ひとのかたち

織賀光希

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「あなた? 本当にミカを、このままにしておく気?」
「うん。ミカは顔に出さないだけで、心では、お人形さんになることを楽しんでいるよ。きっとね。心が笑顔なら、それでいいさ」
「そうかな?」
「ミカは熱中しやすいけど、ずっと飽きないわけがないから、大丈夫だよ。それに、お人形さんになりきってないときは、元気だし」
「うん、確かにそうだけど」

 ソファに、身を預けている僕。お人形さんたちに、身を預けている娘。その中間地点で、テーブルにくっつくように身を預け、こちらに顔を向ける妻。三人は同じようで、全く異なる方向に、歩んでいるように思えた。
 テレビでは、常識問題を、ナレーターが読み上げていた。しっとりとした低音で、脳に響き渡る。そして、アイドルのおバカ解答に、ドッと笑い声が起こる。
 テレビの中で起こる笑いの渦が、僕たち家族に反映されることはなかった。僕の表情の緩みは、凛と張り詰める空気に、制御されていた。

 難問クイズのコーナーに移り、ハテナが、よりいっそう宙に浮かび出す。いつもは、僕が答えられない問題に、娘がすぐ答える。考える暇も与えてくれないほど、素早く。
 この番組の問題で、快楽を得ていた、というのは間違いだ。娘の痛快な解答で、快楽を得ていた、と言った方が正しいかもしれない。
 だから、一人だけでテレビの方向を向いていても、心は常に重いものが括り付けられているような、状態だった。

 小学生の娘には、高校生並みの頭脳がある。その頭脳があるからこそ、あんなに可愛いお人形さんに、なりきれるのだろう。
 可愛い可愛い小学生の娘の中には、とんでもないものが潜んでいる。僕の手に負えない、何かが潜んでいる。そんなことを感じさせる、神秘性も漂わせながら、娘は今も一点を見つめていた。
 いつもなら、クイズに元気よく答える。いつもなら、クイズに楽しく回答し合う。いつもなら、笑って飛び跳ねる。
 そして、悔しがって地面を叩いたりもする。でも、その姿はここにはなかった。

 大好きなものの集合体の音声が、聞こえているはずなのに、娘はびくともしない。お人形さんに関する、問題が流れ出しても、娘が反応することは一切なかった。
 妻は、視界に入るテレビには目もくれずに、一点を見つめていた。赤くて丸くて、ビスケットのように平たいクッションに、膝を押し付けながら。
 食事をするときも、テレビを見るときも、本を読むときも、妻は今と全く同じ場所にいる。そこが妻の定位置だからだ。

 今は、食事の時とは逆の方向を向き、娘だけを見つめていた。動物園でパンダを見るときのように、じっと。
 妻は、無心で娘を、見つめているように見えた。動物園に、閉園の時刻まで居座るような、雰囲気を漂わせながら。妻と娘の距離は、お互いの唾を呑み込む音さえ聞こえてしまうほど、近かった。
 しかし、娘は妻を目の前にしても、動揺を身体に表さなかった。

 黒目は仁王立ちをし、足は床に張り付いているかのように、動かない。妻が、お人形さんに対して抱いている存在感と、同じようなもの。それを、お人形さんになりきっている娘も、妻に抱いているような気がした。
 異様な光景に、僕の心には、波風が立つ。僕の気持ちが身体を伝い、黄緑色のソファも揺れ出した。この目には、確かに娘と妻が映っている。姿カタチが、ここに存在している。

 娘には、子供部屋はない。だから、何をするにも、このリビング。だから、ずっと、娘の姿を見ることが出来ている。ずっと、綺麗な二人を見ることが出来ているのだから、これでも幸せな方。そう思うしかなかった。家族はいなくなっていない。家族はここにいる。
 娘は今日、ご飯よりも、お人形さんを選んだ。それは、お人形さんに憧れている娘であれば、普通のことだということに、気が付いた。

 娘が憧れてるお人形さんは、ご飯を食べない。ご飯を食べなくても、ここに存在し続けられる。娘はそれだけ、お人形さんのなりきりに、ストイックだということだ。
 人間が出来ることのほぼ全てを、お人形さんはすることが出来ない。だから、完璧にお人形さんになりきろうとする娘の未来が、心配で仕方がなかった。
 脳内にいる未来の娘からの揺らぎが、さらに、僕の心の揺さぶりを強くする。網戸には蛾が張り付く。そして、カーテンは、僕の動揺のように、ガサガサと揺れ動いていた。
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