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8のかたち
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妻の精神状態も、母親としての立場も、元の道に戻るのは難しいだろう。心配ごとは、ことあるごとに増えてゆく。決して減ることはなかった。
娘の本当の気持ちなんて、分からない。でも、妻も娘も僕も、それぞれ違う道を歩んでいる。そのことだけは、確実に分かっていた。
ひとつになっているように見えて、前から不安定だったのかもしれない。ひとつのきっかけで、急激にバタバタと崩れていった。完成間近の、トランプで作ったタワーに風が吹き、倒れてしまったかのように。
娘がもとに戻る日も。僕と妻が同じ道を歩く日も。近くはないことだけは、確かだ。
ずっと同じ顔で、固まる娘と、ずっと泣き顔で萎れる妻。そのふたつが、同じ視界の中に存在している。その中に怒り、哀しみ、優しさなどが、含まれている。だが、幸せはほとんど、伝わって来なかった。
耐えられなくなった身体は、首を右方向へと誘導してきた。テレビに目を移しても、場違いなCMのセクシーなシーンが執り行われているだけ。拠り所は、この場所にひとつも存在しなかった。
テレビと現実の、ミスマッチな取り合わせに、心臓でノイズが暴れ出した。緊迫と平和が、目をザラザラとさせる。いくら待っても、状況は良くならない。待っても、家庭は乱れるばかりだった。
どこにでもいるような、普通の家族に戻りたい。そのためには、何か方法を考えなくてはならない。そんな方法がこの世に存在するのなら、とっくに思い付いているはずだ。そんな方法があったらとっくに試しているはずだ。
暗闇は一層、暗さを増していった。考えている間にも、娘はどんどん、お人形さんに染まりゆく。時間が経過すればするほど、娘はお人形さんの成分を蓄えてしまう。
グリーンの髪の毛をした、お人形さん。明るい色の着物を着た、お人形さん。異国感のあるドール。不気味さや異様な雰囲気は、どのお人形さんも一級品だ。
動き出してしまいそうなほど、壮大なパワーを感じる。しかし、不気味さでは、娘もまわりのお人形さんたちを凌ぐまでに、変貌を遂げていた。
改めて、娘をじっと見つめてみた。右手に持ったハンカチを目に押し当て、呼吸を整える妻の、後ろ姿と共に。哀愁を帯びた不安定な背中だが、視線はしっかりと娘を捉えている。そんな想像が出来た。
真ん丸の目。シュッと長いまつ毛。美しくそびえる鼻。そして、ツルツルの肌にサラサラの髪の毛。
全てが整っている娘の顔。だが、それがかえって、不気味さを増幅させる。娘を見ることさえも、辛くなっていた。自らの娘に、不気味なんて言葉を使っては、いけないのかもしれない。でも、可愛さの後ろに、不気味さが迫ってきている。そのことに、目を瞑ることが、どうしても出来なかった。
壁に染み込んだ、焦げた魚の臭いが部屋を煙らせる。縦に二つ連なる、リモコンのボタンの下の方を連打した。すると、声を張り上げていた芸人の声は、囁きに変わっていった。
静けさを持続しかけていた空気に、遠くの方から救急車のサイレンが入り込む。そして、場が揺れる。救急車のサイレンは、救いようのない僕たち家族を、置いていった。あっという間に、通り過ぎていった。
魚の焦げた味が、娘への心配と共に、しつこく口の中に残る。その後も、僕は娘の顔を、長い間見つめた。娘の顔をずっと眺めていると、あることに気付いてしまった。
娘の本当の気持ちなんて、分からない。でも、妻も娘も僕も、それぞれ違う道を歩んでいる。そのことだけは、確実に分かっていた。
ひとつになっているように見えて、前から不安定だったのかもしれない。ひとつのきっかけで、急激にバタバタと崩れていった。完成間近の、トランプで作ったタワーに風が吹き、倒れてしまったかのように。
娘がもとに戻る日も。僕と妻が同じ道を歩く日も。近くはないことだけは、確かだ。
ずっと同じ顔で、固まる娘と、ずっと泣き顔で萎れる妻。そのふたつが、同じ視界の中に存在している。その中に怒り、哀しみ、優しさなどが、含まれている。だが、幸せはほとんど、伝わって来なかった。
耐えられなくなった身体は、首を右方向へと誘導してきた。テレビに目を移しても、場違いなCMのセクシーなシーンが執り行われているだけ。拠り所は、この場所にひとつも存在しなかった。
テレビと現実の、ミスマッチな取り合わせに、心臓でノイズが暴れ出した。緊迫と平和が、目をザラザラとさせる。いくら待っても、状況は良くならない。待っても、家庭は乱れるばかりだった。
どこにでもいるような、普通の家族に戻りたい。そのためには、何か方法を考えなくてはならない。そんな方法がこの世に存在するのなら、とっくに思い付いているはずだ。そんな方法があったらとっくに試しているはずだ。
暗闇は一層、暗さを増していった。考えている間にも、娘はどんどん、お人形さんに染まりゆく。時間が経過すればするほど、娘はお人形さんの成分を蓄えてしまう。
グリーンの髪の毛をした、お人形さん。明るい色の着物を着た、お人形さん。異国感のあるドール。不気味さや異様な雰囲気は、どのお人形さんも一級品だ。
動き出してしまいそうなほど、壮大なパワーを感じる。しかし、不気味さでは、娘もまわりのお人形さんたちを凌ぐまでに、変貌を遂げていた。
改めて、娘をじっと見つめてみた。右手に持ったハンカチを目に押し当て、呼吸を整える妻の、後ろ姿と共に。哀愁を帯びた不安定な背中だが、視線はしっかりと娘を捉えている。そんな想像が出来た。
真ん丸の目。シュッと長いまつ毛。美しくそびえる鼻。そして、ツルツルの肌にサラサラの髪の毛。
全てが整っている娘の顔。だが、それがかえって、不気味さを増幅させる。娘を見ることさえも、辛くなっていた。自らの娘に、不気味なんて言葉を使っては、いけないのかもしれない。でも、可愛さの後ろに、不気味さが迫ってきている。そのことに、目を瞑ることが、どうしても出来なかった。
壁に染み込んだ、焦げた魚の臭いが部屋を煙らせる。縦に二つ連なる、リモコンのボタンの下の方を連打した。すると、声を張り上げていた芸人の声は、囁きに変わっていった。
静けさを持続しかけていた空気に、遠くの方から救急車のサイレンが入り込む。そして、場が揺れる。救急車のサイレンは、救いようのない僕たち家族を、置いていった。あっという間に、通り過ぎていった。
魚の焦げた味が、娘への心配と共に、しつこく口の中に残る。その後も、僕は娘の顔を、長い間見つめた。娘の顔をずっと眺めていると、あることに気付いてしまった。
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