ひとのかたち

織賀光希

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「ミカ、そのピンクのバッグ可愛いな」
「でしょ。これカミーラのオウチなの」
「えっ、カミーラちゃんって、お人形さん?」
「そう。一番はじめにウチにきた子なの」
「あっ。ママが一番初めにプレゼントした子よね。懐かしいわ」
 娘は、ピンクの可愛らしいバッグから、そっと何かを取り出す。中からは、細身のお人形さんが、姿を現した。バッグと同系色のお洋服を着た、手のひらサイズのお人形さんだ。

 スラッとしていて、スタイルのいいお人形さん。アメリカ美女と呼ぶべき、美しさ溢れるお人形さん。それは、あのお人形さんに、とても似ていた。僕が生まれる前、もうすでに世界中で流行っていた、あのお人形さんに。
 妻は、それを懐かしいと言う。娘は、それをまるで、わが子のように扱う。スリスリと、頬に擦りつけていた。僕はというと、それを今までに、一度も見たことがなかった。見た覚えがない。今日、初めて見た。

 アメリカ美女のカミーラを、ピンクのバッグにいれて持ち歩く娘。普通なら、微笑ましい光景だ。しかし、僕たち夫婦にとっては、気掛かりの塊だった。
 部屋の中にいる、お人形さん。娘の人形化の、最大の原因と思われるお人形さん。それが今、ここに存在しているのだから。
 せっかく、夢の国に来たので、楽しみたい。でも、お人形さん特有の状態が、娘の身に乗り移ってしまうかもしれない。
 現実から逃げてきたようなものなのに、ここでも現実が押し寄せてくる。僕は、もうどうしたらいいか分からない。何も起こらないことを祈りながら、笑顔で歩を進めた。

「カミーラはね、ずっと暗いところで、お眠りしていたの」
「そうか。だから、あまり見たことがなかったんだね」
「うん。ずっとずっと、このバッグのなかだけで、生活していたからね」
「大好きなんだね、ミカはこのお人形さんのことが」
「そうだよ。ほんとうに大切な、お人形さんなの。だから、どうしても夢の国に、連れてきたくて」
 娘の腕に、優しく抱えられたお人形さんを、まじまじと見つめた。金髪が、この国の街並みに映える。細いカラダが、この国で、存在感を抜群に放つ。

 ピンク色のバッグ、という名のお城で、金色の髪がより光り輝く。ピンク色も金色も、この世界に馴染む。娘のワンピースの赤色も、この国では、絶妙に馴染んでいた。
 カミーラというお人形さんからは、負の要素は、ほぼ感じない。ずっと、ピンクのバッグに入れられていたと、感じさせない。表面から、何も滲み出てはいなかった。
 苦しい顔を、することなく。不自然な微笑みを、することなく。ナチュラルな微笑みを、周囲に振り撒くだけだった。

 ずっと、閉じ込められていた腹いせ。それで、娘をお人形さんの世界へ、引きずり込もうとしているのではないか。
 娘をお人形さんに近づける。それで、お人形さんの気持ちを考えさせる。その結果、自らの存在を、思い出させようとしたのではないか。
 そのような考えが、脳内にドバドバと降ってきた。色々、考えを巡らせたが、全くそれらが当てはまらない。カミーラの表情を、見る限りでは。

 その時、僕はあることを思った。娘よりも僕の方が、お人形さんの世界へ、引きずり込まれていると。
「ミカ。次はどこ行きたい?」
「ミカね、プリンセスドールクルーズに乗りたいの」
「じゃあ、行こうか。楽しみだな」
「やった。ママもそれに乗りたかったの」
「方向はこっちでいいんだよね」
 妻が、普通の母として、娘の傍らにいる。お人形さんにコントロールされている娘の如く、妻が明るい。

 夢の国によって、妻の表情から不安がなくなっている気がした。妻の心も、読み取れない。夢の国の楽しい部分と、恐ろしい部分が、交互に押し寄せてきていた。
 目当てのアトラクションの建物は、メルヘン一色。外観から内装に至るまで、ほぼ、優しいピンク色。それに、目は宥められた。
 羽の生えた妖精のような、店員に導かれるがまま、乗り込む。頭上を気にしながら、低い体勢で。目の前に、何の障害物もない、特等席。その環境に、娘の声も一層、響きを深めていった。

 ピンク色を中心とした花が、あしらわれた船体。まわりは、沢山のテディベアや、お姫様のお人形で彩られている。お花畑や浜辺、人魚姫や妖精。そして、小人などがいる。ここには、お人形さんの世界観が、壮大に繰り広げられていた。
 娘だけでなく、僕ら世代にも通ずるような何かが、存在している感覚がある。心惹かれる何かが、ここにはある気がした。
 お人形さんが、ズラズラと整列している。この光景は、家のリビングを彷彿とさせた。ここに僕がある限り、思い出すことからは逃げ出せない。

 悪夢を、思い出さずにいることなんて、不可能に近い。夢の国にも、悪夢は溢れる。悪夢も歴とした夢。だから、こんな優しい国でも、少なからず、悪夢はうろうろしている。
 妻は、現実から逃げるように時折、下を向いていた。カラフルさ、淡さ、優しさ、可愛さ。表面だけを見れば、和やかになれる。でも、今の僕と妻に、まとわり付いている不幸せの破片。それが、いつでも、僕らを呑み込もうとする。
 妻は顔を上げ、決意を決めたように、前を見つめる。するとすぐに、ぎこちない笑顔を取り戻していった。

 娘の顔に、花が咲く。満面の桜が、柔らかく溢れ出した。花の芳醇な香りが、からだ中を包み込む。
 まわりの子供たちが、高音を放り投げるように、響かせる。この世に、存在を疑われるかのような、奇抜な声で。
 天を突き抜けるような、不協和音が飛び交う。異様という言葉以外では、表せない。そのくらいの空気が、ここには漂っていた。
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