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最終回ー後編
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長峰佑樹は、呆然と立ち尽くす奈央の前に歩み寄ると、照れくさそうに微笑んだ。
「変わらないな、奈央」
あのころのままの、優しい声で佑樹は奈央の名前を呼んだ。
「唐沢、なんなのこれ……」
声がふるえそうになる。
またしてもハメられたと気づき、奈央は頬を赤らめながら唐沢を振り返る。しかし唐沢は、佑樹の車の助手席のドアを開けると、騒ぎ立てる奈央を車に押し込めようとした。
「とりあえず乗れ。ここは教育の場だしな。まあ、積もる話は乗ってからしろや」
「ちょっと、唐沢!」
「乗らないか、奈央。話したいことが、たくさんあるんだ」
「ゆうき……」
あとを追って助手席側に回ってきた佑樹が、そっと奈央の肩を押す。触れられて、奈央は抵抗できなくなる。同時に涙がこみ上げそうになる。
もう一度会いたかった。会って仲直りしたかった。
いつも心の片隅には彼がいた。
そんな思いが、せきを切って溢れ出そうになる。
「わ、わかった……」
あふれ出そうになる涙をこらえて、奈央は車に乗り込んだ。佑樹の顔に安堵の色が浮かび、そっとドアを閉めてくれる。
大きく両手を振る唐沢をその場に残し、車がゆっくりと走り出した。
*** *** ***
コスモスの花が風に揺れていた。
市街地を離れた夕暮れ時の公園に、人の姿はなかった。風に揺れるブランコに、奈央は佑樹と並んで座る。
「大学を卒業して、秋田の小さな会社に就職したんだけど、こっちの営業所に転勤になったんだ」
「いつから?」
「先月。おふくろを残して向こうを離れるのは心配だったけど、大丈夫だから行けって言われて。唐沢だけは時々連絡をくれたから、戻ってきてから電話した。そうしたら、今日、奈央と会う約束があるからって、あいつが……」
「あいつが言ったから、会ってみようって思ったの?」
「奈央は俺の話を聞こうとしなかった。何度電話をかけても、無視した」
「それは、ええと、あの……」
佑樹は寂しそうな顔をしたが、ゆっくりと首を横に振った。
「いいよ、怒ってないから。俺がいけなかったんだ。俺に隙があったから、あの子に」
10年前の進路指導室での光景が思い浮かぶ。その残像を断ち切るかのように、佑樹はすくっと立ち上がると、コスモスが咲く花壇のほうに歩きだした。奈央もそのあとを追う。
「今さら言っても弁解にしか聞こえないが、何もなかったんだ。だから奈央を裏切ってもいない。それをわかってほしい」
「うん。知ってた。あとで友達が教えてくれたの。わたし……」
「奈央」
「意地張って、ごめん……。でも、卒業して何ヶ月も経って、今さら佑樹に連絡してもきっと、新しい彼女がいるだろうって思えて……」
「奈央……」
いたたまれずに背を向けると、後ろから佑樹に名前を呼ばれた。ああ、文化祭の劇と同じシチュエ―ションだと、とっさに思い出す。
「じゃあ、お互いさまだな」
肩に手を置かれ、くるりと向きを変えられる。
佑樹が笑ってくれたから、奈央は彼の胸に飛び込んだ。台本と同じように。
「あのあとしばらくは、そういう相手はいなかったよ。10年の間にはそれなりのことはあったけど、今は誰もいない」
奈央の髪を手で撫でおろしながら、佑樹は言った。髪は昔と変わらない、ストレートのロングヘアだ。
「わたしは……、まあ、デートする相手くらいはいたけど、その、なんていうか……。それより先に進んだことはないの」
「マジか。だって、10年だぞ……」
顔を離した佑樹が、笑いを浮かべた。さすがにこの年で男性経験がないというのは、過去の遺物と思われるだろうか。
「奈央らしいよ。たぶん、俺に再会するために、運命がそう定まっていたんだ」
胸がどきっとした。その言葉の真意を考えると、まともに彼の顔が見られない。
「でも、恥ずかしい。この歳で」
「そんなことはないだろう。人それぞれだよ。俺でよければ教えてあげるよ、あのときみたいに。もし奈央が、嫌でないのなら」
嫌ではない。嫌なわけがない。
その意思表示のために、顔を上げる。佑樹の顔に切なげな色が浮かんでいる。
「あの約束、覚えてる?」
彼があの約束を口にした日も、そばにコスモスが咲いていた。空は茜色で、もう10年も前なのにまるで昨日のことのように覚えている。
「もちろん」
澄み渡る秋の気配のように、佑樹の声も透明感を漂わせている。
「奈央が俺を信じてくれるなら、先にあの約束を果たしてもいいけど」
「ここで?」
咄嗟にあたりを見まわした。薄暗くなったせいか、いっそうあたりは静かだ。
「ばっ、ばか。だめよ、こんなとこで。もう高校生じゃないんだから」
「そうだな」
否定はしたが、彼は奈央を腕に抱いたまま放そうとはしなかった。おかしなやり取りだと気づいて、どちらからともなくくすくす笑い出してしまう。
「ねえ、どんな仕事をしてるの?」
彼の胸に頬を寄せたまま、奈央は尋ねた。
「東北の特産品を扱う、問屋みたいなものかな。地酒とか農産物とか、ほかにもいろいろ。国内だけじゃなく海外からの注文も多いよ」
「ふうん」
「奈央は? タウン誌の編集の仕事って、忙しいのか?」
「まあ、それなりにね」
「このあと、人目のつかないところで約束を果たす時間はとれるか?」
佑樹が耳元にささやいた。セクシーな彼の声に、体の奥のなにかが反応した。それは小さな炎となり、やがて全身をかけめぐる。
今日は日曜日。時間ならまだまだ、大丈夫。奈央は彼の胸に頬を寄せたまま、大きく深呼吸した。
「も……。もちろんです。つつしんでお受けいたします」
神妙に、だけどきっぱりと意思表示する。
佑樹がぎゅっと、奈央を抱きしめてくれた。
胸の中にくすぶっていた意地や嫉妬や後悔といった負の感情が、ゆっくりと消え去って行く。心地良い抱擁に、奈央は彼の胸に体を預けたまま、時が経つのを忘れた。
「じゃあ、行こう。10年分の想いは深いぞ、奈央」
奈央の肩をそっと押しやって、佑樹が言った。はいと、奈央は返事した。
恋は再び、奈央のもとに舞い降りた。あのころと同じように。
色っぽく笑った彼の腕に自分の腕を絡め、奈央はたそがれ時の公園をあとにした。
今度こそこの手を放さないと、胸に誓いながら。
-終わり-【初出2011年。サイト公開2013年7月】
★「約束の季節」を最後までお読みいただきありがとうございます。
本作は2011年に震災支援プロジェクト「うりゃま」から発売されたアンソロジー形式の電子書籍に収録されたものを、チャリティ終了に伴い、サイトで無料公開したものです。篠原怜
「変わらないな、奈央」
あのころのままの、優しい声で佑樹は奈央の名前を呼んだ。
「唐沢、なんなのこれ……」
声がふるえそうになる。
またしてもハメられたと気づき、奈央は頬を赤らめながら唐沢を振り返る。しかし唐沢は、佑樹の車の助手席のドアを開けると、騒ぎ立てる奈央を車に押し込めようとした。
「とりあえず乗れ。ここは教育の場だしな。まあ、積もる話は乗ってからしろや」
「ちょっと、唐沢!」
「乗らないか、奈央。話したいことが、たくさんあるんだ」
「ゆうき……」
あとを追って助手席側に回ってきた佑樹が、そっと奈央の肩を押す。触れられて、奈央は抵抗できなくなる。同時に涙がこみ上げそうになる。
もう一度会いたかった。会って仲直りしたかった。
いつも心の片隅には彼がいた。
そんな思いが、せきを切って溢れ出そうになる。
「わ、わかった……」
あふれ出そうになる涙をこらえて、奈央は車に乗り込んだ。佑樹の顔に安堵の色が浮かび、そっとドアを閉めてくれる。
大きく両手を振る唐沢をその場に残し、車がゆっくりと走り出した。
*** *** ***
コスモスの花が風に揺れていた。
市街地を離れた夕暮れ時の公園に、人の姿はなかった。風に揺れるブランコに、奈央は佑樹と並んで座る。
「大学を卒業して、秋田の小さな会社に就職したんだけど、こっちの営業所に転勤になったんだ」
「いつから?」
「先月。おふくろを残して向こうを離れるのは心配だったけど、大丈夫だから行けって言われて。唐沢だけは時々連絡をくれたから、戻ってきてから電話した。そうしたら、今日、奈央と会う約束があるからって、あいつが……」
「あいつが言ったから、会ってみようって思ったの?」
「奈央は俺の話を聞こうとしなかった。何度電話をかけても、無視した」
「それは、ええと、あの……」
佑樹は寂しそうな顔をしたが、ゆっくりと首を横に振った。
「いいよ、怒ってないから。俺がいけなかったんだ。俺に隙があったから、あの子に」
10年前の進路指導室での光景が思い浮かぶ。その残像を断ち切るかのように、佑樹はすくっと立ち上がると、コスモスが咲く花壇のほうに歩きだした。奈央もそのあとを追う。
「今さら言っても弁解にしか聞こえないが、何もなかったんだ。だから奈央を裏切ってもいない。それをわかってほしい」
「うん。知ってた。あとで友達が教えてくれたの。わたし……」
「奈央」
「意地張って、ごめん……。でも、卒業して何ヶ月も経って、今さら佑樹に連絡してもきっと、新しい彼女がいるだろうって思えて……」
「奈央……」
いたたまれずに背を向けると、後ろから佑樹に名前を呼ばれた。ああ、文化祭の劇と同じシチュエ―ションだと、とっさに思い出す。
「じゃあ、お互いさまだな」
肩に手を置かれ、くるりと向きを変えられる。
佑樹が笑ってくれたから、奈央は彼の胸に飛び込んだ。台本と同じように。
「あのあとしばらくは、そういう相手はいなかったよ。10年の間にはそれなりのことはあったけど、今は誰もいない」
奈央の髪を手で撫でおろしながら、佑樹は言った。髪は昔と変わらない、ストレートのロングヘアだ。
「わたしは……、まあ、デートする相手くらいはいたけど、その、なんていうか……。それより先に進んだことはないの」
「マジか。だって、10年だぞ……」
顔を離した佑樹が、笑いを浮かべた。さすがにこの年で男性経験がないというのは、過去の遺物と思われるだろうか。
「奈央らしいよ。たぶん、俺に再会するために、運命がそう定まっていたんだ」
胸がどきっとした。その言葉の真意を考えると、まともに彼の顔が見られない。
「でも、恥ずかしい。この歳で」
「そんなことはないだろう。人それぞれだよ。俺でよければ教えてあげるよ、あのときみたいに。もし奈央が、嫌でないのなら」
嫌ではない。嫌なわけがない。
その意思表示のために、顔を上げる。佑樹の顔に切なげな色が浮かんでいる。
「あの約束、覚えてる?」
彼があの約束を口にした日も、そばにコスモスが咲いていた。空は茜色で、もう10年も前なのにまるで昨日のことのように覚えている。
「もちろん」
澄み渡る秋の気配のように、佑樹の声も透明感を漂わせている。
「奈央が俺を信じてくれるなら、先にあの約束を果たしてもいいけど」
「ここで?」
咄嗟にあたりを見まわした。薄暗くなったせいか、いっそうあたりは静かだ。
「ばっ、ばか。だめよ、こんなとこで。もう高校生じゃないんだから」
「そうだな」
否定はしたが、彼は奈央を腕に抱いたまま放そうとはしなかった。おかしなやり取りだと気づいて、どちらからともなくくすくす笑い出してしまう。
「ねえ、どんな仕事をしてるの?」
彼の胸に頬を寄せたまま、奈央は尋ねた。
「東北の特産品を扱う、問屋みたいなものかな。地酒とか農産物とか、ほかにもいろいろ。国内だけじゃなく海外からの注文も多いよ」
「ふうん」
「奈央は? タウン誌の編集の仕事って、忙しいのか?」
「まあ、それなりにね」
「このあと、人目のつかないところで約束を果たす時間はとれるか?」
佑樹が耳元にささやいた。セクシーな彼の声に、体の奥のなにかが反応した。それは小さな炎となり、やがて全身をかけめぐる。
今日は日曜日。時間ならまだまだ、大丈夫。奈央は彼の胸に頬を寄せたまま、大きく深呼吸した。
「も……。もちろんです。つつしんでお受けいたします」
神妙に、だけどきっぱりと意思表示する。
佑樹がぎゅっと、奈央を抱きしめてくれた。
胸の中にくすぶっていた意地や嫉妬や後悔といった負の感情が、ゆっくりと消え去って行く。心地良い抱擁に、奈央は彼の胸に体を預けたまま、時が経つのを忘れた。
「じゃあ、行こう。10年分の想いは深いぞ、奈央」
奈央の肩をそっと押しやって、佑樹が言った。はいと、奈央は返事した。
恋は再び、奈央のもとに舞い降りた。あのころと同じように。
色っぽく笑った彼の腕に自分の腕を絡め、奈央はたそがれ時の公園をあとにした。
今度こそこの手を放さないと、胸に誓いながら。
-終わり-【初出2011年。サイト公開2013年7月】
★「約束の季節」を最後までお読みいただきありがとうございます。
本作は2011年に震災支援プロジェクト「うりゃま」から発売されたアンソロジー形式の電子書籍に収録されたものを、チャリティ終了に伴い、サイトで無料公開したものです。篠原怜
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