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2章

フライングレース2

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スタートの号砲が鳴り響くと校庭からは生徒の歓声が上がった。
ユノは箒をぐっと掴み、思いっきり両足でテラスの床を蹴り上げた。
全魔力を集中させると、ユノはローブの色も相俟って黒い光のようなスピードで学園を飛び去った。
「うわっ、黒のローブ、めっちゃ速い。スタンダードの奴じゃなかったっけ?」
ユノが校庭の上を通過するとそのスピードを驚く声と、このレースで最初に飛ばすという無策を嗤う声が混じって届いた。
「このレースは新入生寮の鍵をシュツバルト神殿で受け取り、新入生寮に届けるのが速かった者が勝者というレースだぜ。ただ速ければいいというものじゃない」
「どういうこと?」
「戦略家なら、行きは体力を温存して鍵は誰かに取って来させるのを往路のどこかで待っていればいいのさ。そしてシュツバルト神殿で鍵を貰って折り返してきた奴が戻ってきたところで鍵を奪って学園に戻ればいいというわけだ」
「なるほど。シュツバルト神殿で鍵を受け取るかどうかは順位には関係しないのか。往路を飛ばしてシュツバルト神殿に先に着いたやつは体力も魔力も大きく失っている。後から奪う作戦ならシュツバルト山までそもそも行かないでいいから奪い合いのバトルのときのために体力も温存しておけるってわけか」
「そういうことだ。だから最初にあんなに飛ばすあのスタンダードのやつは馬鹿ってことだ。そもそもスタンダードじゃ、ハイクラスより持っている魔力そのものも低いだろうに」
実際には上空まで声は届かなかったと思われるが、そう自分を嘲笑う観客やレース参加者の声が風に乗って聞こえてくるように感じられた。
ユノ自身も往路でこんなに飛ばすのは、馬鹿がすることだとわかっていた。
だけど、鍵を持っていようが持っていなかろうが、ユノは復路では必ず狙われることもわかっていた。ユノを生徒会から弾きたい人がいるから。
ユノは考えながらぐんぐんスピードを上げた。
クルリ村で急病人が出て、医者を呼んでくるときのように速いスピードで飛んだ。
狙われたとしても戦って負けるとは思っていない。
だが戦いをすると、相手を傷つけてしまう可能性も自分が怪我をしてしまう可能性も、ある。
怪我を負ったものはその場で棄権しなければならないルールがあるし、ユノの立場でハイクラスの者を怪我させるのものちに面倒なことになりかねない。
だったら、一番に神殿に着いて鍵を貰って、帰りは誰にも見つからないように雲の中を通って帰ってくるのが一番だとユノは考えた。
雲の中の飛行はかなりのテクニックを要する。
恐らくだが、田舎の僻地で悪天候時に医者を呼んでくるという経験でも無ければ出来ないだろう。
ハイクラスの者たちはかなり魔力を持っているが、雲の中の飛行は経験による勘が必要なものだ。
幸いにも今日はシュツバルト山付近に雲が多く出ていた。
帰りは敢えて上空の雲の中を飛べば、恐らく誰にも見つかることがなく、学園付近まで戻って来られるだろう。
とにかく出せる限りの全力でシュツバルト山を目指す。
ゆっくり飛べばそれは美しいであろう王都や王宮、湖畔を臨めるが、景色を見ている余裕などはなく、一心に飛んだ。
行きは雲で姿を隠さず、見通しのいい低空をスピードに乗って飛ぶことだけに集中した。
王都を飛び越し、美しい『碧の湖畔』を通過すると、シュツバルト山の麓に着く。
そこから徐々に高度を上げていけば山の頂にある神殿だ。
学園の生徒会室があるシュトレイン塔とよく似た荘厳な石造りの尖塔を擁しているため、迷うことなく着くことができる。
正面にユノが降り立つと、黒尽くめの神官の服を着た男が立っていた。
「学園の新入生寮の鍵の受け渡しですね?」
「はい。鍵を受け取りに参りました。シュトレイン王国立魔法学園のユノ・マキノと申します」
黒い詰め襟の聖服を纏った神官に声を掛けられたユノは、跪いて答えた。
「こちらの扉から入っていただき、右にございます南側廊から内陣を目指して下さい。内陣に鍵を持つ大神官がおりますので、そこでお受け取り下さい」
「ありがとうございます」
ユノが礼を言って立ち上がると、神官は一歩だけユノに近づいた。
近くで見ると、とても若い神官だった。ユノより年下かもしれない。
「鍵を受け取った後は、周歩廊を回っていただくと、北側廊に出ます。お帰りは北側廊から出ていただくと、後から来たレース参加者とすれ違うことなく復路の空に出られます」
鍵を持っている者は復路で狙われることを知っているのであろう神官のアドバイスは、とてもありがたかった。
再びユノは気持ちを込めて深々と頭を下げたあと、神殿の中に飛び込んだ。
年若い神官に教えられたとおり南側廊を速歩で通り抜ける。
側廊の脇にずらりと並ぶ外側の柱には、植物と小動物の美しい細工が彫られていて、内側の壁にはかつての神官達の彫像が並ぶ。
この美しい神殿のそこかしこに施された彫刻や美しいモザイクガラスをゆっくり眺めるのがユノは大好きであったが、今日はそんな余裕は無くひたすらに側廊を急いだ。
『ここからはいるといいよ』
薄暗い側廊を照らすランタンのうち、とある一つに納められた火の精が囁くと、内側の壁が少し動いた。
「ありがとうございます」
普段は使わない隠し扉を教えてくれた火の精に、丁寧にお礼を言う。
ユノが開いた壁の隙間から内陣に滑り込むように入ると、壁はまた静かに閉じた。
内陣中央の神を祀る祭壇の前にシュツバルト神殿の大神官がいた。
「よくいらっしゃいました。大変早い到着ですね」
大神官は穏やかに微笑んで言った。
「ユノ・マキノです。新入生寮の鍵を受け取りにきました」
大神官の前で跪いてユノは名乗った。
「隠し扉を火の精が教えたのは初めてです。火の精は情報を共有すると言いますからね。日頃から火の精に優しくしている人だと分かったんでしょう。さぁ。これが新入生寮の鍵です」
そう言って大神官はユノにそっと鍵を差し出した。
今年の新入生寮の守り神である魔法動物の一角獣があしらわれた真鍮の鍵を、ユノは両手で受け取った。
「一番に取りに来られた方にはハイクラスの新入生寮の鍵を、という決まりですので、ハイクラス寮の方をお渡しいたしますね。新入生たちの健やかな成長と安全を祈願して魔力を込めてあります」
「はい。必ず新入生寮にお届けいたします」
ユノは大神官を真っ直ぐに見つめて返事をする。
「さぁ、もう行きなさい。そろそろ次の方が見えそうです」
「わかりました。それでは失礼いたします」
ユノは大神官の言葉に驚きながらも、深く頭を下げ、来たときとは逆である南側廊に向かってユノは歩き出した。
もう次の者が神殿に現れたのはユノにとって意外なことであった。
誰もが往路はスピードを抑えて、復路で鍵を持っている参加者から鍵を奪うという作戦に出るとユノは思っていた。
ユノが内陣から南側廊に出るときだった。
反対側の北側廊の扉からロイヤルブルーが風のように飛び込んできたのが視界の隅に入り込んだ。

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