13 / 24
神子と騎士と幼なじみ
第11話 匂いを辿ってー白sideー
しおりを挟む
「ふざけんじゃねえぞ!!」
神殿の廊下には白の怒号が響いていた。
「し、しかし神子様ッ、あの者は魔族ですぞ…!?そんな存在を人間と同等に扱うなど、血迷っておられるのですか!?」
案内された瑠璃の部屋だと言われる場所を見て、白の怒りは頂点に達していた。
否、神官長の胸ぐらを掴みあげて怒鳴りつける白を制止する者がいない様子を見るに、怒りを感じているのは白だけでは無く騎士達も同様なようだった。
「瑠璃は人間だッ!瑠璃の目を見てそんなこと言ってるのかも知れねぇが、こんなことが許されるわけじゃねぇだろ!!」
こんなこと。それは目の前に広がる瑠璃の部屋を指した言葉だった。
重い足取りの神官長に案内された部屋は、おおよそ人が住める空間であるとは思えなかった。
今にも崩れそうに使い古された棚や物置の数々、長い間閉め切っていたと推測できるほど籠った埃臭い空気。
ここが人が住める部屋などではなく、人が立ち入らなくなった物置部屋かなにかであることは明らかだった。
1年前瑠璃が使っていたのか、布切れのように薄い毛布が埃をかぶって打ち捨てられているのを見て、白の怒りは爆発したのだ。
神官長は端から瑠璃を虐げるつもりで神殿で引き取ると言ったのだろう。
あの日別れてからどれほど寂しくて惨めな思いをさせたのだろう。
当時は神官長が怪しいと気づけなかった自分自身にも腹が立っていた。
「こんなこと、許されません。再度申しますが、貴方はルリさんの身の安全を保証すると自ら国王陛下に進言されたにも関わらず、このような部屋とも呼べない場所を与えて生活させていた。挙句、監視役である私にはそのことを隠して謀りましたね?貴方に限ってその意味がわからない訳では無いでしょう」
マリアが白の肩にそっと手を置いて、神官長に詰め寄る白を軽く制した。
神官長から視線を逸らさず語気を強めて気丈に振る舞うマリアだが、白の肩に置かれた細い手は小さく震えていた。
自分自身に腹が立っているのは白だけでは無い。
1年近く傍で見守っていたのに、とっくに瑠璃本人は連れ去られていたと気づけなかったマリアも、神官長に怒りを向ける以前に自分自身を許せないのだ。
きっと心の内には白と遜色無い程の激情を潜めている。
白は知らない話であったが、マリアも所謂家庭環境が複雑な少女であったせいで、グレンツェ王国内に自分の居場所が無かった。
ある日突然異世界に召喚され、挙句唯一の友人である白とも離れ離れにされ居場所が無かった瑠璃とマリアは似たもの同士だったのだ。
ひとりぼっち同士仲良くしよう、だなんてマリアからの少し寂しい提案がきっかけではあったが、瑠璃とマリアの間には他人には計り知れない絆が確かに芽生えていた。
だというのに、マリアは偽物の瑠璃に気付けなかった。
瑠璃の姿を模した魔法人形に気付けたのは、気配に敏感な獣人のルドルフ、そして魔法騎士として随一の実力を誇るアルフォンスとオルキナスの魔力探知能力あればこそだ。
マリアが気付けないのも無理は無い事だった。
「このことは私からアンドレアス国王陛下に報告させていただきます。貴方の処遇はまた後ほど。さあ、私達の前から姿を消してくださいまし」
線の細い美しい少女にしか見えないマリアから放たれているとは思えない威圧感を露わにして、神官長に言い放った。
神官長はまだ何か言い訳を述べようとしたのか口をパクパクと開閉させたが、何も言い返せないまま踵を返して無様にその場を去った。
「…ありがとうマリアさん。あのままだと俺あのおっさんのことぶん殴ってた」
「あら、別にそのまま殴っても良かったんですのよ。ただ神子様が神官長に手を上げるより、今は監視役である私が言葉で神官長を黙らせた方がいいと思ったまでですわ」
マリアは先程までが夢であったかのように、威圧感を引っ込めて柔らかく笑っていた。
さっきから目の前のマリアという女性に白は驚かされっぱなしだった。
コロコロと表情を変える可憐な少女に見えたかと思えば、人の上に立つ者特有の威圧感を纏って支配者のような空気を醸す。
かと思えば次はまるで姉のように優しい表情を浮かべて白を宥めるのだ。
瑠璃の友人であり、その上悪い人間にはとても見えないはずのマリアだったが、あまりの変わり様につい不気味に感じてしまう。
目まぐるしいことが起こりすぎているせいで疑心暗鬼になっているだけだろうと、白はブンブンと頭を振ってそんな思考を追い出した。
「ありがとうございますマリア様。騎士の身分で神官長に物申すことは憚られたので助かります」
「お気になさらないでください。こういう時こそ私の立場が役に立つのです。たまにはお仕事をさせてください」
アルフォンスが腰を折ってマリアに礼を述べる。
いくら近衛騎士団が王家直属の騎士団であろうと、さすがに神官長の方が立場は上なのだろう。
何せ国教を司る神殿を取りまとめる立場の人間だ。先程の小物臭い態度さえ見なければ、国中の人間から無条件に崇拝されるような人間なのだ。
近衛騎士団の団長と言えど簡単に手出しできる相手では無い。
しかし自分は大したことはしていないとばかりに、マリアは顔の前で両手を振ってアルフォンスの頭をあげさせた。
マリアの謙虚な性格を知っているアルフォンスはこれ以上礼を重ねても却ってマリアを困らせてしまうだろうと、軽く笑みを浮かべることで礼の代わりとした。
「ルドルフ、この部屋からルリ殿の残穢は感じられますか?」
部屋の入口付近に立っていたルドルフにアルフォンスは声をかけた。
「……ルドルフ?」
ルドルフの耳で聞き取れなかった訳が無いだろうが、アルフォンスの声が聞こえていないのか部屋の入口付近で立ったまま微動だにしない。
「どうしたんだ?お前図体でかいんだから入口塞がれると俺たち入れないんだけど」
「……ロルフ…」
アルフォンスの問に返答しないルドルフに痺れを切らした白がルドルフの肩に手を置いて声をかける。
依然周りの声が聞こえていない様子のルドルフだったが、ぼそりと小さな声で何かを呟いた。
「え?いまなんて?」
短く呟かれたそれを聞き取ることが出来ず白が聞き返す。
「……ロルフだ、この部屋、ロルフの匂いがする……!」
「うわっ」
白が聞き返すや否やルドルフが勢いよく振り返った。
振り返ったルドルフは目を見開いて、気が急いている様子だった。
獣人らしくかなり上背があるルドルフが勢いよく振り返ったせいで白は思わずたたらを踏む。
「ルドルフ、それは本当ですか?」
ロルフという名前を聞いて突如アルフォンスが纏う空気がピリッと張り詰めた。
白もその理由に心当たりがある。
ロルフ、その名前に白も聞き覚えがあったのだ。
ロルフとはある日獣人奴隷狩りに遭って生き別れとなってしまったルドルフの実の弟の名前であった。
獣人差別が根絶されず、未だに獣人を奴隷として使役しているのはグレンツェ王国の隣国にあたるエーデン王国であるのは有名な話らしい。ロルフも恐らくエーデン王国の何者かに拐われたのだとルドルフが言っていたのを覚えている。
獣人差別が酷いエーデン王国に1人で潜入してロルフを助け出すことは無謀だと判断したルドルフは、地位を得た上でロルフを探し出すためグレンツェ王国で騎士に志願したと、旅の道程で打ち解けるうちに話してくれたルドルフの生い立ちだった。
そしてルドルフはたった今、この部屋でロルフの匂いがすると言った。
それはロルフ捜索にあたり大きな手がかりになるだろうことは白にも分かった。
しかし不可解なのは、グレンツェ王国の王都に位置する神殿の、それも瑠璃が使っていたと言われた部屋でロルフの匂いが残っているという点だ。
「本当っす。俺とロルフは一心同体なんだ、匂いも気配も間違えるはずが無い」
「ロルフって、ルドルフの弟だったよな!?じゃあ匂い辿ったら弟のこと見つけられるんじゃねぇか!てかなんで瑠璃の部屋にルドルフの弟が?エーデンにいるかもって言ってなかったか?あと瑠璃の匂いはここに残ってるのか?瑠璃の匂いも辿れそうか!?」
「まて、待ってくれ神子さん、そんな一気に答えられねえ。確かに匂いは残ってるけど、多分これはロルフと一緒にいた別の誰かの匂いだ。ロルフ本人がここにいたって感じの匂いじゃない」
白が興奮を抑えられずに矢継ぎ早に質問を重ねたせいで、ルドルフは却って少し落ち着けたらしい。
「なるほど…であれば別の誰かに心当たりはありますか?」
「いや……この部屋に残ってるのはルリさんとロルフの匂い、あとは多分会ったことねえ人間だ。……です」
ルドルフが鼻をすんすんと鳴らし、気配を慎重に探りながら部屋の中を見渡す。
「会ったこと無いならどこの誰かは分かんないかな~……」
「誰かまでは分かんねえけど、多分エーデンの人間だ。それもこの気配だと相当手練だと思う」
オルキナスが弱音を吐いた所でルドルフはその意見を否定する。
会ったことが無い人物の匂いだと言ったが、その人物がどれほどの実力を持っているかは気配である程度判断できるらしい。
「それはあの魔法人形を作った者の匂いということで間違いないですか?」
「そうっす。俺は魔法の事あんま詳しくねえけど、ルリさんの偽モンの匂いとこの部屋の匂いが似てるってことは分かる。ロルフの匂いが移ってる人間で魔法が使えるってことはエーデンの人間の可能性が高ぇと思うっす」
魔法のことも匂いや気配のことも分からない白は騎士達のやり取りをそわそわしながら見ていることしか出来ないが、目の前に広がる汚れた物置部屋から思っていた以上の収穫があったことは分かった。
獣人奴隷狩りをするのはエーデン王国の人間だ。
奴隷狩りに遭ったロルフの匂いが移っている人間はエーデン王国の者である可能性が高い、つまりはそういうことだろう。
「だとすると厄介ですね。もしその人物がルリ殿の偽物を作った者だったとして、誰にも気付かれないほど精巧な魔法人形を1年近く維持するだけの実力を持つ魔法士となると、常軌を逸した力だと言わざるを得ません」
「んー、アルフォンスが言うなら相当だねぇ。しかもロルフ君の匂いが移ってるってことは獣人奴隷を使役している可能性もあるってことでしょ?主人に逆らえない獣人達に特攻なんてされたら流石の俺たちでも骨が折れるな~」
「どんな野郎でも俺がぶちのめしてやるっす。あと俺は他の獣人よりちょっと強い。なんも問題ねぇ」
アルフォンスとオルキナスは謎の人物に思考を巡らせているが、ルドルフは完全に臨戦態勢に入って息巻いている様子だった。
口出しこそしていなかったが、白だってルドルフと同じ気持ちだった。
何せその人物は瑠璃を拐った犯人である可能性が高く、挙句未だに獣人を奴隷として使役する外道なのだ。
一発と言わず何度か殴らないと気が済まない。
「ルドルフ落ち着きなさい。貴方の探知能力は信用していますから、ロルフの主人もしくは関係者がルリ殿の魔法人形を作り出したということでほぼ間違い無いと思います。この部屋に匂いが残っているのも、魔法人形の触媒としてルリ殿の毛でも採取するために立ち入ったのでしょう」
「あざっす!多分そういうことっす」
息巻いていたルドルフだったが、アルフォンスの信用しているというたった一言で、毛足の長いしっぽをブンブンと揺らして嬉しそうな様子が隠せなくなっている。
「だとしても、エーデンの人間がそんなことをする理由が分からないよね。どうしてルリ君を狙ったのかな」
「そうだよ!ていうか瑠璃が俺と一緒に召喚されたって話は秘密にされてるんじゃ無かったのか?」
白の頭に瑠璃が神子だったから他国から狙われたという可能性が過ったが、同時に瑠璃の存在は秘匿されていたことを思い出す。
神子は特殊な力を持つが故に様々な勢力から命を狙われる可能性がついてまわる。
実際浄化の旅の途中でも何度か襲撃に遭ったのだが、優秀な近衛騎士の護衛のおかげもあり白は無傷のまま1年間を過ごすことが出来た。
同じ神子である瑠璃が拐われるならば理解できなくもないが、瑠璃はそもそも浄化魔法が使えないはずだ。
この世界に召喚されて直ぐに行われた魔力測定でそれは判明している。
白には強力な浄化魔法の素質が発現したが、瑠璃にはそれが無かったのだ。
しかし白と同じ世界の出身ならば浄化魔法の素質は持っているかもしれない、とかつて神官長が言っていたことを思い出す。
ならば瑠璃を拐ったであろうエーデンの人間はそのことを知っていたのだろうか。
警備が厚い白では無く、結界が張られているとはいえ非戦闘員が多い神殿内に住む瑠璃を狙ったのか。
「ルリ殿のことは王宮と神殿、そして我々近衛騎士しか知らないはずですが、どこかから情報が漏れている可能性があります。マリア様、神官長にはルリ殿のことに関して口止めをしておいて下さい」
「もちろんですわ。それに、もし犯人がエーデンの人間ならば私にも責任がございます」
深刻な表情をしてルドルフ達の見解を聞いていたマリアが口を開く。
なぜエーデンの人間がしでかした事がマリアの責任になるのか、気になりはしたが今深堀している暇は無いとそのまま話を続ける。
一体誰が何のために瑠璃の情報を漏らしたのか、そして何の目的があって瑠璃を拐ったのか、分からないことばかりだったが白の胸中には瑠璃への心配や言い知れぬ不安がぐるぐると渦巻いていた。
「ルドルフが匂い辿れるってんなら、今すぐにでも出発して瑠璃に会いに行きたい。王様への挨拶とかしてる暇なんかねえよ」
「そうですね。ですが国王陛下へ帰還の報告も瑠璃殿のことも話しておかなければなりません。マリア様、後ほど伝達魔法を飛ばしますと国王陛下にご報告いただいてもよろしいでしょうか?」
「承りましたわ。確かに国王陛下へ伝えさせて頂きます。私も何か手がかりになることがあれば都度報告いたしますわ」
監視役という特殊な立場のマリアがこちらに協力してくれるのは素直にありがたいと思えた。
どことも知れぬ場所にたった一人で連れ去られた瑠璃の身が心配で仕方が無い。
「気配が続く方角なら嗅ぎ分けられる。時間はかかっちまうけど、絶対ロルフもルリさんも見つけてやる」
言葉遣いも荒くて粗野に見えるルドルフだが、それでも白を守るために同行している頼れる騎士だ。
白の不安な気持ちを少しでも打ち消そうと頼もしい言葉をかけるルドルフのおかげで、少し心を落ち着けることが出来た。
「よしっ!!」
白は頬を両手でパンっと叩いて自らを奮い立たせる。
覚悟を決めた様子の白に続いて、白達一行はつい先程訪れたばかりの神殿を後にした。
神殿の廊下には白の怒号が響いていた。
「し、しかし神子様ッ、あの者は魔族ですぞ…!?そんな存在を人間と同等に扱うなど、血迷っておられるのですか!?」
案内された瑠璃の部屋だと言われる場所を見て、白の怒りは頂点に達していた。
否、神官長の胸ぐらを掴みあげて怒鳴りつける白を制止する者がいない様子を見るに、怒りを感じているのは白だけでは無く騎士達も同様なようだった。
「瑠璃は人間だッ!瑠璃の目を見てそんなこと言ってるのかも知れねぇが、こんなことが許されるわけじゃねぇだろ!!」
こんなこと。それは目の前に広がる瑠璃の部屋を指した言葉だった。
重い足取りの神官長に案内された部屋は、おおよそ人が住める空間であるとは思えなかった。
今にも崩れそうに使い古された棚や物置の数々、長い間閉め切っていたと推測できるほど籠った埃臭い空気。
ここが人が住める部屋などではなく、人が立ち入らなくなった物置部屋かなにかであることは明らかだった。
1年前瑠璃が使っていたのか、布切れのように薄い毛布が埃をかぶって打ち捨てられているのを見て、白の怒りは爆発したのだ。
神官長は端から瑠璃を虐げるつもりで神殿で引き取ると言ったのだろう。
あの日別れてからどれほど寂しくて惨めな思いをさせたのだろう。
当時は神官長が怪しいと気づけなかった自分自身にも腹が立っていた。
「こんなこと、許されません。再度申しますが、貴方はルリさんの身の安全を保証すると自ら国王陛下に進言されたにも関わらず、このような部屋とも呼べない場所を与えて生活させていた。挙句、監視役である私にはそのことを隠して謀りましたね?貴方に限ってその意味がわからない訳では無いでしょう」
マリアが白の肩にそっと手を置いて、神官長に詰め寄る白を軽く制した。
神官長から視線を逸らさず語気を強めて気丈に振る舞うマリアだが、白の肩に置かれた細い手は小さく震えていた。
自分自身に腹が立っているのは白だけでは無い。
1年近く傍で見守っていたのに、とっくに瑠璃本人は連れ去られていたと気づけなかったマリアも、神官長に怒りを向ける以前に自分自身を許せないのだ。
きっと心の内には白と遜色無い程の激情を潜めている。
白は知らない話であったが、マリアも所謂家庭環境が複雑な少女であったせいで、グレンツェ王国内に自分の居場所が無かった。
ある日突然異世界に召喚され、挙句唯一の友人である白とも離れ離れにされ居場所が無かった瑠璃とマリアは似たもの同士だったのだ。
ひとりぼっち同士仲良くしよう、だなんてマリアからの少し寂しい提案がきっかけではあったが、瑠璃とマリアの間には他人には計り知れない絆が確かに芽生えていた。
だというのに、マリアは偽物の瑠璃に気付けなかった。
瑠璃の姿を模した魔法人形に気付けたのは、気配に敏感な獣人のルドルフ、そして魔法騎士として随一の実力を誇るアルフォンスとオルキナスの魔力探知能力あればこそだ。
マリアが気付けないのも無理は無い事だった。
「このことは私からアンドレアス国王陛下に報告させていただきます。貴方の処遇はまた後ほど。さあ、私達の前から姿を消してくださいまし」
線の細い美しい少女にしか見えないマリアから放たれているとは思えない威圧感を露わにして、神官長に言い放った。
神官長はまだ何か言い訳を述べようとしたのか口をパクパクと開閉させたが、何も言い返せないまま踵を返して無様にその場を去った。
「…ありがとうマリアさん。あのままだと俺あのおっさんのことぶん殴ってた」
「あら、別にそのまま殴っても良かったんですのよ。ただ神子様が神官長に手を上げるより、今は監視役である私が言葉で神官長を黙らせた方がいいと思ったまでですわ」
マリアは先程までが夢であったかのように、威圧感を引っ込めて柔らかく笑っていた。
さっきから目の前のマリアという女性に白は驚かされっぱなしだった。
コロコロと表情を変える可憐な少女に見えたかと思えば、人の上に立つ者特有の威圧感を纏って支配者のような空気を醸す。
かと思えば次はまるで姉のように優しい表情を浮かべて白を宥めるのだ。
瑠璃の友人であり、その上悪い人間にはとても見えないはずのマリアだったが、あまりの変わり様につい不気味に感じてしまう。
目まぐるしいことが起こりすぎているせいで疑心暗鬼になっているだけだろうと、白はブンブンと頭を振ってそんな思考を追い出した。
「ありがとうございますマリア様。騎士の身分で神官長に物申すことは憚られたので助かります」
「お気になさらないでください。こういう時こそ私の立場が役に立つのです。たまにはお仕事をさせてください」
アルフォンスが腰を折ってマリアに礼を述べる。
いくら近衛騎士団が王家直属の騎士団であろうと、さすがに神官長の方が立場は上なのだろう。
何せ国教を司る神殿を取りまとめる立場の人間だ。先程の小物臭い態度さえ見なければ、国中の人間から無条件に崇拝されるような人間なのだ。
近衛騎士団の団長と言えど簡単に手出しできる相手では無い。
しかし自分は大したことはしていないとばかりに、マリアは顔の前で両手を振ってアルフォンスの頭をあげさせた。
マリアの謙虚な性格を知っているアルフォンスはこれ以上礼を重ねても却ってマリアを困らせてしまうだろうと、軽く笑みを浮かべることで礼の代わりとした。
「ルドルフ、この部屋からルリ殿の残穢は感じられますか?」
部屋の入口付近に立っていたルドルフにアルフォンスは声をかけた。
「……ルドルフ?」
ルドルフの耳で聞き取れなかった訳が無いだろうが、アルフォンスの声が聞こえていないのか部屋の入口付近で立ったまま微動だにしない。
「どうしたんだ?お前図体でかいんだから入口塞がれると俺たち入れないんだけど」
「……ロルフ…」
アルフォンスの問に返答しないルドルフに痺れを切らした白がルドルフの肩に手を置いて声をかける。
依然周りの声が聞こえていない様子のルドルフだったが、ぼそりと小さな声で何かを呟いた。
「え?いまなんて?」
短く呟かれたそれを聞き取ることが出来ず白が聞き返す。
「……ロルフだ、この部屋、ロルフの匂いがする……!」
「うわっ」
白が聞き返すや否やルドルフが勢いよく振り返った。
振り返ったルドルフは目を見開いて、気が急いている様子だった。
獣人らしくかなり上背があるルドルフが勢いよく振り返ったせいで白は思わずたたらを踏む。
「ルドルフ、それは本当ですか?」
ロルフという名前を聞いて突如アルフォンスが纏う空気がピリッと張り詰めた。
白もその理由に心当たりがある。
ロルフ、その名前に白も聞き覚えがあったのだ。
ロルフとはある日獣人奴隷狩りに遭って生き別れとなってしまったルドルフの実の弟の名前であった。
獣人差別が根絶されず、未だに獣人を奴隷として使役しているのはグレンツェ王国の隣国にあたるエーデン王国であるのは有名な話らしい。ロルフも恐らくエーデン王国の何者かに拐われたのだとルドルフが言っていたのを覚えている。
獣人差別が酷いエーデン王国に1人で潜入してロルフを助け出すことは無謀だと判断したルドルフは、地位を得た上でロルフを探し出すためグレンツェ王国で騎士に志願したと、旅の道程で打ち解けるうちに話してくれたルドルフの生い立ちだった。
そしてルドルフはたった今、この部屋でロルフの匂いがすると言った。
それはロルフ捜索にあたり大きな手がかりになるだろうことは白にも分かった。
しかし不可解なのは、グレンツェ王国の王都に位置する神殿の、それも瑠璃が使っていたと言われた部屋でロルフの匂いが残っているという点だ。
「本当っす。俺とロルフは一心同体なんだ、匂いも気配も間違えるはずが無い」
「ロルフって、ルドルフの弟だったよな!?じゃあ匂い辿ったら弟のこと見つけられるんじゃねぇか!てかなんで瑠璃の部屋にルドルフの弟が?エーデンにいるかもって言ってなかったか?あと瑠璃の匂いはここに残ってるのか?瑠璃の匂いも辿れそうか!?」
「まて、待ってくれ神子さん、そんな一気に答えられねえ。確かに匂いは残ってるけど、多分これはロルフと一緒にいた別の誰かの匂いだ。ロルフ本人がここにいたって感じの匂いじゃない」
白が興奮を抑えられずに矢継ぎ早に質問を重ねたせいで、ルドルフは却って少し落ち着けたらしい。
「なるほど…であれば別の誰かに心当たりはありますか?」
「いや……この部屋に残ってるのはルリさんとロルフの匂い、あとは多分会ったことねえ人間だ。……です」
ルドルフが鼻をすんすんと鳴らし、気配を慎重に探りながら部屋の中を見渡す。
「会ったこと無いならどこの誰かは分かんないかな~……」
「誰かまでは分かんねえけど、多分エーデンの人間だ。それもこの気配だと相当手練だと思う」
オルキナスが弱音を吐いた所でルドルフはその意見を否定する。
会ったことが無い人物の匂いだと言ったが、その人物がどれほどの実力を持っているかは気配である程度判断できるらしい。
「それはあの魔法人形を作った者の匂いということで間違いないですか?」
「そうっす。俺は魔法の事あんま詳しくねえけど、ルリさんの偽モンの匂いとこの部屋の匂いが似てるってことは分かる。ロルフの匂いが移ってる人間で魔法が使えるってことはエーデンの人間の可能性が高ぇと思うっす」
魔法のことも匂いや気配のことも分からない白は騎士達のやり取りをそわそわしながら見ていることしか出来ないが、目の前に広がる汚れた物置部屋から思っていた以上の収穫があったことは分かった。
獣人奴隷狩りをするのはエーデン王国の人間だ。
奴隷狩りに遭ったロルフの匂いが移っている人間はエーデン王国の者である可能性が高い、つまりはそういうことだろう。
「だとすると厄介ですね。もしその人物がルリ殿の偽物を作った者だったとして、誰にも気付かれないほど精巧な魔法人形を1年近く維持するだけの実力を持つ魔法士となると、常軌を逸した力だと言わざるを得ません」
「んー、アルフォンスが言うなら相当だねぇ。しかもロルフ君の匂いが移ってるってことは獣人奴隷を使役している可能性もあるってことでしょ?主人に逆らえない獣人達に特攻なんてされたら流石の俺たちでも骨が折れるな~」
「どんな野郎でも俺がぶちのめしてやるっす。あと俺は他の獣人よりちょっと強い。なんも問題ねぇ」
アルフォンスとオルキナスは謎の人物に思考を巡らせているが、ルドルフは完全に臨戦態勢に入って息巻いている様子だった。
口出しこそしていなかったが、白だってルドルフと同じ気持ちだった。
何せその人物は瑠璃を拐った犯人である可能性が高く、挙句未だに獣人を奴隷として使役する外道なのだ。
一発と言わず何度か殴らないと気が済まない。
「ルドルフ落ち着きなさい。貴方の探知能力は信用していますから、ロルフの主人もしくは関係者がルリ殿の魔法人形を作り出したということでほぼ間違い無いと思います。この部屋に匂いが残っているのも、魔法人形の触媒としてルリ殿の毛でも採取するために立ち入ったのでしょう」
「あざっす!多分そういうことっす」
息巻いていたルドルフだったが、アルフォンスの信用しているというたった一言で、毛足の長いしっぽをブンブンと揺らして嬉しそうな様子が隠せなくなっている。
「だとしても、エーデンの人間がそんなことをする理由が分からないよね。どうしてルリ君を狙ったのかな」
「そうだよ!ていうか瑠璃が俺と一緒に召喚されたって話は秘密にされてるんじゃ無かったのか?」
白の頭に瑠璃が神子だったから他国から狙われたという可能性が過ったが、同時に瑠璃の存在は秘匿されていたことを思い出す。
神子は特殊な力を持つが故に様々な勢力から命を狙われる可能性がついてまわる。
実際浄化の旅の途中でも何度か襲撃に遭ったのだが、優秀な近衛騎士の護衛のおかげもあり白は無傷のまま1年間を過ごすことが出来た。
同じ神子である瑠璃が拐われるならば理解できなくもないが、瑠璃はそもそも浄化魔法が使えないはずだ。
この世界に召喚されて直ぐに行われた魔力測定でそれは判明している。
白には強力な浄化魔法の素質が発現したが、瑠璃にはそれが無かったのだ。
しかし白と同じ世界の出身ならば浄化魔法の素質は持っているかもしれない、とかつて神官長が言っていたことを思い出す。
ならば瑠璃を拐ったであろうエーデンの人間はそのことを知っていたのだろうか。
警備が厚い白では無く、結界が張られているとはいえ非戦闘員が多い神殿内に住む瑠璃を狙ったのか。
「ルリ殿のことは王宮と神殿、そして我々近衛騎士しか知らないはずですが、どこかから情報が漏れている可能性があります。マリア様、神官長にはルリ殿のことに関して口止めをしておいて下さい」
「もちろんですわ。それに、もし犯人がエーデンの人間ならば私にも責任がございます」
深刻な表情をしてルドルフ達の見解を聞いていたマリアが口を開く。
なぜエーデンの人間がしでかした事がマリアの責任になるのか、気になりはしたが今深堀している暇は無いとそのまま話を続ける。
一体誰が何のために瑠璃の情報を漏らしたのか、そして何の目的があって瑠璃を拐ったのか、分からないことばかりだったが白の胸中には瑠璃への心配や言い知れぬ不安がぐるぐると渦巻いていた。
「ルドルフが匂い辿れるってんなら、今すぐにでも出発して瑠璃に会いに行きたい。王様への挨拶とかしてる暇なんかねえよ」
「そうですね。ですが国王陛下へ帰還の報告も瑠璃殿のことも話しておかなければなりません。マリア様、後ほど伝達魔法を飛ばしますと国王陛下にご報告いただいてもよろしいでしょうか?」
「承りましたわ。確かに国王陛下へ伝えさせて頂きます。私も何か手がかりになることがあれば都度報告いたしますわ」
監視役という特殊な立場のマリアがこちらに協力してくれるのは素直にありがたいと思えた。
どことも知れぬ場所にたった一人で連れ去られた瑠璃の身が心配で仕方が無い。
「気配が続く方角なら嗅ぎ分けられる。時間はかかっちまうけど、絶対ロルフもルリさんも見つけてやる」
言葉遣いも荒くて粗野に見えるルドルフだが、それでも白を守るために同行している頼れる騎士だ。
白の不安な気持ちを少しでも打ち消そうと頼もしい言葉をかけるルドルフのおかげで、少し心を落ち着けることが出来た。
「よしっ!!」
白は頬を両手でパンっと叩いて自らを奮い立たせる。
覚悟を決めた様子の白に続いて、白達一行はつい先程訪れたばかりの神殿を後にした。
104
お気に入りに追加
269
あなたにおすすめの小説
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。


6回殺された第二王子がさらにループして報われるための話
あめ
BL
何度も殺されては人生のやり直しをする第二王子がボロボロの状態で今までと大きく変わった7回目の人生を過ごす話
基本シリアス多めで第二王子(受け)が可哀想
からの周りに愛されまくってのハッピーエンド予定

運命を変えるために良い子を目指したら、ハイスペ従者に溺愛されました
十夜 篁
BL
初めて会った家族や使用人に『バケモノ』として扱われ、傷ついたユーリ(5歳)は、階段から落ちたことがきっかけで神様に出会った。
そして、神様から教えてもらった未来はとんでもないものだった…。
「えぇ!僕、16歳で死んじゃうの!?
しかも、死ぬまでずっと1人ぼっちだなんて…」
ユーリは神様からもらったチートスキルを活かして未来を変えることを決意!
「いい子になってみんなに愛してもらえるように頑張ります!」
まずユーリは、1番近くにいてくれる従者のアルバートと仲良くなろうとするが…?
「ユーリ様を害する者は、すべて私が排除しましょう」
「うぇ!?は、排除はしなくていいよ!!」
健気に頑張るご主人様に、ハイスペ従者の溺愛が急成長中!?
そんなユーリの周りにはいつの間にか人が集まり…
《これは、1人ぼっちになった少年が、温かい居場所を見つけ、運命を変えるまでの物語》


王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?
名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。
そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________
※
・非王道気味
・固定カプ予定は無い
・悲しい過去🐜のたまにシリアス
・話の流れが遅い
男子高校生だった俺は異世界で幼児になり 訳あり筋肉ムキムキ集団に保護されました。
カヨワイさつき
ファンタジー
高校3年生の神野千明(かみの ちあき)。
今年のメインイベントは受験、
あとはたのしみにしている北海道への修学旅行。
だがそんな彼は飛行機が苦手だった。
電車バスはもちろん、ひどい乗り物酔いをするのだった。今回も飛行機で乗り物酔いをおこしトイレにこもっていたら、いつのまにか気を失った?そして、ちがう場所にいた?!
あれ?身の危険?!でも、夢の中だよな?
急死に一生?と思ったら、筋肉ムキムキのワイルドなイケメンに拾われたチアキ。
さらに、何かがおかしいと思ったら3歳児になっていた?!
変なレアスキルや神具、
八百万(やおよろず)の神の加護。
レアチート盛りだくさん?!
半ばあたりシリアス
後半ざまぁ。
訳あり幼児と訳あり集団たちとの物語。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
北海道、アイヌ語、かっこ良さげな名前
お腹がすいた時に食べたい食べ物など
思いついた名前とかをもじり、
なんとか、名前決めてます。
***
お名前使用してもいいよ💕っていう
心優しい方、教えて下さい🥺
悪役には使わないようにします、たぶん。
ちょっとオネェだったり、
アレ…だったりする程度です😁
すでに、使用オッケーしてくださった心優しい
皆様ありがとうございます😘
読んでくださる方や応援してくださる全てに
めっちゃ感謝を込めて💕
ありがとうございます💞
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる