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2章
1話
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そして、高弥の想いは告げられることなく、胸の奥に秘めたまま時間は過ぎて……
「沢村先生っ!カルテの入力終わってませんよ!」
高弥は地獄と言われる研修医の2年の期間を終え、勤務医1年目として研修を受けた永瀬総合病院で働いていた。まだまだ新米医師の松浦高弥が、相変わらずの沢村の背中に叫ぶ。
だが、沢村はスマホを耳に当てながら
「高弥やっといて。そのオペ助手してたんだから全部わかんだろ? 」
全くもって医師にあるまじき台詞を残す。
「そんなの執刀医が入力しなきゃ駄目に決まってるじゃないですか!って何度言えばわかるんですか!」
「んじゃ、明日書くわ。俺ちょっと約束あんだよね」
「帰るなら今日入力してくれないと患者さん引き継ぐ当直医に迷惑掛かるでしょうが!って 沢村先生っ!」
高弥の言葉をまるっと無視して医局を出るとスタスタとロッカールームに沢村は向かう。途中可愛い新人のナースには
「お疲れ様」
とその美貌に蕩けるような笑みを浮かべて挨拶するくせに、もう高弥のことなど振り返りもしない。 新人ナースの瞳にはハートが浮かんだのが見えた。それはもうくっきりと。
高弥はこっそりと沢村の背に中指立て睨み付ける。
「タカヤせんせーは金曜日にやる肝がん患者の肝臓切除のオペ、見学したいから助手に入らせて欲しいんじゃなかったっけ?」
背中に目でも付いてるのだろうか。かねてから見学させてもらいたかったオペの助手を高弥が務めたがっているのをチラつかせながら、どんなオペでもこなしてしまう指先をひらひらと振ってロッカールームに沢村は入ってしまった。
いい加減な沢村と出会ってからもう3年だが、あの態度は相変わらずだ。
「くそっ部長に言いつけてやるからな!つーかオペの記録入力もしねぇ医者なんていんのかよ、あのクソ医者」
ぶつぶつ文句を言いながらも、先輩医師のIDとパスワードを入力して、彼に代わって入力作業をしている高弥。どうせ言ったところでこの医局に欠かせないほどに腕が良い男と新米医師では、随分と分が悪い。そんなことこの数年で身に染みて分かっている。
「お疲れ様。高弥先生」
沢村の分に加え、先ほど病棟の回診の結果の入力もせねばならず、カタカタとパソコンのキーボードを連打する高弥に後輩の研修医北岡翔太がコーヒーの入ったマグを手渡す。
「ありがとう」
それを有り難く受け取って高弥は口を付ける。苦味が口に広がる。 甘党である高弥はやや苦手ではあるが、僅かな仮眠のみでほぼ24時間連続勤務している身としては濃いカフェインを欲しているとこの後輩はよく分かってくれている。
「高弥先生。もしかして、また沢村先生の仕事ですか?」
「あー、まぁね」
「俺、沢村先生に言ってきます」
「いいよ。いいよ。言って聞く人ならとっくに直ってるって」
「それにしても……っ高弥先生が優しいからって」
北岡の台詞にぐっと胸が痛い。
後輩が入ってきたら、当然その後輩にも仕事を押し付けるのかと思っていたら、何と沢村は北岡と一緒の回診のときはサボらないし、 助手に入ってる手術のカルテも書かせない。 昼休みのあと戻って来ないから探しに行かされる、なんてこともない。
後輩の北岡は絵に書いたようなアルファの男で、仕事ぶりもきっちりしている。
何処か高弥を侮っているから、沢村も平気で仕事を押し付けてくるのだと、北岡のように如何にも仕事が出来るしっかりした雰囲気だったら違ったのだろうと思うと、 胸が痛い。
「優しいからっていうか、北岡みたいにしっかりしてないし、頼りないから使いやすいんだろ」
苦しくなって、キーボードを打つ手も鈍る。パチ、パチと元気なくキーボードを打つ。
「んなことないっすよ!高弥先生、めっちゃ仕事丁寧だし、先生が手術担当した患者さん、みんな術後良好だし、縫合した創部だって綺麗で治りもいいし」
「あまり難しい技術が必要な手術はまだしてないからなぁ」
後輩に誉めてもらって嬉しくないわけではないけれど、自分が目指している場所とはほど遠く、溜め息がこぼれ落ちる。
「うちの医局にある術式のマニュアル、 凄くわかりやすいじゃないですか。元々のものに、大分高弥先生が手を加えたんですよね」
「そうだけど……あれは、まぁ自分のためというか……」
優秀ではないが為に、解り辛かったことを調べて書き加えていったら結果的には非常に良い研修医向けのマニュアルになったと高評価を得ただけだ。後輩達に好評であることを聞き付けた消化器外科の医局長が見て、系列病院にまで貸し出しが行われたが、自分が不出来だったために、出来た産物だ。
「あのマニュアルには本当に助けられました。高弥先生が頼りないなんて、そんなことないですよ」
眩しいほどに爽やかな笑みを浮かべた北岡にそう言ってもらえると、落ち込んだ気持ちが少し救われた。
「そっか。ありがとう」
高弥が答えると
「高弥先生、今日この後真っ直ぐ帰ります?」
「うん。流石に疲れたかなぁ」
ふぁぁと欠伸を一つした高弥の顔を優しい目で見た北岡は
「夕飯食って帰りません?お疲れだから遅くまで飲みましょうとは言いませんから」
と言った。
北岡の言葉に夕食だけでも、と思わないこともなかったが。
(何だかんだで今日は多分……)
「ごめん、今日は帰るわ」
「じゃあ今度シフトが一緒のときにお願いしますね」
「ん、わかった」
そう答えてパソコンの画面に向き直った高弥を北岡はじっと見つめていた。
「沢村先生っ!カルテの入力終わってませんよ!」
高弥は地獄と言われる研修医の2年の期間を終え、勤務医1年目として研修を受けた永瀬総合病院で働いていた。まだまだ新米医師の松浦高弥が、相変わらずの沢村の背中に叫ぶ。
だが、沢村はスマホを耳に当てながら
「高弥やっといて。そのオペ助手してたんだから全部わかんだろ? 」
全くもって医師にあるまじき台詞を残す。
「そんなの執刀医が入力しなきゃ駄目に決まってるじゃないですか!って何度言えばわかるんですか!」
「んじゃ、明日書くわ。俺ちょっと約束あんだよね」
「帰るなら今日入力してくれないと患者さん引き継ぐ当直医に迷惑掛かるでしょうが!って 沢村先生っ!」
高弥の言葉をまるっと無視して医局を出るとスタスタとロッカールームに沢村は向かう。途中可愛い新人のナースには
「お疲れ様」
とその美貌に蕩けるような笑みを浮かべて挨拶するくせに、もう高弥のことなど振り返りもしない。 新人ナースの瞳にはハートが浮かんだのが見えた。それはもうくっきりと。
高弥はこっそりと沢村の背に中指立て睨み付ける。
「タカヤせんせーは金曜日にやる肝がん患者の肝臓切除のオペ、見学したいから助手に入らせて欲しいんじゃなかったっけ?」
背中に目でも付いてるのだろうか。かねてから見学させてもらいたかったオペの助手を高弥が務めたがっているのをチラつかせながら、どんなオペでもこなしてしまう指先をひらひらと振ってロッカールームに沢村は入ってしまった。
いい加減な沢村と出会ってからもう3年だが、あの態度は相変わらずだ。
「くそっ部長に言いつけてやるからな!つーかオペの記録入力もしねぇ医者なんていんのかよ、あのクソ医者」
ぶつぶつ文句を言いながらも、先輩医師のIDとパスワードを入力して、彼に代わって入力作業をしている高弥。どうせ言ったところでこの医局に欠かせないほどに腕が良い男と新米医師では、随分と分が悪い。そんなことこの数年で身に染みて分かっている。
「お疲れ様。高弥先生」
沢村の分に加え、先ほど病棟の回診の結果の入力もせねばならず、カタカタとパソコンのキーボードを連打する高弥に後輩の研修医北岡翔太がコーヒーの入ったマグを手渡す。
「ありがとう」
それを有り難く受け取って高弥は口を付ける。苦味が口に広がる。 甘党である高弥はやや苦手ではあるが、僅かな仮眠のみでほぼ24時間連続勤務している身としては濃いカフェインを欲しているとこの後輩はよく分かってくれている。
「高弥先生。もしかして、また沢村先生の仕事ですか?」
「あー、まぁね」
「俺、沢村先生に言ってきます」
「いいよ。いいよ。言って聞く人ならとっくに直ってるって」
「それにしても……っ高弥先生が優しいからって」
北岡の台詞にぐっと胸が痛い。
後輩が入ってきたら、当然その後輩にも仕事を押し付けるのかと思っていたら、何と沢村は北岡と一緒の回診のときはサボらないし、 助手に入ってる手術のカルテも書かせない。 昼休みのあと戻って来ないから探しに行かされる、なんてこともない。
後輩の北岡は絵に書いたようなアルファの男で、仕事ぶりもきっちりしている。
何処か高弥を侮っているから、沢村も平気で仕事を押し付けてくるのだと、北岡のように如何にも仕事が出来るしっかりした雰囲気だったら違ったのだろうと思うと、 胸が痛い。
「優しいからっていうか、北岡みたいにしっかりしてないし、頼りないから使いやすいんだろ」
苦しくなって、キーボードを打つ手も鈍る。パチ、パチと元気なくキーボードを打つ。
「んなことないっすよ!高弥先生、めっちゃ仕事丁寧だし、先生が手術担当した患者さん、みんな術後良好だし、縫合した創部だって綺麗で治りもいいし」
「あまり難しい技術が必要な手術はまだしてないからなぁ」
後輩に誉めてもらって嬉しくないわけではないけれど、自分が目指している場所とはほど遠く、溜め息がこぼれ落ちる。
「うちの医局にある術式のマニュアル、 凄くわかりやすいじゃないですか。元々のものに、大分高弥先生が手を加えたんですよね」
「そうだけど……あれは、まぁ自分のためというか……」
優秀ではないが為に、解り辛かったことを調べて書き加えていったら結果的には非常に良い研修医向けのマニュアルになったと高評価を得ただけだ。後輩達に好評であることを聞き付けた消化器外科の医局長が見て、系列病院にまで貸し出しが行われたが、自分が不出来だったために、出来た産物だ。
「あのマニュアルには本当に助けられました。高弥先生が頼りないなんて、そんなことないですよ」
眩しいほどに爽やかな笑みを浮かべた北岡にそう言ってもらえると、落ち込んだ気持ちが少し救われた。
「そっか。ありがとう」
高弥が答えると
「高弥先生、今日この後真っ直ぐ帰ります?」
「うん。流石に疲れたかなぁ」
ふぁぁと欠伸を一つした高弥の顔を優しい目で見た北岡は
「夕飯食って帰りません?お疲れだから遅くまで飲みましょうとは言いませんから」
と言った。
北岡の言葉に夕食だけでも、と思わないこともなかったが。
(何だかんだで今日は多分……)
「ごめん、今日は帰るわ」
「じゃあ今度シフトが一緒のときにお願いしますね」
「ん、わかった」
そう答えてパソコンの画面に向き直った高弥を北岡はじっと見つめていた。
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