とろけてまざる

ゆなな

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1章

2話

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「はい、それでは次回検査して問題なければおしまいになります。それまでお薬頑張ってね。」
ユキは午前最後の外来の患者ににっこりと微笑むと、患者は尋ねた。

「せんせい、きょうかえりにドーナツたべてもいい?せんせいがいいよっていったらかってくれるっておかあさんがいったの」

「大丈夫だよ。でもご飯が食べられなくなったりしないようにね」

「ありがとう、ユキせんせい」とちいさな患者はそれはそれは嬉しそうに笑うと母親と連れ立って診察室を出ていった。それを見送ってから、ちらりと腕時計を見てユキは急いで脳神経外科に向かうべく立ち上がった。

「あら、ユキ先生急ぎ?」

ベテランのナースに声をかけられたが

「ええ、ちょっと」
と微笑んで曖昧に返しながらも歩みのスピードを緩めない。
(ギリギリになっちゃった…捕まえられるかな…)

広い院内を急ぎ足で歩く。
脳神経外科とは病棟自体が違うから結構な距離だ。
エスカレーターを駆け足で昇り三階に着くと隣の外科棟と小児科の棟を繋ぐ渡り廊下を急ぐ。
エアコンが効いた院内だが大きなガラス窓がある渡り廊下は夏の眩しい太陽が射し込んでいてやや気温が高く感じた。
隣の棟に入ると再びエスカレーターを降りて外科棟の脳神経外科に辿り着いたときには、ユキの躯はうっすら汗ばみ息も切れていた。

「あのっ永瀬先生は……」

脳神経外科のナースステーションで尋ねると

「永瀬は私だが……」

どくん───

ちょうどユキの背後を通りかかった男が言った。
振り返らずとも、男の気配を背後に感じるとユキの躯全体が大きな心臓になってしまったと思うくらい、大きな音で脈打った。
ぞくり、と首の後ろの項が細く波打つ。
(なに、この感覚…………?)

初めて覚える落ち着かない妙な感覚。
どくり、どくり………
まるでぜんまい仕掛けの古いおもちゃのような妙な動きで声をかけてきた男を振り返る。
瞳が合うと、まるで時が止まってしまったかのようだった。
男はすらりと背が高い。180センチは軽く超えているだろう。見上げると思わずはっと息をのむほど整った顔にシルバーフレームの眼鏡とタイトに纏められた黒髪が男をより冷たい印象にさせている。

男は傍に寄って思わず香りを確かめたくなるほどに芳しい香りがした。
(香水………?すごく、いい匂い…)

思わずぼぅっとしかけた意識を軽く頭を振って覚醒させる。

「…っと、私は小児科の綾川雪也と申します。実は13歳の脳腫瘍の患者のオペを永瀬先生に執刀していただけないかと思いましてお願いに参りました」

ユキはくらくらと目眩を感じていたが、永瀬の方をしっかりと見据えて挨拶をした。

「脳腫瘍の小児科の患者?通常は小児科部長と外科部長の間で調整されてから私へ話が来るのでは?」
淡々と切り返され…
「直接お願いに参るなど非常識は承知でのお願いです」

整いすぎた端正な容貌は冷たい、氷のような凍てつく視線を正面から受けると背筋に妙な汗が流れ落ちる。
これがアルファの中のアルファか…
オメガのユキの本能が思わず彼から目を逸らしたくなるが、こんなことで怯んでいたら自分の意思はきっと彼には伝わらないであろう。

皆がオメガだと軽んじる命をどうにか助けてやりたい…

僅かの間の無言のときが永遠にも感じられるほど長かった。

完璧なる容姿を持ち、完璧なる手術で不可能と言われたことを成し遂げる永瀬。
ユキが何度も読んだ一切の無駄がなく完璧に美しいと表現できるほどの永瀬の論文から推測したとおりの人物であった。
圧倒的なオーラに思わず躯が震えそうになるのを堪えて永瀬を見詰めると…
「患者のデータを」

「え……?」


「手術できる状態かどうかを見ずに手術できるとは答えかねる。まず、患者のデータを見せてくれ」

ロボットのように表情を変えず永瀬は手を差し出した。
ユキは今度こそ我慢出来ずに、震える指先で高弥のデータを差し出した。

「すまないが、今時間は取れない。そうだな…夜8時にうちの医局にある私の部屋で話しをさせてくれ」

「あ……ありがとうございますっ」

「引き受けられると決まったわけではないのだが」

そう言って立ち去った永瀬にユキは深々と頭を下げた。
ユキとすれ違うときに、永瀬が僅かに匂いを感じたように鼻を動かした。
去っていく広い背中を見送りながら

「走ってきたから僕、汗臭かったかな……」

ユキは自分の躯の匂いをくん…と嗅いでみてちいさく呟いた。
自分の匂いはよくわからなかった。
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