ひとのかたち

織賀光希

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 僕にとってこの光景は、あまり実感の湧かないもの。嬉しさは爆発している。なのに、視界はずっとふわふわしていた。
 心もカラダも、どこか宙に浮いているような感覚があった。まさに夢のようだ。僕は夢の国を、すでに訪れているような気分に浸かっていた。

 飛び込んできた娘を、ずっと抱き締めていた。胸と腕で包み込んだ娘は、とても暖かい。ジワッとくる体温を感じた。娘の頬の柔らかさを胸で感じた。
 しっかりとした娘の握力を、首筋に感じた。娘が人間として、この世に生きている実感を、心に感じた。娘とする、夢の国についての会話は、幸せに包まれていた。

 妻の笑顔は、ここ最近で、一番飛び抜けていた。妻の手や足は、静寂を保っている。顔の動きも、やや控えめだ。しかし、妻の心が激しく踊り、高揚していることは明らかだった。
 妻は、僕以上に喜びを感じている。そして、僕以上に夢の国行きを、心待ちにしていることだろう。
 娘は、大勢のお人形さんに、会えることに喜んだ。僕や妻は、娘と共に出掛けることに喜んだ。喜びの種類は違えど、共に幸福を得たことに、変わりはなかった。

 娘が、お人形さんに、侵食されてしまう。そんな心配なんて、吹き飛んだ。今は幸福を、噛み締めるしかない。テレビからは、楽しそうな笑顔と笑い声が、流れて来ていた。
 やっと、テレビに部屋の中の空気が、追い付いた気がした。やっと、僕たち家族の幸せ水準が、平均に追い付いた気がした。

 強張っていた、家族三人の頬の筋肉は、急な変化に驚いていることだろう。いつもの何倍も、働かされているのだから。
 お人形さんになりきる娘は、お人形さんに弱い。娘の中のお人形さんは、お人形さんでしか越えられない。娘の喜びは尽きない。そして、奇声に近い高音を、部屋中に放ち続けていた。
 部屋にある全てのものが、明るく見える。ドタドタという足音や、着地音も頻りに聞こえてくる。

 笑って叫んで飛び跳ねて、走り回る娘の変化を改めて、まじまじと見つめていた。娘の眉毛は上を向いていた。
 お人形さんには不可能な、人間らしい笑顔を見せていた。そして、娘にしか出来ない複雑な手の動きで、喜びを表現していた。
 お人形さんのような、整いすぎたパーツを除く。すると、少し元気な普通の女の子にしか見えない。家庭を掻き回してきた娘。その娘が今は、走り回りながら良い方へ良い方へと、空気を掻き回していた。

「ゆめの国! ゆめの国! ゆめの国!」
「相当、嬉しいみたいね」
「うん。本当に久し振りだからな、出掛けるのが」
「私も、あなたとミカと出掛けられて、本当に嬉しいよ」
「僕も嬉しいよ」
「もう、ここが夢の国みたい」
「そうだな」
 フサフサッとした、クマさんのまわりを、娘はウロウロしていた。クマさんの横に座ってみたり。クマさんの後ろに隠れてみたり。クマさんの足の上に、もたれ掛かってみたり。仕舞いには、クマさんの足の上で、スヤスヤと眠ってしまった。

「わぁ、カワイイ」
 娘は、もごもごとした声で、寝言を漏らしていた。小さい口の動きと、小さな音量ではあったが、確かにそう聞こえてきた。どうやら、夢の国の夢を見ているらしい。
 夢の国が、娘にとってどんな存在なのか。お人形さんたちが溢れる世界が、娘にとってどんな存在なのか。それらが、手に取るように伝わってくる。

 僕は、娘の小さな身体を包み込み、優しく抱き抱えた。腕は、以前に抱いた時よりも、さらに大きな悲鳴を上げる。踏ん張る両方の足も、僅かによろめいていた。
 ひとりの人類としての、ズッシリ感が身体には、のし掛かっていた。娘がどんどん大きくなり、また大人へと近づいていることを実感する。聞こえてくる寝息が、娘を娘に戻してくれた気がした。

 傍らで、嬉しそうに微笑む妻にも、人間らしさが戻っていた。二階へ続く階段を、娘を抱えながら一気に駆け上がる。
 久方振りに足を踏み入れる部屋に、一瞬だけ躊躇いながらも、奥へと進んだ。娘は腕の中で、スヤスヤと気持ち良さそうに眠っていた。
 僕はフカフカの布団の上に、そっと娘を預けた。寝ている時が、一番いい顔をしている。寝ている時の顔が、一番幸せそうだ。
 お人形さんの横で、じっとしている時よりも、何よりも。今が一番幸せそうだ。僕も妻も、今日はぐっすりと眠れそうな気がする。この平穏な時間が、夢であるならば、覚めてほしくない。
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