とろけてまざる

ゆなな

文字の大きさ
上 下
32 / 46
5章

4話

しおりを挟む
 その夜。
 食卓に登ったほかほかと湯気を立てる牡蠣の土手鍋。美味しそうな味噌の香りと磯の香りに食欲がそそられ、ビールにもぴったりだ。可愛い和也は鍋が食卓に上がる前にたっぷりと乳を飲んで、気持ち良さそうにリビングに置いたベビーラックですやすやと眠っている。外はもう冬の始まりで木枯らしが吹きすさむほどに寒かったが、暖かく幸せに満ちた室内で永瀬は上機嫌だった。
 そんな永瀬がユキの異変に気付いたのは、二度目のお代わりを装うために傍らに置かれた御玉に手を掛けたときだった。ユキはこの鍋のレシピを看護師に聞いたときのエピソードを楽しそうに、饒舌に話していたので気が付かなかったのだ。細々とよく働くユキはその動きに見合ってしっかりと食事を摂る方であるのに、最初に装った牡蠣や野菜はちっとも減っていなかったし、湯気を立てていたご飯もそのままだった。
「どうした?何処か具合いが悪いのか?」
 尋ねると笑顔がほんの少しだけ。永瀬でなければ気づかないほど僅かに凍りついた。
「だ、いじょうぶです。美味しいですね、この牡蠣。三陸の牡蠣なんですよ。奮発していっぱい買っちゃったので沢山食べて下さいね」
「あぁ……うまいな。だが、ユキは食べないのか?」
 尋ねるとそこで初めて自分が殆ど食事に手をつけていないことに気が付いたユキは、慌てて食事に手を付け始めた。
「やっぱり、まだ和也も小さいし仕事に行くと疲れてしまうんじゃないか?ユキがどうしても仕事をしたいのなら家政婦を増やしてもいいんだぞ?」
 和也の面倒を見てもらう年配の佳代の疲れを心配して、夕食の支度は早く帰ってくるユキがすることが多かった。
「大丈夫です。ご飯作るの楽しいし。それに佳代さんなら慣れているからいいけれど……」
 新しい家政婦を家に入れるのは不安らしく、その話をするとユキはいつも顔を曇らせる。
「じゃあ俺も早く帰れるように……」
「それはだめです!」
永瀬が言い終わる前に被せるようにユキは言う。
「先生のことを待ってる患者さんはいっぱい居るから」
「君のことだって待ってる患者さんいっぱい居るだろう?」
「だめったらだめです!体が疲れてるってわけじゃなくて……今日は……その……」
「俺に何か言わなくちゃいけないことがある?」
 突然核心を突かれて思わずユキはがばり、と顔を上げてしまった。
 顔を上げたユキの瞳に思ったよりもずっと真剣な永瀬の顔が映る。永瀬はユキの顔をじっと見る。ユキの心を見誤らないように。それから永瀬は立上がりユキのすぐ隣まで移動してくると、大きな掌で優しくユキの頭を撫でた。それから冷めてしまった牡蠣の入った器の中味をぐつぐつと小さく熱が泡立つ鍋に戻してしまった。
「あ、だめですよ。食べ掛け汚い……」
「二人で食べてるんだから構わんだろう」
と笑う。クールだと評される瞳はその実誰より温かい。
 温め直した鍋の具をもう一度器に装って永瀬は笑う。
「食べないと元気が出ないぞ」
ほら……とほかほかの鍋の具を永瀬は箸で掴むとユキの口に入れた。
「おいし……」
 ほっとする温かな味にユキは顔を綻ばす。
「そうだろう、旨いだろう……って作ったのユキだけどな」
と、いたずらっぽく瞳を瞬かせた。ユキも思わず声を上げて笑ってしまった。
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

【完結】選ばれない僕の生きる道

谷絵 ちぐり
BL
三度、婚約解消された僕。 選ばれない僕が幸せを選ぶ話。 ※地名などは架空(と作者が思ってる)のものです ※設定は独自のものです

【完結】幼馴染から離れたい。

June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。 βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。 番外編 伊賀崎朔視点もあります。 (12月:改正版) 読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭 1/27 1000❤️ありがとうございます😭 3/6 2000❤️ありがとうございます😭

運命の番はいないと診断されたのに、なんですかこの状況は!?

わさび
BL
運命の番はいないはずだった。 なのに、なんでこんなことに...!?

どうも。チートαの運命の番、やらせてもらってます。

Q.➽
BL
アラフォーおっさんΩの一人語りで話が進みます。 典型的、屑には天誅話。 突発的な手慰みショートショート。

ただ愛されたいと願う

藤雪たすく
BL
自分の居場所を求めながら、劣等感に苛まれているオメガの清末 海里。 やっと側にいたいと思える人を見つけたけれど、その人は……

欠陥αは運命を追う

豆ちよこ
BL
「宗次さんから番の匂いがします」 従兄弟の番からそう言われたアルファの宝条宗次は、全く心当たりの無いその言葉に微かな期待を抱く。忘れ去られた記憶の中に、自分の求める運命の人がいるかもしれないーー。 けれどその匂いは日に日に薄れていく。早く探し出さないと二度と会えなくなってしまう。匂いが消える時…それは、番の命が尽きる時。 ※自己解釈・自己設定有り ※R指定はほぼ無し ※アルファ(攻め)視点

新しい道を歩み始めた貴方へ

mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。 そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。 その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。 あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。 あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……? ※沢山のお気に入り登録ありがとうございます。深く感謝申し上げます。

僕の番

結城れい
BL
白石湊(しらいし みなと)は、大学生のΩだ。αの番がいて同棲までしている。最近湊は、番である森颯真(もり そうま)の衣服を集めることがやめられない。気づかれないように少しずつ集めていくが―― ※他サイトにも掲載

処理中です...