ひとのかたち

織賀光希

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13のかたち

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 ココロは、歩みを進める。お人形さんから、徐々に遠ざかってゆく。僕の心は、通常運転に戻るまでは行かなかった。でも、落ち着きは確認することが出来るようになっていた。
 ココロの爪が、フローリングに当たる音が、カシャカシャと鳴る。ココロの地を這うような声が、静かに響く。ココロは心なしか、いつもより、優しい顔をしているように思えた。

 昔からココロと娘は、仲が良かった。家の中で、じゃれ合ったり、追いかけっこをしたり。近くの公園で、一緒にボール遊びをしたり。今は、お人形さんに夢中な娘だが、
 昔は、同じ熱量で、犬のココロを、全力で可愛がっていた。お人形さんと同じくらい熱中していた。
 ココロと娘には、深い絆がある。ココロと娘は、真の糸で繋がっている。だから娘は、すぐに戻って来れたのだろう。お人形さんの世界から、現実の世界へと。

 駆け寄ってくる娘に向かって、シッポを振る。そして、ピョンピョンと跳びはねるココロが、目を綻ばせた。妻の顔にも、笑顔の花が、ぽつりぽつりと咲いていた。
 もしかしたら、ココロも娘がお人形さんに呑み込まれていることに、感づいているのかもしれない。ココロには、娘の救世主としての役目を託したくなった。
 きっとココロは、お人形さんたちに害を加えたりしない。妻、娘、ペット、僕は笑って過ごしている。こんな当たり前のことに、理想の家庭を重ねてしまっていた。

 テレビと僕の間を、引き裂くように、ココロが右から左に突っ切る。隣では、久し振りに娘が、僕と同じ方向を見て座っている。
 隣で普通にしているだけで、どれだけ嬉しいか。一緒にテレビを見て笑っていられる時間が、どれだけ尊いか。娘を妻と僕で挟みながら、ソファに座る。
 肌に触れ合いながら過ごすことが、どれだけ幸せか。それらの事柄が、心身にジワジワと染みてきた。

 お人形さんに、忍び寄る影。お人形さんに、そっと近づく爪の音。テレビの豆知識よりも、娘の笑い声よりも気になる。妻の控えめなくしゃみよりも、ココロの行き先が、気になっていた。
 ココロは、お人形さんの海へと、グイグイ入ってゆく。きっと、空気を読んで、お人形さんたちをくわえることも、危害を加えることもない。そう信じていた。
 娘も、それを注意することはなかった。タコのように、ぐにゃぐにゃな体勢になりながら、テレビに齧りついていた。

 部屋の中心にある、テーブルの周りに戻ったココロ。穏やかに大人しく、足を動かしてゆく。ゆったりと優雅に、空気を掻き回さない程度に。
 僕の口は、眠気によって大きく開かれた。そこから、重低音を響かせる。リラックスが、僕の口をカバにさせた。暖かい空気に本来、元からあるはずの暖かみ。それが、やっとここに、加わったような感覚だった。
 突然、ココロは進行方向を変えた。お人形さんしか、見えていないかのように、ズカズカと歩みを進める。

 あの、決して大きいとは言えないカラダに付いている、小さな口を開けた。すると、娘と同サイズのクマさんをくわえて、逃げていった。
 暑さゆえに、リビングとキッチンの間の扉は、解放されていた。そこの隙間を通って、どんどん奥へ奥へと進んでいく。
 隣人の愛犬のココロが、未来の幸せまでくわえて、奥へ奥へと運んでいる気さえした。カシャッカシャッという、フローリングと爪とがぶつかり擦れる音が、より鮮明に聞こえ出す。

 娘よりも先に、軽めではあるが、叫んでいる自分がいた。娘よりも、目が泳いでいる自分がいた。娘は、何が起こったのか、状況が把握出来ていないみたいだ。ただ、オドオドしているだけだった。
 妻は、もうすでに、明後日の方向を向いていた。娘は、黒目がようやく定まった。そのまま一直線に、ドスンドスンと音をたてながら、キッチンへと向かっていく。

 リビング側の扉に、巨大なクマのぬいぐるみが、チラチラと見えた。独りでに、浮遊しているかのような光景だった。
 クマさんの下の方に、視線を移動すると、涼しい顔のココロが目に映る。まるで、小兵力士が200kgを越える力士を背負うような感じで。ココロは、クマさんをくわえながら、再びリビングに戻ってきた。疲れている気配は、全然しなかった。
 飛び抜けて大きな音が、存在しなかった空間。そこに、娘の叫び声が、ココロを追いかけるように飛ぶ。そして響き渡る。祟り、呪い、不幸せ、という言葉が、僕の脳裏を伝ってゆく。

 ココロという、優しさ溢れる名前を娘が叫んだ。でも、ココロはウォーミングアップの如く、身体を動かし続けている。どこか、楽しんでいるようにも聞こえる、娘の絶叫。それは、テレビから流れる野球の蘊蓄をも、遮るほどだった。
 お人形さんへの刺激は、僕への刺激。ココロは、戯れ合っているつもりだろう。でも、娘の顔も僕の心も、ちっとも笑ってなどいなかった。
 あれほど、耳に染み込んでいたテレビの蘊蓄たちが、今はもう、どうでもよくなっている。またひとつ、肩の荷が増えた。明日の娘に、悪い変化が起きていなければいいのだが。
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