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天気の国 ウェザークラフト その三
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「出発してからずっとああなんだけどいいの?」
「いいんだよ。初めて友達と別れたんだから感傷に浸らせてやれ」
カグヤとサクヤの二人と別れてから一時間の間、セルクは二人からもらった髪留めを延々撫で続けいた。
始めは心配していたオレイカとシスタも今は少し不気味がっていた。
「それでカクシスはこの道を真っすぐでいいのか?」
「はい。その前にもう一度吹雪を抜けないといけませんけど」
またあれか。数日前の吹雪を思い出し気持ちが暗くなるが、雪の町は周囲を吹雪が囲んでいるらしい。
しばらく車を走らせると目の前に雪の壁が見え始めてきた。
「私が結んできます。待っててください」
慣れない吹雪の道を進んで行くと遠くに青白く光る目が見えた気がした。
「今の見たか? 青白い光が二つ」
黙ってみていたはずなのにその二つの目は姿を消した。
「気のせいじゃないの? 私は見てないけど」
「私も見てません。見間違いですよ。光の関係とかそういうのですよ」
二人はそういうが、今のは見間違いじゃない。とどこかでそんな確信がある。
こういう感覚は大事にしないとダメな気がする。
「ここに生物とかいるのか?」
「ありえませんね。まずここには食料がありません。それにここは実験場で自然とは違います。なので生物が住みついたらどこかに追いやられてしまいます」
「そこまでされているなら確かに生き物はいないか」
実験のための施設なのだからそれは当然か。だとしたらやはり見間違いってことになるのか?
「でも実験動物の運搬なら可能性があるよね」
「その可能性はありますけど、可能性は低いですね。実験動物だとしてもわざわざ姿の見える檻の様なものには入れませんよね」
「それもそうだね」
状態を悪化させかねない状況を作るわけがないってことか。
言われれば言われるほどただの見間違いって気がする。
そう考えていた時に風の音とは別に何かの鳴き声が聞こえた気がした。
他に聞いていた者はいないようで、俺は不安を感じながら辺りを警戒することにした。
出発が遅かったこともありカクシスに着いた時には日が暮れていた。
ゴロゴロと雷が轟き、一際高い避雷針に落ちていく。
雨のように降る雷にも驚いたが、一番驚いたのは町の中に建造物と言われるものが避雷針しかないことだ。
「この町で雷が民家に落ちることはありません。百を超える避雷針がありほぼ全ての雷はそこに落ちます。地上にあるのは入口のみで居住区は全て地下にあります」
シスタからそんな説明を受けながら雷の町を進んで行く。
何発もの雷が閃光を発し轟音を響かせる。すぐに慣れた俺とここを知っているシスタは問題ないが、地下暮らしの長いオレイカと子供セルクは荷台で体を丸めて震えていた。
「こんなところで一体何の研究がおこなわれているのやら」
様々な天候を再現しているというウェザークラフトだが、こんな環境では実験どころではないだろうに。
「正にそれですよ。こんなところでも生活できる環境づくり、後はこの雷を使っての耐久実験辺りがメインですね」
「そりゃあ、随分と献身的な考えだな」
「だといいですけどね」
シスタの顔を見る限りやはり善意というよりも、環境作りから生まれる利益確保のために我先にと挑戦しているわけか。
別に悪いこととは言わないが、共同制作とかはしないだろうな。
また突然雷の音に被せるような鳴き声が聞こえた。
俺達に付いてきているのかたまたま同じ進み方なのか。
考えても仕方ないので荷台で震える二人のために家に向かう。
おっさんの家に着き地面を開けると馬車用の入り口が開く、そこから続く下り坂を進むと平らなところに着いた。時間がかかるだけありそれなりに高い天井、広場の様な場所からは細かい道のような物が伸びている。
そんな広場にここは自分の領土だと主張するように家が建っている。
広大な敷地の主としては若干心もとない普通の民家に俺達は荷物を運び入れる。
その家のリビングに紙が一枚置かれていた。
「シスタ、手紙があるぞ。準備はできてるから金を持って来いってさ」
「そうですね。先にそっちに行きましょうか。クォルテさん運転お願いします」
セルクとオレイカに荷ほどきを任せ俺とシスタは移動を開始する。
知り合いの家への道は地下に作ってもいいらしく明かりが乏しい道を真っすぐに進んで行き、すぐに目的の家にたどり着いた。
玄関をノックすると中から黒髪の老年の男性が顔を出した。
「誰だ? 商売なら余所でやれ、ワシも暇じゃない」
「私ですシスタです。料金のお支払いに来たのですが」
「なんじゃシスタちゃんじゃないか。入れ入れ甘いお菓子もあるから、食べていきなさい。ほれほれ」
不愛想に俺をにらみつけた爺さんはシスタを見つけるや、顔をほころばせすぐに家の中に招き入れドアを閉め鍵をかけた。
もちろん俺が外にいるのをしっかりと確認してからだ。
あまりにも普通な動きに反応できないままドアを見つめてしまう。
しかしそれでよかったと思える。あのままだとあのクソ爺の顔面を殴りつけてしまうところだ。
俺はもう一度ノックするが今度は完全に無視。
怒りをもう一度飲み込み再度ノックをするがやはり無視で、家の中から談笑の声が漏れ聞こえる。
「おいクソ爺! 今すぐドアを開けねぇとここ更地にすんぞ!」
「やかましいガキだな堪え性がない。ワシが子供の時はこのくらいの悪戯笑って許してやったぞこれだから最近の若い者は」
「嫌がらせを我慢してやるほどこっちも暇じゃないんだよ。それで金はいくらだ?」
ようやく取引の話になった。この手の爺さんは昔話も長いし早めに切り上げて帰ろう。
「っ! 爺さん伏せろ」
一瞬感じたピリッとした殺気に体が反応する。
俺が爺さんの体を抱えしゃがんだ次の瞬間に頭上を何かが掠める。
急いで態勢を整え盾を構える。
「獣の様じゃな。太くて鋭いところからして、四足の獣じゃ。力に自信がないなら首は狙うな。狙うなら腹部や目のように柔らかい部位じゃ」
爺さんの声に今までのような雰囲気は無くなり、真剣な声になった。
「シスタを頼む。俺が何とか仕留める」
「わかった」
誰もいない家の周りからは気配を感じない。
視覚で確認できる場所には誰もいない。完全に姿を消した?
一瞬気を緩めた瞬間、殺気を捕らえた。上を見ると四足の獣が俺に牙を剥いていた。
盾の大きさから防げない。避ける? 違う蹴り飛ばす!
一瞬の思考の後に俺は足を伸ばし首を蹴り飛ばす。これで倒せれば良し、倒れなくてもそのまま移動はできる。
蹴った足を軸に移動し獣の攻撃を避け、獣を正面に捉える。
獣は虎だった。しかし普通とは違う虎。真っ黒な毛皮に白い虎模様。太く頑丈な足には鋭い爪に骨も砕けそうな獰猛な牙。そしてこちらをにらみつける青白い目。
こいつがさっきの所に居た奴か。俺達を狙って来たのか?
「水よ、剣よ、獣を狩る爪となれ、ウォーターソード」
水の剣を携え改めて虎と向き合う。
援軍は無し、俺一人で虎を狩るのか。
不利な状況に俺はため息を吐きながら虎の次の攻撃に備えた。
†
黒い虎は何かが裂ける音と共に視界から姿を消した。
青白い光の筋が跡として残りそれをたどった時には、虎は背後に回り込み太い爪で俺を引き裂こうとしていた。
空間を切り裂くような一撃に驚き体勢が崩れたおかげで薄皮一枚掠める程度で済んだ。
俺一人の時にこれか……。
せめてどちらかを連れてくればよかった。
引き裂かれたのは肩から腹にかけて斜めに一線。
反応さえできない速さ。残った残像を追いかけていても回避が間に合わない……。
状況の分析をしてもこちらが圧倒的に不利。
向こうは一撃で仕留める爪牙なのにこちらは一撃で仕留めるのは無理。
組み敷かれても終わり。命がいくつあっても足りないだろこれ……。
また何かが裂けるような音と同時に虎の姿が消える。
光の軌跡は先ほどと同じく俺の左側から狙ってきていた。
「それなら逆回りでどうだ!」
持っている水の剣を反対に回転し横一文字で振りぬく。
これならどこかでぶつか……る?
後ろを振り向いた時に光の軌跡は真上に向かっていた。
真っ二つにするつもりで全力で振った水の剣はその軌跡を切りつけてしまう。
やられた……!
こちらの動きを呼んだうえでの回避。振りぬいた水の剣の勢いに体は引かれ頭上に居る虎を睨むことしかできない。
完全な失策。
虎は俺の頭を食い千切ろうと牙を剥く。
死を覚悟したが、唐突な衝撃が俺の体を通り俺の体は弾かれるように後ろに跳んだ。
ニ三回地面を転がり、起き上がると体にわずかな痺れが残った。
手を放してしまった水の剣は地面に落ち水に戻る。黒い虎も未だにこちらを見ているだけで動きはしない。
何が起っているんだ? 今のはなんだ?
手を何度か握り正常であることを確認し短槍を取り出す。
魔力を少し込め今度はこちらから攻める。
どこから来るのかわからないなら先手必勝だ。
一歩踏み出し、勢いを殺さないように二の足を出し一気に距離を縮めようとするが、当然のように虎は姿を消す。
それは知っている。
俺は止まることなく一気に駆け抜け壁に向かう。
少し前に通った場所で地面が砕ける音がした。
虎は猛獣であることを誇るように唸りヒタヒタとゆっくりと動き始める。
背水の陣だが、目の向かない背後は取らせない。
俺の領域を理解している様に隙を伺う虎はプレッシャーを与えるように俺の視界をゆっくりと往復する。
次に何をするのか。何をするにしてもあの速さでは脅威でしかない。
「土よ、壁よ、道を作れ、ウォール!」
突如俺と虎を挟み込むように壁が出来上がる。
突然の異常事態に虎も咄嗟に動くことはできず、俺と一緒に壁で挟まれた通路に取り残される。
「ナイスだシスタ」
これならまだ戦える。
狭い道で縦横無尽に機動力は活かせない。後は初動を見逃さなければ戦える。
そしてその初動は動きではなく音。何かを裂くような異音。
唸り威嚇する黒い虎と向き合い、互いに動けずにいた。
「水よ、槍よ――」
こちらが呪文を唱える瞬間を狙っていた。
一瞬の音を聞き取りこちらも動く、眼前に現れる虎の右の爪が正確に俺の首を刈り取ろうとしていた。
首を引き虎の爪は首元を掠める。
振り切ったのを確認して槍を虎の目に向かい突き出す。
しかしわずかな感触を残し虎がまた姿を消した。
咆哮を轟かせ虎は俺達の前から姿を消した。
「ふぅ」
脅威が去り俺はその場に座り込む。
今の虎最後の一瞬激しく発光した。ようやくあの虎の事がわかってきた。
「クォルテさん大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」
「大丈夫。とは言えないかな。疲労困憊で倒れそうだ。この町ってあんなのがうじゃうじゃいるのか?」
あの虎は雷と同化していた。あの空間が裂ける音も電気が発生する音だ。消えるほどに早いは正確ではなかった。雷に変化した。だから姿が見えなくなっていた。俺があの軌跡を切った時の衝撃も電気が水を流れたから。荒唐無稽なはずの考えもそうだとすれば全て辻褄が合う。
そしてそれがこの町の生んだ研究の成果というなら、対策方法も確立していなければあれだけで町が消えてしまう。
そう思ったが、シスタの答えは違った。
「あんな生物見たことも聞いたこともありません」
あれはいわば新種の生き物と言うことになってしまう。
対策も何もないただの災害。
そうとわかれば急いで戻らないといけない。
「爺さん、金は俺の家で払うから付いてきてくれ」
あの獣がまたいつ来るかわからない環境にこんな爺さんを置いておけるはずもない。仕方なく車に爺さんを乗せ急いで家に戻る。
黒い雷の虎か。ここで作られた生物じゃないなら作ったやつは一人しかいない。
ハベル・クロア。あのマッドサイエンティストが今この町にいる。
そうなると俺一人は心もとない。神の誰かに声をかけるか? あいつのことだから察知した瞬間にどこかへ高飛びするはず。セルクに任せるか? いや、あの異常者と戦わせるには幼すぎる。
打つ手なしか……。目的は果たしたし早々に国を出るのが得策ではある。でもな……。
荷台で辺りを警戒しているシスタ、そのシスタの両親であるおっさんとティアさん。それに雪の国でカグヤとサクヤと仲良くなってしまった。
あいつがここにいる理由はわからない。あれを作るために来ているならすぐにいなくなるだろうか。いや、あいつは確実にこの国で性能を確認する。
「小僧、何を悩んでいる? 人生の先輩が聞いてやろうか?」
「爺さんには関係ないことだよ。もうすぐ着くから大人しくしてろ」
「ワシが優しく言っているうちに話せ。お前はあの獣の何を知っている?」
爺さんから唐突に感じる威圧感。心臓を鷲づかみにされている様な死を連想させるほどの迫力に車を止めた。
振り返ると好々爺の顔ではなく鬼神の顔をしていた。
優しい弓形の目は鋭く開き、口は真一文字に結ばれ、俺の言動を見極めようとしている。
「家に着いたら話す。それでいいか?」
「その前に一つ答えろ。あの生き物をお前は知っているのか?」
「知らない。初めて見たが、あんなのを作ろうとしてる畜生を知っている」
その答えで満足したのか、何も言わず荷台に座るとまた好々爺の表情に戻っていた。
この爺さんとんでもなく強い。アリルドやルリーラのように純粋に体の強度ではなく、技と経験がずば抜けている。
得体の知らない爺さんとともに俺達は家に着いた。
†
「おかえり、ってどうしたのそのおじいさん」
家に帰るなり出迎えてくれたオレイカに今起こったことを伝える。
「それってもしかして、人造魔獣を作ったハベル・クロアの仕業?」
「ここの実験じゃないみたいだしな。俺はそうなんじゃないかと疑っている」
「小僧、紹介してくれや。そこの美人二人は誰でお前の何なのか。それとそのハベル・クロアってのはなんだ?」
どう伝えればいいのか。頭を悩ませるが、手練れのようだし手伝ってもらいたいと俺はクロアの事を話すことにした。
「まずは自己紹介だな。俺はクォルテ・ロックス、それでこっちの白髪がオレイカ・ガルベリウス、もう一人の黒髪がセルク。二人とも一緒に旅をしている仲間だ」
「ワシはツァトゥグア・ヴェリヴァス。好きに呼んでくれ。それで、ハベル・クロアとは誰じゃ?」
セルク達に笑顔で挨拶をし、表情が変わる。
「下種な研究者だよ」
俺はそうクロアについて語る。
ギアロの実験場、フリューでの人造魔獣、パルプという実験体についてあいつらについては全て伝えた。
聞き終わると爺さんは椅子に体を沈ませる。
荒唐無稽な話だが、泉の国であった事件については連絡が来ているはずだ。
「それほどの外道ならあれくらい平気でやるだろうな」
何のことを言っているのかわからないが、俺の言っていることはわかってくれたのだろう。
「あの獣正体は雷獣。数種類の精霊に強力な力を加えた際に生まれる」
「そんな力がどこに……、そうか雷か」
爺さんは頷いた。
そうか雨のように雷が落ち続けるこの町ならではの存在。しかしそれでも未だに信じられない。
「でもここの雷って人工だよね? 本物みたいな力があるの?」
「ありますよ。この国の天候は人工ですがそれは雷ができやすい環境を人の手で作っているので、降る雷は本物です」
オレイカの質問にシスタが答えた。
「昔は稀にだが、雷獣が生まれることがあった。最後に出たのはは五十年前」
爺さんは煙草に火を着け煙を吐き出す。
「その言いぶりだと雷獣が生まれない方法が確立したってことだよな」
「その通りだ。精霊が外に出ないようにすればいいんだよ。だからこの町の家は地下にあり避雷針が複数設置された。数種類の精霊を使う実験は普通ならないからな」
この町は落雷を防ぐために地下に移動したのだと思っていたが違うらしい。怪物を生まないように地下へ移動したのか。
「でも過去にも出ていたなら対処の記録とかありますよね?」
「核となる精霊の集合部分を潰すか、雷獣の力を発散させる。そのどちらかで終わるはずなんだがな」
歯切れ悪く言葉が止まり、ゆっくりと紫煙を肺に流し込む。
次の言葉があるのかと待つが爺さんは言葉を続けることはしなかった。
「その雷獣ってのはこの町から出ないのか?」
「出ないだろうな。だから逃げるなら早く行け、ワシはここから出て行くつもりはない」
出られないのに雷獣を作った理由なんて一つだけだ。出られるようにすることがクロアの目的なんだ。
倒しにくい雷獣をここで作り戦力を拡大する。巨大な精霊結晶を必要としない安価で作れる。
それなら妨害しないといけないか。幸い雷獣の存在は一体のみ、爺さんの力量次第だが問題はなさそうだ。
「爺さんの武器は何だ? 魔法で出して――」
俺の言葉を遮るように雷鳴が轟く。
その轟音と共に獣の慟哭が聞こえる。
「オレイカとシスタはあいつの進路妨害を頼む。セルクは二人を守れ、俺と爺さんが攻める」
「嬢ちゃん、作業用の手袋はあるか?」
俺が構え爺さんに獲物を持たせようとしたがなぜか爺さんは厚手の手袋を手にはめている。
「ワシに得物は必要ないぞ。ツァトゥグア・ヴェリヴァス、生まれてから八十九年喧嘩で得物は使わない」
「マジか、なんかカッコいいなそれ」
手袋を付けた瞬間に爺さんの体が変化した様に見える。どこか威圧感が増し眼光はより鋭くなり前傾で重心を下げる。
そして俺の掛け声を待たずに窓から飛び出し、一直線に雷獣に向かう。
出遅れた俺が急いで飛び出すとすでに戦闘は始まっていた。
爺さんはあの雷獣の動きについて行っているようで爪を牙を避け、攻撃を仕掛けているが、元が雷の雷獣に今一歩のところで当てられずにいた。
一瞬の音を捕らえ、出現ヵ所を予測して動く。これが老人の戦いだとは思えないほどの速度だった。特性を生かして高速の攻撃を続ける雷獣に対して知識と経験だけで高速に追いつく。
この高次元の戦いに俺は入れずにいた。
変にバランスを崩すのが怖い。それはオレイカ達も同じなのか魔法を使ってはいない。
「合わせるから入ってこい、小僧!」
「はい!!」
短槍を持ち激闘の中に飛び込む。
俺は確かに狙いを付けた爺さんの攻撃を雷獣が避ける方向を狙い、普通であれば確実に一撃入るタイミング。
しかし雷獣は普通ではない。当然のようにこちらを見つめ雷に変化する。
「ちっ!」
穂先がわずかに触れるだけで致命傷にはならない。
その苛立ちを表に出し次の攻撃に備える。
「目だけで捕えようとするな。俺よりもしっかりとしたものがあるだろう」
しっかりとしたもの?
考えようとしてもすぐに雷獣の攻撃が挟まり思考が止まる。
何度もぶつ切りになる思考では考えがまとまるどころか支離滅裂な思考に陥ってしまう。
爺さんの攻撃から何かを感じようとしても、爺さんの動きも雷獣と同様に早く観察ができない。
現状でわかるのは爺さんの反応速度が俺よりも早いということだけだ。俺が雷獣の攻撃を察知する前に爺さんは動き出している。
爺さんの口ぶりから何かコツがあるのはわかる。しかしコツがあるということだけしかわからない。
「小僧しっかりとやれ!」
何を察知している? 音? この常に移動を繰り返している音から雷獣の音だけを聞き取る? 違う。
じゃあ光? 雷から姿を現す瞬間に発する光か? この人工の光がある地下でか? 違う。
ならなんだ、黒髪の爺さんに俺が勝っている部分はどこだ?
「王様後ろ!!」
オレイカの声に次いで雷が走る音が聞こえた。
オレイカが気づいた? あの距離でなんで? なんで気づいた?
そうか。できることが違う。黒髪にできることも白髪にできることも全部違う。
魔法による感知。それが正解か。
それに気が付いた時雷獣の爪が俺の背中を切り裂いた。
†
熱い痛い痺れる……。
三本の爪が皮膚から内部に深く刺さり、そこから斜めに移動する。その激痛が酷くゆっくりで、体を引き裂かれる感覚も周りの声も鈍く聞こえる。
助けに動く爺さんも叫んでいるオレイカも、不安そうなシスタも駆け寄ろうとしているセルクも背に爪を立てている雷獣も世界がゆっくりと動いていく。
これも走馬灯。この状況を打破するために脳が過去や現状から全ての可能性を模索している。確かそんな感じだ。
死ぬんだろうか。傷は深い血を止めないと。雷獣の攻撃は魔法で察知するんだっけか。
思考がまとまらない。世界が静止してしまうほどに稼働していてもまとまらないってことがあるんだ。
俺が地面に倒れると、世界は動き出す。
体からこぼれ出た血液が辺りに広まっていく。
「あっ……がっ……かはっ……」
言葉は音にならず、声になりそこなった空気だけが少量の血液と共に口から漏れる。
「シスタちゃん、小僧を家の中に早く!」
シスタ達がこちらに走ってくるのが見える。
駄目だ、視界がぼやける。いつの間にか霧が出てきたらしい。
雷獣を倒すのに支障が出なければいいけど。
「王様、すぐに治療するから。セルクすぐに王様を運んで」
「これがパパを、許さない!」
「それよりも今はこっち王様が死んじゃうから!」
誰かに担がれている。もう視界が無くなるほどの霧でも動けるのか。流石セルクだ。
あまりにも濃い霧は光すらも通さないらしく、辺り一面が真っ暗だ。
小さな音が聞こえた気がした。何かが壊れる音、爺さんが雷獣と戦ってるのか。
そこで俺は何も感じることはなくなった。
俺が意識を取り戻した時には目の前にオレイカが居た。
「起き上がらないでね、傷は塞いだけど塞いだだけだから。でも目を覚ましたならもう大丈夫かな。背中以外に違和感ある?」
頭がボーっとしている。
ここはたぶん、おっさんの家だ。見た覚えがある。オレイカの表情から結構意識を失っていたらしい。
現在の状況を確認する。
「雷獣はどうなったんだ? 俺が倒れた後に何かあったのか?」
「大変だったよ――」
オレイカの話では俺が倒れた後に天井を破壊して一人の男が来たらしい。
クロアの仲間なのは確かなようで狙いは俺。雷獣の試運転を兼ねて俺を襲撃したらしいが、キレたセルクの気迫で追い返したらしい。
当のセルクは追撃しようとしたがオレイカに窘められて今も俺を守るために部屋の隅でじっと座っている。
「――そんなわけで大変だったんだから」
「その男の名前はわかってるのか?」
「ヴェル・ドレッド。自分で言ってた」
険しい顔をしてセルクが教えてくれたその名前に覚えはないが、クロアが絡んでいるのなら厄介なはずだ。
雷獣だけでも面倒なのにそれを操る人間か。
「それはそうとセルク。おいで」
とりあえずその面倒は忘れておこう。今は先の事よりも今を大事にしよう。
「どこか痛いの?」
険しい顔が少し緩み俺の側に小走りで走ってきたセルクの頭を撫でる。
「ありがとうな。セルクのおかげで俺もオレイカも生きてる」
「うん!」
わずかに残った危うさも消えて笑顔に戻った。
セルクはまだ難しいことを覚える必要はない。何をしたら周りが褒めてくれるか。それを今は覚えてもらいたい。
セルクが神としてどうなるかはわからないが、前の闇の神ミスクワルテの様にはなって欲しくない。
「私もセルクを止めたり頑張ったんだけどな」
「はいはい。オレイカもありがとうな」
拗ねた表情でわざとらしく頭を差し出すオレイカの頭もついでに撫でると満足気に耳がぴくぴくと動く。
「オレイカが察知できたのはその耳のおかげか? 確か魔力の貯蔵庫って言ってたよな?」
「違うよ。そんな機能はないから。魔力が反応したの、魔法を使おうとしてたら王様達の所で魔力が消えて変だなって思ったら突然現れたの」
「それが爺さんよりも俺が勝っている部分か」
突然の消失と出現か。魔力察知までは何となくわかったけど察知は存在そのものか。精霊に雷をぶつけて生まれる雷獣ならではの探し方だ。
「今度は遅れを取らない。攻撃のタイミングがわかれば勝てる」
確かな手がかりに俺は満足する。
もう雷獣には負けない。後はドレッドって言う奴の対応だな。
「そう言えばシスタと爺さんはどこにいるんだ?」
「この町のお医者さんを探しに行った。たぶんもうすぐ戻ってくるはずだよ」
オレイカのその言葉通り二人は医者を連れてきてくれ、俺はちゃんとした治療を受けた。
傷がしっかりと癒着するまでどんなに急いでも三日かかるとのことだったが、激しい運動が無ければ明日からは起き上がっても問題ないらしい。
そうなると急に暇になる。
雷獣への対策法も決まりただただ暇な現状では天井を眺めているしかない。
そんな俺とは違い、オレイカはアトゼクスをシスタのお腹から取り出す手術をするため別室に移動している。
手術はニ三時間で終わったらしく久しぶりに体外に出られたアトゼクスが俺の部屋にやってきた。
「無事出てきました」
「そりゃあよかったな。もう飲み込まれるなよ」
オレイカの腹話術に返答しようやくこの町に来た最大の理由は終わりを迎えた。
残りの野暮用の決着もつけないといけない。と俺は拳を握った。
†
翌日医者から激しくなければ動いてもいいとの許可をもらい、俺は雷獣感知のための練習をしていた。
場所は相変わらず部屋の中、俺が激しく動きにくい場所でのみ許可されている。
最初は自分の魔力を辺りに放出して試してみたが、魔力の消耗が激しく精度が期待できない。
「オレイカ、何かコツとか無いのか? この状態で戦闘は無理だ」
俺が激しく動かないかを監視するために一緒にいるオレイカに聞いてみる。
ただ発動だけで倒れてしまいそうなほどに疲れてしまう。実際の戦闘となれば他にも魔法を発動させ激しく動くため、このままだと一分も持たない。
「私はあんまり動かない位置だし白髪だからそれで問題ないからわからないな」
「そうなんだよな」
このやり方はオレイカの案で物は試しと始めたことだし、これ以上の情報は出てこないか。
そうなると俺専用に考えるしかないのか。
「お爺さんに聞いてみたら? ヒントくれるかもよ」
「それもいいんだけど、爺さんは黒髪だからな。オレイカと一緒で俺には無理なことかもしれないぞ」
「聞くだけ聞いてみようよ。呼んでくるからちょっと待ってて」
こちらの返事を聞く前に部屋を飛び出して行った。
オレイカが爺さんを連れてくる間、一人で考えていたが一向に考えはまとまらない。魔力の量を減らせば感知できる部分が限られる。
いっそ感知の魔法を使ってみたが、結局は物理的な存在しか確認できずにいた。
「小僧、激しい運動は禁止じゃないのか?」
入ってきた爺さんは俺の姿を見てそう聞いてきた。
「連れてきたよ。ってなんで地面に倒れ込んでるの傷が開いたとか?」
地面に寝転がる俺を見ているのなら二人の反応は正常なのだろう。
「こうやると誰が近づいたかわかるかなと思ってさ。密偵とかがよくこうやって人数確認とかするだろ?」
「それはあくまで五感に頼ってるだけだろ? 黒髪の領分だ。訓練もできていない小僧にできるわけない」
そうはっきりと言われて俺はベッドに座り直す。
確かに足音は聞こえたが人数もわからなかったしな。
「ヒントを教えてくれとオレイカちゃんに言われてきたが、正直どう言えば伝わるかわからん。だがワシが一つだけ心がけていることは自分の領域をしっかりと認識する。ただそれだけだ」
「領域か。爺さんはどんな風にイメージしているんだ?」
「腕の届く範囲。ここからここまでの範囲だな」
そう言って両腕を広げ、見えない壁をなぞるように自分の領域を示している。
そうすると俺にも薄っすらと爺さんの領域が見えた気がした。
爺さんの体を中心に描かれた丸い球体。それが見えた時何かが繋がった。
「行けるかもしれない」
そう口にするとその言葉を待っていたかのように雷獣の咆哮が聞こえた。
練習する時間はないか。
「王様は寝ててね。病気の次に大けがとかこれ以上何かあったら私がルリーラ達に怒られるから」
「えー……」
折角戦える術を手に入れたのに戦わせてはもらえないらしい。
「後セルクを大人しくさせてね」
何があっても良いように俺も玄関まで向かい、二人の様子を見ている。両サイドにセルクとシスタが俺の腕を掴み跳び出さないようにされてしまい、俺は罪人のような扱いを受けている。
戦闘を行うのは爺さんとオレイカ、それとアトゼクス。
前回の戦いだと気が付かなかったが爺さんは戦闘に向けて両手を広げ自分の領域を確認し雷獣があらわるのを待つ。
オレイカも魔力を周りに散布させ迎え撃つ準備をしている。
そう言えば改めて他人の戦闘を見るのって初めてな気がする。
俺もただ見てるだけじゃなくて練習してみるか。
そう思い自分の領域を想像する。円形で自分を覆うイメージ。
近いのはウォーターボールそれを意識するために自分を中心に水の球を作る。
「何ですか? 何をしてるんですか?」
「パパどうしたの?」
「練習だ。動けないからこれくらいは許してくれ」
二人の抗議を受けながらそれを無視する。
爺さんから見えた領域のイメージに近づけるために水の球の厚さを極薄にする。
視界を遮らないほどに薄くしていき、やがて知覚できないほどに薄くなる。
「消えました。今の何だったんですか?」
「ううんまだあるよ」
セルクには見えているらしく、中指の腹から人差し指、薬指と水の球の端に触れやがてセルクの右手が全て触れる。
そうかこれだけでいいのか。
魔法で作った水の蛇が動くのがわかるように遠視の魔法で遠くの情景を認識できるようにこれだけでいいのか。
難しい技術なんかじゃないんだ。この水の球に触れた何かを察知するだけでいいんだ。
後はこの水の球をどれくらい広げられるか。
その時、水の球が何かを捕らえた。
突然現れるのは爪、爪から前足が現れる。
雷獣!
気が付いた時には体が反応する。近くに居るならと装備していた盾と短槍。
二つの武具を感知した方向に向けて構える。
盾は爪を受け取る位置に置き、短槍は体が出現するであろう位置に向け突き出す。
重く鈍い感触が盾を伝わり俺の左腕を痺れさせる。そして突き出した槍は雷獣の胸に刺さるが致命傷には届かずすぐに雷に変化してしまう。
外した? いや、確かに命中した。
今の一瞬の攻防が終わりようやくみんながこちらを向く。
「今の音ってまさか王様?」
「パパ凄い早かった。虎さんが出た瞬間には戦ってた」
「クォルテさんよくわかりましたね」
「俺もうまくいってビックリしてる」
ぶっつけ本番だが十分な成果だ。魔力も安定しているし、領域内の物がしっかりと認識できる。
後は実戦でどれだけ領域を広げることができるかだ。
†
「そういうのはいらないんですよ。クォルテ・ロックスさん。英雄気どりですか? ピンチに覚醒とか本当に何様なんでしょうかね」
雷獣からの攻撃の代わりにそんな声が聞こえた。
声は家の裏から聞こえた。やる気がなさそうな声でこちらに語り掛けている。
「雷獣は怖いでしょ? 姿も見えずに背後から凶悪な爪を立てて肉を引き裂く。牙を立てれば体ごと噛み千切る。恐ろしくて怖くて逃げだしたい存在でしょ?」
「誰だか知らないが、お前は何が言いたいんだ?」
おそらくこいつがヴェル・ドレッドなのだろう。昨日はあっさりと逃げ出したみたいだが、今回は逃げ出さないのか?
「簡単なことですよ、雷獣がお前達みたいな小僧共に負けちゃいけない。倒されるなら何十という衛兵と相打ちでないといけない。そうじゃないと雷獣という存在が畏怖の対象にならないんですよ」
「元から町の人に倒されていた雷獣が畏怖の対象とか笑っちまうぞ」
「それはもっと小さい雷獣でしょ? 僕の作った雷獣は文献よりも大きいよ」
「どっちみち失敗だったな。この少人数にやられるんだから」
今のままでも十分に戦えている。オレイカと爺さんもいるし、時間はかかるかもしれないが勝てない敵じゃない。
「そりゃあ苦手な場所で全力を出せていないからですよ。あなたも気が付いているでしょ? 雷獣が本気を出せる場所がどこか」
ドレッドが笑った気がした。
雷獣の得意な場所なんてわかりきっている。雷の降り注ぐ地上だ。だが俺達はここから動かないと決めて戦えば地の利はこちらにある。
そう思いはしたが確実に向こうには何か作戦がある。
俺達を地上に引きずり出す作戦が――
俺の考えを断ち切るような爆発が起こった。
連鎖的に一発二発と広がり天井の壁を破壊していく。
想像よりも規模の大きな作戦だった。俺達を地上に引きずり出すなんて生ぬるい物じゃなく地上と地下の境目を無くす。
天井は瓦礫となって俺達を襲う。
岩ほどの大きな岩盤を砕きながら耐えていると一筋の稲光が地下に落ちた。
耳をつんざく雷鳴、目を焼く閃光、体を振るわす落雷に歓喜の雄たけびが重なる。
「これでもまだ勝てる気でいますか?」
雷獣は姿を消すこともせず悠々とこちらに近づいてくる。
自分がこの空間の王だと主張するほどにゆっくりとこちらに歩みを進める。
「無尽蔵に降り注ぐ雷を動力に動く雷獣にまだ立ち向かいますか?」
「もちろん。こちとら特級の魔獣や神を相手取ったこともあるんだぞ。負けるわけにはいかない」
今にも逃げ出そうとする足を意地だけで繋ぎとめる。
こいつはどこまで知っている? セルクが神なのは知っているのか? こっちの現状をどこまで把握している?
セルクを知っていてこの余裕なら何か作戦を持っている。無暗に動かさない方がいいだろう。
「雷獣の力を知っていますか? もちろん腕力とかそういう肉体的じゃなく、能力といえばいいですか?」
唐突に止まった雷獣は一度大きく吠える。
その声に導かれるように雷はこの一帯に降り注ぐ。
「雷を引き寄せるんです。近距離も遠距離も関係ない雷獣をどう倒すのか楽しみにしてます」
単純にセルクをぶつければ勝てる。それならこっちはドレッドを確保するところからだな。
「王様どうする? 流石にこれの相手は私達には無理だよ?」
爺さんと一緒に落雷を避けてオレイカが近寄ってきた。
流石というべきか二人とも無傷だ。
「セルクをあれにぶつけるんだが、あいつを捕まえないと危ない。クロアが何かを仕掛けているかもしれないからな」
前にセルクが捕まっていたことを知っているオレイカも同じ考えに至り頷いた。
「小僧来るぞ、避けろ!」
こちらに作戦を考えさせるつもりはないらしく、雷獣が俺達に突っ込んでくる。
雷に姿も変えずに真っ向勝負を仕掛けてくる。
腰を落とし迎え撃つ瞬間雷獣の姿が消える。
次に現れたのは真横から俺と爺さんを巻き込むように攻撃を仕掛けてくる。
爪を盾で防ぐが、衝撃が俺の体を駆け巡り、俺は爺さんめがけて飛んでいく。
爺さんは俺がぶつかるタイミングで両手を構え、ぶつかる瞬間に俺の体を回転させた。
すると不思議と俺の体に衝撃はなくぺたりと地面にしりもちをついた。
「何か作戦があるのか? それならワシが雷獣を止めている間に何とかしろ」
何が起ったのかわからないまま呆然としている俺に軽く蹴りを入れ、爺さんは再び構える。
知ってはいたけどこの爺さん強い。
ルリーラやアリルドとも違う強さを持っている。それなら任せても問題ないだろう。
「セルク、あの虎はお前に任せる。俺は隠れてるやつを倒すから」
爺さんが雷獣と戦っている間にセルクへやることを伝える。弱く見積もっても魔獣の大型以上特級未満を相手に爺さん一人でやらせるわけにはいかない。
「思いっきりやってもいい? パパを怪我させたから仕返ししないと」
「違うぞ。俺の仕返しって考えるな。みんなが困るんだ。カグヤとサクヤもシスタも困る。だからあの虎を大人しくさせるんだぞ」
ミスクワルテの様にさせないために言葉を選んで伝える。やられたからやり返すじゃなく困っている人を助ける。その動機に繋げてやらないといけない。
「うんわかった」
子供は素直だ。怒りの籠った目に優しが戻った。俺の詭弁を真摯にくみ取り戦う理由を切り替えた。
「じゃあ、頼んだぞ」
「任せて!」
こつんと拳をぶつけるとセルクは雷獣に向かって飛び出す。
空間を引き裂くような移動に音を追い越し振り続ける雷よりも早く移動する。
俺はそれを見届け家の裏に向かう。
「クォルテさんはその傷でどこに向かうんですか?」
「さっき言ったろ、裏に居る奴をぶっ飛ばす。シスタは大人しく自分の身を守ってろ」
シスタの顔は恐怖に染まっていた。
頑丈なはずの天井が崩壊し雷が降り注ぐ。その上その雷を操る雷獣との対峙に声が震えている。
「すぐに終わらせるから。そしたらおっさんの所に戻ろうな」
頭を一度撫でてやり、俺も家の裏に向かう。
†
「よく逃げなかったな。逃げるチャンスはあっただろ?」
家の裏には壁に寄り掛かる男が一人。
長身の男は背を丸め虚ろな目をしながら寝ぐせが付いた茶色い頭を掻く。
そんなだらしない男の恰好は立ち振る舞いとは逆にしっかりとしている。皺の無い黒のズボンに白のシャツ、その上黒のジャケットという正装。その更に上に白衣を羽織っている。
「僕も逃げたいんだけどクロアさんに言われてるんでね。クォルテ・ロックスは殺してくれと」
瞬間、ドレッドの白衣が炎に包まれる。
燃え盛る炎はドレッドの体を覆い鎧の様に変化する。
炎の鎧が呪文なし? いや、あの白衣に精霊結晶があるのか。
「流石クロアさんが一目置く男だ。この鎧を無詠唱で出したことに驚きもしない。それではご存知でしょうが改めて名乗りましょう。僕はヴェル・ドレッド。伝承の研究者ですお見知りおきを」
伝承の研究者。なるほどそれで雷獣を作ったのか。
「僕は弱いですが、手負いのあなたになら勝てるかもしれませんね」
ドレッドの体が沈む。前傾姿勢なんて言葉よりも深く沈み、地面に倒れる直前地面が爆発する。
爆発の威力を使い地面と平行になり瞬く間に目の前へ現れた。
それが避けれたのは領域を作っていたから。咄嗟に盾を構え直撃は免れたが、衝撃によって背中の傷が開いた。
「炎よ、爆炎よ、敵を消せ、ボム」
爆炎の魔法に腕をはじかれてしまう。
衝撃に痺れる腕はすぐに動けず俺の体ががら空きになってしまう。
一度爆発音が聞こえ、弾かれた左腕の方から蹴りが飛んでくる。察知できたが防ぐ手段がなくドレッドのつま先が俺のわき腹を抉る。
「ぐっ……!」
炎を纏うその一撃は俺の皮膚を焼く。
衝撃のままに壁にたたきつけられると、口に血の味がした。
内臓がやられたのか口を切っただけか。
「攻撃がバレるならバレても問題ない攻撃をする。至極当然のことでしょう?」
「お喋りとか、余裕出してると負けるぞ」
「ご忠告ありがとうございます。ですがこれは僕の流儀でしてね。弱った人間を見下す。悪党に相応しくないですか?」
ドレッドの足が俺の体を踏みつけ、炎が俺の体を焼いていく。
「ぐっ……」
「炎よ、爆炎よ、敵を焦がす煉獄を呼び出せ、フレイムヘル」
ドレッドの炎が俺に触れる瞬間に炎は消えた。
消えたのはそれだけではない。俺の領域に存在していた炎が一斉に消えた。
「今の一瞬で何をしたんですか?」
「新しいのに浮かれてたのは認める。そうじゃなければさっきの一撃も受けなかったしな」
俺は立ち上がる。焼けるほどに熱かった火傷の後は水で冷やされ痛みが和らぐ。
背中の傷も雑だが氷で固めた。これ以上開くこともないだろう。
「水の球、ですか。魔法の相性が悔やまれます」
俺の状況を見て悟ったらしいドレッドがそう口にした。
領域のために作った水の球に水を満たす。ただそれだけの事だ。
「これで対等になったんじゃないか?」
「そうですね。こっちの有利がなくなってしまいます」
動きが無さ過ぎて何をしてくるのか判断ができない。
下手に動くことができない俺とは反対にドレッドは靴でコツコツと地面を叩く。
何のつもりだ?
不可思議な足の動きに目を惹かれた瞬間に何かが破裂した。
何の音か考えるよりも先に領域が飛来物を感知し、それを手で弾く。壁に当たり地面に落ちたのは小石だった。
これを飛ばすために足に注意を引き付けた? いや、違うこっちが陽動か!
気が付いた時には大きな爆発音が聞こえた。
足元の地面を爆発させ瓦礫を攻撃に使う。炎による攻撃ではなく、炎を使った攻撃。水で消せない攻撃方法。
そして何よりこの物量。感知できても俺には対処できず俺の体を瓦礫が襲っていく。
「どんどんいきましょうか」
その言葉の通りドレッドは周囲にある物を手当たり次第攻撃に使う。
反応はできても対応できない攻撃が俺の体に当たり続ける。
大きな物は弾いているとは言え爆発により小さな瓦礫でもそれなりにダメージは蓄積されていく。
そしてその瓦礫による攻撃の合間にドレッド本体からの攻撃も加わっていく。
急に現れる攻撃に対処もできず俺はされるがままに蹴り続けられる。
しかし次の瞬間一本の土の柱がドレッドの体を貫いた。
家の中から突然生えた柱の根元にはシスタが居た。
「ありがとうなシスタ」
完全な不意打ちを受けたドレッドの顔を全力で殴りぬける。
「ぐふっ……これは、想定外でした……」
地面に倒れたドレッドから戦意が失われたように見えた。
起き上がるが戦う姿勢を解き挙句白衣のポケットに手を入れ辺りを見渡した。
逃げるための算段を立てているのか、それともこちらの油断を誘っているのか。無気力さから判断が付きにくい。
「決めました。雷獣はまた作ることにしましょうか。ノウハウはわかりましたし、次は今回よりは楽に作れます。あなたを殺すことはできませんでしたが、今回は帰らせていただきます」
「させるかよ!」
ドレッドが後ろに飛び退く動きをし俺はそれを追撃しようとした。しかし後ろに逃げるという素振り自体が囮だった。
前のめりになった俺の頭上を通り天井に開いた穴に向かって跳んでいく。
足の裏に魔法を使い器用に空中を走る。
「水よ、龍よ、水の化身よ、災厄の名を背負いし者よ、わが敵を喰らい貪れ、我の命に従い顕現せよ、水の龍アクアドラゴン」
間に合うか? 地上に出られたら追えなくなってしまう。地下に居るうちに何とかしないと。
その願いが通じたのか天井に開いた穴が突然真っ赤に染まり埋まった。
「アトゼクス、よくやってくれた」
アトゼクスはその体を肥大化させ天井に大きく開いた穴を埋めた。
突然埋まった穴にドレッドは困惑し動きが止まる。
「僕の負け。ですね」
水の龍は逃げる事を諦めたドレッドにその牙を向けた。
それとほぼ同時に、激しい衝撃と共に獣の慟哭が聞こえた。
「クォルテさんあっちも終わったみたいです」
「みたいだな。それと本当に助かったよありがとうなシス、タ……」
急に体から力が抜けていく。体から熱が消え失せ寒さと共に目の前がぼやけ、やがて真暗になった。
†
「この人は死にたいんですか? あれほど動くなと言ったのにこの有様ですよ。傷は開くどころか悪化してるのに、更に傷が増えているって自殺志願者なら私は金輪際見ません!」
目が覚めて早々心優しいお医者様か愛ある罵倒を頂いてしまった。
反論しようにもぐうの音も出ない程の正論だった。
クロアが絡んでいるとは言え何も全部自分でやる必要はないよなと反省している。
「一週間は絶対安静です! 私の許可なくトイレにも行かせません!」
相当ご立腹の様で病室の扉を力任せに閉じ出て行った。
「まあ、一週間は絶対安静だね」
「でも流石にそろそろルリーラ達と合流しないといけないんだよな」
風邪ひいて数日、それ以外にも移動やらなにやらで既に一週間はあいつらに会っていない。
その上更に一週間となるとあいつらが捜しに来る気がするんだよな。
「じゃあ、私が連れてくるから王様は休んでてよ」
「悪いな、宜しく頼む。ついでにドレッドをヴォール様に引き渡さないと」
あの集団は何をしてくるかわからない。嘘も吐くだろうし暴力に訴えるかもしれない。クロアを止めるためにもこいつを引き渡しおきたい。
「一応伝えておいたよ。水の神の命令で油断できないから気を抜かないようにって。お爺さんも付いて行ってくれるって言ってたから大丈夫だと思うよ」
「ありがとう、助かったよ」
「大丈夫だよ。王様をこれ以上動かしたら本当に死んじゃいそうだからね。それじゃあみんなを迎えに行ってくるね」
ひらひらと手を振ってオレイカも病室を出て行った。
それから一日経ち全員が病室に集まった。
当然みんなから小言を頂き、退院まで全員が無茶をしないように最低一人は病室に待機していた。
「次はどこに行くか決めたの?」
「みんなに聞いたんだが、みんなが口を揃えてリコッタに行きたがってるんだよな」
甘味の国リコッタ。全員が全員口を揃えてその名前をだした。
菓子類が好きなルリーラやアルシェはともかく、あまり好みで行先を決めたがらないミールやサラも絶対ここに行きます。と言っているのが引っかかる。
「いいんじゃない? 私も甘いのは好きだしそこなら荒事にはならないだろうしさ」
「別に反対してるわけじゃないんだけどな。それでも全員が全員っていうのが何か企みがありそうで怖い」
危ない企みじゃないのはわかるが、どうものけ者にされている様で居心地が悪い。
「オレイカも実は一枚かんでるのか? だとしたら教えてくれ」
「知ってても言わないよ。もし言ったら全員から袋叩きに合うでしょ」
「それは知ってるってことだな? ヒントだけでもくれないか?」
「ダメ」
それなら仕方ないなと諦めることにした。
こうまで頑なだと他の連中に聞いても無駄みたいだな。セルクなら何か口を滑らせると思うけどそれを予期してかセルクと二人きりになる機会がない。
そんなもやもやとした気持ちのまま残りの入院期間を過ごした。
「退院ですけどくれぐれも無茶しないようにしなさいね。こんな可愛らしい子達を悲しませたらダメだからね」
「わかってます。本当にお世話になりました」
病院を出発して雨の町に向かおうとしたが、雷の町までティアさんが迎えに来てくれた。
なんでも今回の事件を受けて居ても経っても居られなくなったらしい。このまま町の修繕をしてからシスタと一緒に帰るつもりらしい。
おっさんはどうしても手が空かず来れないということで一言ありがとうと伝えてくれとティアさんから伝言を聞いた。
荷造りがすでに終わっている俺達が車に乗り込むが一人セルクだけが中々来なかった。
長い時間シスタと見つめ合うだけで何も語らずにただ向かい合っていた。
「セルク、お別れは済んだか?」
車から降りてそう尋ねるとセルクは横に首を振る。
泣かないと決めていたのだろうが、セルクの目には涙が溜まっており今にも溢れ出しそうだった。
「また来たらいい。カグヤとサクヤともそう約束しただろ?」
「またね……」
一筋涙がセルクの頬を伝う。
そのせいで涙は止まらずぽつぽつと地面に落ちていく。
「これ、私からのプレゼント」
シスタが歪な形のペンダントを取り出した。
扇形の様に見えるがやはり歪で不思議な形のペンダント。
「友達の印、だから」
涙を流すシスタが差し出したのは似たような形のペンダントを三つ。
「カグヤとサクヤにも渡しておくから。四つで一つの、ペンダント」
欲見ると四つが合わさると丸い円形になるのがわかる。
「ありがとう」
これ以上は野暮だと俺は車に戻る。
他のみんなも何も言わずに静かにセルクが車に乗り込むのを待っていた。
それから小一時間ほど別れを惜しみながらセルクが車に乗り込む。
泣きはらした赤い目はどこか晴れ晴れとして見えた。
「いいんだよ。初めて友達と別れたんだから感傷に浸らせてやれ」
カグヤとサクヤの二人と別れてから一時間の間、セルクは二人からもらった髪留めを延々撫で続けいた。
始めは心配していたオレイカとシスタも今は少し不気味がっていた。
「それでカクシスはこの道を真っすぐでいいのか?」
「はい。その前にもう一度吹雪を抜けないといけませんけど」
またあれか。数日前の吹雪を思い出し気持ちが暗くなるが、雪の町は周囲を吹雪が囲んでいるらしい。
しばらく車を走らせると目の前に雪の壁が見え始めてきた。
「私が結んできます。待っててください」
慣れない吹雪の道を進んで行くと遠くに青白く光る目が見えた気がした。
「今の見たか? 青白い光が二つ」
黙ってみていたはずなのにその二つの目は姿を消した。
「気のせいじゃないの? 私は見てないけど」
「私も見てません。見間違いですよ。光の関係とかそういうのですよ」
二人はそういうが、今のは見間違いじゃない。とどこかでそんな確信がある。
こういう感覚は大事にしないとダメな気がする。
「ここに生物とかいるのか?」
「ありえませんね。まずここには食料がありません。それにここは実験場で自然とは違います。なので生物が住みついたらどこかに追いやられてしまいます」
「そこまでされているなら確かに生き物はいないか」
実験のための施設なのだからそれは当然か。だとしたらやはり見間違いってことになるのか?
「でも実験動物の運搬なら可能性があるよね」
「その可能性はありますけど、可能性は低いですね。実験動物だとしてもわざわざ姿の見える檻の様なものには入れませんよね」
「それもそうだね」
状態を悪化させかねない状況を作るわけがないってことか。
言われれば言われるほどただの見間違いって気がする。
そう考えていた時に風の音とは別に何かの鳴き声が聞こえた気がした。
他に聞いていた者はいないようで、俺は不安を感じながら辺りを警戒することにした。
出発が遅かったこともありカクシスに着いた時には日が暮れていた。
ゴロゴロと雷が轟き、一際高い避雷針に落ちていく。
雨のように降る雷にも驚いたが、一番驚いたのは町の中に建造物と言われるものが避雷針しかないことだ。
「この町で雷が民家に落ちることはありません。百を超える避雷針がありほぼ全ての雷はそこに落ちます。地上にあるのは入口のみで居住区は全て地下にあります」
シスタからそんな説明を受けながら雷の町を進んで行く。
何発もの雷が閃光を発し轟音を響かせる。すぐに慣れた俺とここを知っているシスタは問題ないが、地下暮らしの長いオレイカと子供セルクは荷台で体を丸めて震えていた。
「こんなところで一体何の研究がおこなわれているのやら」
様々な天候を再現しているというウェザークラフトだが、こんな環境では実験どころではないだろうに。
「正にそれですよ。こんなところでも生活できる環境づくり、後はこの雷を使っての耐久実験辺りがメインですね」
「そりゃあ、随分と献身的な考えだな」
「だといいですけどね」
シスタの顔を見る限りやはり善意というよりも、環境作りから生まれる利益確保のために我先にと挑戦しているわけか。
別に悪いこととは言わないが、共同制作とかはしないだろうな。
また突然雷の音に被せるような鳴き声が聞こえた。
俺達に付いてきているのかたまたま同じ進み方なのか。
考えても仕方ないので荷台で震える二人のために家に向かう。
おっさんの家に着き地面を開けると馬車用の入り口が開く、そこから続く下り坂を進むと平らなところに着いた。時間がかかるだけありそれなりに高い天井、広場の様な場所からは細かい道のような物が伸びている。
そんな広場にここは自分の領土だと主張するように家が建っている。
広大な敷地の主としては若干心もとない普通の民家に俺達は荷物を運び入れる。
その家のリビングに紙が一枚置かれていた。
「シスタ、手紙があるぞ。準備はできてるから金を持って来いってさ」
「そうですね。先にそっちに行きましょうか。クォルテさん運転お願いします」
セルクとオレイカに荷ほどきを任せ俺とシスタは移動を開始する。
知り合いの家への道は地下に作ってもいいらしく明かりが乏しい道を真っすぐに進んで行き、すぐに目的の家にたどり着いた。
玄関をノックすると中から黒髪の老年の男性が顔を出した。
「誰だ? 商売なら余所でやれ、ワシも暇じゃない」
「私ですシスタです。料金のお支払いに来たのですが」
「なんじゃシスタちゃんじゃないか。入れ入れ甘いお菓子もあるから、食べていきなさい。ほれほれ」
不愛想に俺をにらみつけた爺さんはシスタを見つけるや、顔をほころばせすぐに家の中に招き入れドアを閉め鍵をかけた。
もちろん俺が外にいるのをしっかりと確認してからだ。
あまりにも普通な動きに反応できないままドアを見つめてしまう。
しかしそれでよかったと思える。あのままだとあのクソ爺の顔面を殴りつけてしまうところだ。
俺はもう一度ノックするが今度は完全に無視。
怒りをもう一度飲み込み再度ノックをするがやはり無視で、家の中から談笑の声が漏れ聞こえる。
「おいクソ爺! 今すぐドアを開けねぇとここ更地にすんぞ!」
「やかましいガキだな堪え性がない。ワシが子供の時はこのくらいの悪戯笑って許してやったぞこれだから最近の若い者は」
「嫌がらせを我慢してやるほどこっちも暇じゃないんだよ。それで金はいくらだ?」
ようやく取引の話になった。この手の爺さんは昔話も長いし早めに切り上げて帰ろう。
「っ! 爺さん伏せろ」
一瞬感じたピリッとした殺気に体が反応する。
俺が爺さんの体を抱えしゃがんだ次の瞬間に頭上を何かが掠める。
急いで態勢を整え盾を構える。
「獣の様じゃな。太くて鋭いところからして、四足の獣じゃ。力に自信がないなら首は狙うな。狙うなら腹部や目のように柔らかい部位じゃ」
爺さんの声に今までのような雰囲気は無くなり、真剣な声になった。
「シスタを頼む。俺が何とか仕留める」
「わかった」
誰もいない家の周りからは気配を感じない。
視覚で確認できる場所には誰もいない。完全に姿を消した?
一瞬気を緩めた瞬間、殺気を捕らえた。上を見ると四足の獣が俺に牙を剥いていた。
盾の大きさから防げない。避ける? 違う蹴り飛ばす!
一瞬の思考の後に俺は足を伸ばし首を蹴り飛ばす。これで倒せれば良し、倒れなくてもそのまま移動はできる。
蹴った足を軸に移動し獣の攻撃を避け、獣を正面に捉える。
獣は虎だった。しかし普通とは違う虎。真っ黒な毛皮に白い虎模様。太く頑丈な足には鋭い爪に骨も砕けそうな獰猛な牙。そしてこちらをにらみつける青白い目。
こいつがさっきの所に居た奴か。俺達を狙って来たのか?
「水よ、剣よ、獣を狩る爪となれ、ウォーターソード」
水の剣を携え改めて虎と向き合う。
援軍は無し、俺一人で虎を狩るのか。
不利な状況に俺はため息を吐きながら虎の次の攻撃に備えた。
†
黒い虎は何かが裂ける音と共に視界から姿を消した。
青白い光の筋が跡として残りそれをたどった時には、虎は背後に回り込み太い爪で俺を引き裂こうとしていた。
空間を切り裂くような一撃に驚き体勢が崩れたおかげで薄皮一枚掠める程度で済んだ。
俺一人の時にこれか……。
せめてどちらかを連れてくればよかった。
引き裂かれたのは肩から腹にかけて斜めに一線。
反応さえできない速さ。残った残像を追いかけていても回避が間に合わない……。
状況の分析をしてもこちらが圧倒的に不利。
向こうは一撃で仕留める爪牙なのにこちらは一撃で仕留めるのは無理。
組み敷かれても終わり。命がいくつあっても足りないだろこれ……。
また何かが裂けるような音と同時に虎の姿が消える。
光の軌跡は先ほどと同じく俺の左側から狙ってきていた。
「それなら逆回りでどうだ!」
持っている水の剣を反対に回転し横一文字で振りぬく。
これならどこかでぶつか……る?
後ろを振り向いた時に光の軌跡は真上に向かっていた。
真っ二つにするつもりで全力で振った水の剣はその軌跡を切りつけてしまう。
やられた……!
こちらの動きを呼んだうえでの回避。振りぬいた水の剣の勢いに体は引かれ頭上に居る虎を睨むことしかできない。
完全な失策。
虎は俺の頭を食い千切ろうと牙を剥く。
死を覚悟したが、唐突な衝撃が俺の体を通り俺の体は弾かれるように後ろに跳んだ。
ニ三回地面を転がり、起き上がると体にわずかな痺れが残った。
手を放してしまった水の剣は地面に落ち水に戻る。黒い虎も未だにこちらを見ているだけで動きはしない。
何が起っているんだ? 今のはなんだ?
手を何度か握り正常であることを確認し短槍を取り出す。
魔力を少し込め今度はこちらから攻める。
どこから来るのかわからないなら先手必勝だ。
一歩踏み出し、勢いを殺さないように二の足を出し一気に距離を縮めようとするが、当然のように虎は姿を消す。
それは知っている。
俺は止まることなく一気に駆け抜け壁に向かう。
少し前に通った場所で地面が砕ける音がした。
虎は猛獣であることを誇るように唸りヒタヒタとゆっくりと動き始める。
背水の陣だが、目の向かない背後は取らせない。
俺の領域を理解している様に隙を伺う虎はプレッシャーを与えるように俺の視界をゆっくりと往復する。
次に何をするのか。何をするにしてもあの速さでは脅威でしかない。
「土よ、壁よ、道を作れ、ウォール!」
突如俺と虎を挟み込むように壁が出来上がる。
突然の異常事態に虎も咄嗟に動くことはできず、俺と一緒に壁で挟まれた通路に取り残される。
「ナイスだシスタ」
これならまだ戦える。
狭い道で縦横無尽に機動力は活かせない。後は初動を見逃さなければ戦える。
そしてその初動は動きではなく音。何かを裂くような異音。
唸り威嚇する黒い虎と向き合い、互いに動けずにいた。
「水よ、槍よ――」
こちらが呪文を唱える瞬間を狙っていた。
一瞬の音を聞き取りこちらも動く、眼前に現れる虎の右の爪が正確に俺の首を刈り取ろうとしていた。
首を引き虎の爪は首元を掠める。
振り切ったのを確認して槍を虎の目に向かい突き出す。
しかしわずかな感触を残し虎がまた姿を消した。
咆哮を轟かせ虎は俺達の前から姿を消した。
「ふぅ」
脅威が去り俺はその場に座り込む。
今の虎最後の一瞬激しく発光した。ようやくあの虎の事がわかってきた。
「クォルテさん大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」
「大丈夫。とは言えないかな。疲労困憊で倒れそうだ。この町ってあんなのがうじゃうじゃいるのか?」
あの虎は雷と同化していた。あの空間が裂ける音も電気が発生する音だ。消えるほどに早いは正確ではなかった。雷に変化した。だから姿が見えなくなっていた。俺があの軌跡を切った時の衝撃も電気が水を流れたから。荒唐無稽なはずの考えもそうだとすれば全て辻褄が合う。
そしてそれがこの町の生んだ研究の成果というなら、対策方法も確立していなければあれだけで町が消えてしまう。
そう思ったが、シスタの答えは違った。
「あんな生物見たことも聞いたこともありません」
あれはいわば新種の生き物と言うことになってしまう。
対策も何もないただの災害。
そうとわかれば急いで戻らないといけない。
「爺さん、金は俺の家で払うから付いてきてくれ」
あの獣がまたいつ来るかわからない環境にこんな爺さんを置いておけるはずもない。仕方なく車に爺さんを乗せ急いで家に戻る。
黒い雷の虎か。ここで作られた生物じゃないなら作ったやつは一人しかいない。
ハベル・クロア。あのマッドサイエンティストが今この町にいる。
そうなると俺一人は心もとない。神の誰かに声をかけるか? あいつのことだから察知した瞬間にどこかへ高飛びするはず。セルクに任せるか? いや、あの異常者と戦わせるには幼すぎる。
打つ手なしか……。目的は果たしたし早々に国を出るのが得策ではある。でもな……。
荷台で辺りを警戒しているシスタ、そのシスタの両親であるおっさんとティアさん。それに雪の国でカグヤとサクヤと仲良くなってしまった。
あいつがここにいる理由はわからない。あれを作るために来ているならすぐにいなくなるだろうか。いや、あいつは確実にこの国で性能を確認する。
「小僧、何を悩んでいる? 人生の先輩が聞いてやろうか?」
「爺さんには関係ないことだよ。もうすぐ着くから大人しくしてろ」
「ワシが優しく言っているうちに話せ。お前はあの獣の何を知っている?」
爺さんから唐突に感じる威圧感。心臓を鷲づかみにされている様な死を連想させるほどの迫力に車を止めた。
振り返ると好々爺の顔ではなく鬼神の顔をしていた。
優しい弓形の目は鋭く開き、口は真一文字に結ばれ、俺の言動を見極めようとしている。
「家に着いたら話す。それでいいか?」
「その前に一つ答えろ。あの生き物をお前は知っているのか?」
「知らない。初めて見たが、あんなのを作ろうとしてる畜生を知っている」
その答えで満足したのか、何も言わず荷台に座るとまた好々爺の表情に戻っていた。
この爺さんとんでもなく強い。アリルドやルリーラのように純粋に体の強度ではなく、技と経験がずば抜けている。
得体の知らない爺さんとともに俺達は家に着いた。
†
「おかえり、ってどうしたのそのおじいさん」
家に帰るなり出迎えてくれたオレイカに今起こったことを伝える。
「それってもしかして、人造魔獣を作ったハベル・クロアの仕業?」
「ここの実験じゃないみたいだしな。俺はそうなんじゃないかと疑っている」
「小僧、紹介してくれや。そこの美人二人は誰でお前の何なのか。それとそのハベル・クロアってのはなんだ?」
どう伝えればいいのか。頭を悩ませるが、手練れのようだし手伝ってもらいたいと俺はクロアの事を話すことにした。
「まずは自己紹介だな。俺はクォルテ・ロックス、それでこっちの白髪がオレイカ・ガルベリウス、もう一人の黒髪がセルク。二人とも一緒に旅をしている仲間だ」
「ワシはツァトゥグア・ヴェリヴァス。好きに呼んでくれ。それで、ハベル・クロアとは誰じゃ?」
セルク達に笑顔で挨拶をし、表情が変わる。
「下種な研究者だよ」
俺はそうクロアについて語る。
ギアロの実験場、フリューでの人造魔獣、パルプという実験体についてあいつらについては全て伝えた。
聞き終わると爺さんは椅子に体を沈ませる。
荒唐無稽な話だが、泉の国であった事件については連絡が来ているはずだ。
「それほどの外道ならあれくらい平気でやるだろうな」
何のことを言っているのかわからないが、俺の言っていることはわかってくれたのだろう。
「あの獣正体は雷獣。数種類の精霊に強力な力を加えた際に生まれる」
「そんな力がどこに……、そうか雷か」
爺さんは頷いた。
そうか雨のように雷が落ち続けるこの町ならではの存在。しかしそれでも未だに信じられない。
「でもここの雷って人工だよね? 本物みたいな力があるの?」
「ありますよ。この国の天候は人工ですがそれは雷ができやすい環境を人の手で作っているので、降る雷は本物です」
オレイカの質問にシスタが答えた。
「昔は稀にだが、雷獣が生まれることがあった。最後に出たのはは五十年前」
爺さんは煙草に火を着け煙を吐き出す。
「その言いぶりだと雷獣が生まれない方法が確立したってことだよな」
「その通りだ。精霊が外に出ないようにすればいいんだよ。だからこの町の家は地下にあり避雷針が複数設置された。数種類の精霊を使う実験は普通ならないからな」
この町は落雷を防ぐために地下に移動したのだと思っていたが違うらしい。怪物を生まないように地下へ移動したのか。
「でも過去にも出ていたなら対処の記録とかありますよね?」
「核となる精霊の集合部分を潰すか、雷獣の力を発散させる。そのどちらかで終わるはずなんだがな」
歯切れ悪く言葉が止まり、ゆっくりと紫煙を肺に流し込む。
次の言葉があるのかと待つが爺さんは言葉を続けることはしなかった。
「その雷獣ってのはこの町から出ないのか?」
「出ないだろうな。だから逃げるなら早く行け、ワシはここから出て行くつもりはない」
出られないのに雷獣を作った理由なんて一つだけだ。出られるようにすることがクロアの目的なんだ。
倒しにくい雷獣をここで作り戦力を拡大する。巨大な精霊結晶を必要としない安価で作れる。
それなら妨害しないといけないか。幸い雷獣の存在は一体のみ、爺さんの力量次第だが問題はなさそうだ。
「爺さんの武器は何だ? 魔法で出して――」
俺の言葉を遮るように雷鳴が轟く。
その轟音と共に獣の慟哭が聞こえる。
「オレイカとシスタはあいつの進路妨害を頼む。セルクは二人を守れ、俺と爺さんが攻める」
「嬢ちゃん、作業用の手袋はあるか?」
俺が構え爺さんに獲物を持たせようとしたがなぜか爺さんは厚手の手袋を手にはめている。
「ワシに得物は必要ないぞ。ツァトゥグア・ヴェリヴァス、生まれてから八十九年喧嘩で得物は使わない」
「マジか、なんかカッコいいなそれ」
手袋を付けた瞬間に爺さんの体が変化した様に見える。どこか威圧感が増し眼光はより鋭くなり前傾で重心を下げる。
そして俺の掛け声を待たずに窓から飛び出し、一直線に雷獣に向かう。
出遅れた俺が急いで飛び出すとすでに戦闘は始まっていた。
爺さんはあの雷獣の動きについて行っているようで爪を牙を避け、攻撃を仕掛けているが、元が雷の雷獣に今一歩のところで当てられずにいた。
一瞬の音を捕らえ、出現ヵ所を予測して動く。これが老人の戦いだとは思えないほどの速度だった。特性を生かして高速の攻撃を続ける雷獣に対して知識と経験だけで高速に追いつく。
この高次元の戦いに俺は入れずにいた。
変にバランスを崩すのが怖い。それはオレイカ達も同じなのか魔法を使ってはいない。
「合わせるから入ってこい、小僧!」
「はい!!」
短槍を持ち激闘の中に飛び込む。
俺は確かに狙いを付けた爺さんの攻撃を雷獣が避ける方向を狙い、普通であれば確実に一撃入るタイミング。
しかし雷獣は普通ではない。当然のようにこちらを見つめ雷に変化する。
「ちっ!」
穂先がわずかに触れるだけで致命傷にはならない。
その苛立ちを表に出し次の攻撃に備える。
「目だけで捕えようとするな。俺よりもしっかりとしたものがあるだろう」
しっかりとしたもの?
考えようとしてもすぐに雷獣の攻撃が挟まり思考が止まる。
何度もぶつ切りになる思考では考えがまとまるどころか支離滅裂な思考に陥ってしまう。
爺さんの攻撃から何かを感じようとしても、爺さんの動きも雷獣と同様に早く観察ができない。
現状でわかるのは爺さんの反応速度が俺よりも早いということだけだ。俺が雷獣の攻撃を察知する前に爺さんは動き出している。
爺さんの口ぶりから何かコツがあるのはわかる。しかしコツがあるということだけしかわからない。
「小僧しっかりとやれ!」
何を察知している? 音? この常に移動を繰り返している音から雷獣の音だけを聞き取る? 違う。
じゃあ光? 雷から姿を現す瞬間に発する光か? この人工の光がある地下でか? 違う。
ならなんだ、黒髪の爺さんに俺が勝っている部分はどこだ?
「王様後ろ!!」
オレイカの声に次いで雷が走る音が聞こえた。
オレイカが気づいた? あの距離でなんで? なんで気づいた?
そうか。できることが違う。黒髪にできることも白髪にできることも全部違う。
魔法による感知。それが正解か。
それに気が付いた時雷獣の爪が俺の背中を切り裂いた。
†
熱い痛い痺れる……。
三本の爪が皮膚から内部に深く刺さり、そこから斜めに移動する。その激痛が酷くゆっくりで、体を引き裂かれる感覚も周りの声も鈍く聞こえる。
助けに動く爺さんも叫んでいるオレイカも、不安そうなシスタも駆け寄ろうとしているセルクも背に爪を立てている雷獣も世界がゆっくりと動いていく。
これも走馬灯。この状況を打破するために脳が過去や現状から全ての可能性を模索している。確かそんな感じだ。
死ぬんだろうか。傷は深い血を止めないと。雷獣の攻撃は魔法で察知するんだっけか。
思考がまとまらない。世界が静止してしまうほどに稼働していてもまとまらないってことがあるんだ。
俺が地面に倒れると、世界は動き出す。
体からこぼれ出た血液が辺りに広まっていく。
「あっ……がっ……かはっ……」
言葉は音にならず、声になりそこなった空気だけが少量の血液と共に口から漏れる。
「シスタちゃん、小僧を家の中に早く!」
シスタ達がこちらに走ってくるのが見える。
駄目だ、視界がぼやける。いつの間にか霧が出てきたらしい。
雷獣を倒すのに支障が出なければいいけど。
「王様、すぐに治療するから。セルクすぐに王様を運んで」
「これがパパを、許さない!」
「それよりも今はこっち王様が死んじゃうから!」
誰かに担がれている。もう視界が無くなるほどの霧でも動けるのか。流石セルクだ。
あまりにも濃い霧は光すらも通さないらしく、辺り一面が真っ暗だ。
小さな音が聞こえた気がした。何かが壊れる音、爺さんが雷獣と戦ってるのか。
そこで俺は何も感じることはなくなった。
俺が意識を取り戻した時には目の前にオレイカが居た。
「起き上がらないでね、傷は塞いだけど塞いだだけだから。でも目を覚ましたならもう大丈夫かな。背中以外に違和感ある?」
頭がボーっとしている。
ここはたぶん、おっさんの家だ。見た覚えがある。オレイカの表情から結構意識を失っていたらしい。
現在の状況を確認する。
「雷獣はどうなったんだ? 俺が倒れた後に何かあったのか?」
「大変だったよ――」
オレイカの話では俺が倒れた後に天井を破壊して一人の男が来たらしい。
クロアの仲間なのは確かなようで狙いは俺。雷獣の試運転を兼ねて俺を襲撃したらしいが、キレたセルクの気迫で追い返したらしい。
当のセルクは追撃しようとしたがオレイカに窘められて今も俺を守るために部屋の隅でじっと座っている。
「――そんなわけで大変だったんだから」
「その男の名前はわかってるのか?」
「ヴェル・ドレッド。自分で言ってた」
険しい顔をしてセルクが教えてくれたその名前に覚えはないが、クロアが絡んでいるのなら厄介なはずだ。
雷獣だけでも面倒なのにそれを操る人間か。
「それはそうとセルク。おいで」
とりあえずその面倒は忘れておこう。今は先の事よりも今を大事にしよう。
「どこか痛いの?」
険しい顔が少し緩み俺の側に小走りで走ってきたセルクの頭を撫でる。
「ありがとうな。セルクのおかげで俺もオレイカも生きてる」
「うん!」
わずかに残った危うさも消えて笑顔に戻った。
セルクはまだ難しいことを覚える必要はない。何をしたら周りが褒めてくれるか。それを今は覚えてもらいたい。
セルクが神としてどうなるかはわからないが、前の闇の神ミスクワルテの様にはなって欲しくない。
「私もセルクを止めたり頑張ったんだけどな」
「はいはい。オレイカもありがとうな」
拗ねた表情でわざとらしく頭を差し出すオレイカの頭もついでに撫でると満足気に耳がぴくぴくと動く。
「オレイカが察知できたのはその耳のおかげか? 確か魔力の貯蔵庫って言ってたよな?」
「違うよ。そんな機能はないから。魔力が反応したの、魔法を使おうとしてたら王様達の所で魔力が消えて変だなって思ったら突然現れたの」
「それが爺さんよりも俺が勝っている部分か」
突然の消失と出現か。魔力察知までは何となくわかったけど察知は存在そのものか。精霊に雷をぶつけて生まれる雷獣ならではの探し方だ。
「今度は遅れを取らない。攻撃のタイミングがわかれば勝てる」
確かな手がかりに俺は満足する。
もう雷獣には負けない。後はドレッドって言う奴の対応だな。
「そう言えばシスタと爺さんはどこにいるんだ?」
「この町のお医者さんを探しに行った。たぶんもうすぐ戻ってくるはずだよ」
オレイカのその言葉通り二人は医者を連れてきてくれ、俺はちゃんとした治療を受けた。
傷がしっかりと癒着するまでどんなに急いでも三日かかるとのことだったが、激しい運動が無ければ明日からは起き上がっても問題ないらしい。
そうなると急に暇になる。
雷獣への対策法も決まりただただ暇な現状では天井を眺めているしかない。
そんな俺とは違い、オレイカはアトゼクスをシスタのお腹から取り出す手術をするため別室に移動している。
手術はニ三時間で終わったらしく久しぶりに体外に出られたアトゼクスが俺の部屋にやってきた。
「無事出てきました」
「そりゃあよかったな。もう飲み込まれるなよ」
オレイカの腹話術に返答しようやくこの町に来た最大の理由は終わりを迎えた。
残りの野暮用の決着もつけないといけない。と俺は拳を握った。
†
翌日医者から激しくなければ動いてもいいとの許可をもらい、俺は雷獣感知のための練習をしていた。
場所は相変わらず部屋の中、俺が激しく動きにくい場所でのみ許可されている。
最初は自分の魔力を辺りに放出して試してみたが、魔力の消耗が激しく精度が期待できない。
「オレイカ、何かコツとか無いのか? この状態で戦闘は無理だ」
俺が激しく動かないかを監視するために一緒にいるオレイカに聞いてみる。
ただ発動だけで倒れてしまいそうなほどに疲れてしまう。実際の戦闘となれば他にも魔法を発動させ激しく動くため、このままだと一分も持たない。
「私はあんまり動かない位置だし白髪だからそれで問題ないからわからないな」
「そうなんだよな」
このやり方はオレイカの案で物は試しと始めたことだし、これ以上の情報は出てこないか。
そうなると俺専用に考えるしかないのか。
「お爺さんに聞いてみたら? ヒントくれるかもよ」
「それもいいんだけど、爺さんは黒髪だからな。オレイカと一緒で俺には無理なことかもしれないぞ」
「聞くだけ聞いてみようよ。呼んでくるからちょっと待ってて」
こちらの返事を聞く前に部屋を飛び出して行った。
オレイカが爺さんを連れてくる間、一人で考えていたが一向に考えはまとまらない。魔力の量を減らせば感知できる部分が限られる。
いっそ感知の魔法を使ってみたが、結局は物理的な存在しか確認できずにいた。
「小僧、激しい運動は禁止じゃないのか?」
入ってきた爺さんは俺の姿を見てそう聞いてきた。
「連れてきたよ。ってなんで地面に倒れ込んでるの傷が開いたとか?」
地面に寝転がる俺を見ているのなら二人の反応は正常なのだろう。
「こうやると誰が近づいたかわかるかなと思ってさ。密偵とかがよくこうやって人数確認とかするだろ?」
「それはあくまで五感に頼ってるだけだろ? 黒髪の領分だ。訓練もできていない小僧にできるわけない」
そうはっきりと言われて俺はベッドに座り直す。
確かに足音は聞こえたが人数もわからなかったしな。
「ヒントを教えてくれとオレイカちゃんに言われてきたが、正直どう言えば伝わるかわからん。だがワシが一つだけ心がけていることは自分の領域をしっかりと認識する。ただそれだけだ」
「領域か。爺さんはどんな風にイメージしているんだ?」
「腕の届く範囲。ここからここまでの範囲だな」
そう言って両腕を広げ、見えない壁をなぞるように自分の領域を示している。
そうすると俺にも薄っすらと爺さんの領域が見えた気がした。
爺さんの体を中心に描かれた丸い球体。それが見えた時何かが繋がった。
「行けるかもしれない」
そう口にするとその言葉を待っていたかのように雷獣の咆哮が聞こえた。
練習する時間はないか。
「王様は寝ててね。病気の次に大けがとかこれ以上何かあったら私がルリーラ達に怒られるから」
「えー……」
折角戦える術を手に入れたのに戦わせてはもらえないらしい。
「後セルクを大人しくさせてね」
何があっても良いように俺も玄関まで向かい、二人の様子を見ている。両サイドにセルクとシスタが俺の腕を掴み跳び出さないようにされてしまい、俺は罪人のような扱いを受けている。
戦闘を行うのは爺さんとオレイカ、それとアトゼクス。
前回の戦いだと気が付かなかったが爺さんは戦闘に向けて両手を広げ自分の領域を確認し雷獣があらわるのを待つ。
オレイカも魔力を周りに散布させ迎え撃つ準備をしている。
そう言えば改めて他人の戦闘を見るのって初めてな気がする。
俺もただ見てるだけじゃなくて練習してみるか。
そう思い自分の領域を想像する。円形で自分を覆うイメージ。
近いのはウォーターボールそれを意識するために自分を中心に水の球を作る。
「何ですか? 何をしてるんですか?」
「パパどうしたの?」
「練習だ。動けないからこれくらいは許してくれ」
二人の抗議を受けながらそれを無視する。
爺さんから見えた領域のイメージに近づけるために水の球の厚さを極薄にする。
視界を遮らないほどに薄くしていき、やがて知覚できないほどに薄くなる。
「消えました。今の何だったんですか?」
「ううんまだあるよ」
セルクには見えているらしく、中指の腹から人差し指、薬指と水の球の端に触れやがてセルクの右手が全て触れる。
そうかこれだけでいいのか。
魔法で作った水の蛇が動くのがわかるように遠視の魔法で遠くの情景を認識できるようにこれだけでいいのか。
難しい技術なんかじゃないんだ。この水の球に触れた何かを察知するだけでいいんだ。
後はこの水の球をどれくらい広げられるか。
その時、水の球が何かを捕らえた。
突然現れるのは爪、爪から前足が現れる。
雷獣!
気が付いた時には体が反応する。近くに居るならと装備していた盾と短槍。
二つの武具を感知した方向に向けて構える。
盾は爪を受け取る位置に置き、短槍は体が出現するであろう位置に向け突き出す。
重く鈍い感触が盾を伝わり俺の左腕を痺れさせる。そして突き出した槍は雷獣の胸に刺さるが致命傷には届かずすぐに雷に変化してしまう。
外した? いや、確かに命中した。
今の一瞬の攻防が終わりようやくみんながこちらを向く。
「今の音ってまさか王様?」
「パパ凄い早かった。虎さんが出た瞬間には戦ってた」
「クォルテさんよくわかりましたね」
「俺もうまくいってビックリしてる」
ぶっつけ本番だが十分な成果だ。魔力も安定しているし、領域内の物がしっかりと認識できる。
後は実戦でどれだけ領域を広げることができるかだ。
†
「そういうのはいらないんですよ。クォルテ・ロックスさん。英雄気どりですか? ピンチに覚醒とか本当に何様なんでしょうかね」
雷獣からの攻撃の代わりにそんな声が聞こえた。
声は家の裏から聞こえた。やる気がなさそうな声でこちらに語り掛けている。
「雷獣は怖いでしょ? 姿も見えずに背後から凶悪な爪を立てて肉を引き裂く。牙を立てれば体ごと噛み千切る。恐ろしくて怖くて逃げだしたい存在でしょ?」
「誰だか知らないが、お前は何が言いたいんだ?」
おそらくこいつがヴェル・ドレッドなのだろう。昨日はあっさりと逃げ出したみたいだが、今回は逃げ出さないのか?
「簡単なことですよ、雷獣がお前達みたいな小僧共に負けちゃいけない。倒されるなら何十という衛兵と相打ちでないといけない。そうじゃないと雷獣という存在が畏怖の対象にならないんですよ」
「元から町の人に倒されていた雷獣が畏怖の対象とか笑っちまうぞ」
「それはもっと小さい雷獣でしょ? 僕の作った雷獣は文献よりも大きいよ」
「どっちみち失敗だったな。この少人数にやられるんだから」
今のままでも十分に戦えている。オレイカと爺さんもいるし、時間はかかるかもしれないが勝てない敵じゃない。
「そりゃあ苦手な場所で全力を出せていないからですよ。あなたも気が付いているでしょ? 雷獣が本気を出せる場所がどこか」
ドレッドが笑った気がした。
雷獣の得意な場所なんてわかりきっている。雷の降り注ぐ地上だ。だが俺達はここから動かないと決めて戦えば地の利はこちらにある。
そう思いはしたが確実に向こうには何か作戦がある。
俺達を地上に引きずり出す作戦が――
俺の考えを断ち切るような爆発が起こった。
連鎖的に一発二発と広がり天井の壁を破壊していく。
想像よりも規模の大きな作戦だった。俺達を地上に引きずり出すなんて生ぬるい物じゃなく地上と地下の境目を無くす。
天井は瓦礫となって俺達を襲う。
岩ほどの大きな岩盤を砕きながら耐えていると一筋の稲光が地下に落ちた。
耳をつんざく雷鳴、目を焼く閃光、体を振るわす落雷に歓喜の雄たけびが重なる。
「これでもまだ勝てる気でいますか?」
雷獣は姿を消すこともせず悠々とこちらに近づいてくる。
自分がこの空間の王だと主張するほどにゆっくりとこちらに歩みを進める。
「無尽蔵に降り注ぐ雷を動力に動く雷獣にまだ立ち向かいますか?」
「もちろん。こちとら特級の魔獣や神を相手取ったこともあるんだぞ。負けるわけにはいかない」
今にも逃げ出そうとする足を意地だけで繋ぎとめる。
こいつはどこまで知っている? セルクが神なのは知っているのか? こっちの現状をどこまで把握している?
セルクを知っていてこの余裕なら何か作戦を持っている。無暗に動かさない方がいいだろう。
「雷獣の力を知っていますか? もちろん腕力とかそういう肉体的じゃなく、能力といえばいいですか?」
唐突に止まった雷獣は一度大きく吠える。
その声に導かれるように雷はこの一帯に降り注ぐ。
「雷を引き寄せるんです。近距離も遠距離も関係ない雷獣をどう倒すのか楽しみにしてます」
単純にセルクをぶつければ勝てる。それならこっちはドレッドを確保するところからだな。
「王様どうする? 流石にこれの相手は私達には無理だよ?」
爺さんと一緒に落雷を避けてオレイカが近寄ってきた。
流石というべきか二人とも無傷だ。
「セルクをあれにぶつけるんだが、あいつを捕まえないと危ない。クロアが何かを仕掛けているかもしれないからな」
前にセルクが捕まっていたことを知っているオレイカも同じ考えに至り頷いた。
「小僧来るぞ、避けろ!」
こちらに作戦を考えさせるつもりはないらしく、雷獣が俺達に突っ込んでくる。
雷に姿も変えずに真っ向勝負を仕掛けてくる。
腰を落とし迎え撃つ瞬間雷獣の姿が消える。
次に現れたのは真横から俺と爺さんを巻き込むように攻撃を仕掛けてくる。
爪を盾で防ぐが、衝撃が俺の体を駆け巡り、俺は爺さんめがけて飛んでいく。
爺さんは俺がぶつかるタイミングで両手を構え、ぶつかる瞬間に俺の体を回転させた。
すると不思議と俺の体に衝撃はなくぺたりと地面にしりもちをついた。
「何か作戦があるのか? それならワシが雷獣を止めている間に何とかしろ」
何が起ったのかわからないまま呆然としている俺に軽く蹴りを入れ、爺さんは再び構える。
知ってはいたけどこの爺さん強い。
ルリーラやアリルドとも違う強さを持っている。それなら任せても問題ないだろう。
「セルク、あの虎はお前に任せる。俺は隠れてるやつを倒すから」
爺さんが雷獣と戦っている間にセルクへやることを伝える。弱く見積もっても魔獣の大型以上特級未満を相手に爺さん一人でやらせるわけにはいかない。
「思いっきりやってもいい? パパを怪我させたから仕返ししないと」
「違うぞ。俺の仕返しって考えるな。みんなが困るんだ。カグヤとサクヤもシスタも困る。だからあの虎を大人しくさせるんだぞ」
ミスクワルテの様にさせないために言葉を選んで伝える。やられたからやり返すじゃなく困っている人を助ける。その動機に繋げてやらないといけない。
「うんわかった」
子供は素直だ。怒りの籠った目に優しが戻った。俺の詭弁を真摯にくみ取り戦う理由を切り替えた。
「じゃあ、頼んだぞ」
「任せて!」
こつんと拳をぶつけるとセルクは雷獣に向かって飛び出す。
空間を引き裂くような移動に音を追い越し振り続ける雷よりも早く移動する。
俺はそれを見届け家の裏に向かう。
「クォルテさんはその傷でどこに向かうんですか?」
「さっき言ったろ、裏に居る奴をぶっ飛ばす。シスタは大人しく自分の身を守ってろ」
シスタの顔は恐怖に染まっていた。
頑丈なはずの天井が崩壊し雷が降り注ぐ。その上その雷を操る雷獣との対峙に声が震えている。
「すぐに終わらせるから。そしたらおっさんの所に戻ろうな」
頭を一度撫でてやり、俺も家の裏に向かう。
†
「よく逃げなかったな。逃げるチャンスはあっただろ?」
家の裏には壁に寄り掛かる男が一人。
長身の男は背を丸め虚ろな目をしながら寝ぐせが付いた茶色い頭を掻く。
そんなだらしない男の恰好は立ち振る舞いとは逆にしっかりとしている。皺の無い黒のズボンに白のシャツ、その上黒のジャケットという正装。その更に上に白衣を羽織っている。
「僕も逃げたいんだけどクロアさんに言われてるんでね。クォルテ・ロックスは殺してくれと」
瞬間、ドレッドの白衣が炎に包まれる。
燃え盛る炎はドレッドの体を覆い鎧の様に変化する。
炎の鎧が呪文なし? いや、あの白衣に精霊結晶があるのか。
「流石クロアさんが一目置く男だ。この鎧を無詠唱で出したことに驚きもしない。それではご存知でしょうが改めて名乗りましょう。僕はヴェル・ドレッド。伝承の研究者ですお見知りおきを」
伝承の研究者。なるほどそれで雷獣を作ったのか。
「僕は弱いですが、手負いのあなたになら勝てるかもしれませんね」
ドレッドの体が沈む。前傾姿勢なんて言葉よりも深く沈み、地面に倒れる直前地面が爆発する。
爆発の威力を使い地面と平行になり瞬く間に目の前へ現れた。
それが避けれたのは領域を作っていたから。咄嗟に盾を構え直撃は免れたが、衝撃によって背中の傷が開いた。
「炎よ、爆炎よ、敵を消せ、ボム」
爆炎の魔法に腕をはじかれてしまう。
衝撃に痺れる腕はすぐに動けず俺の体ががら空きになってしまう。
一度爆発音が聞こえ、弾かれた左腕の方から蹴りが飛んでくる。察知できたが防ぐ手段がなくドレッドのつま先が俺のわき腹を抉る。
「ぐっ……!」
炎を纏うその一撃は俺の皮膚を焼く。
衝撃のままに壁にたたきつけられると、口に血の味がした。
内臓がやられたのか口を切っただけか。
「攻撃がバレるならバレても問題ない攻撃をする。至極当然のことでしょう?」
「お喋りとか、余裕出してると負けるぞ」
「ご忠告ありがとうございます。ですがこれは僕の流儀でしてね。弱った人間を見下す。悪党に相応しくないですか?」
ドレッドの足が俺の体を踏みつけ、炎が俺の体を焼いていく。
「ぐっ……」
「炎よ、爆炎よ、敵を焦がす煉獄を呼び出せ、フレイムヘル」
ドレッドの炎が俺に触れる瞬間に炎は消えた。
消えたのはそれだけではない。俺の領域に存在していた炎が一斉に消えた。
「今の一瞬で何をしたんですか?」
「新しいのに浮かれてたのは認める。そうじゃなければさっきの一撃も受けなかったしな」
俺は立ち上がる。焼けるほどに熱かった火傷の後は水で冷やされ痛みが和らぐ。
背中の傷も雑だが氷で固めた。これ以上開くこともないだろう。
「水の球、ですか。魔法の相性が悔やまれます」
俺の状況を見て悟ったらしいドレッドがそう口にした。
領域のために作った水の球に水を満たす。ただそれだけの事だ。
「これで対等になったんじゃないか?」
「そうですね。こっちの有利がなくなってしまいます」
動きが無さ過ぎて何をしてくるのか判断ができない。
下手に動くことができない俺とは反対にドレッドは靴でコツコツと地面を叩く。
何のつもりだ?
不可思議な足の動きに目を惹かれた瞬間に何かが破裂した。
何の音か考えるよりも先に領域が飛来物を感知し、それを手で弾く。壁に当たり地面に落ちたのは小石だった。
これを飛ばすために足に注意を引き付けた? いや、違うこっちが陽動か!
気が付いた時には大きな爆発音が聞こえた。
足元の地面を爆発させ瓦礫を攻撃に使う。炎による攻撃ではなく、炎を使った攻撃。水で消せない攻撃方法。
そして何よりこの物量。感知できても俺には対処できず俺の体を瓦礫が襲っていく。
「どんどんいきましょうか」
その言葉の通りドレッドは周囲にある物を手当たり次第攻撃に使う。
反応はできても対応できない攻撃が俺の体に当たり続ける。
大きな物は弾いているとは言え爆発により小さな瓦礫でもそれなりにダメージは蓄積されていく。
そしてその瓦礫による攻撃の合間にドレッド本体からの攻撃も加わっていく。
急に現れる攻撃に対処もできず俺はされるがままに蹴り続けられる。
しかし次の瞬間一本の土の柱がドレッドの体を貫いた。
家の中から突然生えた柱の根元にはシスタが居た。
「ありがとうなシスタ」
完全な不意打ちを受けたドレッドの顔を全力で殴りぬける。
「ぐふっ……これは、想定外でした……」
地面に倒れたドレッドから戦意が失われたように見えた。
起き上がるが戦う姿勢を解き挙句白衣のポケットに手を入れ辺りを見渡した。
逃げるための算段を立てているのか、それともこちらの油断を誘っているのか。無気力さから判断が付きにくい。
「決めました。雷獣はまた作ることにしましょうか。ノウハウはわかりましたし、次は今回よりは楽に作れます。あなたを殺すことはできませんでしたが、今回は帰らせていただきます」
「させるかよ!」
ドレッドが後ろに飛び退く動きをし俺はそれを追撃しようとした。しかし後ろに逃げるという素振り自体が囮だった。
前のめりになった俺の頭上を通り天井に開いた穴に向かって跳んでいく。
足の裏に魔法を使い器用に空中を走る。
「水よ、龍よ、水の化身よ、災厄の名を背負いし者よ、わが敵を喰らい貪れ、我の命に従い顕現せよ、水の龍アクアドラゴン」
間に合うか? 地上に出られたら追えなくなってしまう。地下に居るうちに何とかしないと。
その願いが通じたのか天井に開いた穴が突然真っ赤に染まり埋まった。
「アトゼクス、よくやってくれた」
アトゼクスはその体を肥大化させ天井に大きく開いた穴を埋めた。
突然埋まった穴にドレッドは困惑し動きが止まる。
「僕の負け。ですね」
水の龍は逃げる事を諦めたドレッドにその牙を向けた。
それとほぼ同時に、激しい衝撃と共に獣の慟哭が聞こえた。
「クォルテさんあっちも終わったみたいです」
「みたいだな。それと本当に助かったよありがとうなシス、タ……」
急に体から力が抜けていく。体から熱が消え失せ寒さと共に目の前がぼやけ、やがて真暗になった。
†
「この人は死にたいんですか? あれほど動くなと言ったのにこの有様ですよ。傷は開くどころか悪化してるのに、更に傷が増えているって自殺志願者なら私は金輪際見ません!」
目が覚めて早々心優しいお医者様か愛ある罵倒を頂いてしまった。
反論しようにもぐうの音も出ない程の正論だった。
クロアが絡んでいるとは言え何も全部自分でやる必要はないよなと反省している。
「一週間は絶対安静です! 私の許可なくトイレにも行かせません!」
相当ご立腹の様で病室の扉を力任せに閉じ出て行った。
「まあ、一週間は絶対安静だね」
「でも流石にそろそろルリーラ達と合流しないといけないんだよな」
風邪ひいて数日、それ以外にも移動やらなにやらで既に一週間はあいつらに会っていない。
その上更に一週間となるとあいつらが捜しに来る気がするんだよな。
「じゃあ、私が連れてくるから王様は休んでてよ」
「悪いな、宜しく頼む。ついでにドレッドをヴォール様に引き渡さないと」
あの集団は何をしてくるかわからない。嘘も吐くだろうし暴力に訴えるかもしれない。クロアを止めるためにもこいつを引き渡しおきたい。
「一応伝えておいたよ。水の神の命令で油断できないから気を抜かないようにって。お爺さんも付いて行ってくれるって言ってたから大丈夫だと思うよ」
「ありがとう、助かったよ」
「大丈夫だよ。王様をこれ以上動かしたら本当に死んじゃいそうだからね。それじゃあみんなを迎えに行ってくるね」
ひらひらと手を振ってオレイカも病室を出て行った。
それから一日経ち全員が病室に集まった。
当然みんなから小言を頂き、退院まで全員が無茶をしないように最低一人は病室に待機していた。
「次はどこに行くか決めたの?」
「みんなに聞いたんだが、みんなが口を揃えてリコッタに行きたがってるんだよな」
甘味の国リコッタ。全員が全員口を揃えてその名前をだした。
菓子類が好きなルリーラやアルシェはともかく、あまり好みで行先を決めたがらないミールやサラも絶対ここに行きます。と言っているのが引っかかる。
「いいんじゃない? 私も甘いのは好きだしそこなら荒事にはならないだろうしさ」
「別に反対してるわけじゃないんだけどな。それでも全員が全員っていうのが何か企みがありそうで怖い」
危ない企みじゃないのはわかるが、どうものけ者にされている様で居心地が悪い。
「オレイカも実は一枚かんでるのか? だとしたら教えてくれ」
「知ってても言わないよ。もし言ったら全員から袋叩きに合うでしょ」
「それは知ってるってことだな? ヒントだけでもくれないか?」
「ダメ」
それなら仕方ないなと諦めることにした。
こうまで頑なだと他の連中に聞いても無駄みたいだな。セルクなら何か口を滑らせると思うけどそれを予期してかセルクと二人きりになる機会がない。
そんなもやもやとした気持ちのまま残りの入院期間を過ごした。
「退院ですけどくれぐれも無茶しないようにしなさいね。こんな可愛らしい子達を悲しませたらダメだからね」
「わかってます。本当にお世話になりました」
病院を出発して雨の町に向かおうとしたが、雷の町までティアさんが迎えに来てくれた。
なんでも今回の事件を受けて居ても経っても居られなくなったらしい。このまま町の修繕をしてからシスタと一緒に帰るつもりらしい。
おっさんはどうしても手が空かず来れないということで一言ありがとうと伝えてくれとティアさんから伝言を聞いた。
荷造りがすでに終わっている俺達が車に乗り込むが一人セルクだけが中々来なかった。
長い時間シスタと見つめ合うだけで何も語らずにただ向かい合っていた。
「セルク、お別れは済んだか?」
車から降りてそう尋ねるとセルクは横に首を振る。
泣かないと決めていたのだろうが、セルクの目には涙が溜まっており今にも溢れ出しそうだった。
「また来たらいい。カグヤとサクヤともそう約束しただろ?」
「またね……」
一筋涙がセルクの頬を伝う。
そのせいで涙は止まらずぽつぽつと地面に落ちていく。
「これ、私からのプレゼント」
シスタが歪な形のペンダントを取り出した。
扇形の様に見えるがやはり歪で不思議な形のペンダント。
「友達の印、だから」
涙を流すシスタが差し出したのは似たような形のペンダントを三つ。
「カグヤとサクヤにも渡しておくから。四つで一つの、ペンダント」
欲見ると四つが合わさると丸い円形になるのがわかる。
「ありがとう」
これ以上は野暮だと俺は車に戻る。
他のみんなも何も言わずに静かにセルクが車に乗り込むのを待っていた。
それから小一時間ほど別れを惜しみながらセルクが車に乗り込む。
泣きはらした赤い目はどこか晴れ晴れとして見えた。
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