に偶然が重なっただけなのかもしれないのだから」
「ぼっちゃん……」

 藤田から与えられた教訓をなぞり、坊ちゃんが「ねえ」とばかりに小首を傾け微笑んで見せた。そしてしたり顔で続けた。

「ただ、明らかなこともある。厠で殺された小林さんは毛利家の車夫。毛利家と言えば長州。おまけに天狗党だった。石川さんは、彦根は井伊家家臣。上野で殺された巡査は薩摩兵。そして薩摩の置き土産である近衛兵。ここまで来れば、かわら版で噂されていたみたいに、まるで維新の亡霊が出て来たようじゃないか」
「亡霊だと。くだらん」

 自ら、何百人殺しても祟られなかったと豪語した藤田が鼻で嗤った。

 だが俺は、『維新の亡霊』――その言葉にこれらの事件の全貌が隠されているような気がしていた。

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