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1章
5話
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「お待たせしてすみません!」
職員用の地下駐車場に息を切らして現れたユキは黒く磨かれた美しい車に凭れるようにして立っていた永瀬に声をかける。それはまるで映画からワンシーンを切り抜いたかのように絵になる構図であった。
「いや、思ってたよりずっと早かったよ」
凭れたまま、暫くユキをじっ──と永瀬は見ていた。
何だかざわざわと背筋を落ち着かない衝動が走る。
「え……と、何か……?」
話しているとそうでもないが、じっ……と黙っていると氷のような美貌と評されるだけあり、シルバーフレームの向こうの漆黒の瞳に見詰められると凍りついてしまいそうだ。
「いや、白衣を脱ぐと随分若く見えるな、と思って」
氷の表情を僅かに溶かして永瀬は答えた。
「もう僕は27ですよ……」
動きやすいからと通勤にラフなシャツとスニーカーにリュックなんてカジュアルなスタイルを選んだことを後悔する。
乗って、と促されて左ハンドルの車に乗るのは実家にいたとき以来だな、と思いながらユキは乗り込む。
車の中は永瀬の香水なのかムスクに似た艶やかな香りが満ちていた。
「見えないな。高校生と言ってもいいくらいだ」
くくっと笑われて
「……童顔なんです……」
と、少し頬を膨らませると、更に笑われた。
「眼鏡は伊達なのか?」
今は外された眼鏡について問われる
「はい……」
「かけない方が可愛いのにな」
「嬉しくないです……頼りない医師に見られるのが嫌なので……永瀬先生にはわからないでしょうけど」
助手席に座り、シートベルトを着用しようとすると
「あれ……?」
「ああ、すまない。ちょっと特殊なシートベルトでね……」
ぐっ……と永瀬がユキに覆い被さるようにベルトを弄ると
永瀬の首筋から……間違えようもないほどはっきりと感じてしまった。
はっ、と息を止めたが遅かった。
ずっと感じていたこの香りは香水なんかではなかったのだ。
どくり、どくり………まるで躯全体が心臓になってしまったかのように、激しく脈打ち始めた。
ユキは動転する心と躯を落ち着けようと深く息を吸った。
車はゆっくり発進した────
「自宅はどの辺り?」
尋ねられるが永瀬の声がぼわん、ぼわんの響くようでたったこれだけのことなのに内容を把握するのにひどく時間がかかった。
永瀬におかしいと思われないうちに答えなくてはならないのに。
「……っ……え……と……代々木…上原の方……なんですが……」
「俺の家と近いな。歩いて行ける。あの辺りだと綾川君はどこで飲むの?」
息が苦しくてシャツのボタンを緩める。
いつの間にか一人称が変わっていることにも気が付けない。
「ふ、………っお酒は、あまり………」
「飲めないの?」
「……っ飲めない、ことはないですけど……控えてて…」
アルコールを摂取するとと発情を促進してしまうことがあるので、控えているオメガは多い。だからお酒を控えてるということでオメガと悟られないように、いつもは慎重に受け答えするこの問い。今は永瀬の低い声が狭い車内に流れるだけでびくびくと背が波打ってしまい正常な思考がすこしずつ奪われてゆく。
「ふーん……飲ませてみたいな……酔うとどうなる?」
呟いた声も最早頭に入らなくなってきた。
「は………っは………」
うそ………何で?
くちびるから燃えそうに熱くて、喉が締め付けられるほどあまったるい吐息が溢れる。
抑制剤は医者に処方されたとおり飲んでいて…こんなこと今まで一度もなかったのに。
彼のテリトリーで香る圧倒的なフェロモンの香りに脳髄が掻き回される。
もちろんこの香りの主はこの車の主のものに他ならない。
今まで誰のフェロモンにも当てられたことなどなかったというのに。
どくん…どくん…
心臓が早鐘のように鳴り始め…
じゅわり……
はっきりとわかるほど、奥の孔から体液が溢れてきたのがわかる。
「……っは…は……ふ、」
吐息が乱れて……
躯が、お腹が……熱い……
一つの淫らな願いがユキの頭を過り、頭を振って追い出そうとした。
「綾川君…」
低い声でハンドルを握る男に呼ばれた。
視線は前を見ているが……
「……っ……何ですか…永瀬…先生?」
何でもない声を出したつもりが、上擦ってしまう。
「きみはすごく、いい匂いがするな」
「そ……うですか?…僕は何とも…」
ちらりと横目で漆黒の冷たい瞳に見られて、その圧倒的なアルファのフェロモンに躯の奥が更に熱く疼く…
息をすることさえも、苦しい。
(お腹、熱い……)
とろり、と熱い蜜が躯の奥を伝うのを感じた…
「とても、あまくて優しい香りなのに…男の劣情を煽る香りだ」
いつもなら薬が効く体質だからといって発情期の期間にアルファと狭い空間で二人きりになるなど、絶対にしないのに…どうして尊敬する医師だからと言って易々と男のテリトリーに入り込んでしまったのか…
己の迂闊さに後悔先に立たずと分かっていても後悔してしまう。
香りを避けるために男から顔を背けようと、腰掛けている革張りの座席からも彼のフェロモンは香る……
ユキが最も忌む、オメガの欲が熱情となって躯を支配する。熱く潤うところを掻き回されたいだなんて、薬がよく効くユキにとっては初めての欲望。
初めて襲われる熱のような発情に自分が永瀬にどう見られているなどと考えられない。
車はいつの間にか閑静な住宅街を走っていた。
「綾川くん……少し、休んで行きなさい」
低い声が命じた。
逆らうことなんてもう出来なくなっていた───
職員用の地下駐車場に息を切らして現れたユキは黒く磨かれた美しい車に凭れるようにして立っていた永瀬に声をかける。それはまるで映画からワンシーンを切り抜いたかのように絵になる構図であった。
「いや、思ってたよりずっと早かったよ」
凭れたまま、暫くユキをじっ──と永瀬は見ていた。
何だかざわざわと背筋を落ち着かない衝動が走る。
「え……と、何か……?」
話しているとそうでもないが、じっ……と黙っていると氷のような美貌と評されるだけあり、シルバーフレームの向こうの漆黒の瞳に見詰められると凍りついてしまいそうだ。
「いや、白衣を脱ぐと随分若く見えるな、と思って」
氷の表情を僅かに溶かして永瀬は答えた。
「もう僕は27ですよ……」
動きやすいからと通勤にラフなシャツとスニーカーにリュックなんてカジュアルなスタイルを選んだことを後悔する。
乗って、と促されて左ハンドルの車に乗るのは実家にいたとき以来だな、と思いながらユキは乗り込む。
車の中は永瀬の香水なのかムスクに似た艶やかな香りが満ちていた。
「見えないな。高校生と言ってもいいくらいだ」
くくっと笑われて
「……童顔なんです……」
と、少し頬を膨らませると、更に笑われた。
「眼鏡は伊達なのか?」
今は外された眼鏡について問われる
「はい……」
「かけない方が可愛いのにな」
「嬉しくないです……頼りない医師に見られるのが嫌なので……永瀬先生にはわからないでしょうけど」
助手席に座り、シートベルトを着用しようとすると
「あれ……?」
「ああ、すまない。ちょっと特殊なシートベルトでね……」
ぐっ……と永瀬がユキに覆い被さるようにベルトを弄ると
永瀬の首筋から……間違えようもないほどはっきりと感じてしまった。
はっ、と息を止めたが遅かった。
ずっと感じていたこの香りは香水なんかではなかったのだ。
どくり、どくり………まるで躯全体が心臓になってしまったかのように、激しく脈打ち始めた。
ユキは動転する心と躯を落ち着けようと深く息を吸った。
車はゆっくり発進した────
「自宅はどの辺り?」
尋ねられるが永瀬の声がぼわん、ぼわんの響くようでたったこれだけのことなのに内容を把握するのにひどく時間がかかった。
永瀬におかしいと思われないうちに答えなくてはならないのに。
「……っ……え……と……代々木…上原の方……なんですが……」
「俺の家と近いな。歩いて行ける。あの辺りだと綾川君はどこで飲むの?」
息が苦しくてシャツのボタンを緩める。
いつの間にか一人称が変わっていることにも気が付けない。
「ふ、………っお酒は、あまり………」
「飲めないの?」
「……っ飲めない、ことはないですけど……控えてて…」
アルコールを摂取するとと発情を促進してしまうことがあるので、控えているオメガは多い。だからお酒を控えてるということでオメガと悟られないように、いつもは慎重に受け答えするこの問い。今は永瀬の低い声が狭い車内に流れるだけでびくびくと背が波打ってしまい正常な思考がすこしずつ奪われてゆく。
「ふーん……飲ませてみたいな……酔うとどうなる?」
呟いた声も最早頭に入らなくなってきた。
「は………っは………」
うそ………何で?
くちびるから燃えそうに熱くて、喉が締め付けられるほどあまったるい吐息が溢れる。
抑制剤は医者に処方されたとおり飲んでいて…こんなこと今まで一度もなかったのに。
彼のテリトリーで香る圧倒的なフェロモンの香りに脳髄が掻き回される。
もちろんこの香りの主はこの車の主のものに他ならない。
今まで誰のフェロモンにも当てられたことなどなかったというのに。
どくん…どくん…
心臓が早鐘のように鳴り始め…
じゅわり……
はっきりとわかるほど、奥の孔から体液が溢れてきたのがわかる。
「……っは…は……ふ、」
吐息が乱れて……
躯が、お腹が……熱い……
一つの淫らな願いがユキの頭を過り、頭を振って追い出そうとした。
「綾川君…」
低い声でハンドルを握る男に呼ばれた。
視線は前を見ているが……
「……っ……何ですか…永瀬…先生?」
何でもない声を出したつもりが、上擦ってしまう。
「きみはすごく、いい匂いがするな」
「そ……うですか?…僕は何とも…」
ちらりと横目で漆黒の冷たい瞳に見られて、その圧倒的なアルファのフェロモンに躯の奥が更に熱く疼く…
息をすることさえも、苦しい。
(お腹、熱い……)
とろり、と熱い蜜が躯の奥を伝うのを感じた…
「とても、あまくて優しい香りなのに…男の劣情を煽る香りだ」
いつもなら薬が効く体質だからといって発情期の期間にアルファと狭い空間で二人きりになるなど、絶対にしないのに…どうして尊敬する医師だからと言って易々と男のテリトリーに入り込んでしまったのか…
己の迂闊さに後悔先に立たずと分かっていても後悔してしまう。
香りを避けるために男から顔を背けようと、腰掛けている革張りの座席からも彼のフェロモンは香る……
ユキが最も忌む、オメガの欲が熱情となって躯を支配する。熱く潤うところを掻き回されたいだなんて、薬がよく効くユキにとっては初めての欲望。
初めて襲われる熱のような発情に自分が永瀬にどう見られているなどと考えられない。
車はいつの間にか閑静な住宅街を走っていた。
「綾川くん……少し、休んで行きなさい」
低い声が命じた。
逆らうことなんてもう出来なくなっていた───
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