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西条貴大は、亜美のマンションに向け、愛車を走らせていた。
モデルを辞めると亜美が言い出したのは、今年の夏。どうせいつもの気まぐれだろうと思っていたが、今回は現実のこととなったので驚いている。
これで西条の家に嫁に来てくれるなら言うこと無しだが、そうはいかないのが亜美だ。
寂しがりやのくせに強がりばかり言って。おまけにわがままで、気まぐれで。
だけど、ぞっこんだ。
信号待ちの間に彼女のことを考えただけで、つい笑みが浮かんでしまう。
初めて亜美を抱いたのは、彼女が高校を卒業した年。貴大が十七歳の夏だった。亜美はすべてがパーフェクトで、たちまち夢中にさせられた。
だけど亜美は浮気っぽくて、恋人未満と呼べそうな男が次々と現れた。仕事柄、彼女の周りには大人の男が多いし、美人だしファンも多い。仕方ないと割り切っていたつもりだが、やがて貴大は神経をすり減らすことに耐えられなくなった。
ある日派手なケンカをやらかして、日本を飛び出した。大学三年の時だ。
亜美と距離を置き、二人の関係について冷静に考え直そうと思った。だが、むしろ逆効果で。
すぐに彼女が恋しくなった。新しい男を見つけ、そいつとよろしくやってるかと思うと気が狂いそうになった。学位を取るまで帰らないと親に約束しての留学だったから、結局向こうで二年ちょっとを過ごした。
帰国後再会した亜美が、泣きながら自分の胸に飛び込んで来た時、貴大はいつか亜美と結婚すると心に決めた。彼女がわがままで情緒不安定なら、自分が一歩引いてやればいい。
お互いがお互いの心を必要とし合っているのだから、もう離れ離れになるべきではない。
そう悟ったのだ。
「亜美」
玄関のカギは開いていて、彼女はリビングで電話中だった。思った通り着替えも済ませておらず、スーツケースもその辺に放置したまま。貴大は両手に荷物を抱えたままキッチンに移動して、店から調達してきた夕飯をカウンターに置き、シャンペンとデザートを冷蔵庫にしまう。
そしてついさっき花屋で受け取ったばかりの真っ赤なバラの特大花束を、こっそりとドアの陰に置いた。
サプライズで渡すつもりだ。
しっかりと手はずを整えてから、リビングにいる亜美のもとへ歩み寄る。
立ったまま電話中だった彼女が、ようやく気配に気づいて振り返った。その顔に、ごめんねの表情が浮かんでいる。
かまいやしないさ。事務所が持たせたシンプルな二つ折りの携帯電話だ。これは仕事仲間とのおしゃべりだ。貴大や家族との連絡には、きらきらにデコした別の電話を使うのだから。
「たかひろ」
数十秒後、ようやく通話を終えた亜美が笑顔で彼の腕に飛び込もうとした時、またしても着信音が鳴った。今度はマネージャーらしい。顔をしかめた亜美に「出ろよ」と言い、貴大は再び携帯を耳にあてた彼女の背後に回る。
「ちょ……」
「いいから」
驚く亜美に小声でささやき、後ろから抱きすくめる。
彼女の香りを胸いっぱいに吸い込み、髪をかき上げ、電話を当てていないほうの耳にキスをした。彼女がぶるっと体を震わせ、耳たぶが真っ赤になったのがわかる。
マネージャーとの通話はきっかり二分続いたが、その間貴大は、背後から亜美を抱きしめたまま、耳たぶやこめかみに小さなキスを繰り返し、そのたび彼女が肩を震わせたり声を上ずらせたりするのを楽しんだ。
亜美は女にしては背が高いほうかもしれないが、素足になればすっぽりと貴大の腕に収まる身長差だ。
こんなふれあい方もまた、心地よかった。
最後に横浜の母に帰宅の報告を済ませると、亜美はバッグの中に携帯を突っ込み、無造作にソファに置いた。
「済んだのか?」
「うん。もう済んだの、なにもかも」
返事より先に、亜美は貴大の腕の中に飛び込んできた。背中に両手を回してぎゅっとしがみついてくる。
「なにもかもって……。おかしなやつだな。まあ、いいさ。おかえり亜美。そして今までお疲れ様」
顔をあげた彼女の目をみて伝える。
「ちょっと待ってろ」
だるそうな顔の亜美の腕をほどいて背を向けると、貴大はキッチンに駆け込み特大のバラの花束を抱えて舞い戻る。目を丸くした彼女に向かって、気取った仕草で花束を差し出した。
「うわぁ……、きれい。これ、あたしに?」
「他に誰がいるんだよ」
むせかえるような香りを放つバラの束に、亜美が目を潤ませていく様子が愛おしかった。
今日からはただの亜美だ。もう逃がさない。
ウェディングベルを鳴らすのはまだ先かもしれないが、急がずゆっくりと彼女に向き合っていこう。
そう貴大は決めていた。
(続く)
モデルを辞めると亜美が言い出したのは、今年の夏。どうせいつもの気まぐれだろうと思っていたが、今回は現実のこととなったので驚いている。
これで西条の家に嫁に来てくれるなら言うこと無しだが、そうはいかないのが亜美だ。
寂しがりやのくせに強がりばかり言って。おまけにわがままで、気まぐれで。
だけど、ぞっこんだ。
信号待ちの間に彼女のことを考えただけで、つい笑みが浮かんでしまう。
初めて亜美を抱いたのは、彼女が高校を卒業した年。貴大が十七歳の夏だった。亜美はすべてがパーフェクトで、たちまち夢中にさせられた。
だけど亜美は浮気っぽくて、恋人未満と呼べそうな男が次々と現れた。仕事柄、彼女の周りには大人の男が多いし、美人だしファンも多い。仕方ないと割り切っていたつもりだが、やがて貴大は神経をすり減らすことに耐えられなくなった。
ある日派手なケンカをやらかして、日本を飛び出した。大学三年の時だ。
亜美と距離を置き、二人の関係について冷静に考え直そうと思った。だが、むしろ逆効果で。
すぐに彼女が恋しくなった。新しい男を見つけ、そいつとよろしくやってるかと思うと気が狂いそうになった。学位を取るまで帰らないと親に約束しての留学だったから、結局向こうで二年ちょっとを過ごした。
帰国後再会した亜美が、泣きながら自分の胸に飛び込んで来た時、貴大はいつか亜美と結婚すると心に決めた。彼女がわがままで情緒不安定なら、自分が一歩引いてやればいい。
お互いがお互いの心を必要とし合っているのだから、もう離れ離れになるべきではない。
そう悟ったのだ。
「亜美」
玄関のカギは開いていて、彼女はリビングで電話中だった。思った通り着替えも済ませておらず、スーツケースもその辺に放置したまま。貴大は両手に荷物を抱えたままキッチンに移動して、店から調達してきた夕飯をカウンターに置き、シャンペンとデザートを冷蔵庫にしまう。
そしてついさっき花屋で受け取ったばかりの真っ赤なバラの特大花束を、こっそりとドアの陰に置いた。
サプライズで渡すつもりだ。
しっかりと手はずを整えてから、リビングにいる亜美のもとへ歩み寄る。
立ったまま電話中だった彼女が、ようやく気配に気づいて振り返った。その顔に、ごめんねの表情が浮かんでいる。
かまいやしないさ。事務所が持たせたシンプルな二つ折りの携帯電話だ。これは仕事仲間とのおしゃべりだ。貴大や家族との連絡には、きらきらにデコした別の電話を使うのだから。
「たかひろ」
数十秒後、ようやく通話を終えた亜美が笑顔で彼の腕に飛び込もうとした時、またしても着信音が鳴った。今度はマネージャーらしい。顔をしかめた亜美に「出ろよ」と言い、貴大は再び携帯を耳にあてた彼女の背後に回る。
「ちょ……」
「いいから」
驚く亜美に小声でささやき、後ろから抱きすくめる。
彼女の香りを胸いっぱいに吸い込み、髪をかき上げ、電話を当てていないほうの耳にキスをした。彼女がぶるっと体を震わせ、耳たぶが真っ赤になったのがわかる。
マネージャーとの通話はきっかり二分続いたが、その間貴大は、背後から亜美を抱きしめたまま、耳たぶやこめかみに小さなキスを繰り返し、そのたび彼女が肩を震わせたり声を上ずらせたりするのを楽しんだ。
亜美は女にしては背が高いほうかもしれないが、素足になればすっぽりと貴大の腕に収まる身長差だ。
こんなふれあい方もまた、心地よかった。
最後に横浜の母に帰宅の報告を済ませると、亜美はバッグの中に携帯を突っ込み、無造作にソファに置いた。
「済んだのか?」
「うん。もう済んだの、なにもかも」
返事より先に、亜美は貴大の腕の中に飛び込んできた。背中に両手を回してぎゅっとしがみついてくる。
「なにもかもって……。おかしなやつだな。まあ、いいさ。おかえり亜美。そして今までお疲れ様」
顔をあげた彼女の目をみて伝える。
「ちょっと待ってろ」
だるそうな顔の亜美の腕をほどいて背を向けると、貴大はキッチンに駆け込み特大のバラの花束を抱えて舞い戻る。目を丸くした彼女に向かって、気取った仕草で花束を差し出した。
「うわぁ……、きれい。これ、あたしに?」
「他に誰がいるんだよ」
むせかえるような香りを放つバラの束に、亜美が目を潤ませていく様子が愛おしかった。
今日からはただの亜美だ。もう逃がさない。
ウェディングベルを鳴らすのはまだ先かもしれないが、急がずゆっくりと彼女に向き合っていこう。
そう貴大は決めていた。
(続く)
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