60 / 120
第10章 三浦屋
1
しおりを挟む
長谷川蔵人は、川上屋の前に立ち、建物を見上げた。
狭い路地に面した二階建ての建物で、一見、ごく普通の茶屋に見えた。
ただの茶屋ではないことは、ここが江戸芳町であることと、茶屋としての看板は出しているものの、「おだんご」やら「ところ天」というような、提供している食べ物の品名を書いた紙を貼り出していない点を踏まえて、客が察するしかないようだった。
この辺りは日本橋と目と鼻の距離にあるだけあって、狭い路地でも人々の往来は絶え間なかった。
蔵人は、仙千代を取り返すと勇み立って江戸に出てきたものの、これといったあてはなかった。
彼は川上屋に背を向けて少し歩くと、角にある口入れ屋に入った。
口入れ屋とは、職を求める者と、働き手を求める者とを繋ぐ斡旋屋であり、江戸のような大都市ともなると、たくさんの口入れ屋が町のあちこちに看板を出していた。
数多ある口入れ屋の中から、ここを選んだのは、ひとえに川上屋からもっとも近いところにあるからだった。
「いらっしゃい」
女亭主らしき中年の女が声を上げた。
「この辺りで働きたい、世話をしてくれるかい?」
蔵人は率直に用件を切り出した。
「あんた、御浪人さんかい?」
「まあ、そんなところだ」
「どんな仕事がいいんだね?」
「料理茶屋かどこか、川上屋と付き合いのある店がいい。そういうところで働けるなら、用心棒でも下働きでもなんでもやる」
「川上屋の?」女将は眉をひそめた。「なんだい、お侍さん、もしかして、川上屋の蔭間にでも惚れ込んでしまったのではないだろうね?」
「どうでもいいだろう」
「いるんだよねぇ、そういう御人。蔭間に入れ上げちまって、蔭間と少しでも関わりのあるところで働きたいって御人がさ。そう稀にでもなくいるんだよ」
蔵人は女将に疎ましげな目線を投げつけたが、彼女はおかまいなしに話し続ける。
「そういう御人を見つけるたびに、あたしゃ、よしなさいって言うんだけどね。蔭間や遊女に恋するなんて、実体のない月明かりに魅入るも同然。捕まらないばかりか、しまいにゃあ尻の毛も一本残らず毟られちまうってね」
「そんなんではない」
ぶっきらぼうに言うと、蔵人は腕を組み、横目で女将を睨めつける。
「で、仕事はあるのか、ないのか、どっちなんだ?」
「あんた、遣い手かい?」
女将は、両手で太刀を構える仕草をした。
「まあ、覚えがないことはない」
蔵人は控えめに答えが、一刀流溝口派、免許皆伝の腕前であった。
「ちょうど三浦屋さんで用心棒を探しているよ。三浦屋さんってのは、この先にある料理茶屋で、川上屋とも取り引きがある。腕に覚えがあるなら、やってみるかい?」
「ああ、頼む。その三浦屋さんを紹介してくれ」
「口入れ代は、最初の一月分のお給金の一割五分。いいね?」
「わかった。それでいい」
「じゃあ、ここに、あんたの名前と、住んでいるところを書いておくれ。以前、どこかに仕官していたのなら、その経歴も書いておくと、採用されやすいよ」
女将は帳面を差し出し、蔵人は筆を取った。
狭い路地に面した二階建ての建物で、一見、ごく普通の茶屋に見えた。
ただの茶屋ではないことは、ここが江戸芳町であることと、茶屋としての看板は出しているものの、「おだんご」やら「ところ天」というような、提供している食べ物の品名を書いた紙を貼り出していない点を踏まえて、客が察するしかないようだった。
この辺りは日本橋と目と鼻の距離にあるだけあって、狭い路地でも人々の往来は絶え間なかった。
蔵人は、仙千代を取り返すと勇み立って江戸に出てきたものの、これといったあてはなかった。
彼は川上屋に背を向けて少し歩くと、角にある口入れ屋に入った。
口入れ屋とは、職を求める者と、働き手を求める者とを繋ぐ斡旋屋であり、江戸のような大都市ともなると、たくさんの口入れ屋が町のあちこちに看板を出していた。
数多ある口入れ屋の中から、ここを選んだのは、ひとえに川上屋からもっとも近いところにあるからだった。
「いらっしゃい」
女亭主らしき中年の女が声を上げた。
「この辺りで働きたい、世話をしてくれるかい?」
蔵人は率直に用件を切り出した。
「あんた、御浪人さんかい?」
「まあ、そんなところだ」
「どんな仕事がいいんだね?」
「料理茶屋かどこか、川上屋と付き合いのある店がいい。そういうところで働けるなら、用心棒でも下働きでもなんでもやる」
「川上屋の?」女将は眉をひそめた。「なんだい、お侍さん、もしかして、川上屋の蔭間にでも惚れ込んでしまったのではないだろうね?」
「どうでもいいだろう」
「いるんだよねぇ、そういう御人。蔭間に入れ上げちまって、蔭間と少しでも関わりのあるところで働きたいって御人がさ。そう稀にでもなくいるんだよ」
蔵人は女将に疎ましげな目線を投げつけたが、彼女はおかまいなしに話し続ける。
「そういう御人を見つけるたびに、あたしゃ、よしなさいって言うんだけどね。蔭間や遊女に恋するなんて、実体のない月明かりに魅入るも同然。捕まらないばかりか、しまいにゃあ尻の毛も一本残らず毟られちまうってね」
「そんなんではない」
ぶっきらぼうに言うと、蔵人は腕を組み、横目で女将を睨めつける。
「で、仕事はあるのか、ないのか、どっちなんだ?」
「あんた、遣い手かい?」
女将は、両手で太刀を構える仕草をした。
「まあ、覚えがないことはない」
蔵人は控えめに答えが、一刀流溝口派、免許皆伝の腕前であった。
「ちょうど三浦屋さんで用心棒を探しているよ。三浦屋さんってのは、この先にある料理茶屋で、川上屋とも取り引きがある。腕に覚えがあるなら、やってみるかい?」
「ああ、頼む。その三浦屋さんを紹介してくれ」
「口入れ代は、最初の一月分のお給金の一割五分。いいね?」
「わかった。それでいい」
「じゃあ、ここに、あんたの名前と、住んでいるところを書いておくれ。以前、どこかに仕官していたのなら、その経歴も書いておくと、採用されやすいよ」
女将は帳面を差し出し、蔵人は筆を取った。
23
お気に入りに追加
154
あなたにおすすめの小説
身体検査
RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、
選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。
双葉病院小児病棟
moa
キャラ文芸
ここは双葉病院小児病棟。
病気と闘う子供たち、その病気を治すお医者さんたちの物語。
この双葉病院小児病棟には重い病気から身近な病気、たくさんの幅広い病気の子供たちが入院してきます。
すぐに治って退院していく子もいればそうでない子もいる。
メンタル面のケアも大事になってくる。
当病院は親の付き添いありでの入院は禁止とされています。
親がいると子供たちは甘えてしまうため、あえて離して治療するという方針。
【集中して治療をして早く治す】
それがこの病院のモットーです。
※この物語はフィクションです。
実際の病院、治療とは異なることもあると思いますが暖かい目で見ていただけると幸いです。
お兄ちゃんはお医者さん!?
すず。
恋愛
持病持ちの高校1年生の女の子。
如月 陽菜(きさらぎ ひな)
病院が苦手。
如月 陽菜の主治医。25歳。
高橋 翔平(たかはし しょうへい)
内科医の医師。
※このお話に出てくるものは
現実とは何の関係もございません。
※治療法、病名など
ほぼ知識なしで書かせて頂きました。
お楽しみください♪♪
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる