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第3章 ちょんの間

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「お仙ちゃん……」

 佐吉は仙千代の背中を優しくさすった。

「ちょんの間で遊ぶ客は、皆が皆というわけではないが、タチが悪いのが多いんです。今回は、その中でもとくに悪いのに当たっちまった──いや、外れを引いちまったと思って辛抱するしかない。今は辛いが、ここが踏ん張りどころです。頑張って名を上げて、揚げ屋に通う金持ちの客を捕まえれば、もっと楽になれますよ」

 蔭間を揚げ屋に呼び出す場合、揚げ代は二両二分──現在の価値に換算すると、およそ二十万円。

 その日は、一人の客だけ相手にすれば済むし、揚げ代のほかにも、心付けをもらえる。

 気に入られれば常連になってくれて、そういう上客がついた蔭間には、亭主も気をつかって、疲れさせないように、体を壊さないようにと、ちょんの間での接客は控えさせるようになる。

 また、金持ちの客の中には、お気に入りの蔭間を身請けする者もいた。

「身請けか……」

 仙千代はひとりごつ。

 蔵人は、必ず迎えに行く、と言った。

 その言葉を真に受けるほど、仙千代も初心うぶではない。

 蔭間を身請けするには何百両もの金が必要で、蔵人にそんな大金は用意できないのはわかっていた。

 戦のない泰平の世が百年も続き、二次産業や流通経済が発展し、庶民は豊かになり、華やかな元禄文化が花開いた。

 一方で、相対的に米価は下がり、給料を米でもらっている武家の経済状況は厳しくなった。

 それでも、武家は常に戦に備えておかねばならず、戦力となる家臣や奉公人の頭数は家禄に応じて定められているため、家計が苦しいので使用人を減らします、ということは許されなかった。

 その人件費が武家の財政を圧迫しており、家禄の高い上級武士でも、借金をして体面を保っている者が多かったのだ。

 年季が明けるまで、あと十年。

 蔵人が身請けしてくれるなんて、決して叶わぬ夢である。

 しかし、たとえ叶わぬ夢だとわかっていても、仙千代は夢を見ていたかった。

 いつかまた蔵人に会える──その望みにしがみついていなければ、この色地獄を耐えられそうになかった。

「蔵……人……」

 無意識のうちに、思い人の名が、嗚咽と共に漏れる。

「……」

 幼い子供のようにすすり泣く仙千代を、佐吉は黙って見守り、その震える背中を撫でつづけた。
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