蠱惑の瞳の神子

ジカハツデン

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神子と騎士と幼なじみ

第16話 最悪の再会

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ふと意識が浮上して、窓から光が差し込む明るい部屋で瑠璃は目を覚ました。

いつも通り体の至る所がズキズキと痛む。
意識を失う前の最後の記憶は、剣を持った騎士に抱き抱えられる瞬間だった。
白の騎士を名乗る男はきっとあの後瑠璃を殺してくれたはずだ。
騎士は瑠璃を殺すためにあの部屋に来たはずなのだ。
なのに何故、自分は真っ白でふわふわのベッドの上に横たわっているのだろう。

体は痛むが、ふわふわのベッドの温もりも、窓を開けて換気された澄んだ空気も、随分と久しぶりに味わう。
もしかしてここは死後の世界なのだろうか。
瑠璃は自分がこんなに快適な環境にいる理由などそれくらいしか思い浮かばなかった。
消えてしまいたくて死を願ったのに、死んでも意識が残るだなんてあんまりだ。
しかしここが死後の世界だという推測は間違いだとすぐに気付かされた。

ベッドの脇に見覚えのある頭が突っ伏している。
何度見たのか、何度その頭を撫でたのか数え切れないほど記憶に根ざした短い黒髪の頭は、顔など見えなくても誰だか分かった。

「ひ、ぃ…っ」

久しぶりに見る白の姿を視界に入れた瞬間、瑠璃の喉から引き攣った悲鳴が小さく漏れ出た。
まだ怠さが残る体にむち打って、性急な仕草でなんとか上体を持ち上げる。

逃げたい。今すぐ消えたい。

瑠璃の頭の中はそれで埋め尽くされた。
白の傍にいることは迷惑でしか無いと知ってしまった。
白がなんと言おうとそれは白が優しいから気を遣っているだけで、瑠璃は邪魔で不快な存在なのだ。
白を心の支えに生きることはもう許されない。
思考がじわじわと自己否定の念に侵食されて、呼吸が浅くなり心臓が早鐘を打つ。
瑠璃1人で使うには随分と広いベッドの上をジリジリと後ずさる。

声を上げてしまったせいかベッドの上で身動きをして物音を立ててしまったせいか、白の頭がもぞ、と動いてゆっくりと持ち上げられた。

「ん…なんだよ…」

まだ眠たそうにしている目を擦って白が不服そうな声を上げた。
その間も瑠璃の体の震えは大きくなる一方で、肩はガタガタと震えて歯の根が合わない。

白が手を下ろしてゆっくりと視線を上げ、瑠璃の瞳と視線が交錯した。

「…るり……?」
「ぅ、あ…」

白の黒曜石のような瞳がみるみるうちに見開かれて、煌めきを増していく。

「瑠璃っ、瑠璃っ!目が覚めたんだな!!」

突如ガバリと白に抱きつかれて体が硬直する。
ぎゅうぎゅうと抱き締められているせいで、恐怖一色に染まった瑠璃の顔に白は気付いていない。

「良かった…!お前、1週間も目を覚まさなかったから、もうダメかと…!!」

耳元から聞こえる白の声は震えている。
肩口がしっとりと濡れる感触がして、白が泣いているのだと気付く。

どうして、今この部屋には瑠璃と白のたった2人しかいないのに、瑠璃に会えて嬉しそうに取り繕う必要なんて無いはずなのに。

「ぅお…っ!」

耐えられなくて、白の胸を両手でドン!と押し返した。
伸ばした両腕に包帯が巻かれているのが見えた。
丁寧に添え木までされた腕がギリギリと痛んだが、今はそんな事気にする余裕は無かった。
傷だらけの体では大した力が出るはずもなく、突如突き飛ばされたことで不意を付かれた白は軽くたたらを踏んだだけだった。

「おいっ、どうしたんだよ?怪我してんだから腕動かしたら…!」
「ゃ、だ…」

白を突き飛ばした体勢のままベッドのシーツを見つめるように頑なに俯いている瑠璃が、蚊が泣くような小さな声を出す。

「え?なんだって?」

瑠璃がなにか喋って言葉を途切れさせたものの、声が小さすぎて聞き取れなかった白が聞き返す。

「こっち、来ないで…っ」
「……は?」

瑠璃が言った言葉は聞こえたはずだが、意味がわからなかったのだろうか。
せっかく距離を取ったのに白の方からまた距離を詰められてしまう。

「瑠璃っ、起きたばっかで混乱してるのは分かるけど、俺だよ、白だよ!」
「ゃ、!やだ、ぁ…!離して、!!」

大好きだった白。
たった一人の友達の白。
快活で明るい声が大好きだったはずなのに。

でももう、近くにいることも、鼓膜を揺らす声も耐えられない。
瑠璃は耳を強く塞いで首を振って叫んだ。
白に会ってしまったら、辛いことも寂しいことも我慢出来なくなる、恥も外聞もなく泣き喚いてしまう。
薄らとそう感じていたのは本当だったらしい。
今まで閉じ込めていた心が決壊したように涙がボロボロと溢れ出した。

「なぁ瑠璃、泣かないでくれよ…!もう怖がらなくて良いんだっ、俺達が絶対守るから…!」

白が瑠璃の両肩を掴んで詰め寄る。
瑠璃の瞳を覗き込もうとする涙に濡れた黒い瞳も、焦燥に駆られた表情も、もはや恐怖しか感じない。
今となっては、白の逞しい腕が好きで抱きしめられると落ち着くと思っていた頃の自分を思い出せない。
守るだなんてきっと嘘に決まっているのだ。
瑠璃を殴った男達と同じで、期待だけさせて助ける気なんて無いに決まっている。

ただ放っておいて欲しいだけなのに、ただ消えたいだけなのに、どうして死なせてくれないのだろうか。
長い前髪を振り乱して、子供のように滂沱の涙を零す。
次第に上手く息が出来なくなり、はくはくと必死に空気を取り込もうとするが、吸っても吸っても苦しさが治まらない。

「ひ、ぅ…も、ゆるして…っ」
「俺が許すことなんて何も…!ちょ、っおい瑠璃!息!息しろ!!」

焦燥が滲んだ声色を出しながら白が背中をさする。
その時、大きな物音を立てて部屋の中に数人の人物が飛び込んできた。

「ルリさんっ!!」

瑠璃の耳に届いたのは聞き覚えのある女性の声だった。
あの部屋に拐われる前、神殿で瑠璃にも良くしてくれたマリアの声だ。

「退いてください神子様!!」
「ちょ…っ、おい!?」

瑠璃の目の前を陣取っていた白を押し退けて、今度は目の前にマリアが腰を下ろした。

「まり、ぁ、さ…、」
「大丈夫、ルリさん、無理して喋らなくても大丈夫よ」

耳心地の良い柔らかい声色で瑠璃を安心させながら、とん、とん、と一定のリズムで背中をさする。
胸の位置でシャツの合わせを強く握り締めすぎて白くなっていた指先に、そっとマリアの手のひらが重ねられた。

「…っ、……は、っぁ…」

何度も優しい手つきで柔らかく撫でられて、徐々に呼吸が落ち着いてくる。
まだ少し浅いが、ほとんど普段通りの呼吸に戻ってきたところで、マリアが白達に目配せをして部屋から退出させるのが視界の端に見えた。
部屋の中から人の気配が減って、しばらくしてからようやく少しは落ち着くことが出来た。

「呼吸は落ち着いたようですね。良かったですわ」

瑠璃が空いている方の手でマリアのドレスの裾を強く握っていたせいでかなり皺が寄ってしまったのに、女性の服に勝手に触れるという失礼にあたる行為も全く気にせずに、マリアは柔らかく微笑んだ。

「お久しぶりです、ルリさん。わたくしのこと覚えてますか?」
「取り乱してごめんなさい…もちろんです…僕なんかと喋ってくれるの、マリアさんだけだったから…」

マリアは女性だから、瑠璃が恐怖を抱く対象では無い。
ここに他の男性がいたらまた体は震えだして会話にならなかっただろうから、マリアが来てくれて良かったのだと思う。
それでも瑠璃より上背があるマリアに肩を抱えられて、少しは体が竦んでしまうのだが。
まだ目を合わすことは怖くて、足元に視線を落としたまま話を続ける。

「まだ目覚めたばかりで何が何だか分かりませんよね。何か聞きたいことはありますか?」
「ききたいこと……あの、ここはどこですか…?僕は死んだんじゃ、ないんですか…?」

言われた通り聞きたいことを聞いたのだが、柔らかく微笑んでいたマリアの顔が一瞬泣きそうに歪んだ。

「そんなはずありませんわ…っ!ここは神殿です…!安心してください、神官達は立ち入らないよう騎士が警備していますから」

そうか、神殿に戻ってきてしまったのか。
それは、瑠璃はまだということなのか。
騎士達は瑠璃を監視するために神殿に配備されたのだろうか。

「ぃ、いや、です…神殿はいやだ…」
「不安に思う気持ちも分かりますわ。ですが、神殿が一番安全なのです。必ず、私達が必ず貴方を守ると誓いますわ…!今までの辛いことはどうか忘れてくださいまし…」

殴られるかもしれない、そう恐れながら嫌だと伝えるが、マリアは懺悔でもするように瑠璃の両手を握ったまま額に当てて頭を垂れた。
どうしてマリアが瑠璃に頭を下げるのか、どうして殴られないのか、瑠璃には分からず思考はグルグルと混乱を極めた。

「なにかして欲しいことはありませんか?ルリさんのためなら何でもしますわ。…貴方がこんな目に遭っているのは、わたくしのせいですもの…」

マリアの言葉はしりすぼみなっていて、最後の方はよく聞き取れなかった。
いずれにせよ、瑠璃がして欲しいことなどただひとつしかない。

「そうですわ、神子様を呼びますか?先程はまだ混乱されているようでしたし…」
「まって…!しろはやだ…っ!」

提案しながら既に立ち上がって部屋の外にいるであろう白を呼びに行こうとしたマリアを急いで引き止める。

「る、ルリさんっ!分かりました、神子様は呼びませんから、安静にしてくださいまし…!」

立ち上がったマリアの腕にしがみついたせいで、バランスを崩してベッドの上から転げ落ちそうになってしまった。
先程から嫌だ嫌だばかりで子供じみた我儘を言っている瑠璃にも苛立ちを見せず、むしろずっとどこか申し訳なさそうにしているマリアは不思議だと感じた。
そんなことを言っては失礼なのは分かっているから口に出して言うわけは無いのだが。

「ルリさんは今体力が減っていますから、治癒魔法もかけられないのです。暫くは絶対安静!ですわ!」

治癒魔法をかけられないと言っても、体の至る所に巻かれた包帯は白く清潔で、消毒液のような匂いを感じる。
これほど丁寧な治療を受けて、こんな恩を自分に返すことが出来るのだろうかと不安になる。

「あ、あの、してほしいこと、なんですけど…」
「はい!なんなりとお申し付けくださいまし」

「なにもしなくて大丈夫です、ただ騎士様を呼んで欲しいです」
「騎士様ですか…呼んで欲しい騎士は誰でもいいのでしょうか?呼ぶことはもちろん可能ですが…何故ですか?」

意識を失う直前に瑠璃を抱き抱えた騎士にもう一度会いたかった。
マリアにではなく、その騎士にして欲しいことがあるのだ。
瑠璃自信には勇気がなくてどうしても出来なかったことを、その騎士にして欲しいと願った。

「えっと、お名前は知らないんです…体が大きな、きらきらした目の方を呼んでほしくて…」
「あぁ、でしたらアルフォンス様ですわね。ルリさんを助ける時に、…いえ、なんでもありません」

瑠璃を助ける時にいた騎士だと言おうとしたのだろうが、瑠璃に過去を思い出させることを危惧したのか途中で言葉を区切った。

「たぶんそうです。あの方は、その、強いんですか?」
「それはもちろん、王国最強だと名高い方ですからとてもお強いですよ。警備が不安なのですよね。安心してくださいまし、アルフォンス様は元よりルリさんの警備に就く手筈になっておりますから」

安心して欲しいと言うが、瑠璃にとっては安心できる材料にはならない。
そもそも、警備を厚くして欲しいなど望んでいない。

「いえ、警備はいらないです…」
「あんなことがあった後です、警備は就きますわよ。騎士の手を煩わせるなどはお考えにならないでくださいね。私も警備に加わりますし、しっかりルリさんをお守りしますから、安心なさってください」

瑠璃が自らの手を揉んで不安をまぎらわせているように見えるせいか、マリアはやたら警備の厚さについて安心して欲しいと主張している。

「…?違います、守って欲しい訳じゃないんです」
「えっと…?守る以外でアルフォンス様に頼みたいことがあるんですのね?それは教えてくださいませんか?」

瑠璃が騎士に望むことは守るとは正反対の事だ。
そんなこと知った上でマリアは瑠璃に話しかけた訳では無いのかと、事態が余計に分からなくなる。
白に会ったのなら、も聞いたのでは無いのか。
そもそも瑠璃が魔族であるということはマリアは知らないのだろうか。

「僕が人間じゃないって聞いてないんですか…?騎士様が僕のことを放っておくわけがないと思ったんですけど…」
「…ルリさん、これだけははっきりさせてください。アルフォンス様はもちろんですが、この国の近衛騎士にルリさんを差別する人間などいないのです。貴方は何不自由なく、暖かい場所で暮らす権利があるのですよ」

マリアが何を言っているのか瑠璃には理解出来なかった。
言葉の意味は分かるのだが、瑠璃に向かってそんなことを言う理由が分からないのだ。
白に会ったのなら、瑠璃が許されない人間であるなど知っているはずだ。
瑠璃に暖かい場所で暮らす権利などありはしない。

まさか、マリアも瑠璃を騙そうとしているのだろうか。
この世界で瑠璃の味方をしてくれる可能性があるのはマリアだけだと思ってしまったのは間違いだったのか。
マリアの暖かい言葉で少しでも解れていた心が、急速に冷たくなっていくのを感じる。

また期待してしまった。
何度間違えれば気が済むのだろうかと、瑠璃は自分の不出来な頭を恨んだ。

「あの、とにかく、騎士様に会えばもうご迷惑をかけることも無くなると思うので…」

握られていた両手をすっと引っ込めて、マリアから距離をとるように後ずさった。

「ルリさん?ああっ、すみません、急に触られるのは嫌でしたよね…!」

あの部屋を訪れた男で、ここから出してあげると甘い言葉を吐いたくせに、結局他の男と同じかそれ以上に瑠璃を痛めつけて笑っていた男がいたのを思い出す。
目の前で瑠璃の機嫌を伺うように困ったような笑顔を浮かべるマリアが、その時の男に見えてくる。

「もう、大丈夫ですから…とにかく騎士様を呼んでください…」

きゅっと唇を引き結んで俯いてしまった瑠璃を見て、今度はマリアが不安感に苛まれる番だった。

「……ルリさん、ごめんなさい」

突如マリアに謝られたかと思えば、扉が開く音と共にふっと意識が遠のいた。
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