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4のかたち
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「あなた? ミカはあの人形に呪われてるのかな?」
「気にしなくても大丈夫だって」
「でも、呪われた人形かもしれないし」
「ねえ、落ち着いて。大丈夫だから」
唐揚げの油でべたつく指。唐揚げの油で、べたつく指のように、べたべたと粘りつく胸のモヤモヤ。
テーブルの隅の、左手でギリギリ届く位置に置かれた箱に手を伸ばす。萎れながらも、立ち続けるティッシュ。それを、二枚引き抜き、指を擦り付けた。
纏わり付く油の不快感を、ティッシュが全て、吸い取ってゆく。ティッシュが届かない、胸の奥のモヤモヤは、そっとしておくしかなかった。油の染み込んだティッシュは、クシャクシャに丸めて、傍らに放置した。
妻の奥にある動きのない光景が、ただただ、僕の瞳をとろんとさせる。本来の娘ではない、無の感情を注入されたような姿。それを見続けていると、一瞬だけ可愛さが、怖さに変わる瞬間があった。
娘ではなく、娘の姿カタチをしたお人形さん。そう、割り切って考えた方が、楽でいられた。お人形さん達に囲まれている時の娘は、お人形さん。お人形さんの海から、解放された時の娘は、僕の娘。そう考えればいい。それでいいんだ。
いつもの娘は、可愛い笑顔を振り撒く。いつもの娘は、大声で泣きわめく。いつもの娘は、ほっぺたをパンパンに膨らませて怒る。いつもの娘は、元気に家中を走り回る。いつもの娘は、様々な感情を爆発させる。
そして、目を疲れさせるほどに、激しく動く。それでこそ、娘なのに。今は全くそれが、感じられなくなっていた。
「ミカに、人形ごっこを止めさせた方がいいんじゃない?」
「止めさせたら絶対に怒るし、少し様子を見てみようよ。ミカはお人形さんになるのが、夢みたいだしさ」
「あなたの言ってることも分かるけど、コミュニケーションが減るし。このままじゃ、ミカの未来が心配なの」
「もう少しだけ様子見てみようよ。ねっ?」
口から出てきたのは、本音とは僅かにズレた言葉だった。娘の今の幸せが一番。でも、今すぐ止めさせたい気持ちも、ほぼ同じ位置にいた。
ずっと話していたい。ずっと笑っていたい。ずっと一緒に遊んでいたい。そう、感じないわけがなかった。
娘が、お人形に変わっていくのが辛い。このままでは、お人形さんに、呑み込まれてしまうかもしれない。そんな本音も、妻の前では、口に出せなかった。
虚しく匂う、唐揚げに纏わり付くニンニクの刺激ある香り。咀嚼を忘れて、舌でうずくまるコロッケの破片。丸みを帯びた背の低いグラス。
僕は手のひらに、グラスの水滴と冷たさを押し当て、口へと運んだ。そして、不安と一緒にコロッケの破片を、牛乳で流し込んだ。しかし、モヤモヤはほとんど流れなかった。
娘の異変が、僕と妻を変えた。娘の異変がきっかけとなり、妻との話が増えた。遠ざけていた妻を、娘が僕に近づけてくれた。でも、これは望んでいたものではない。こんな近づき方をしても、ちっとも嬉しくなんかない。娘の異変が無くなることが、僕の一番望むものだから。
妻への愛が戻ったかというと、そうではない。心の距離が縮まったかというと、そうではない。僕も妻も、ずっと娘の方向しか見ていなかった。娘の話題でしか、僕たちは繋がっていられない。
魚の形をした陶器に、箸をきちんと凭れさせた。正座で痺れた足の底を、無理矢理、地面に接地させた。そして、何も言わず、僕はその場を去っていった。
「気にしなくても大丈夫だって」
「でも、呪われた人形かもしれないし」
「ねえ、落ち着いて。大丈夫だから」
唐揚げの油でべたつく指。唐揚げの油で、べたつく指のように、べたべたと粘りつく胸のモヤモヤ。
テーブルの隅の、左手でギリギリ届く位置に置かれた箱に手を伸ばす。萎れながらも、立ち続けるティッシュ。それを、二枚引き抜き、指を擦り付けた。
纏わり付く油の不快感を、ティッシュが全て、吸い取ってゆく。ティッシュが届かない、胸の奥のモヤモヤは、そっとしておくしかなかった。油の染み込んだティッシュは、クシャクシャに丸めて、傍らに放置した。
妻の奥にある動きのない光景が、ただただ、僕の瞳をとろんとさせる。本来の娘ではない、無の感情を注入されたような姿。それを見続けていると、一瞬だけ可愛さが、怖さに変わる瞬間があった。
娘ではなく、娘の姿カタチをしたお人形さん。そう、割り切って考えた方が、楽でいられた。お人形さん達に囲まれている時の娘は、お人形さん。お人形さんの海から、解放された時の娘は、僕の娘。そう考えればいい。それでいいんだ。
いつもの娘は、可愛い笑顔を振り撒く。いつもの娘は、大声で泣きわめく。いつもの娘は、ほっぺたをパンパンに膨らませて怒る。いつもの娘は、元気に家中を走り回る。いつもの娘は、様々な感情を爆発させる。
そして、目を疲れさせるほどに、激しく動く。それでこそ、娘なのに。今は全くそれが、感じられなくなっていた。
「ミカに、人形ごっこを止めさせた方がいいんじゃない?」
「止めさせたら絶対に怒るし、少し様子を見てみようよ。ミカはお人形さんになるのが、夢みたいだしさ」
「あなたの言ってることも分かるけど、コミュニケーションが減るし。このままじゃ、ミカの未来が心配なの」
「もう少しだけ様子見てみようよ。ねっ?」
口から出てきたのは、本音とは僅かにズレた言葉だった。娘の今の幸せが一番。でも、今すぐ止めさせたい気持ちも、ほぼ同じ位置にいた。
ずっと話していたい。ずっと笑っていたい。ずっと一緒に遊んでいたい。そう、感じないわけがなかった。
娘が、お人形に変わっていくのが辛い。このままでは、お人形さんに、呑み込まれてしまうかもしれない。そんな本音も、妻の前では、口に出せなかった。
虚しく匂う、唐揚げに纏わり付くニンニクの刺激ある香り。咀嚼を忘れて、舌でうずくまるコロッケの破片。丸みを帯びた背の低いグラス。
僕は手のひらに、グラスの水滴と冷たさを押し当て、口へと運んだ。そして、不安と一緒にコロッケの破片を、牛乳で流し込んだ。しかし、モヤモヤはほとんど流れなかった。
娘の異変が、僕と妻を変えた。娘の異変がきっかけとなり、妻との話が増えた。遠ざけていた妻を、娘が僕に近づけてくれた。でも、これは望んでいたものではない。こんな近づき方をしても、ちっとも嬉しくなんかない。娘の異変が無くなることが、僕の一番望むものだから。
妻への愛が戻ったかというと、そうではない。心の距離が縮まったかというと、そうではない。僕も妻も、ずっと娘の方向しか見ていなかった。娘の話題でしか、僕たちは繋がっていられない。
魚の形をした陶器に、箸をきちんと凭れさせた。正座で痺れた足の底を、無理矢理、地面に接地させた。そして、何も言わず、僕はその場を去っていった。
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