ひとのかたち

織賀光希

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7のかたち

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 娘が口に運ぶ料理の量は、一向に増えない。箸と箸の間に乗る米粒の量は、一桁の時もざらにあった。喋る回数は減り、咀嚼する回数の下降にも、歯止めは掛からなかった。
 娘は将来、自力で口を動かすことが出来ない、身体になってしまうかもしれない。近い将来、心も身体も、お人形さんそのものになってしまうかもしれない。そういう心配は尽きなかった。
 顎の筋肉が衰え、身体がやせ細ってしまうかもしれない。そんな不安が、絶えず、頭の中を駆け巡っていた。

 好きなロックバンドのボーカルが、テレビで、熱唱していた。スタンドマイクを両手で、抱え込むようにしながら。
 ドラムのシンバルの音や、ベースの重低音が、心臓に響く。ボーカルの、刺々しい金色の短髪や衣装が、目に突き刺さる。そして、ボーカルの高音の、滑らかな歌声が、心を撫でてゆく。
 聞き入っていると、僕の視界の左端の方に、妻が無言で現れた。その静かな佇まいが、余計に存在感を沸き立たせていた。妻は、テレビのロックスターにも、ソファの僕にも、視線を置かない。

 今日も、娘の前の席を陣取る。膝を娘に向けて座ると、見えていた赤いクッションは、一瞬で影を潜めた。テレビと現実の間には、膨大な差が生じていると、改めて感じた。
 妻は、落ち着いているように見える。でも、手には水分と微量の泡が、乗っかってしまっている。鼻の奥を適度に刺激する、洗剤の香りが、離れた場所にいる僕にも届いてしまう。そんな気さえした。

 娘は、いつ見てもお人形さん。良いか悪いかは別にして、娘は本物のお人形さんよりも、お人形さん。そんな言葉が似合っていた。置物よりも置物らしく。人間らしさも、必要最低限ではあるが、感じさせてくれた。
 娘ひとりだけ、時間が止められた空間に存在している。そう、考えてしまうことさえもある。そんな娘に、普通の生活に戻って欲しいのは、夫婦共通の願いだ。
 妻は、娘にお人形さんを、やめさせたくて仕方がない。そんな気持ちが強すぎて、前のめりで熱い視線を、娘に向かって放出していた。

「ミカ、ママと遊ぼうか?」
「ねえ、ママとお絵描きしようよ
「ミカは、何して遊びたい?」
「トランプは? ミカ」
「ねえ、ミカ遊ぼうよ」
「ママ、話し掛けないで。私、お人形さんやってるから」
「今日はこれくらいにして遊ぼうよ? ミカ」
「ねえ、ミカ?」
「ミカ、お願い」
「ミカってば」
「ミカ?」
「うるさい!黙ってよ、ママ」

 ついに、娘に反抗心が、芽生えてしまった。お人形さんには、決して芽生えることのない、苛立ちが。お人形さんから抜け出せば、娘は感情的になる。
 しつこくしなければ、お人形さんから人間に簡単には戻ってくれない。着実に娘は、お人形さんへの道を、突き進んでいた。簡単には、普通の小学生としての道に、戻れないかもしれない。そんな感情が、僕の中から噴き出してゆく。

 娘に背を向け、こちらに向いた妻の目からは、涙が溢れていた。頬を雫が伝う。上半身を預けている、テーブルの上には、水溜まりが出来ていた。
 赤と黒の、まだら模様の上に広がる、小さな水溜まり。そこに光が反射して、キラキラと輝く。腕に乗り掛かる、クシャッとした泣き顔は、ほとんど音を発していなかった。それが余計に、不安を誘い出す。

 妻は、ロングスカートの右ポケットから、おもむろにハンカチを取り出す。そして、頬に当てた。
 女性らしくないシワが、無数に見受けられるハンカチ。それを見て、僕の微笑みの欠片は、見え隠れする。
 邪念のない、淡い無地のハンカチ。それが、涙を吸い取ってゆく。その間も、娘は平然と、お人形さんとしての業務に、勤しんでいた。
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